最後の“虚無” Ⅳ


・・・・・・夕刻。トリステイン魔法学院、その女子寮。


とある部屋の前、周囲に誰もいないことを確認すると、トリステイン女王はドアを叩く。


コーン、コーン、・・・・・・コン、コン、コン。 


 長く二回、続けて短く三回。幼い頃ふたりの間で交わした秘密の合図に、昔馴染みの少女は声を返してはくれない。


 ・・・・・・いいや、応えないのではなく応えられないのだ。そんな余裕も今の彼女には無いのだから。


 「・・・・・・入りますわよ」


声をかけ、アンリエッタはドアのノブを回す。クローゼットにベッドに机、公爵家の名に恥じない栄華を誇るそれらの中、一際異彩を放つ藁束が、“彼”がこの部屋で過ごしていた確かな名残であった。


「姫さま、どうしてここへ?」


 天井から下げられたシーツ越しに、ルイズの声が聞こえてくる。部屋にこもりっきりの日々を送っているためか、その語気はどこか弱々しい。



アンリエッタはベッドに近寄ると、指に嵌めていた水のルビーを外し、幕の外に引っ張り出した親友のその細い指に嵌め直す。

「・・・・・・借りていた水の指輪を、返しに来ました」


 幼馴染の衰弱ぶりに戸惑いと心配を覚えながらも、アンリエッタはその帳を開くことができない。・・・・・・使い魔のために日々、絶えず始祖に祈りを捧げる彼女の集中を、妨げる訳にはいかないのだから。


「そんな、元々これは姫さまのものです。わたしが持っているわけには・・・・・・」


「いいえルイズ、これはあなたが持つべきものです。わたしが持っていても何の意味もありませんから」


 そう言ってアンリエッタは姿勢を正し、ルイズに背を向けドアへと向かう。これ以上この場にいたら、きっと彼女は頑なに水のルビーを受け取ろうとしないだろうから。


 ・・・・・・確かにあれは、自分と今は亡きアルビオン王子との絆の証。だが自分が持っていても何の使い道も無いのであれば、少しでも可能性のある彼女に渡す方がきっとかの王子も喜んでくれるだろう。アンリエッタはそう思ったのだ。




ガチャリと閉めたドアに背中を預け、アンリエッタは“彼”の名前を呟く。


「サイト、殿・・・・・・」


 自分には王として、捜索の兵を募ることしかできない。それがもどかしくてたまらない。 

 ルイズは彼を再びを喚び戻すため、こうして周囲との関係を断ってまで祈りを捧げている。


 彼の専属メイドであるシエスタ・・・・・・彼女もルイズの体調を整えるべく、日々世話に奔走している。


タバサはジョゼットからガリアの王としての地位を取り戻し、王として兵を募った上で、自身も捜索隊とは別行動を取り捜索を続けている。「万が一の可能性も漏らしたくは無い」と言ったその言葉通りに、彼女は行動していた。 


・・・・・・そして自分の従姉妹であるティファニアも、一人ネフテスに残り彼を探す手がかりを探し続けている。・・・・・・見知らぬ遠い地、知らない言葉に戸惑いながらも、日々懸命に努力を重ねている。


 ・・・・・・だからこそ、公に動けないこの身が情けなかった。こうして彼の名前を口に出すことすら、人目を気にせねばならない自分が恨めしかった。


(ごめんなさいルイズ、なにも助けてあげられなくて。・・・・・・でも、わたしにはわたしで、やらなければならないことがあるの)


 たとえ彼がこの世界に帰って来れたとしても、トリステインが傾いていては満足に恩賞も与えることはできない。できることをやるという選択肢しか、今の自分にはないのだ。


 物思いに耽りながら、アンリエッタは寮を離れる。・・・・・・そのとき、風と共に一匹の竜が目の前に着地し、その背から騎士が降り立った。首都警護竜騎士連隊所属、ふくよかな顔つきが特徴の、ルネ・フォンクであった。


「陛下、ご執務中失礼致します! ティファニア・ウエストウッド殿から、御手紙をお預かりしております! 火急の用とのことで、ご拝読され次第、返信を頂きたいとのことです!」


