土くれと閃光

 広場を抜け、大通りを過ぎ、路地を探し、たどり着いた街のはずれ。

 ティファニアが彼女・・・・・・アンリエッタを見つけたのは偶然ではなかった。セルゲン・ハッダードが傷を治したのは死に瀕していた者ばかり。重傷の者や軽い怪我を負った者の手当てはされていなかったため、ティファニアは「傷付いた負傷者を助けたい」と願った。・・・・・・結果、ハーフエルフの少女の願いを叶えるため、指輪は癒しの力を得るためのきっかけとなる“水”を欲した。

 ・・・・・・アディールで精霊の力が失われた現在、最も強い“水”の力を持っているのは王族であるトリステイン女王のみ。指輪は持ち主を導き、ティファニアはこの場にたどり着くことが出来たのである――――――。

―――――そして、いま。目の前に広がる血だまりに沈む二人の男女を、無言で見下ろしているアンリエッタに、ティファニアは驚愕に声を失った。

「・・・・・・アンリエッタ・・・・・・、何をして、いるの?」

すべての不安と疑問を乗せた問いかけの言葉を、ティファニアは背中越しに投げる。・・・・・・しかし、アンリエッタは振り向かない。

 ・・・・・・わなわなと震えるその手、握る杖が木陰から漏れる陽に照らされ、杖から伸びる極細の糸が光りその存在を訴える。その糸を目で辿り、・・・・・・つながる先を見て、ティファニアは愕然とした。一番身近なこの従姉妹に、自分の言葉が、声が届いていなかった事実が悲しかった。

(! あの男の人・・・・・・、ルイズたちを助けるときに、森の中で出会った・・・・・・)

あのとき、才人は烈火のような激しい怒りを見せた。ティファニアはその剣幕がどうしても気になって・・・・・・そのあと“竜の巣”で聞いたのだ。

 ・・・・・・誰も触れようとせず、またアンリエッタからも語られることのなかった残酷な過去を。未だ止まない悲しみの雨と、鎮まらない復讐の炎を・・・・・・

 ……愛する人を誰かに殺された痛みは、自分にはわからないかもしれない。でもアンリエッタは、自分の大切な従姉妹だ。

 ・・・・・・最初は血がつながっているだけで、「陛下」とお呼びし敬っていた雲の上のような人だった。・・・・・・けれど、才人を使い魔にしたことで自らを責める自分に「従姉妹なのだから敬わなくていい。公の場以外は名前で呼んで」と親身になって、苦しむ自分のためにわざわざ禁呪まで覚えてくれた。

 ・・・・・・そんな従姉妹に、人殺しなんてさせたくない。

(・・・・・・っ、とにかく早く、早くこんなことやめさせないとっ!!) 

 間に割ろうと前に出る足・・・・・・しかし、それは立ち上がった一人の泥棒の姿に凍りつく。

「・・・・・・だから、待ちなって、言ってるじゃないかい・・・・・・」

 膝立ちになったメイジの影に隠れて見えなかった。自分にとっての姉代わり―――――マチルダ・オブ・サウスゴータがそこにはいた。

「・・・・・・姉さん? なんでマチルダ、姉さん、が・・・・・・?」

「!! ・・・・・・マチルダ、誰だいそりゃ? あたしの名前は土くれのフーケ、貴族のお偉いサマがたの宝をさんざんかっぱらって捕まり、縛り首になるはずだった極悪人だ。・・・・・・あんたのことなんて、知らないよっ・・・・・・」

 荒い息で眉を顰め、自らを虐たげる言葉を並べるマチルダ。いつもの堂々とした彼女からは考えられないその卑屈な物言いに、ティファニアは彼女の語る言葉が事実であることを悟る。

「・・・・・・ああ、そうさ。あたしは罪を重ねて人の道を外れた薄汚いこそ泥さ。・・・・・・でもね、女王サマ。そんなあたしなんかでも、傍にいてやらなくちゃならない奴がいるんだ。・・・・・・そうでもしないと、危なっかしくて見てられないんだよ・・・・・・・ッ!」

 ゆらりふらりと揺れる身体は、傍から見ても分かるほどの満身創痍。それでも血を吐くようにルーンを紡ぎ、マチルダ・・・・・・フーケは水の糸を断つ。

 ・・・・・・しかし渾身の力を振り絞ったその詠唱も、「復讐」の2文字の前では意味をなさない。だらりと垂れた水の糸は切断されたところから互いを求め伸びていき、再びメイジに死をもたらす凶器に戻ろうとする。

