“0” -Ⅶ-
───走る。走る。走る。
道を照らす仄かな街頭の灯りを遮り、耳を打つ静寂を呼吸で乱す。・・・・・・父に慰められようとしたあの時、あれほど自分の胸を滾らせていたハルケギニアへの想いは途端に、離別の悲しみに冷まされた。だからその熱を取り戻すために、こうして春の風になびく柔らかい夜を、才人は荒々しくその身で切り裂いている。
「はっ、はっ、・・・・・・ッ、は・・・・・・」
揺らぎ、崩れ、散り散りになってしまった固めたはずの決意。再度集めまとめあげるには、この世界にけじめをつけなければならない。そして単純な自分に出来そうなことといえば、全てをここに忘れていくことくらいだった。
「・・・・・・ッはッ、はッ、 ・・・・・・ふッ、はッ・・・・・・」
見覚えのある景色が流れていくにつれ、懐かしい記憶も過ぎ去っていく。友達の1人に好きな子に告白するから見守っていてくれと言われ、友達数人でその恋路を隠れながら応援した駅前。高校受験の不安にかられ親に内緒で遊んだゲーセン・・・・・・友達の家や遠くに映る学校が、才人の瞳を濡らしていく。それでも、まだ足りない。
「・・・・・・はッ、くッ、・・・・・・う、くぅッ・・・・・・」
暑い夏の日、負けたやつがアイスを奢るとジャンケンをしたコンビニ。マセた友達がどこからか拾ってきた大人な雑誌をみんなで回し読みした路地。暇ならちょっとついてきてと、母に荷物持ちとしてよく連れてかれたスーパーを曲がり、父がたまに釣りに誘ってくれるたび訪れた、少し古ぼけた外装の釣具屋を通り過ぎる。
くだらない些細な思い出も心に残る大切な思い出も、アスファルトを踏み締めるごとに振るい落としていく。
「ひッ、ふ・・・・・うッ、ッく、ぐぅうッ・・・・・・」
夏休みの宿題が終わらず、集まった友達と必死になって勉強会をやった図書館。お使いすれば少しは飲ませてやるとの父の言葉につられ、嬉々としてワインやらビールやらを買いに行った近所のドラッグストア。
一瞬のうちに蘇るたくさんの記憶を、たくさんの幸せを、才人は自らから削り落とし、切り離し、置き去っていく。
「うう、あッ・・・・・・ううッ、うぁあああッ ・・・・・・」
過呼吸で肺が痛む。繋がったばかりの心臓は今にもバラバラになりそうなほど激しく拍動し悲鳴をあげるが、痛みを感じた方が気がまぎれると気にせず駆ける。
・・・・・・こんなことは間違っていることは分かっている。しかし門は確実にはハルケギニアへ繋がらないのだ。こうでもしないときっと別の世界に飛ばされた時死んでも死にきれないだろうし、運良く辿り着けたとしてもずっと悩み後悔することになる。・・・・・・いや、それどころか門が開いたとして足を踏み入れられるかどうかすらも・・・・・・
「・・・・・・うぁああッ、ふ、ぐッ・・・・・・ ・・・・・・うぁああああああッ・・・・・・!! 」
もっと捨てなきゃ。もっと軽くしなきゃ。
・・・・・・そうじゃないと、そうじゃないと俺は、・・・・・・あの世界に、翔べないッ・・・・・・!
裂けよ身体とばかりに腕を振り、泣き声を噛み潰しながら。平賀才人は自分を惑わせるすべてをかなぐり捨てていく。
捨てて、削って、潰して、埋めて。
諦めて、逃げて、忘れて、殺して。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて───
───夜が白み始め、涙も声も枯れてしまった頃にはもう、あたりは見覚えのある住宅街に変わっていた。
「・・・・・・ぜぇ、はぁッ、・・・・・・ごほッ、けほッ・・・・・・」
走るペースを落としながら、パーカーの袖で最後の涙を拭う。散々泣いたしみっともなく喚いた。だから、悲しむのはもうこれで、終わりにしなければならない。
「はぁ、はぁ・・・・・・ふぅ・・・・・・ッ」
自分の名字が刻まれた表札の前で、荒い呼吸を整える。いつもの癖でポケットをまさぐろうとし、そういえば鍵を持ってないことを思い出してインターホンを押そうとした才人だったが、ボタンに手が伸びる前にカシャン、と音がした。顔を上げると煙草の煙をくゆらせながら、ブロック塀の門を開ける父の姿があった。
「・・・・・・家の鍵は開いてるぞ。それとお前が来るまでに、母さんには一通り話はしておいた」
父が立つ位置は街灯の陰だ。かける眼鏡もあいまって、その表情を窺うことはできない。
さっきのことを謝らなくちゃ。話したってどこまで説明したんだ。話を聞いた母さんはどんな反応をしたんだ。
様々な想いが頭の中を巡る。しかしそれよりも先に口をついて出たのは、自分が知らなった父の一面に対する驚きの言葉だった。
「父さん・・・・・・タバコ・・・・・・」
「ん・・・・・・ああ、これか? お前が生まれてから吸ってなかったから知らないのは当然だな。タバコは副流煙の方が何倍も身体に悪いし、なによりこれは嗜好品だ。やめようと思ってやめられないんじゃ、父親として格好がつかないからな」
───だが、それも今日でおしまいか。
声を落とし小さく呟いた言葉が、風に乗って才人の耳に入ってくる。思わず口を引き結ぶ才人の様子に気付いたのか、父は才人の元にやってきた。
「・・・・・・ほら、さっきは俺と話したんだから次は母さんの番だ。言いたいことがあるならその後で聞いてやる」
そう言って才人の背中に手を当て家のドアまで押し進めると、すたすたと父は縁側に腰掛けタバコをふかす。わざわざ離れたうえ、煙が自分の方に行かないようそっぽを向いてタバコを吸う父。大きくもどこか寂しげなその背中は、今まで自分がどれだけ大切に育ててくれたのかを語ってくれる。
(・・・・・・ああ、そうだよな。母さんにも言わなきゃ、悪いもん、な・・・・・・)
母はきっと自分を引き留めてくるのだろう。だからこそ自分は、お別れしなければいけない。
「・・・・・・はぁ・・・・・・ふぅ・・・・・・」
深呼吸を1つすると共に、才人は玄関のドアを開けた。
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