“零” ᚾ 


 ・・・・・・冬が明け、春が来た。ぽかぽかとした陽気を振りまいていた太陽が、ゆっくりと彼方へ沈んでいく。視界一面に青々と茂る草たちが、燃えるような夕焼けに彩られ紅に染まる。

シエスタは草原の中に座り込む少女の身を廻る、光の玉を見つめていた。

「・・・・・・最後の一つが、薄れてますね。・・・・・・もうそろそろ、なんでしょうか・・・・・・?」

 その小さな背に問いかけるようシエスタは呟き、胸に抱いた日記をおもむろに開く。


“・・・・・・ハガルの月、ティワズの週、ダエグの曜日。ミス・ヴァリエールの部屋が空き部屋扱いされていたので、ミス・タバサにこっそり魔法で鍵をかけてもらい、誰も入れないようにしました。・・・・・・あの部屋は、サイトさんとミス・ヴァリエールの思い出がいっぱい詰まった大切な場所です。ミス・ヴァリエールがサイトさんを連れてきてくれるまで、あの部屋を守ってください。


 ・・・・・・ティールの月、エオローの週、ラーグの曜日。春が来たのか少しずつ暖かくなってきて、ミスタ・グラモンが作られた雪の小屋も溶けてきました。ミス・ヴァリエールを取り囲む光もあと数個です・・・・・・これが無くなるとき、サイトさんは戻って来る、・・・・・・のでしょうか・・・・・・?”


 ・・・・・・一日ごとに事細かに書かれた彼女の様子と、彼女を取り巻く状況。昔の自分はミス・ヴァリエール・・・・・・この桃髪の貴族を知っていたはずなのだ。・・・・・・今の自分の記憶にはないが、それでも、・・・・・・日記に滲んだ涙の染みを嘘だとは、思うことは出来なかった。

・・・・・・“忘れないで”“お願いします”と何度も自分あてに綴られた言葉を目で追い、こみ上がってくる不安を鎮めようと、シエスタはぎゅっと日記を抱きしめる。

 ・・・・・・その時、背後から聞こえる羽音と共に、辺りの草が揺れ踊った。

 風が落ち着いたのを見計らい振り返れば、そこにいたのは韻竜シルフィードとその主、タバサであった。

「きゅいきゅい、またここにいたのね? もうそろそろご飯だから迎えに来たのね。早く背中に乗るのね」 

「あ、えっと、お迎えありがとうございます。・・・・・・でも、わざわざミス・タバサまで来なくても・・・・・・」

「心配する必要はない。激しい動きはできないけど、日常生活ならもう大丈夫だから」

 そう言うとタバサはシルフィードから降り立ち、怪我をする前と変わらないその足取りですたすたとこちらにやって来る。もう何度もその歩みは見てきたというのに、未だに気を遣ってしまうが無理もない。・・・・・・足を引きずるようにして歩く彼女の手を取り、歩行の練習に付き合ったのは他でもない、自分なのだから。

「・・・・・・それで、この人が、あなたの日記に書いてあった・・・・・・?」

「ええ、そうみたいです。わたしももうほとんど覚えてないんですけど、時間が経つにつれて、わたしたちはこの方・・・・・・ミス・ヴァリエールのことを忘れちゃうみたいで・・・・・・この日記もミス・タバサだけじゃなくて、みなさんにも見てもらったんですけど・・・・・

 ・・・・・・ミス・ウエストウッドはお忙しいらしくて捕まらず、お伺いしても、貴族さまに押しのけられてお会いすることはできませんでしたし・・・・・・

 ・・・・・・ミスタ・コルベールとミス・ツェルプストーは研究に行き詰まってるみたいで、とても話しかけられる雰囲気では、ありませんでした・・・・・・」

言葉を繋げるたび、シエスタの顔は徐々に沈んでいく。周囲を励まし支え続けた明るい彼女の姿はなく、自分が知らない自らの記憶に振り回され、戸惑う少女がそこにはいた。

「・・・・・・それに、ミスタ・グラモンもっ・・・・・・“学院を卒業した以上僕たちは都勤めだ。確証がない物を信じておいそれと職を怠ることはできない。それに陛下はいまご多忙な身の上だから、この日記にお目通し頂くこともかなわない”って、水精霊騎士隊の方々と王宮に向かわれ、てっ・・・・・・」

