願い、焦がれた言葉

 アディール外れ、・・・・・・森の中。先程広場で起こった数々の異変を感じ取ったのか、辺りには鳥のさえずり一つない。海から吹く潮風だけが、微かに木々を揺らしている。

 完全な静寂の中、一人のメイジ・・・・・・ワルドは抜き身の軍杖を握ったまま、瞳を閉じて待っていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来た、か・・・・・・」


現れた待ち人は、その言葉に詠唱で応えた。


 水魔法“ウォーター・ウィップ”。・・・・・・並のメイジであれば杖の先から生じる鞭が、強かに敵対する者の身を打つ程度の魔法。罪を犯した咎人が、苦痛を味わう罰の象徴。

 ・・・・・・しかし、彼女・・・・・・トリステイン女王の杖の先から伸びた物は、そんな生易しいものではなかった。まるで彼女自身の心のように張り詰め、薄く、鋭くなった水が、しなる手首の勢いで飛んでくる。ピアノ線のように細いそれは、木陰から洩れる光にきらめいて―――、・・・・・・次の瞬間、ピュン、と風を切る音共に被っていた羽帽子が二つに切り飛ばされ、地面に転がった。


 ピュン。ピュン。ピュンピュンピュン。


 テンポを次第に上げていく死の旋律。彼女が杖を振るたびに服が裂け、ワルドの身体に傷が走る。

しかし、ワルドは何も抵抗しなかった。自らの血を吸い重くなったマントに片ひざをつき、地面に突き立てた杖に身を預けても・・・・・・一言も発することなく、一歩も退がることなく受け止めていた。

 「これで終わりです。祖国を裏切り、・・・・・・ウェールズ様を殺めた罪、地獄で悔いなさい」

 満身創痍のメイジに、彼女は杖を突きつける。メイジの身体を容赦なく切り刻んだからか、水の鞭は輝度を失い、ただただ真っ赤に染まっていた。

「・・・・・・いいのか? 俺に何も、聞くことは無いのだな?」

「ええ、またいつものように逃げられては困りますからね。わたくしはただ貴方が、この世から消えてくれるのならばそれでいいのです」

「・・・・・・矛盾しているな。だったらこのように嬲らず、一思いに殺せばいいではないか」

「そう簡単に許すとでも? ・・・・・・その命が尽きる寸前まで傷つき、そのたびに私の手で治され・・・・・・、死んだほうがよかったと思うような、永遠の責め苦を今から貴方は味わうのです」

「・・・・・・はっ、ハハッ・・・・・・、詭弁だな」

「・・・・・・・・・・・・、なんですって?」

「詭弁だといっているのだ。・・・・・・自分の命令で散っていった民への手向けでもなく、血を燃やし魂を削る仇討ちでもない。ただ愛する王子への想いが薄れゆくのを否定しようと、俺を憎む恰好を取っているだけなのだろう? 貴女は」

アンリエッタは無言で杖を振る。伸びる紅い糸は意思を持つかのようにしなり、想い人の血を啜った杖に絡みつき、バラバラに切り潰す。支えを失ったワルドは膝をつき、頭を地へと垂らした。

「`……もう一度言ってみなさい、次はその首を飛ばします」

「そうだな、確かにさっきまではそれもできたのだろう。・・・・・・だが貴女は知ってしまった。憎しみの行き着く先を。この世のすべてを笑いながら燃えていった、あのエルフを」 

「・・・・・・、それがなんだというのです? わたくしはあなたを絶対に許さない。それが答えです」


「そうか。・・・・・・ならばなぜ、その手は震えている?」


「・・・・・・黙りな、さい・・・・・・」

「いいや、言わせてもらおう。貴方は躊躇っている、俺に手を下すことを。私怨で国を動かし、無辜の民を殺しておきながら、自分の手が汚れることを恐れている。それはなぜか? ・・・・・・教えてやろう」

「・・・・・・黙りなさいと、言っているのです・・・・・・!」

 声を殺したアンリエッタは杖を振り、紅色の死をワルドの首に巻きつけた。恐ろしい速さで流動する水がワルドの薄皮を刻み、その血を呑み込んで更に赤黒さを増す。

「愛が薄れているからだ。俺は聞いたぞ? “俺に何も聞くことは無いのか”と。貴方が未だ王子を想っているのならば、何より先に俺が王子を殺した動機や、王子の死に際を知りたがるはずだ。しかし、貴女はそれをしなかった」

「ッ! ・・・・・・あ、貴方の命が尽きても、貴方の動機は調べられます! それに、ウェールズさまの最期は貴方に胸を貫かれた時ではありません! アンドバリの指輪に操られたあの方は、ルイズの虚無で解放され、残っていたわずかな命の火を灯し・・・・・・わたしに看取られ、ラクドリアンの湖畔で眠りについたのです!!」