本当に急いでいたのだろう。息せき切りながらも跪き、恭しく差し出された手紙をアンリエッタは受け取り、


「・・・・・・・なんですって?」 


 そこに書いてあった、引っ込みがちな従姉妹らしからぬ突然の申し出に、驚きにその目を見開くのであった。





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


身体の奥底を満たしていく魔力に、時が訪れたことをルイズは悟る。


───動揺しちゃダメ。まずはとにかく、落ち着いて・・・・・・


今まで何度も機会はあったが、そのたびに不安が邪魔をしてきた。動揺すればするほど、心が揺れ動けば動くほどに、自分の身の内に宿る虚無の残滓は薄れていくのをルイズは今までの経験で理解していた。


・・・・・・どれほど経っただろうか。コンコン、とドアがノックされ、ルイズは今が夕食の時間であることを悟る。


(・・・・・・シエスタ・・・・・・、そう、もう日が暮れたのね・・・・・・)


 学院の医務室のように、ベッドを取り囲むように吊り下げたシーツをくぐり、ルイズはドアを開け、廊下の横に置かれたトレイをテーブルへと運ぶ。


「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。ささやかな糧を・・・・・・」


 食事の前の祈りを紡ごうとして、ルイズは首を振ってやめる。心から出来ない感謝は虚しいだけだ。・・・・・・なにが始祖だ、女王陛下だ。こうして悲願を達しても、祈祷書は何も教えてはくれない。


 ・・・・・・もう何度祈祷書を開き、一向に浮かび上がらない文字に落胆してきただろうか。見なければいけない、でもその白いページを見るたびに動揺は大きくなり、襲い掛かる絶望はルイズの手に余るようになっていた。


(姫さまも姫さまだわ。返すにしてもわざわざ今日、持ってこなくたっていいのに・・・・・・)


・・・・・・正直、アンリエッタに指輪を貸して欲しいと言われ、ルイズはほっとしたのだ。今度こそは何か書いてあるかもしれないという希望より、また何も書かれていない、という絶望の方が辛かった。半年という月日は、ルイズの心をそこまで磨耗させていた。


(そして何より・・・・・・、なんでよりにもよって今日の献立がこれなのよ・・・・・・)


 ・・・・・・いや、シエスタは自分と才人のあの朝のやりとりを知らないのだから、これは本当に偶然なのだ。それに食事を摂らず身体を壊してしまえば最後、ゲートの持続もできはしない。この半年シエスタがバランス良く食事を作ってくれたおかげで、なんとか部屋から出れないこの状況でも、何の病気にもかからず元気でいられたのだ。


「・・・・・・いただき、ます・・・・・・」


食事の前に才人がよく口にしていた言葉を呟き、ルイズは目の前の皿に乗る鳥の丸焼きに手をつける。


丸々としたそれを、何も考えずもくもくとぺティナイフで切り分け、口に運んでいく。


 ・・・・・・思い出してはいけない、辛くなってしまうから。だけどそれでも、あの時の声が――


“鳥よこせ。少しでいいから”


――声、・・・・・・が・・・・・・?


「・・・・・・え、うそ、・・・・・・ちが、う・・・・・・?」


 カシャン、と取り落としたフォークが音を立てるが、ルイズは意に介さず必死にその声を思い出す。


・・・・・・しかし、戻らない。いくら記憶の底をさらっても自分の名を呼ぶその声を、ルイズは思い出すことができなかった。


“ルイズ”


「・・・・・・い、や・・・・・・・」


“ルイズ”


「いや」


“ルイズ”


「いやッ! ちがう、ちがうちがぅうッ・・・・・・!!」


 その身に未だ渦巻く虚無の影響か、はたまた日夜祈りを捧げ続ける日々の代償か。


 思い出してはいけないと蓋をしていた記憶には、いつしか錆が浮いていた。


「・・・・・・そんな、うそ、よ・・・・・・」


 自分が信じていたものが、嘘になっていく。溶けて、消えて、なくなってしまう。


 その恐怖から目を背けたい一心で、ルイズはとっさに顔を両手で覆った。・・・・・・そして、指に嵌まる水のルビーをその瞳で捉えることになる。


「・・・・・・・あ、・・・・・・あっ・・・・・・・」


 ガタリ、と机を揺らすのも構わずに、ルイズはふらふらと枕元に置いた始祖の祈祷書の方へと向かう。


 ・・・・・・感情の制御が出来ずに、虚無が散り散りになっていく。これだけ乱した心を落ち着けるなんてできるわけがない、こうなったら絶望を希望に塗り替えるしかない。


(・・・・・・お願いブリミル・・・・・・助けて、ッ・・・・・・)