「・・・・・・そうかい、そこまで憎いのかい。あたしにはもうあんたを止められない・・・・・・だったらッ!! わたしごと殺しなッ!!」 

 フーケはそう叫び、繋がっていく水の糸を―――――自分の首へと、巻きつけた。

「姉さん!?」

「・・・・・・くどいね、あたしはあんたのことなんて知らないって言ってるだろッ! 目障りなんだよ小娘が、とっとと消えなッ!!」

 思わず叫ぶティファニアに、フーケは冷たい言葉と行動を取った。―――自分の頬をかすめ、飛んでいく石のつぶて。その拒絶にティファニアは心を痛めたが、しかしすぐに理解する。彼女は無関係を装い、自分が罪に問われないようにするつもりなのだ。

「・・・・・・いいでしょう。わたくしの魔力も残りわずか、またこの糸を編むちからなどありません。望み通り、その命断ち切って差し上げますわ」

「ッ!? アンリエッタ、やめてっ!」

 ゆっくりと掲げられていく杖。握るその手を、ティファニアは両手で抑えつける。

「・・・・・・いいえ、ティファニア。聞いたでしょう? 彼女は本来、縛り首にされるはずだった大盗賊。国を治め民を率いる者として、この咎人たちを赦すことはできません」

「嘘をつかないで! ・・・・・・だったらどうして、そんなにこわい顔をしてるの? どうしてそんなに、泣きそうな目をしているの!? ・・・・・・答えて、アンリエッタッ!!」

「・・・・・・ごめんなさいティファニア、恨んでくれても構わないわ。でも、わたしは、わたしはどうしても、この男を逃がす訳にはいかないの。許すわけには・・・・・・いかないの・・・・・・」

 そう言うとアンリエッタはティファニアを強く突き放し、杖を掲げ直す。

「・・・・・・貴方の言うとおりですわ、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。わたくしは私怨で多くの人々を、戦場へと駆り出し死なせました。わたしが殺したも同然です」

 女王は止まらない。その瞳は濡れているのに。

「今更になって罪人2人、この手で裁くことに躊躇いなどありません。・・・・・・この手はとうに、真っ赤に濡れているのですから」

 女王には止められない。その杖の先は震えているのに。 

「一言でよかった。わたくしは・・・・・・、わたしはただ、ウェールズさまから“あの言葉”が聞きたかっただけ、なのにっ・・・・・・」

  堪えきれなくなった瞳からつうっと雫が伝う。杖の震えが全身へと広がる。

 (だめ、させない、させちゃいけないッ!)

 ティファニアは水の糸を手に取り、高速で流動する水に手のひらを切り裂かれながらも糸を引き切ろうとする。糸はあっけなく千切れた・・・・・・が、何度断っても再生を繰り返し元に戻る。冠を被った従姉妹は、止まらない。

 (だめ、だめッ!! でも、どうすればいいの!? ・・・・・・だれかッ、誰か止められる人は・・・・・・!)

赤く染まった手のひらを見つめ、焦燥に駆られたティファニアは動転する。魔法が使えない自分に止められないならと、辺りを見回し助けを求めようとする・・・・・・が、広場であれだけの騒動が起きている中、こんな森の奥に誰かがいるわけもない。

・・・・・・しかし、その救いを求める声に、応じる者は確かにいた。

“愛娘との別れを済ませ、大いなる意思の元に還ろうとした矢先にこれか。手のかかるところは本当にシャジャル譲りだな”

“せ、セルゲン、叔父、さん・・・・・・?”

