血塗れの悪意 Ⅸ

・・・・・・凍りついたかのように誰もが固まる壇上。吹き荒ぶ風が静まっていく中、アンリエッタはすべてを見ていた。……自分の想い人を殺したのと同じように、メイジがエルフの胸を穿つまでの一部始終を。

「……なぜだ? なぜだなぜだなぜだッ!? 貴様は目隠しされたカカシも同然! なのにどうして……ッ!? 」

「それはこちらのセリフだ。確かに心臓を貫いた感覚があったのだが、耳が長いなら心臓も逆なのか? さすがだなエルフ殿」

 ネジを巻きすぎて壊れたカラクリ仕掛けのように喚き始めるエルフを、嘲りの言葉で愚弄するメイジ。だが、エルフの驚愕も当然と言えた。

 岩の繭から飛び出した無数の石の槍を、この仮面のメイジは防いでも逸らしてもいない。一瞬で切り捨て小石と変え、烈風を起こし跳ね返し、エルフの視界を塞いだ上で風の槍と化した杖で刺突を繰り出したのだ。

 これだけの高速詠唱と剣捌き……誰にでもできる訳が無い。

 

 アンリエッタはわかっていた。ただ、認めたくなかった。

 

 ……憎み呪ったこの男が、自分の命を救っているというこの現状を。

「……まあいい、これで終わりだ」

そう言うとメイジ……宿怨のこの“男”は杖を引き抜きざまに、エルフの体を袈裟懸けに切り裂いた。

 肉を裂け骨が絶たれ、間欠泉のように噴き出す鮮血。振るった杖に絡む血が、後方にいるアンリエッタの頬にまで飛沫を飛ばす。

 ・・・・・・しかし、それでも。それでもエルフは息絶えない。口の端から紅を垂らしつつも、その見開かれた瞳に浮かんでいるのは苦痛ではなく愉悦だった。

「……はッ、ははははははははッ!!! 残念だったなぁメイジ、時間切れだッ! さあ終焉の時だ! この下らない茶番に、わたし自ら幕を引いてやろうではないか!」

 ドン、壇を打つ拍動を感じ、アンリエッタの身体は恐怖に凍る。精霊の力はメイジには感じ取れないはずなのに、しかしそれでも分かってしまうほどの異様な力の昂りがあった。

 先程見せられた地下に滾る炎が頭をよぎる。あれが集い、渦巻き、膨れ上がっているのだと考えるだけで、アンリエッタの心は絶望に染め上げられた。

「 ハハッ、ヒ、アハハハハハハァッ!!! 壊れろ、壊れろ、壊れろォッ! わたしの思い通りにならぬのならば、何一つ残さずッ、すべてぇッ!!! ・・・・・・ハハ、ハッ、ハハハハハハハ…………あ?」

 

・・・・・・しかしその高らかな笑い声は、次第にしぼんで当惑へと変わっていく。


「・・・・・・、!」

 一瞬遅れて、アンリエッタも気づく。地中で猛っていた熱や衝動が冷え、収まっている。じわじわと失われたのではない、唐突に消滅したのだ。

「……ほう? それで一体何を壊すというのだ、聡明なるエルフ様よ。野蛮で矮小なメイジのわたしには、なにも起こっていないように見えるのだが?」

 まるでこうなることを知っていたかのような口振りをする“男”に、エルフは自らの激情を表すかのように両方の指を同時に弾いた。

「ほざきおってッ! だからといってたかがメイジ風情に、私が殺せる訳がなかろうがッ!! 殺す、殺す、殺してやるッ!!!」

 甲高い音と共に傷ついた身体の再生が始まり、また殺意が新たな形を取り、この男に牙を剥く……

「いや、やはり貴様には、俺が手にかけてやるほどの価値はなかったようだ。 機ありと見れば道化のように笑い、思惑が違えば野良犬のように吠え散らすしか能のない間抜けだよ。……・・・・・・だからこうして、本当の脅威を見誤る」

 しかしこの男はそう言って、風の槌で壇上にあるもうひとつの岩塊を打った。先程の堅牢さはどこえやら、そびえる壁は呆気なく崩れ、


 ……現れたティファニアが、呪文とともにその身に纏う膨大な魔力を解放する。


「・・・・・・ベルカナ・マン・ラグー・・・・・・・!!」


「な、ぁッ!? ・・・・・・くッ!!」

攻撃も防御も間に合わないと悟ったエルフのとった行動は回避だった。先ほど岩の繭に籠ったときのように再び壇の中に潜ろうとするが、……しかし、できない。見れば足元がほんの僅かに浮いている。“彼”が"レビテーション”をかけているのだ。

「残念だったな、モグラごっこにはもう飽きたんだ」

 「……キッ……サ、マァアアアアアアアアァアアアアッ!!!!」

従姉妹の杖から迸しる閃光の眩しさに、アンリエッタは手で目を覆う。


 ……光が収まった頃には壇から“男”の姿は消え失せていて、その奔流に飲み込まれたはずのエルフには、


 ……なんの変化も起きては、いなかった。


「・・・・・・? ・・・・・・ふっ、ふははははっ!! 驚かせおって、なんだ、 悪魔といえどこの程度か! いや、それも詮無きこと、すべてを凌駕し超越したわたしに、汚らわしい混血の魔法が通じるわけがないのだッ!」