 祈るような気持ちで、ルイズは祈祷書を手に取った。元々ボロボロだった祈祷書は今まで何十回、何百回と開くうちに所々剥がれるようになったこともあってか、めくるなりほどけてバラバラになり、辺りに散らばってしまう。 


「あぁっ、いや、いやぁ・・・・・・・」


 声にならない悲鳴を漏らし、ルイズは半狂乱になりながら部屋中に散らばったページを掻き集める。しかしどれだけ集めようとも、そのすべては白、白、白。何も、何一つ書かれてはいない。


「・・・・・・っ、・・・・・・・・・・・・ッ!!」


 くじけそうになる心を奮い立たせ、こみあがってくる涙を堪え。それでも最後の一枚を拾い上げたルイズはそこで、床にぽつりと転がる“それ”に気付いた。


「・・・・・・あっ」


 ルイズはそれ・・・・・・五芒星の刻まれた校章を拾う。

ペンダントになっているそれには、才人から貰った真っ白の貝殻のネックレスが入れてある。


 いつもつけているとなんだか恥ずかしくて、でも肌身離さず持っていたかったからこっそり買い換えたのだった。―――先ほど席を立った際に、揺れたテーブルから転げ落ちたのだろう。


「・・・・・・・・・・・」


・・・・・・ルイズは言葉無く校章を開き、震える手でネックレスを取り出し、瞳をつぶる。祈祷書はもうその体を失い、ただの古い紙の束になってしまった。


そう。いまの自分に出来ることはこの宝物を胸に抱き、一縷の望みをかけて心を無にするしか・・・・・・、


 ・・・・・・パキリ・・・・・・

―――しかし世界は残酷で、かすかな思い出に縋る少女の希望すら奪い去る。


 鈍い痛みと共に、聞こえてはいけない音が握る手の中から聞こえて、ルイズは顔を蒼くしながらゆっくりと、強張る手を開いていく。


 ・・・・・・・そこにあったのは、僅かに流れる自分の血に彩られ、真っ二つになった自分たちの思い出。


 割れて、欠けて、染まって、穢れてしまったそれは、まるで自分たちを暗示しているかのようで―――


「あ、ああっ、・・・・・・あぁあぁぁあああああああああああああああぁッッッ・・・・・・」


・・・・・・ルイズの中で何かが、大事な何かが壊れようとした、まさにその時だった。


 拾い集めた祈祷書のページが再びあたりに散らばり、ルイズを取り囲み輪のように広がった。


「・・・・・・え、えっ?」

 状況が飲み込めず唖然とするルイズだったが、その間にも祈祷書たちはぐるぐると部屋の中を掻き回し、自分の血が垂れた一枚のページが光り出す。


“まずはお礼を言わせてくれるかな。ぼくの代わりに悲願を叶えてくれてありがとう”


「も、もしかしてあなた、ブリミルなの!?」


“ああ、誰かに名前を呼ばれるのは久しぶりだな。・・・・・・始祖だのなんだの呼ばれるよりも、こっちの方がいい。ぼくはそんなに褒められるような人間じゃない”


 そういうと先ほどまでの沈黙が嘘だったかのように、真っ白だった次々と文字を写し出していく。夢か幻か、とにわかには信じられなかったが、その口調は本来祈祷書に書いてあった堅苦しいものではない。


 “ルイズ、きみのことはサイトから聞いていたよ。そして、きみが彼を救うためにいま、必死になって絶望と戦っていることも知ってる”


「・・・・・・っ、だったらもっと早く出てきなさいよ!」


 安堵に息をつくと、不満も一緒に口から飛び出てくる。ブリミルも申し訳なく思っていたのだろうか、弁解するようにつらつらと文字が浮かび上がるスピードが速くなる。


“すまない、ぼくもそうしたかったんだけど、色々力を使いすぎちゃったからかどうにもうまくいかなくてね。でも、虚無に浸されたきみの血がきっかけでこうして話すことが出来た。いやぁよかったよかった”


