“零” ᛃ
「・・・・・・もうここに住んで、かれこれ十日かぁ・・・・・・」
トリステイン魔法学院、風の塔二階の倉庫。
透明の布で拵えたテントの中、水精霊騎士隊隊長と隊員はワインをあおりながら夜を更かしていた。
「辛いならきみも王宮に戻るといいさ。本来それが正しいことで、職務を放棄しているいまのぼくらは・・・・・・」
友の言葉にギーシュはなんてことないように応えたつもりだったが、当のマリコルヌは自分が怒っているように聞こえたようで、慌てて言葉を訂正してきた。
「いいや、別にそういう意味で言ったわけじゃないんだ! ・・・・・・ただ、理由もわからずに“ここにいなきゃ”って使命感だけでぼくもきみも、ずっとこうしてあの桃髪の子を気にかけてる。
・・・・・・周りを回る光は減ってるみたいだけど、あれが何なのかもぼくらには分からないし、・・・・・・もしあの光が消えてなくなったとしても、それでぼくらの気が晴れるとは限らないし・・・・・・」
不安げに顔をしかめるマリコルヌのグラスに、ギーシュは笑顔でワインの瓶口を押し当てる。
・・・・・・気持ちは十分分かる。名家の末っ子で終わりたくない、誰かに認められたいと、戦功を挙げようと無鉄砲に敵に突っ込もうとしていた頃の昔の自分なら、グラモン家の名に傷がつくことや騎士としての誇り、アンリエッタ陛下の信頼を失うであろうこの状況は、耐え難いものだっただろうから。
・・・・・・でも。それがいまこんなに落ち着いていられるのは異世界の友のおかげであり、そしてその友がいま、自分の胸の中で“名誉なんかより、自分の気持ちを大事にしろ”と言っているのだから・・・・・・たまにはこういうのもいいだろう、とギーシュは思うのだ。
「まあ、そのうちなんとかなるだろうさ。それに、なにも全然分からないってわけじゃない。シエスタ嬢が言っていたじゃないか、彼女はサイトを助けるために、ああして詠唱を続けているんだって」
「でも、立場上はそれを信じられないのが辛いところだよね。隊長であるきみが学院を離れなかったら、隊員であるぼくらも動けず、職務放棄になってただろうし」
「だね。だからこうして、病欠で実家に帰省しているって建前で、こっそりこの学院に帰ってきたというわけだ。・・・・・・それにしてもマリコルヌ、よくこんな穴場知ってたな。きみがいなかったら今頃、学院の誰かに見つかってたよ」
背後にある嘘つきの鏡を流し目で見やり、マリコルヌは苦笑いで応える。
「・・・・・・ま、まあね。ちょっと色々あったから・・・・・・」
自分がこの鏡を使っていたことは学校の教師にばれて、鏡は火の塔に移された。
・・・・・・しかし、この学院に銃士隊がやってきたとき、彼女たちが使った簡易ベットが火の塔に置いたままにされていたことから、生徒がよく倉庫に休憩やサボりに来るようになったらしい。同時にこの嘘つきの鏡も人目につくようになったためどこかに動かされたと聞いたが、再びこの風の塔に戻されたとはこうして見るまで気付かなかった。
(・・・・・・先生たちも、何度も鏡を転々とすることに飽き飽きしてたんだろうな。この倉庫も外から厳重に鍵がかけられるようになって、わざわざ窓から入ろうとする物好きじゃない限りは入れない。見つかるわけにはいかないぼくたちにとっては、まさにうってつけってわけだ)
まさか自らの欲望を満たすために通っていた倉庫と鏡が、このような形で役に立つとは思わなかったなぁ、と感慨深く思いながら、マリコルヌは自分だけの手柄じゃない、と隊長に感謝を告げる。
「でもギーシュ、きみの持つ透明の布がなければ無理な話だったよ。身を隠して動くにはうってつけだし、たまに見回りに来る教師もこの布で作ったテントなら、ぼくらが寝てても気付かれないからね。・・・・・・それに、よくテントなんて思いついたもんだね。ぼくだけじゃこんな快適に過ごせなかった」
「なあに、サイトがヴェストリの広場で、■■■の部屋から追い出された時のまねごとをしただけさ。・・・・・・ああ、懐かしいなぁ・・・・・・」
コトリ、とグラスを置く音さえ、夜の倉庫にはよく響く。空も白くなってきた、もうそろそろ明け方になってきたのだろう・・・・・・。
「・・・・・・おっと、もうそろそろ交代の時間だね。“遠見”を変わるよ・・・・・・って、マリコルヌ?」
立ち上がり、何度も何度もルーンを唱え杖を振る友を訝しみ、ギーシュは声をかける・・・・・・が、淡い光が差す窓を見た瞬間、弾けたようにマリコルヌは鍵のかかった扉に体当たりを始めた。
「おいおい、急にどうしたというんだね!? まだそんなに飲んでもいないだろう、それに外に出るなら、そこの窓から降りれば・・・・・・!」
「じゃあいま“フライ”を唱えられるのか!? できるならやってみてくれよ!」
豹変した友に言われるまま詠唱を始めるが、薔薇の造花はうんともすんとも言わない。驚愕に目を見開くギーシュの視界に、閃光が走る。窓の外は、真っ白な光で覆われていた。
「おいマリコルヌ、一体どういうことだねこれは!?」
「そんなことぼくだってわからないよ! とにかく、早く■■ズの元に・・・・・・、待て。ギーシュ、今ぼくはなんて言った? きみはさっき、誰のことを口にしたんだ!?」
扉への突進をピタリ、と止め、振り向き問いかけてくるマリコルヌ。答えあぐねるギーシュの思考に、記憶が次々と流れ込んでくる。
(なんだね、これは・・・・・・!?)
唐突に次ぐ唐突に頭がついていかない。とりあえず一旦落ち着こうと胸に手を当て深呼吸をしていると、鍵がかかっていたはずの扉が音を立てて開いた。
「やあ、久方ぶりだねお二方。元気にしていたかい?」
「なんで貴様が、ここに・・・・・・」
「おいおい、そんなことを聞く暇は無いはずだぜ? きみたちが向かうのはぼくじゃなくて、こっちのはずだろ?」
ギーシュとマリコルヌは身構えるが、現れたその人物は飄々とその問いをいなし、開いた手のひらを螺旋階段へと差し向ける。
「・・・・・・どうしたんだい? 早く行くんだ。いままで自分たちが何を守り続けてきたのか、きみたちはやっと知ることができるんだから」
・・・・・・一瞬の沈黙の後、二人はこちらを警戒しながらもゆっくりと階段を下りた・・・・・・かと思えば、次の瞬間にはヴェストリの広場を駆けていく。
「ははっ、信用されてないなぁ。 ・・・・・・ま、それも仕方のないこと、か・・・・・・」
一目散に草原へと向かっていく二つの背中を塔の窓から見下ろし、ジュリオは視線を空に移す。
「・・・・・・時は、来た・・・・・・。ああ始祖ブリミルよ、彼の者たちに貴方の加護があらんことを・・・・・・」
重なる自らの瞳の色と同じ色の月を見上げ、跪き祈りを捧げるその目は、三十二代目のロマリア教皇の名に恥じない、慈愛の光に満ちていた。
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