“0” -Ⅰ-

最初に才人が認識したのは、自分の胸から伝わる音だった。

 ・・・・・・プシュー、パッ・・・・・・プシュー、パッ・・・・・・

 一定の間隔で聞こえると共に、押しつけられるように肺に流し込まれる空気が身体の芯に響くにつれ、次々といろんな音がやってくる。


 ・・・・・・ピッ、ピッ、と規則的に繰り返される、甲高い機械の音。


“・・・・・・まず始めにお伺いしますが、息子さんは以前、心臓の手術など・・・・・・はい。そんなことはなかったと?” 

“・・・・・・そうですか。・・・・・・しかし確かに縫合したような後が・・・・・・”

“・・・・・・いえ、こちらの話です。施術自体に問題はなかったので気にされないで下さい・・・・・・”


 ・・・・・・四方八方から聞こえる、パタバタと何かがはためくような音・・・・・・。


“現状としては左心耳が損傷しており、病院に来られたときには、もう心肺が停止して・・・・・・” 

 “もちろん緊急対応を取らせて頂き、迅速に施術を行いました。手術は問題なく終わりましたが、一命を取り留めたと言い切ることは・・・・・”


 ・・・・・・ゆっくりと近づいては遠ざかっていく、ガチャガチャと何かを動かすような音。


 “・・・・・・外的損傷には主に心タンポナーデ型と血胸型の二つがあり、息子さんは血胸型にあたります。正直、救命率はあまり高いとは・・・・・・”

 “・・・・・・正直に言うと、ここ数日が峠でしょう。合併症により大量血胸を伴えば、最悪・・・・・・”

 “・・・・・・はい。・・・・・・は・・・・・・いッ・・・・・・”

“・・・・・・先生、家内は気が弱い方でして。そこからの話はわたしがあちらでお聞きします・・・・・・”

耳に入ってはきても理解はできなかった言葉たちが、その声でだんだんと頭の中に染み入っていく。

 ・・・・・・やっと開いた目、ゆっくりと広がる視界に映ったのは知らない天井と、自分を取り囲むように広げられたカーテン、口元につけられたプラスチックのカップ、薄手のバスローブのような服・・・・・・

 ・・・・・・そして、自分の手をさすりながらボロボロと涙を流す母の姿だった。






ゆっくりと開けてきた視界に映ったのは、目の前にそびえ立つ光の柱だった。

(・・・・・・これ、は・・・・・・?)

 夜空を照らす双月の光と、闇夜にたゆたう雲が混じり合い、螺旋を描きながら目の前の魔法陣へと吸い込まれていく。寝静まっていた辺りの草たちも黄金色の輝きに満ち、夜風にゆれるまま溢れる光を振りまいている。

“・・・・・・イズ! ルイズ!”

 “・・・・・・ス! ミス・ヴァリエールッ!”

 陣を刻む指先から、ゆっくりと熱が戻ってくる。徐々に戻ってきた音が、自分の名を呼ぶ懐かしい声を運んでくる。光に照らされた草むらを注意深く見ると、学院の方からこちらにやってくるみんなの姿が見えた。寝ているところを叩き起こされたのか、パジャマ姿のシエスタを先頭に、みんな息せき切って走って来ている。

(目も見えるし、耳も聞こえる。・・・・・・そうなの。今日が・・・・・・)

 虚無の毒から解放された身体。今日が運命の日なのだと悟った瞬間、頭の中からも声が響く。

 “・・・・・・いいかい。いまからどんなことが起きても、きみは動じちゃいけない。その願いだけを想って、望んで、考えるんだ。・・・・・・覚悟ができたら、詠唱を続けて”

(・・・・・・わかったわ。始めるわよ、ブリミル)

応援に来てくれるのは嬉しいが、みんなと会ったらきっと喜びや安堵で心が乱れてしまう。どんな僅かなことでも失敗は許されないのだと自分に言い聞かせ、ルイズは再び杖を取る。

「・・・・・・我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン・・・・・・・」

 ・・・・・・ゆっくりと呪文を唱え五芒星を杖でなぞると、その頂点の一つが青に染まる。

 水の力だ、とルイズが悟ると同時───、


 ───目と鼻の先まで来たシエスタが、みんなが、砂塵と化して地面に溶けていった。


(・・・・・・えっ?)