「そんなことはどうでもいいから教えて! サイトは生きてるの!? どこにいるのっ!? わたしはこれから、どうすればいいの!?」


 勝手に話を広げていこうとする始祖に、ルイズは本題をぶつけた。・・・・・・待ちわびていた祈祷書の記述、そして他ならぬブリミル本人の出現により、自分の精神は大分落ち着きを取り戻している。しかしこうしている間にも、重なる満月は刻一刻と狭まっているのだ。


 “結論から言うと、僕にも彼がいまどうなってるかはわからない。ロマリアの教皇から聞いたように、おそらく次元の狭間に飛ばされたはずだけど、なにせあの大怪我だ。飛ばされたその先で、息絶えていてもおかしくない”


「そんな、それじゃあ・・・・・・!」


“いいから落ち着いて、話を最後まで聞くんだ。だからぼくは、きみにこの呪文を教えることにする。上級の上の上・・・・・・『零』。この僕でさえ扱いきれなかった呪文だ”


 その時、ルイズを取り囲むページの回転が速くなると共に、文字が綴られていく目の前の一枚と同様、まばゆい光を放ち始めた。それにつれてルイズの頭の中にも、呪文の内容が流れ込んでくる。



 ”これは零を一に、一を零にする禁忌だ。この世界だけでなく、全ての次元のありとあらゆる物事や事象を一つだけ、思いのままに書き換える魔法だ”

 

 “それには特殊なことも、長々とした呪文も必要ない。四の担い手も四の秘宝も必要ない、きみ1人で事足りる。きみが虚無の担い手として始まった、あの日、あの時をただひたすら繰り返すだけなんだから”


 “必要なのは悠久にも感じる時を耐え忍ぶ覚悟と、月が四度、交差するだけの時間、そして、詠唱者の命そのもの。


リーブスラシルの発動により与えられたその命。きみの人生、その生涯を全うできるだけの時間が必要だ。成功、失敗を問わずにね。


“当然そうすれば、打ち消されるはずだった虚無の毒が現れ、詠唱の間に君は“君”を失っていく”


“『零』を唱えきれれば毒そのものは消えるけれど、儀式を終えたきみにはどのみち、 円鏡が告げただけの命だけしか残らない”

 

「・・・・・・ッ」


 言葉を濁しながらも告げるその代償を、心のどこかでルイズは予想していた。・・・・・・当然だ。元よりなにも失わずにこんなに大きな力を扱えるとは思っていない。


―――――この世界が自分に、自分たちに優しくないということは、この半年でいやというほど思い知らされた。


“それと、注意してほしいことが二つ。この呪文の内容は誰にも言ってはならないことと、儀式の最中には誰とも意思の疎通はできないことだ”


 “この呪文はこの「世界」そのものを騙し、そこに君の願いをねじ込む荒業だ。だからとっくに死んでる僕はともかく、誰であろうと関わってはいけない”


“儀式を始めた瞬間から、きみの身体はきみのものではなく、世界の常識を書き換える道具に変わってしまうからね”


 “以上がこの詠唱の取り決めだ。それでも成功は約束できないし、きみの身体に残る虚無の残滓が消えるまで、という期限もある”


 “こうやってきみが今日、ぼくを呼び出せたのも運命なんだろう。きみの懸念通りその期限は、この夜が明けるその時なんだから”


 “覚悟が決まったら、『あの場所』に来てくれ。早く来ればそれだけ、下準備に時間を割いて成功しやすくできる”


“きみがもしこの儀式を望まなかったら、きみの周りを回るこの紙を燃やしてしまえばいい。

 それじゃあ、って、どこへ行くんだい?”