“嫌な光景を思い出したから手伝うだけだ。これが本当に最後だぞ? ・・・・・・ファーティマによろしく言っておいてくれ”

 頭の奥、響く声はそう言って、指輪は七色の光を放つ。入り乱れ、混ざり合い、幻想的にきらめきながら光は・・・・・・、膝をつく男のバラバラになった杖を照らし、そこに一人の姿を浮かびあがらせる。

 ・・・・・・現れたその姿。アルビオン王子プリンス・オブ・ウェールズの姿に、アンリエッタは固まった。

“久しぶりだね、アンリエッタ。忘れてくれ、って言っておいていて、こうして出てこられちゃ迷惑な話だろうけど、どうしても君に言いたいことがあったんだ”

「・・・・・・あ、・・・・・・・・あ、ぁ・・・・・・・・・・」 

“おいおいどうしたんだい、黙ったままじゃ何もわからないよ。それとももうぼくのことなんて覚えていないのかな? ・・・・・・なんてね。もしそうだったら、ぼくの後ろに血だまりなんかできちゃいない”

「・・・・・・う、そ、・・・・・・嘘よ! ウェールズ様は死んだ、もういないっ! わたくしは見届けました、ラクドリアンの湖畔に沈みゆくあの方の最後をッ!」

 昂ぶりのままに沈黙を破り、その存在を否定するアンリエッタ。しかしぶつけられたその拒絶の言葉を、ウェールズは受け入れ肯定する。 

“・・・・・・ああ、そうだとも。ぼくはラグドリアンの湖畔で眠っている“ぼく”じゃない、アルビオンでぼくの命を奪ったこの杖に宿る、かすかな命の残り火さ。

 ぼくが“僕”ときみが交わした言葉を知っているのは、きみの記憶を覗いているからだ。だからぼくが死んだあと君が何をしたかも知っているし、・・・・・・いまからきみがなにをしようとしているのかも、知っている”

「・・・・・・それは、それはだって、あなたがっ・・・・・・!!」

 次第に沈み、遅くなっていくその口調に、怒られることを恐がる子供のようにアンリエッタは身をこわばらせる。

 忘れられるものなら忘れたかった。思い出さないよう努力もしたし、他の人を好きになろうともした。

 ・・・・・・だけども、ダメだった。どれだけ心の奥底に仕舞おうと、あの少年に心を動かされようとも、あの日聞けなかったあの言葉に、自分の心は縫い付けられたままなのだから。

“アルビオンとの戦は、仕方ないところもあった。けど、きみが王として民を想わなかったこと、虚無の力に溺れ、友人であるヴァリエール嬢を戦に駆り出したことは紛れもない罪だ。・・・・・・とはいえぼくの死も含めて、みんな過ぎてしまったこと。きみのしたことで、きみを責める気はぼくにはないよ・・・・・・それに、見てごらん”

そう言ってウェールズは、自らの足元を指さす。

 そこには自分がバラバラに切り落とし、七つに分かれたワルドの軍杖があって、・・・・・・そのうちの既に四つは燃え尽き、残る三つが淡い光を帯びながら、ゆらゆらと陽炎のように揺れていた。

“ぼくにはもう時間がない。だから今度こそ誓ってくれ、僕のことを忘れて幸せになると。くだらない復讐なんかに自分の心を焦がされないと、誰も傷付けずに利用しないと。・・・・・・さみしさを紛らわすためじゃなく、心の底から誰かを愛すると誓ってくれ。・・・・・・そうしてくれたら今度こそ、今度こそぼくの本当の思いを、君に伝えよう”

「・・・・・・っ! また、またあなたはそう言ってわたくしを苦しめるのですね。そんなことができるはずがないとわかって・・・・・・」

“いいや、できる! 君の心にはもう、「彼」が住み着いてる! この男が殺さなくても、ぼくは必ず戦場で命を散らしていた! ・・・・・・「彼」が理解できないのも当然だ、ぼくはきみより、王家の誇りを取ったんだ!”

「いいえ、違います! わたくしは知っていますわ、あなたがなんのために戦い、何を守ってくれたのかを! だからこそわたくしは、あなたのことを忘れられなかった! ・・・・・・無理なのです、できません、わたくし、にはっ・・・・・・」

“アンリエッタ! もう、時間が、ないんだッ・・・・・・!”

 見れば、残るゆらめきは一つ。ティファニアの指輪から放たれた七色のうち、最後に残った赤だけが、一番大きな杖の破片に宿り、妖しくその炎をくゆらせていた。

“君が誓ってくれなければ、ぼくは安心して眠れないんだ!”