異変が起きたのはみんなだけではない。辺りの緑が一斉に萎み枯れる。遠目に見る学院が、木々が、山までもがガラガラと音を立てて崩れていく。

(なに、なにッ!? どうして・・・・・・)

“・・・・・・今ので、このハルケギニアからは“水”が失われた。だけど気にしちゃいけない。いまはただの幻想に過ぎないけれど、きみがそれを信じてしまえば、きみの思ったとおりに世界は変わってしまうぞ!”

 ブリミルが飛ばす声に我に返り、揺れそうになる心を呼吸と共に落ち着かせる。

 そうだ。自分はあいつを呼ぶために、今ここにいるのだ。

 たとえ何が起ころうとも、引き下がるわけにはいかないのだ。

 次々と鉛色に染まっていく世界。構わずに詠唱を続けると五芒星の異なる頂点が再び輝き始め、───今度は大地が消滅した。

 砂と変わったすべてが落ちていく。みんなが、世界が、底の見えない闇に消えていく。もちろん自分も例外ではなく、気味の悪い浮遊感を感じながら魔法陣ともども落ちていく。

 ・・・・・・このままどこかに叩き付けられたら、自分の身体は・・・・・・

 ダメだと分かっていても、ルイズの頭には不穏な考えがよぎってしまう。空を飛べるメイジには落下などさしたる恐怖にもならないが、普通の魔法を扱えなかったルイズには、にじり寄ってくる死の気配は絶対的なものだった。

“恐怖は本能的なものだ、抗うことはできない! それよりも彼のことを思い出すんだ! 拭えないのならば、それ以上に強い想いで上書きするしかない!”

(分かってるわよ! でもうまくいかないの!)

 思わず浮かべた反発の意が頭をよぎるが、そんな言葉は無駄でしかないと切って捨てる。

 ルイズはブリミルの指示に従って、ただひたすらに恋人を想い、詠唱を続ける・・・・・・





(・・・・・・あ、れ・・・・・・? どうして母さん、が・・・・・・)

 ここに、と思った瞬間、ふとカーテンの隙間から漏れる光景に目がいく。

 白衣をはためかせて指示を飛ばす医師たち。

 カーテンを開けて声をかけながら機器を操作しながらも、忙しなくスリッパを鳴らして歩き回る看護師の人たち。

 ・・・・・・そして、自分の隣に仰々しく並ぶ機器に、身体に何本も刺さる管・・・・・・

 数秒の間を置いて才人はやっとここが病院であることを把握し、

 ・・・・・・そして、先ほど自分が何をしたのか思い出す。

(・・・・・・そうだ。俺、車に・・・・・・) 

 ・・・・・・自分が目を開けたことに気付いたのか。母が声を上げて泣き出し始める。

「才人・・・・・・どうして、どうして・・・・・・こんなことッ・・・・・・!」

(違うんだ、母さん。身体が勝手に動いただけで、そんなつもりは少しも・・・・・・)

 思いはするが、それを伝えようにも呼吸器は自分に会話を許してはくれない。

 (・・・・・・くそっ、なにが迷惑かけたくない、だよ・・・・・・。親にこんな顔させといて・・・・・・)

 情けなさと申し訳なさに沈もうとする心に活を入れる。弁明や原因を探すことよりもまずは、母を安心させるのが先じゃないのか。

 才人は母親の心配を拭おうと、自分をさすっていたその手を握り返そうする・・・・・・が、しかし同時に胸に走る激痛に咳き込む。

「才人、才人ッ!?」

 途端、半狂乱になったように自分の名前を呼ぶ母。その尋常じゃない様子に、先ほど途切れ途切れに聞こえてきた言葉が蘇る。

(そっか。あんまりよくないのか、俺・・・・・・)

自分の状態を悟ると同時に、途方もない虚無感が襲ってくる。きっと“声”に揺さぶられ、自らの気持ちを認めてしまったあのとき、心のネジが外れてしまったのだ。

(・・・・・・結局、なにがしたかったんだろ、俺。散々周りに迷惑かけて、でも結局何もできなくて・・・・・・ははっ、バカみてえ・・・・・・)

 なんだかもうどうでもよくなってきて、すべてが嘲りに満ちていく。

 どうしてこの世界は、こんなにつまらないのだろう。

・・・・・・自分を認め、信じてくれる誰かがいたから?