 

 “立ち上がり、ドアに手をかける自分に、問いかけの言葉を祈祷書のページに綴るブリミル。しかしルイズはその質問の意味が理解できず、首を傾げて問い返した。


「・・・・・・? 早く行けば、それだけいいんでしょ? だったら行かない理由がないわ」


“本当に、考える時間はいらないのかい? いや、はっきり言うよ。零か一かという性質上、きみがどれだけ頑張ってもこの魔法は・・・・・・半分は失敗になる”


 問題や難点を並べるうちにブリミル自身も心苦しくなったのだろう。次第に遅く、乱れていくその文字を見て、ルイズは「失敗」の二文字を指でこすって消し、見えない彼に笑ってみせる。


「ちがうわ。二回に一回も成功できるんでしょ? ・・・・・・覚悟ならとっくに、円鏡を見たあの時に決めてるわ」


“・・・・・・すまない、こんなものは提案でもなんでもない。もう担い手が現れないように、ぼくはこの世界に漂う虚無を集め封じなければいけない。きみの願いに付け込んで、僕の都合の良いほうに誘導してるだけに過ぎないんだ・・・・・・・・・・・・”


 律儀に沈黙まで綴り始めたブリミル。その天然さがおかしくて、ルイズの作り笑いは本物へと変わっていく。


 ・・・・・・考えることすらおぞましく、口に出しただけで心が凍りつきそうになった、『サイトの死』という最悪の可能性。しかしこの呪文はそれすら問題とならないのだ、自分の命が削れるだけならば安いものである。


 ・・・・・・それに、サイトの帰りを待ち望む者は、自分だけではないのだ。


「ふふっ、大丈夫よ。後悔したくないだけだから、わたし。あの時ああしとけばよかった、なんて悔やみながら生きるのなんてまっぴら。いまのわたしにできることを、全力でやりたいの」


“・・・・・・ははっ、強いね、きみは。ぼくなんかがいうのはなんだけれど、・・・・・・きみが最後の担い手で、本当によかった”


「そんなことないわ、偉大なるご先祖さまに褒めていただけるなんて光栄よ・・・・・・ありがとう」


“・・・・・・ご先祖様、か。そうだね。ぼくときみたちの間には血の繋がりはないけど・・・・・・・そうか、言われて実感したよ。きみは、あの子たちの子孫なんだね・・・・・・”


「・・・・・・ブリミル? いま、なんて・・・・・・?」


“・・・・・・おっと、もう紙が切れそうだ。もう僕が言葉を綴れるページはないから、きみとはこれでさよならになる”


“・・・・・・長い、長い儀式だ。その苦しみや辛さは、きっとぼくやきみが想像できるものの比じゃないだろうけど・・・・・・がんばってくれ。きみの成功を心から願っているよ”


 まるで自分の問いを誤魔化すかように、ページの最後の一行をブリミルはあたりさわりのない言葉で埋めてしまった。途端、祈祷書のページは光に包まれ、ルイズの手の中から消えてしまう。


「・・・・・・ちょっと、ブリミル!」


 未だぐるぐると自分の足元を回っている祈祷書の残骸たちにルイズは手を伸ばすが、既に実体がないのか、自分の手のひらをすり抜けていく。


 ・・・・・・王家は始祖の血を引く者として地位や名誉を得ている。自分のこの身体にもその血が流れているから、こうして大公爵家の娘として生まれてきたのだ。


 しかし始祖ブリミルと、自分たちとの間に血の繋がりがないとすれば?


 もしそれが事実としたら、それが人々に知られることは王家の権威の失墜を意味する。始祖の血を引いている、というその前提が覆るのだから・・・・・・。


「・・・・・・って、こんなこと考えててもどうしようもないわ。・・・・・・はやく、はやく行かなくちゃ・・・・・・」


 ルイズは思考を追い出すように頭をぶんぶんと振り、がちゃりとドアノブを回して、最後に部屋を見回す。


「・・・・・・! ・・・・・・これも持っていったほうが、いいわよ、ね・・・・・・」


 そう言ってドア越しの月明かりに照らされた、机の上に載る銀色の『それ』を手に取る。失敗したときのことを考えないほど、ルイズは楽観的にはなれなかった。


(・・・・・・ううん、怖くなんてない。こんなに悲しませといて、なにが"俺のことは忘れて幸せになれ"よ。絶対呼び出して、文句言ってやるんだから・・・・・・!)


 想い、決意し、外に出る。いつぶりかの月の光と、夜の空気を浴びながら・・・・・・ルイズは、すべてが始まったあの場所へと向かったのだった。

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