「・・・・・・ッ、でも、でもっ・・・・・・」

“アンリエッタッ!! 頼む、ぼくを忘れて・・・・・・幸せになって、くれっ・・・・・・”

 感情が極まったのか、叫ぶウェールズ。意を決したようにアンリエッタは涙を手の甲でぬぐい、恋人の瞳を見てその願いに応じる。

「ウェールズさま・・・・・・、・・・・・・わかりました。・・・・・・アンリエッタ・ド・トリステインは誓います。貴方を思い、誰かを傷付けぬことを。貴方を忘れ、他のだれかを愛し幸せになることを。・・・・・・水の精霊に誓うでも、偉大なる始祖に誓うでもなく、他ならない貴方、ウェールズ・テューダーに誓います。

 ・・・・・・ですから、ですから言ってくださいまし。あなたの言葉を、本当の気持ちを・・・・・・、わたくしを苦しめるからと隠さないで、わたくしが本当に苦しいのは、貴方の心の中を知れないことなのです・・・・・・ッ」

 涙が止まらない、その姿が見えない。嗚咽で引き攣る喉、伝えたい言葉が、届かない。

 そんな感情に振り回される思い人に近づき、亡き王子は王女を抱きしめた。

・・・・・・もちろんこれは指輪が作り出した虚像だ。アンリエッタの肌が触れているのはただの空気以外の何物でもない。・・・・・・ただ、そこには温もりがあった。体で感じることはできずとも、心で感じられるあたたかい何かが、確かに存在していた。

“・・・・・・きみが僕のことを忘れても、ぼくはきみのことを忘れない”

「・・・・・・ッ!! ・・・・・・はい・・・・・・っ・・・・・・」

 言葉を聞くたび、自分の中のわかだまりが溶け、霧散していくのをアンリエッタは感じた。

“・・・・・・本当は君のそばには、ぼくがいてあげたかった。ぼくがきみを守って、ぼくがきみを幸せにしてあげたかった・・・・・・ッ”

「はい、・・・・・・は、いッ・・・・・・」

 悲しみの言葉が胸を抉り貫く。もうこの王子に会えないのがひどく辛かった。もうこの王子に触れられないのがたまらなく苦しかった。しかしそれでもこの時間は、なにより優しく暖かかった。

“ラクドリアンの湖の底で、心から幸せになるきみをずっと見てる。それがいまのぼくの幸せだ。きみはぼくの願いと、そしてなによりきみ自身のために幸せになるんだ・・・・・・”

「・・・・・・ええ、なります。わたくし幸せになりますから、・・・・・・だからッ・・・・・・!」

“・・・・・・っと、どうやらお別れの時間が来たようだ”

 ウェールズの姿が、次第に薄くなる。透けていくその身体に、アンリエッタは唇をかみしめ、口から飛び出ようとしてくる引き止めの言葉を抑え込み―――笑ってみせた。・・・・・・彼はすでにこの世を去ったのだ。これ以上困らせ、心配させてはいけない。本当に彼のことを思っているのだったら、安らかに眠らせてあげるべきなのだから。

“・・・・・・さようなら、アンリエッタ。―――愛してる”

 ・・・・・・砂漠のほうから一陣の風が、2人めがけて吹きつけた。砂塵にまみれたその風に、反射的に目を閉じたアンリエッタは、腕の中から温もりが消えていくのを感じた。

・・・・・・風が収まり、アンリエッタはゆっくりと目を開く。そこにもう彼の姿がないと知った彼女は崩れ落ち、堪え、抑え付けていた感情をその瞳から溢れさせる。

「おお、お、おおっ…… ウェールズ様、ウェールズ、さまっ……」

 幼子のようにいやいやと首を振り、頭から落ちる王の証。それでもアンリエッタは冠を拾わずボロボロと涙を流し、……愛“していた”彼の名前を繰り返す。

 ……いまは、王でありたくはなかった。一人の男に恋をして、その恋を失ったただの町娘のように、いまだけは人目を気にせず、アンリエッタは涙を流したかったのだ。

「・・・・・・アンリ、エッタ・・・・・・」

 悲しみに暮れる従姉妹の背中を見つめ、ティファニアはただ立ち尽くすしかなかった。自分を助け、救ってくれた彼女に何もできない悔しさと、そして・・・・・・、姉のように慕っていたマチルダが泥棒だった衝撃の事実が、ティファニアの頭をぐるぐるとかき混ぜていた。

(そうだ、マチルダ姉さん、姉さんは!?)

 混濁していた思考が晴れ、弾けたようにティファニアはマチルダの元へ駆け寄る。・・・・・・しかし、その肩に手を置いた瞬間、光を放ちその姿は人形へと変わる。 

(・・・・・・え? これってあの、サイトが言ってたスキルニル!?)