 (・・・・・・そうかもしれない。でも、それならこの世界で生きてくうちにもできる・・・・・・)

 ・・・・・・新しい世界が、新しい冒険があったから? 

(・・・・・・正直それもある。けれど、それだけなら外国に行けばいいじゃないか・・・・・・)

・・・・・・自らの投げる問いに答えつつも、本当は分かっていた。

 きっと。なんのために生きるとか、なにをして死んでいくとかじゃないのだ。

 行くとか行かないとか、帰るとか帰らないとか、

 ・・・・・・そんなこともほんとは、どうでもいいのだ。

 自分がこんなに乾いているのは。

 自分がこんなに崩れているのは。

「才人、才人!? どこか痛いの!?」

「どうした、なにかあったのか!?」

 自分の目元から流れる涙にうろたえ、叫ぶように母が問う。

 シャッ、と勢いよくカーテンを開き、父が目の前に現れる。

(・・・・・・やめろバカ、これ以上心配、させんな・・・・・・)

 必死に自制を促すが意味はなく、悲しみは次々と自分の目から滑り落ちていく。

 辛いだけなのに、苦しいだけなのに。想いは振り払えず、心は離れられない。

 この先誰のためにもなれず、何の意義もなく送るであろう日々。

 それを知りながら自分は、この人生を歩んでいかなければならないのか?

(・・・・・・終わってくれよ、いい加減。・・・・・・もう、諦めさせて、くれよッ・・・・・・)

 この願いが一生、自分の背中をついて回るのならば。

 このまま死ぬまで自分の気持ちを誤魔化して、嘘をつき続けなければいけないのならば。

・・・・・・いっそ、このまま・・・・・・

 思わずそう考えたその時、呼応するように心臓が軋んだ。

 ビー、ビーとけたましく鳴り響く機械音。

 押しつぶされるような痛みが背中に走ると同時、弾けるように何かが勢いよく喉から這い登ってくる。

 ・・・・・・視界の下半分を覆うプラスチックの呼吸器が、真っ赤に、染まった。







 ・・・・・・光り輝く魔法陣、その先端に透明な光が灯る。

 次に消えたのは、風だった。

 肌を滑り昇っていた風が止み、直後に猛烈な冷気が身体を包む。儀式を続けてきたこの一年、積もる雪に肌を晒したこともあったが、この寒さはその比ではない。身体中の皮膚を絶え間なく剥がされているような痛みが、ルイズの自我を揺らしてくる。

「~~~~~ッ!!」

“惑わされては・・・・・・これも幻だ!! それよりも・・・・・・詠唱・・・・・・集中・・・・・・だ!” 空気を介するからか音が消える。しかもそれに伴い空気を介して伝わる“声”という概念にも干渉しているのか、自分の頭の中から響いているブリミルの言葉さえ次第にもやがかかり掠れていく。

「・・・・・・われの、うんめいにしたがい、し・・・・・・」

 痛みを訴える身体を無視し、ルイズは必死に儀式を続けていく。口を開くたびに奪われる空気。縮み狭まる胸が悲鳴を上げ、ルイズの身体にじわじわと苦しみと焦りを広げていく。

「つかいま、を・・・・・・しょう、かん、せ、よっ・・・・・・!!」

一言ごとに重く鈍くなる詠唱を喉から絞り出し、何とか次の詠唱を唱え終わる。

 五芒星の頂点がまた一つ深紅の赤に染まると共に、双月の明かりが、星々の輝きが途絶える。しかし世界から光が喪われても、何百、何千回と繰り返してきた手の動きを違えることはない。

 (大丈夫・・・・・・あと少し、あと、あと・・・・・・ッ)

そう思い、ルーンと共に最後の力を振り絞ろうとした・・・・・・矢先のことだった。

膨大な魔力に耐えかねたのだろう。みし、みしと、音を立てたかと思うと───

 ───次の瞬間、握る杖がバラバラに弾け飛んだ。

(・・・・・・え? う、そっ・・・・・・)

 メイジは自らの中で練り上げた魔力を使い、杖を介して世界の理に干渉する。いかに虚無の担い手とあっても、それは例外ではない。

(そんな! これじゃどうやって・・・・・・ッ!)