 アンリエッタは否定する。しかし声を荒げてしまっている自分自身に、彼女は気づけない。

「ああ、そうかもしれないな。だが俺はアルビオンで奴、ウェールズの心臓を穿ち殺した。さらにその後起きたニューカッスルの戦から二日後、俺は再びその骸をこの目で確認した。・・・・・・死後数日も経っている死体に、命など残っているわけがない。ましてやアンドバリの指輪の力を失った死人が、息を吹き返す? 本当におめでたい人だな貴女は。そんな都合のいいことがあるわけがなかろう」

「・・・・・・いいえ、わたくしにはわかりました、あれは確かにウェールズ様だった・・・・・・!!」

 次々と思考に植え付けられていく疑惑の種。芽が出る前に取り除こうと、アンリエッタは怨敵の言葉を頑なに拒絶する。・・・・・・しかし、震える喉から飛び出たのは先ほどのように高らかな否定の言葉ではなく、自らに言い聞かせるような小さな呟き。


・・・・・・よって当然、その声は満身創痍の男の言葉すら阻むことなく、


「ああ、それもそうに決まっている。他ならぬ貴女がアルビオン王子、ウェールズ・テューダーを蘇らせ、そして殺したのだから」


アンリエッタは、聞いてしまった。


「・・・・・・え?」

「箝口令でも敷いておけばよかったな。天を衝く程の巨大な竜巻、そんなもの遠目からでも見えるに決まっている。伝説と言われた王家の詠唱、ヘクサゴン・スペルを使ったのだろう? ・・・・・・それに加えてアンドバリの指輪の力まで掻き消した。虚無を扱い始め日も浅い担い手が、一撃で戦艦を沈めるほどの呪文を放ち、立て続けにこれだけの強大な力を無効化した。・・・・・・堰を切ったように流れ出た魔力、暴走しても不思議ではない」

「・・・・・・何を、なにを言っているのです?」

「分からない風を装うな、理解しようとしてしないだけだろう。・・・・・・一を零に、零を一にする力、虚無。すべての存在を否定し掻き消す“生命”があるのならば、その対と成る魔法もあって然るべきだ。・・・・・・虚無は人の絶望から成る。アンドバリの指輪の力が失われた時、ルイズから溢れた虚無が貴女の絶望に反応し、ウェールズが蘇った。そう考えればすべて納得がいく。

 ・・・・・・アルビオン王子ウェールズ・テューダーを殺したのは俺ではない。貴女だ。自分の聞きたかった言葉を聞くがために、貴女はあの男を二度も殺し・・・・・・!」

矢次ぎ早に並べるワルドの言葉は、そこで驚愕に止まった。ワルドの首に巻き付いた鞭が肥大化し、瞬く間に丸太と同じ太さへと変わる。

「ちが、う・・・・・・違う違うちがうッ! そんなわけがない、わたしは、わたし、はっ―――」

「生きたまま胸を抉られる激痛、さぞかし奴は苦しんだだろうな。だが貴女はそれを知っておきながら、ウェールズの生を望んだ。・・・・・・溺れていたんだろう? 自らの不幸に。 “自分は哀れな人間だから、どんなことをしても許される”と」

「・・・・・・ああっ、あ、ああああっ・・・・・・」

ぎりぎりと首を締め上げられながらも、言葉を続けるワルド。アンリエッタの喉から、声にならない声が漏れた。

「そうだろう? 今まで何度も思っていたはずだ。私怨を晴らすために無辜の民を戦に駆り出した時のように、今こうして俺に杖を向けているように! ああ、滑稽だ。実に滑稽だ。犯した罪の重さを知ろうと更に罪を重ねた俺も、犯した罪から目を背けるために、愛する者を楯に言い逃れる貴女も・・・・・・ッ!」

「・・・・・・黙りな、さい。黙りなさい黙りなさい黙りなさいッッッ!!!」

 まるで巨大な蛇のようになった鞭はワルドの首を締め上げたまま上へと伸び、その体を吊るし上げる。

「く……がッ……っハッ、はは、はッ……」

 一層締め付けを増す首元、ぷらりと宙に揺れる足。迫る自らの終わりに、ワルドは抵抗しなかった。乾いた笑みを浮かべるその表情は寂しげで、今にも泣き出しそうにも見えた。

(・・・・・・いいや、同じさ。俺も貴女も報われない。・・・・・・この世界は、そんなに優しくは、ない・・・・・・)

薄れゆく意識の中自らを、そして、目の前の王女をワルドは嗤う。


・・・・・・だが、そんな彼を救う者はいた。


 突如として消える、首に巻きついていた朱の蛇。無くなる圧迫感、止められていた血が頭に回り一気に頭が冴えた・・・・・・かと思えば、次の瞬間には地べたへと叩きつけられる。