 もしやと思いもう一人のメイジにも触れるが、やはりたちまち人形と化す。・・・・・・しかし、残った血の跡だけは消えない。どうにかしてあの二人は、この場から去ったのだ。

(辺りは森、でも、すぐに身を隠せるようなところはないし。アンリエッタが気付かないならまだしも、後ろから見てたわたしが気付かなかった?)

 ・・・・・・そんなことが、本当にできるのか。あのメイジと同じかそれ以上に、マチルダの消耗は激しかった。メイジが傍から見ていた自分でもわかるほどに生を諦めきっていた以上、彼を連れ出して逃げたのはマチルダということになる。・・・・・・ボロボロのあの体で、一体どこまで逃げられるというのだろうか?

(・・・・・・どこにいるの姉さん。 ・・・・・・いま、本当に無事なの・・・・・・?)

そう遠くにはいないだろうと、辺りの木々を見渡し探すティファニア。

・・・・・・彼女は二人が消えた場所、その足元の土が水と化していることに気付きはしなかった。





 ・・・・・・数分のち、アディール郊外の森。

 十才ほどの見た目の少年が地面の中から、呆れたように呟きながらバシャン、と水音を立てて飛び出た。

「・・・・・・っぷはぁ、どこまで続けたんだジャック。もう少し加減ってものを覚たほうがいい、どうも森のはずれじゃないか、ここ」

「いやぁ、ダミアン兄さん。すまない」

 申し訳なさそうに語気を萎ませ、続けて出てきたのは筋骨隆々とした大男。一組の男女を肩と腕に担いでいるとは思えない身軽さで、もう一方の片腕のみでその身を水から引き上げる。

「今回に限ったことじゃないさ、お前に“錬金”をさせるといつもこうなるだろう。何のためにわざわざ大枚はたいてアカデミーに錬金装置を用意させたと思ってるんだい? ・・・・・・ジャネットの空気の膜が持ったからいいけれど、まったく出来の悪い兄妹を持つと困ったね、どうも」

「あら、ダミアン兄さん。わたしも“出来の悪い”のくくりに含めるつもり?」

「そうだよダミアン兄さん、好き放題するのはぼくだけで十分さ! ジャック兄さんまでぼくみたいに世界一のメイジになるなんて言い出したら、ぼくの戦う相手が減っちゃうからね! ・・・・・・ところでダミアン兄さん、ジャネットが傷を治したら、このメイジと殺り合っていいかな? 前からずっと、強そうでウズウズしてたんだ・・・・・・って、うぉわっ!」

 揃って水から出てきた紫髪の少女と、細身の少年が続けざまに口を挟む。話の途中で足を滑らせ、出てきた水の中に逆戻りする末の弟に、幼さの残った顔をいっそう憂鬱げに曇らせため息をつく。

「自覚してるのはいいことけど、もっと反省したらどうかな、ドゥードゥー。あとその問いの答えはノーさ。そんなことしちゃぼくたちの依頼主さんがだまっちゃいないだろうからね。……ああ、そうそうおかげで思い出した。ジャネット、まだ彼らに癒しの魔法かけてないだろ?」

「ええ、もうやめてしまうの? 自ら死の淵に立ちながらも、彼が生きているか心配になって不安げに確認する彼女、……見ていてたまらなく愛おしいのだけれど……」

「まいったねどうも、出来が悪いのも困りものだけど、趣味が悪いのも手に余るなぁ」

「・・・・・・う・・・・・・ぐっ・・・・・・」

「おいおいジャネット、はやく治すんだ。土くれの方はどうも魔力切れらしい、“あれ”を使って直してあげるんだ」 

「・・・・・・ふん、わかったわよ。ジャック兄さん、仰向けにして。ほら、早く口を開けなさい?」

「・・・・・・ッ!?」

 不満げな顔をしたジャネットが、懐から小瓶を取り出し口にフーケの口元に当てる。突如として流し込まれるどろりとした液体、飲み込んだ瞬間、身体にぞわりとした怖気が走る。 