 困惑する間にも浅くなる息は胸を叩き、肌を舐める苦痛は刻々と激しさを増していく。

“・・・・・・! ・・・・・・、・・・・・・!”

ブリミルの助言は、もう完全に聞こえない。

・・・・・・魔法陣の光が、灯る色がゆっくりと喪われていく・・・・・・

(・・・・・・あと少しなのに・・・・・・どう、してッ・・・・・・)

 失敗してしまった、という絶望が心を染めようとする。

 刻々と無慈悲に奪われていく命が、諦めを促してくる。

・・・・・・しかしそれでも、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、運命を受け入れようとはしなかった。

(・・・・・・いや、まだ、よ・・・・・・まだ・・・・・・なんだか、らぁッ・・・・・・)

 まだ終われない。終わらせない。

 いくら弱くて、情けなくて、脆い自分でも───

 ───この想いだけは、諦めちゃいけない!!

(・・・・・・わたしはあいつに、絶対会うの! 笑顔であいつに、伝えるのッ!)

 想ったことが現実になるのであれば、どんなことだってできるはずだ。

 幾多の虚無を唱えてきた愛杖が駄目になったのなら、・・・・・・信じられるのはこの世に生を受けてからずっと虚無を宿し続けた、この身体しかない。 

 ルイズは儀式を続けるべく念じ、右手の人差し指そのものを杖へと変え詠唱を続行する。固く黒ずんだ指先で地を刻むと五芒星に光が灯るが、それも一瞬のこと。ギシギシと音を立たかと思うと、再び塵と化していく。

(・・・・・・ッ! それ、ならッ・・・・・・!!) 

・・・・・・ 親指。・・・・・・中指。・・・・・・薬指。・・・・・・小指。使う度に崩れ、失われていく自分の身体を直視しながらも、ルイズの心はもう折れない。一節ごとに痛みを増す胸を、肌を削る寒さにも怯みはしない。

 (右手が駄目になったら、左手を・・・・・・!)

 (・・・・・・一年でもっ、一ヶ月で、も、・・・・・・一瞬でも、いいッ!)

 (・・・・・・わたしは、わたし、は! ・・・・・・あいつ、にっ!!!!) 

 望み、求め、願い、祈った末、少女は呪文を唱え終わる。

 五芒星がくるくると回り出し、すべてが閃光に包まれ・・・・・・、そして───








「患者の様子が急変した!心エコーの手配と、麻酔科医の先生に連絡を・・・・・・!」

「あああッ・・・・・・才人、才人ぉ・・・・・・!」

「おい才人ッ、しっかりしろ!」

 ガラカタ、と微弱な振動。右に自分をのぞき込む父と母、左に数名の医師と看護師を付き添えて、寝台はゆっくりと自分を運んでいく。

(・・・・・・死んじまうのかな、このまま、俺は・・・・・・) 

 心配してくれる両親に、助けようとしてくれている病院の人たちに悪いと思いながらも、そんな考えが頭をよぎる。・・・・・・けれども才人は、その諦観を拒むことは出来なかった。

(・・・・・・仕方ないさ、その時はその時だ。俺がどう思ってても、生きるか死ぬかなんて変わりゃしねえんだから・・・・・・)

 ハルケギニアで潜り抜けてきた死線は自分に教えてくれた。どんなに生きたいと願っても、死ぬ時は人は死ぬのだ。

だったらこの持ち前の流されやすさに身を任せ、運命に従ってしまえばいい。生きたら生きたで考えればいいし、死んだら死んだでそれまでだ。

 ・・・・・・それに。こんな理不尽な世界でわざわざ生を望んでも、いいことなんて何もありはしないのだから───

 父と母の泣きそうに歪めた顔。感じてしまう罪悪感は、才人の心を締め付ける。鳴り喚く機械の音は不安を煽ってくるだけで、自分のことを癒してはくれない。

自分を苦しめるすべてを消し去ろうと目をつぶり、才人は意識を手放そうとするが・・・・・・


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふと聞こえた男の声が、それを思い留めた。


“ああ、あ、・・・・・・あ・・・・・・”