「・・・・・・ッ、はぁッ、は、っ・・・・・・」

 聞こえる荒い呼吸に視線を合わせ、ワルドは愕然とする。

 騒ぎというほど騒々しくもないのに、一体どこから聞きつけたのか。・・・・・・そこには、別れたはずの盗人が立っていた。

「・・・・・・はあ、は、あッ・・・・・・」

 ・・・・・・分身越しに別れの言葉を投げた時、この女は既に疲弊しきっていた。そのうえ更に先ほど、あれだけ巨大な壇を“錬金”で変質させたのだ。

 歩くのはもちろん、立っているのがやっとのはずだろうに。・・・・・・しかし、この大泥棒は現実、今ここにいる。

「・・・・・・知っていますわ。あなたが行動を共にしていたという、巷で噂の大泥棒・・・・・・でも、今は関係ない。あなたがどこの誰であろうと、今のわたくしの邪魔をすることは・・・・・・許さない」

 アンリエッタはそう言うと、杖から再び水の蛇を呼び出す。しかし―――

「ッ!? させないよッ!!」

 同時にフーケが土塊を生み出し、水の蛇に放った。土塊に触れるや否や、水の蛇はすぐさま吸収され消えていく。

「・・・・・・手を引きな。あんたの“水”じゃ、あたしの“土”に敵わない。・・・・・・生憎だったね、女王様。この男の命、土くれのフーケさまがもらってくよ・・・・・・」

「・・・・・・そう、そういう関係ですのね。自分は人の愛する人を斬っておきながら、貴方はこうして慕われ、そして慕うのですね。人の人生をめちゃくちゃにしておいて、しあわせになろうとするのですね・・・・・・」

 対するフーケには目もくれず、土と血にまみれ沈むワルドにアンリエッタは言葉を投げる。そして三度、杖の先から水の生成を始めた。

「何度やったって無駄さ、あたしの土で、こんな水いくらでも・・・・・・ッ!?」

フーケもまた杖の先に集めた土を、生み出された水の糸にぶつける・・・・・・が、しかし吸収しきれない。先ほどのものよりもさらに細く、速く流動する水は勢いを増し、土塊を突き抜け・・・・・・、そして、再びワルドの首を取り囲む。

「待ち、な・・・・・・!? ッッ!!」

 なんとかしてそれを止めようと、水の糸そのものを“錬金”で変質させようとフーケは試みる。・・・・・・しかし、限界を超えた彼女の体は、彼女の意思に応えてくれない。とうに枯渇している精神力をさらに振り絞ろうとした結果、意識すらも失いかけ、仰向けにフーケは倒れる。

「・・・・・・土くれ? 返事をしろ、おい・・・・・・、・・・・・・マチルダッ!」

 血溜まりの中から身を起こし膝立ちになったワルドは、目の前に倒れた相方の肩をゆする。意識はある、だが返事はない。その虚ろな瞳からは今にも光が消えそうで、死を思っていたワルドに未練を抱かせた。

「・・・・・・礼を言わねばなりませんね、大盗賊さん。貴女が表れてくれたおかげで、わたくしもやっと覚悟が決められました」

 水の輪は狭まり、ゆっくりと喉元を裂いていく。再び垂れ、流れ始める血。・・・・・・いま、王女の瞳に映っているのは自分だけだ、この女が殺されることはないだろう。

しかし、問題は憲兵だ。この女が自分についてくるようになったきっかけも、トリステインの牢に閉じ込められて縛り首になるのを待つ身だったからだ。・・・・・・たかが1年2年姿を消したからと言って、あれだけ城下を騒がせた盗人が無罪放免なんてことは起こりえない。見つかりでもしたら、本国に連れ戻されて処刑されるのが関の山だ。

「これで心の底から、貴方を憎める。これで心の底から、貴方を呪える。躊躇なんてもうしません、一瞬で終わらせてあげます」

 ・・・・・・わかっている。最後の願いだから、なんて都合のいいセリフを吐ける立場でないことは。むしろ激高したこの王女に、この女を目の前で殺されても何らおかしくはないのだ。

「―――――――――、死にな、さい」

それでも。それでもワルドは王女にこの大泥棒の助命を請うべく、ゆっくりと顔を上げ・・・・・・そして、王女の後ろに立つ金髪の少女の姿に気付き悟る。この泥棒がずっと捕まらずに今までやってこれた理由・・・・・・すなわち、彼女の持つ運を。

(・・・・・・そういえばこのハーフエルフも担い手・・・・・・アルビオンの王家の血を引くのだったな。血筋的にはこの女王の従姉妹にあたるのか。・・・・・・反乱軍に下るを良しとせず、誇りある死を選ぶあの血が流れているのならば・・・・・・、まあ、姉代わりのこの女に、情状酌量の余地ぐらいはくれるだろう・・・・・・)

 この女とハーフエルフが交わしたやり取りは“偏在”で作り出した分身で見ていた。それに、あのエルフの狂乱を止めた事実を聞けば、最悪縛り首は免れるだろう。

(・・・・・・どちらにせよ、もう思い残すことはなくなった。・・・・・・ああ、やっとだ。やっと、俺、は・・・・・・)

 血を流しすぎたのか、霞がかかる意識。抵抗することはなくその身を委ね、ワルドは膝立ちのまま、目の前の王女が杖を振るのを望みながら、瞳を閉じて最期の時を待った。


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