「毒じゃないわ、あなたの国のアカデミーが作った魔力増強剤よ。・・・・・・それで兄さん、“閃光”のほうはどうするの?」

「・・・・・・きちんと治してやれ。ドゥードゥーが“戦いたい”って言い始めるだろうから面倒だと思ったけど、杖がないならその心配もない」

「・・・・・・ふーん、そう。ジャック兄さん、そいつをそこに下ろして」

 末の妹は長男に生返事を返しつつも、次男に指示をして呪文を唱える。すぐ近くの大岩に身を立てかけられたワルド、その身体がみるみるうちに治っていく。流れる血が止まり、傷が塞がっていく。

「彼の命が尽きても、きっと彼女はカネを払わない。・・・・・・そうだろう? トリステインの大泥棒さん?」

「……ああ。助けてくれたことには礼を言うし、金だってちゃんと払うさ。・・・・・・何か書くものを貸しな」

 ・・・・・・身体の痺れが取れるなり、担がれていたジャックの肩から飛び退き、フーケは猫のようなしなやかさで着地する。ダミアンのからかうような笑みを無視し、ジャネットから放られた紙とペンを受け取り、サラサラとしたためてすぐに投げ返す。

「受け取りな。アタシの隠れ家への地図だ。好きな宝を好きなだけ持っていくといいさ」

「・・・・・・嘘をついていない、という証拠は? もしこの地図がデタラメで、宝なんてなにもなかったら・・・・・・」

「ひどいね、あたしがハルケギニア中に名を轟かせる掃除屋に喧嘩を売る阿呆に見えるってのかい? もしそうだってんならこれだけ盗みを働いて、今の今まで生きちゃいないよ。・・・・・・アタシだって女さ、あんたたちに怯えて眠れない夜を過ごすのも、捕まって死ぬまで拷問にかけられるのもごめんだね」

 固まる空間、緊張に流れる汗がフーケの首を伝う。

 ・・・・・・しばしの間を開け、ダミアンはゆっくりと頷いた。

「・・・・・・いいよ、交渉成立だ。いやー助かったよ、あと少しで目指してた金がたまりそうだったんだ。次の依頼が来るのはいつになるかわからないからね。ほんと、殺し屋稼業も楽じゃない」

 あの状況で拾ってきたのか、そしてどこから出したのか。気付けばダミアンの指先でくるくると回っているワルドの羽帽子を取り、フーケは冷たく言い放つ。

「世間話に付き合う気はないよ。用が済んだなら、そいつを置いて早く消えな」

「一緒に戦った仲なのにつれないなぁ、・・・・・・まあいいや。彼を解放してこの場からいなくなればいいんだろ? わかったわかった、じゃあぼくらは退散するとしよう」

 一見危うげに見えながらも、留まることなく進む取り引きは唐突に終わりを迎える。ダミアンがおどけた口調でそう言って、・・・・・・直後、殺し屋四人は姿を消した。自分の知らない、何らかの魔道具を使ったのだろうか。瞬きをする僅かの間に、フーケの目の前で煙のように消えたのだ。

(・・・・・・あいつら、本当に一体何者だい・・・・・・? さっきのスキルニルといい、もうここまで動ける、この水魔法の回復力といい・・・・・・、)

 ・・・・・・安堵のため息とともに湧き上がる疑惑をフーケは振り払う。いや、そんなことは後回しでいい。

 「・・・・・・ワルド」

 元素の兄弟たちの気配がないことを再度確認すると、フーケはゆっくりと大岩に身を預けたままの相方へ近づき、その名を呼んだ。

 ・・・・・・しかしそこにいたのは彼であり、そして同時に彼ではなかった。命を賭して守り、助けた彼。・・・・・・その瞳には、何も浮かんではいなかった。“大事な何か”をごっそりとくりぬかれた空っぽの何かが、そこにはいた。

「・・・・・・・・・・・・」

「だんまりかい? じゃあ聞いてあげるよ。・・・・・・あんた、どうして死のうなんて思ったんだい?」

 語ろうとしないワルド。フーケは一歩踏み込み、その透明な瞳を覗き込む。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 沈黙が流れる。散々振り回された怒りを杖に乗せてぶつけることも、何一つ打ち明けてくれない悲しみを言葉に乗せ責めることもできた。・・・・・・けれどもフーケは待った。屈強な身体の内の内、秘められた繊細な心を奪うために。大泥棒は闇夜に身を溶かし込むかのように、目を光らせ機を待った。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 今までにいくつもの言葉の針金を、その硬く閉ざした扉の鍵穴に差し込んできた。女として身体を交え、その胸の奥底に潜り込もうともした。