 流れ遠ざかっていく患者たち、その中の一人が才人の目に映る。

 ・・・・・・長い長い闘病の末の結末なのだろうか。親族に囲まれながら、彼は歪に細らせた腕を何かを求めるように虚空へと伸ばしていた。

 ・・・・・・掴み取ろうとした“それ”は人の領域ではどうにもならないものなのに。それでも男はあがき、もがいていた。

「いーい? 平賀くん。もしこの声が聞こえてるなら、心配しないでリラックスしていて。大丈夫、きっとうまくいくから」 

 ・・・・・・しかし、ゆっくりと崩れ垂れるその腕を、才人は最後まで見届けることができない。声をかける看護師に遮られ、次に目を向けた時には視界から消えてしまっていた。

(・・・・・・ふざ、けんなよ・・・・・・)

 ・・・・・・時間にしては、一瞬の出来事。

 だが縋るように生を望む男の姿は、知らない内に才人の心に絡みついていた何かを解いていった。 

(なに誤魔化し、てんだよ・・・・・・違う、だろうが・・・・・・!)

 じわじわと溶けていく違和感とともに、自らへの怒りも沸き上がる。

 死にたくない、生きたいと願って、それでも死んでいく人がいるのに。

 まだ命のある自分が、この生を簡単に手放していいわけがない・・・・・・!

(本当に、あいつに、会いたいならッ・・・・・・ここで、終わっていいわけが、ねえッ!!)

 一つの想いが沸き起こり、胸に擦り込まれた灰色を洗い流してくれる。きっとこの“何か”が、あのとき自分を道路に向かわせた衝動の原因なのだろうが、記憶を探ってみるものの一体いつ現れたのかが分からない。

 ・・・・・・というか、もしかすると。

 あの日、病院で目覚めたとき、既に・・・・・・?

 しかしもう少しというところで、思考は痛みにかき混ぜられ才人は答えを見失ってしまう。

 (・・・・・・っは、が・・・・・・ッ!?)

 自由になった心の代償だろうか。加速度的に身体の自由は失われていく。

 脈打つ度に痛みを増していく心臓。機械の警告音が一層大きくなる。

“才人ッ、・・・・・・、・・・・・・・・・・・・!!!”

“・・・・・・才人・・・・・・、・・・・・・ッ!!!!”

 込みあがってくる不快感が喉を満たす度に、目の前の呼吸器が赤く、紅く染まっていく。

 涙を流す父と母の言葉さえも、閉じるエレベーターの扉に遮られ消えていく。

“・・・・・・患者の体温低下! また血圧、脈拍も共に・・・・・・”

“エコーの判定が出ました! 損傷箇所は・・・・・・!”

“・・・・・・! 難しい手術になるな。だがそれがこんなに若い子が死ぬ理由には・・・・・・!”

“すぐに手術を始めるぞ! クラムシェル式にて開胸を・・・・・・!”

 視界はもう真っ暗だ。途切れ途切れに聞こえる声も、次第に心臓の音に上書きされていく。

 荒々しかった痛みがさざ波のように引いていくにつれ、忍び寄ってくる死の気配。

 ・・・・・・しかし、死を悟った才人の胸を埋め尽くしたのは、自分を産み落とし、一生懸命に育ててくれた母への感謝でも、自分の生活を影ながら応援し、支えてくれた父への謝罪でもなく・・・・・・一瞬とはいえ折れてしまった自分の想いへの懺悔と、それに対する後悔だった。

(・・・・・・そっか。待ち続けて、想い続けてなきゃ、だめ、だったんだ・・・・・・)

 ・・・・・・たとえ流れる時が、この身体をどれだけ老い枯らしたとしても・・・・・・

・・・・・・たとえこの世界でどんな人に会い、どんな経験をしたとしても・・・・・・

(・・・・・・だって、だってッ、・・・・・・こんなに、おれ、はッ・・・・・・)

 想いを保ち迫り来る死神から必死に逃れようとするが、しかしその抵抗もむなしいだけだ。

 振り下ろされた死の鎌は才人の命を刻み、無慈悲に刈り取っていく・・・・・・

(・・・・・・なあ、神さま・・・・・・!)

 ゆっくりと霞み、薄れていく意識。

もうだめだ、と思ったその時───

 ───突然暗闇が弾けると共に、白い光が現れた。


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