「仕方ない、騎士とは本来そういうもの。騎士隊も限界でこれ以上の戦闘は不可能だったし、最近は敵の気配もない。・・・・・・それに、この場所ならシルフィードに乗れば、わたしでもなんとか戦える。戦力のことで心配はさせない」

「だ、ダメです! ミス・タバサ、大怪我してるじゃないですか! それに、わたしだってこれが本当のことかどうか分からないんですよ!? ・・・・・・もし人さらいがやってきたら、ミス・ヴァリエールの代わりにわたしがさらわれますから! だって、わたしのこの日記が間違いで、もし、またミス・タバサに何かあったら・・・・・・!」

「大丈夫、わたしはあなたを信じている。昔のあなたの綴った言葉が嘘だったとしても、構わない」

「・・・・・・っ! ・・・・・・わ、わたし、料理の準備をしに先に厨房に行ってきますね!」

 励まそうとしたつもりだったのだが、かえって重圧を与えてしまったようだ。動揺したのか背を向けそのまま学院へと歩いていこうとするシエスタを、待つのねメイド、シルフィの背中に乗るのねー! とシルフィードが追いかけていく。

 ・・・・・・うまく気持ちが伝わってくれないことに一抹の悲しさを覚えながらも、タバサは杖を置き“サモン・サーヴァント”の詠唱を繰り返す少女の隣に座り込む。

(・・・・・・あの人にとってこの少女が大切だというのなら、それだけで自分がここにいる理由は十分。・・・・・・でも・・・・・・)

少女の鳶色の瞳を見つめながら、タバサはゆっくりと自分の膝を撫でる。痕は残らなかったものの未だ傷は深く、戦闘となると厳しいだろう。

 (キュルケとコルベールはまだ、手に馴染む杖が見つからず魔法が使えない。・・・・・・彼らを頼れない以上、自分がここを守り通すしかないというのに、・・・・・・わたしは・・・・・・)

 この少女のように主人として、そして恋人として命を削り、あの人のために詠唱を続けるでもない。

 先ほど去っていった彼女のようにあの人に仕え、そばで励まし支えることもできない。

友人としての立ち位置も、自分はあのハーフエルフの少女には及ばない。

 ・・・・・・帰ってきたあの人のために政を取り計らいたくても、トリステインに属する騎士を贔屓できるのは、トリステインの、女王だけ・・・・・・

(・・・・・・わたしは、・・・・・・わたしには、一体、なにが・・・・・・)

 かつて戦闘人形と呼ばれた自分・・・・・・、戦い以外であの人の助けになれることが、果たして本当にあるのだろうか・・・・・・?

 自分が“ここにいる”意味は見い出せても、帰ってきたあの人の“そばにいていい”理由は見い出せない。

 ・・・・・・考えれば考えるほど分からなくなってきて、次第に俯き膝を抱えてしまう・・・・・・が、それも僅かの間のこと。濡れる頭と固い感触に違和を覚えて振り返れば、シルフィードが自分の頭をがじがじと噛みながらきゅいきゅい文句を言っていた。

「もう、お姉さまなにやってるのね! ごはんって言ったのに!」

 どうやら自分が帰ってこないのにしびれを切らして戻ってきたらしい。使い魔に急かされゆっくりと立ち上がろうとしたタバサだったが、まどろっこしいとばかりにシルフィードはタバサをくわえて背中に乗せ、羽ばたき始める。

「まったく遅いのね! 面倒だからもうシルフィが連れて帰っちゃうのね!」

 少女の桃色の髪が舞い起こる風になびく・・・・・・と同時に、ふと視界の端で光が瞬いた気がしたが・・・・・・、辺りに敵の気配もないし、見間違いだろうと判断する。

 ・・・・・・日々“遠見”を唱え続けていることや怪我の影響もあり、自分の身体は本調子からはほど遠いのだ、見誤ることだってあるだろう。

 些細なことを気にして、明日の警護に支障が出ては意味がないと割り切り、タバサは思考を破棄して使い魔の背中に身を任せた。

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