 ・・・・・・差し込んだ針金はいくらいじっても何の手ごたえもなく、何度身体を溶かし混ざり合おうとしても見えない壁に阻まれていたが、そこに意味はあった。磨耗した鍵穴は大きく広がり、壁は削れて薄板一枚の厚さもない。あとはワルド本人がその扉を開け、壁を壊すのを待つしかないのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夢を見た。母の夢だった」

「! ・・・・・・ああ」

ゆっくりと。あの日から止まっていた男の歯車が、いまゆっくりと動き始めた。フーケはそれを急かすことも、止めることもせず、ただその行く末を見届ける。

「・・・・・・“わたしの願いは叶った、だからあなたは手放しなさい。あなたが背負ってきた痛みも苦しみも全部捨てて、自分の為に生きなさい。・・・・・・ジャン・ジャック。あなたは強く、そしてとても脆い子。きっとわたしがあなたを許すといっても、あなたを赦さない。

 ・・・・・・だから、誰かに過ちを犯してしまったのなら、わたしにしてくれたようにその人の望みを叶えてあげなさい。そうすればきっと、あなたは自分を赦せるようになるから”・・・・・・母は夢の中でそう言った。・・・・・・過ちなど今まで何度も繰り返してきたものだが、ふと頭に“女王に謝れ”と言ったガンダールヴが浮かんだ」

「・・・・・・そうかい。それで?」

「・・・・・・街中でトリステインの衛兵に女王のことを聞きまわった。ヒポポグリフ隊の者を問い詰め、蘇ったウェールズの最後を知った。・・・・・・ふざけた話だ。張られた俺の手配書を見て、追われていたことを思い出すとはな。あの女王が欲しい物は俺の命。・・・・・・分かれば後は、簡単だった」

「・・・・・・そうこうしてる間に式典が始まっちまったから、危なくなった女王を助けたってワケだね。殺されるために自分を殺す人間を助ける。・・・・・・ほんとに馬鹿だねあんた」

「馬鹿な女に言われる筋合いはない。あれだけ孤児院や路地にばら撒いておいて、金が残っているわけがないだろうが。騙されたと知ればやつら、お前を殺しに来るぞ」

「だったらあんたがあたしを守りな。・・・・・・文句なんて言わせやしないよ? あんたの命はさっき、あたしが女王サマから買い受けたんだから」

「・・・・・・もし俺が、再び女王に殺されに行くと言ってもか?」

「だったらあたしが死ぬだけさ。それにあんたがノコノコ出てきても、あの女王サマにはもうあんたを傷つけられない。・・・・・・それに、あんたがあたしを見殺しにするなら、その“過ち”とやらが一つ増えるよ? アルビオンのときと今さっき、二回も命を救った恩人を見殺しにするんだ、ヴェルハラのお母様も許しやしないさ。・・・・・・まあ、あたしたちがいくのは地獄だろうけどね」

「・・・・・・ふ、はははははっ! ・・・・・・まったくとんだ盗っ人だな、おまえは・・・・・・」

 笑いながら、笑ったまま、ワルドの目から溢れる雫はその頬を伝う。・・・・・・この涙は嘆きや悲しみからくるものではない。過去を振り返り、それでも明日へ進もうとする者の決意の証だ。だからこそ、彼の胸にぽっかりと空いていた穴が塞がり、淀んだその心が次第に透き通っていくのをフーケは感じる。感じていた。

「お褒めにあずかり光栄だね。だけどあたしゃあんたの涙までは盗めないよ。・・・・・・まったく、大の男が情けないねぇ・・・・・・」

 悪態をつきながら、フーケはその手にある羽帽子をワルドに目深に被せる。理由はワルドが自分に見せたくないであろう涙から目を背けることと、もう一つ。知らず緩んでいた自分の口元を直すためだった。

“まったく、これじゃティファニアを笑えないさね。自分のことを見てくれるようになったからって、こんなに浮かれちまうだなんて。

 ・・・・・・まあいいさ。これが土くれのフーケが、最後に頂くお宝だ”

 

そうして盗賊は自分が得た「宝物」に口づけしようとして、ふと思い留まり。・・・・・・まるで母親がそうするかのように、優しく彼を抱きしめることにした。

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