「― ― ― ― ― 」88


 友達とのやりとりを思い出し悶々としながらも、電車に揺られ駅に着く。

 改札を通り外に出ればあの路地はここから見えるほど近くにあるというのに、才人はその距離を遠く感じてしまった。

 一歩踏み出すたびに重くなる、この心のせいだろうか? 

 一歩近づくたびに遅くなる、この足取りのせいだろうか? 

・・・・・・目の前の信号が赤になり、思わずほっとする自分をたしなめる。交差点を右へ左へ流れていく人々や車を眺めていると、よく通っていたハンバーガー屋が目に入った。

 ・・・・・・前もって示し合わせていたかのように、くるると鳴いた腹が空腹を訴える。バッグから財布を取り出し中身を確認すると、それなりに小銭が入っていた。

(・・・・・・そういえば、なんだかんだで結局、昼飯食べてなかったっけ・・・・・・)

 店に入り、照りやきバーガーを一つ注文する。・・・・・・夕飯までそう時間はないが、一つくらいならそう腹には溜まらないだろう。

(・・・・・・最後に食べたのは、いつだったっけ。ハルケギニアにいたときは、あんなに恋しかったのになぁ・・・・・・)

 懐かしの紙袋を受け取り店を出ながら思い出を振り返った途端、再び頭の中で声がする。

“そんなつもりじゃなかったの! ・・・・・・わたしは、わたし、はっ・・・・・・” 

“ごめんなさい、ごめん、なさいッ・・・・・・”

(・・・・・・ッ!)

気を抜けばにじり寄ってくる言葉を散らそうと、ぶんぶんと才人は頭を振る。先ほど“声”を聞いてからはずっとこの調子だった。少しでもハルケギニアのことを考え始めると、収まっていた何かが目覚め声を荒げるのだ。

(・・・・・・どうしろってんだよ俺に。いくらあの世界を、・・・・・・あいつのことを想っても、それでどうにかなるわけねえだろうが・・・・・・!)

 そんなことは今まで散々考えて、その度に苛まれ心を削られてきたというのに、“声”は才人が絶望から目を逸らすことを赦してはくれない。

 ・・・・・・悶々とした心は、次第に憤りを溜め始める。食べようと取り出した照り焼きを紙袋へ戻し、やり場のない苛つきをあてつけるように、前へ前へと足を投げ出し進む。

 一歩、また一歩と踏み出すたびに、全身の血が鉛に変わっていくかのように身体の感覚が鈍る。意識がふわふわと浮いて、身体から抜け出していきそうな錯覚を感じる。

 ・・・・・・俯いていた顔を上げれば、そこはあの路地。あの日、自分の運命が変わった場所だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 頭の中の“声”が消える。言葉も無くふらふらと、才人は路地へと入っていく。

 二つの目に映る景色は、何の変哲もないもの。・・・・・・でもあの日確かに、自分の目の前には鏡のようなものが現れて、・・・・・・そしてそれが、すべての始まりだった。

「・・・・・・おーいルイズ、元気か? そっちの世界は、どうなったんだ?」

 かつて“門”があったその空間に、呼びかける。自分の挙動を見た誰かに変人みたいに思われるのは嫌だったので、なんだかおどけた口調になってしまった。

「・・・・・・なんて、な・・・・・・ははっ・・・・・・」

 返事は返ってこない。光が現れる、こともない。

 落ち着いたと思っていた声も、どういう訳か再び目覚め始める。

 (なんだよ。ここに来れば、諦めれば・・・・・・聞こえなくなるんじゃ、ねえのかよ・・・・・・)

 せっかくの卒業だってのに、本当に今日はろくなことがない。

 喉の奥につっかえている乾いた笑いを口から吐き、誤魔化すように才人は紙袋から照り焼きバーガーを取り出す。包み紙を剥がし、口に運ぶが・・・・・・どういうわけか、ちっとも美味しくない。

「・・・・・・あれ?」

 もぐもぐと咀嚼するが、何かがヘンだ。好きだった甘辛いソースの味はしょっぱさでめちゃくちゃにされていて、ほんのりとしたレモンの香りだけが、口の中に残っている。

「なんだよこれ、注文間違えたんじゃ・・・・・・」

 文句を言いながら包み紙を見て、―――そこで才人は、自分の手が震えていることに気付いた。

 「あれ? おかしいな・・・・・・あれっ?」

 傾げた顎から、ぽたぽたと何かが垂れている。見れば足も、がたがた震えている。足下に小さな染みを見つけ、才人は地面を濡らしているのが、自分の頬から止めどなく零れる涙であることを知った。

「・・・・・・なんでだよ。なんでおれ、泣いてんだよ。・・・・・・なんでいまさら、なんだよッ・・・・・・」

 制服の袖で拭うが、いくら拭っても涙は収まってくれない。アスファルトに描かれる染みが増えていくにつれ、“声”も言葉から想いを伝えてくる。心の中に流れ込むなり、水風船を割ったかのように感情は爆ぜ、才人の理性を塗り潰していく。

「止まれ、止まれよッ・・・・・・! こうなることなんてッ、分かってたことだろうが! ここに来ても何も起こるわけないって、知ってただろうがッ!」

自分を惑わす“声”に抗い、血を吐くように才人は叫ぶ。周囲の視線が刺さったが、そんなことはもはやどうでもいい。感情が才人の心を、なにか別のものへと変質させていく。身体も意識もそのままに、自分が自分でなくなっていく。

 ・・・・・・直後、道路の向こうに生じた“何か”を感じ、才人は振り返る。何も見えない、何もないはずなのに、訳の分からない確信が湧き上がると共に、歓喜に心が躍る。

 “・・・・・・あ・・・・・・ああ、あ・・・・・・”

 あれはあいつの魔法だ。迎えに来てくれたのだ。

 今まで何度も、何度も見てきたのだ。間違える、わけがない。

 “いつまで待たせるつもりだったのよ。本当に、本当に・・・・・・遅かったん、だからぁッ・・・・・・”

意味不明な言葉と共に、衝き動かされる身体。焦がれた時の分だけ、願った想いの分だけ。足は“何か”を求めて走り出し、手は“何か”に届くように伸びる。

 ァ───────────────

 人も景色も、視界から消えていく。温かく優しい“何か”だけが、才人を妖しく誘う。

“・・・・・・やっと! やっと、あなたにッ・・・・・・!”

 “声”は頭の中で響いたままだが、もう不快には感じない。いまになって分かったのだ。この心がこんなにも震えているのは、“声”だけのせいじゃないと。

 本当は待っていた。望んでいたのだ。自分は、ずっと。

 だからこそ、避けていたのだ。逃げていたのだ、この場所から。

 ・・・・・・そう、認めたくなかっただけなのだ。

 もう二度と、自分の前に“門”が開くことはないだろうという、この確信を・・・・・・

────ァァアアアァアアアアアァアアアアアアアアアア──────

(・・・・・・それでも。やっぱり俺、は・・・・・・) 

 本音を受け入れたからか声も収まり、身体の自由も戻ってくる。やっと自分の気持ちに向き合えた才人だったが・・・・・・、

 しかし。その時は長くは続かなかった。

────パァァアアアァアアアアアァアアアアアアアアアア──────

 突如聞こえてくる爆音に、目の前に迫る車体に気づく。


 避けようとしたがもう遅い。

 衝撃と共に、世界ガ、廻ッ───────────────────────────


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