エルフは再び笑い、嗤い―――血走った目をティファニアに向け、その眼光で圧する。

「それより貴様だ混血、……わたしに三度……杖を向けたのだ……、……許されると…・・・・・・許され・・・・・・…ぬ? ―――、何をだ? わたしは何を許さない? 一体何に憤っている?」

しかしその時、エルフから何かが抜け落ちた。戸惑いに染まり細まる瞳、疑問に沈む眉。しかしそれらは次の瞬間には再び驚愕に見開かれ、憤怒に跳ね上がる。

「……なんだ、なんだ……これはッ!? わたしが……、なくなる? ……わたしでッ、なくなるッ!! ―――ああそうか、今は式典の最中であったな。 早く終わらせて水軍基地を再建せねば―――ッ、違うッ!!、我が党は……終わった、部下は去った!! わたしにはもう……何も無い!!! だから壊す、だから殺すッ!! 目に映るもの、すべ、……てッ―――はっ、我ながら下らぬな。いい加減に自分を受け入れたらどうだ。秀でた政敵やこの国を統べる長に、認められたかっただけだと。自分の下に付く者たちや民衆に、自らの力を誇示したかっただけだと―――、黙れ、……黙れ黙れ黙れ、……黙れぇッ!」

 赤くなり、青くなり、激昂したかと思えば冷静になる。風見鶏のようにくるくると廻るエルフの様子に、気を取り戻したらしきファーティマがティファニアへと問いかける。

「・・・・・・どういうことだ? かつての我が上官に一体何をしたのだ、従姉妹よ?」

『・・・・・・なに、負の感情を「忘れさせた」だけだ。だが今の彼はそれが極端だからな。このままでは自我が崩壊しかねないと、忘却を自らの本心という具体的な忌避に置き換え拒絶しているのだろう。・・・・・・むかし砂漠ブタ相手に本能と理性の検証を行ったのを覚えているか? あれと同じで、いま彼の中でも二つの意思がせめぎあっている』 

「・・・・・・、その声、その話しかた・・・・・・、まさ、か・・・・・・?」

『話は後だ、今ならお前の言葉も彼に届くかもしれない。・・・・・・ほら、行くといい』

「・・・・・・ッ、はいッ!!」

 元気よく返事をしたファーティマは、エルフの元に駆け寄る。

「違う、違うッ、違ぁうッ! なんだこれはッ、なんだッ、これはぁああああっ!!?」

 怒鳴り、叫ぶエルフは着々と死を迎えていた。アンリエッタが知ることではないが、意識の混濁により精霊の行使が弱まり、身体の崩壊に再生が追いついていないのだった。

「エスマーイル殿、もうこんなことはやめてください! 今ならまだ間に合います! どうか、どうか考え直されて・・・・・・!!」

「・・・・・・ほざけ、薄汚い裏切り者がッ! この憤怒こそがわたしだ、・・・・・・この憎悪こそが、・・・・・・わたしだッ!!! それを忘れろと、失え、と・・・・・・、ッ!?」

 そこまで言って、エルフも自らの身体の様子に気付いたようだった。しかし時はもう遅く、先ほど岩の中で接いだはずの四肢が零れ、剥がれ、砕け、崩れていく。

「なぜそう抗うのです! このままでは貴方は、・・・・・・貴方はッ!」

「だからどうしたッ! この思いが潰えるならば、この決意が揺らぐというのならば・・・・・・この命などいらぬッ!」

 ファーティマの制止の言葉を無視し、仰向けに倒れこんだエルフは絶叫した。

 途端、首と胴しか残っていない身体から火が上がる。・・・・・・朽ちていく過程で自然発火したのではない。エルフが自ら、自分の身体に火をつけたのだ。

「ハハッ、どうだ混血! 貴様の力ごときにわたしは屈しはしない! たとえ何があろうとも、わたしは、――――わたしだッ! 他の誰が何と言おうとッ、たとえわたし自身がわたしを拒もうとッ! ――――わたしの人生に、後悔の二文字は無いッ! あるはずが、――――ッ、ないのだッ! ハハッ、、ハハハハァッ!!!」

「エスマーイル殿、エスマーイル殿ッ!!!」

高らかと宣言し エルフは笑いながら紅蓮に包まれる。轟々と燃え盛る炎に勇敢にもファーティマは手を差し伸べようとするが、指先を火が舐めようとする所で、その腕はティファニアによって掴まれ、止められる。

 ・・・・・・首を横に振りながらファーティマを諭すハーフエルフの自分の従姉妹は、どこか雰囲気が違う。・・・・・・あれはティファニアじゃない。彼女ではない誰かが、彼女の身体を借りて話している。先ほどエルフに思考を流し込まれたからか、アンリエッタにはそれが直感的に理解できた。

「ハハッ、ヒ、アハハは、は、ッ―――? 熱い、痛、い? やめろ、待、て。―――ヒッ、アハハハは、アヒヒふはッ―――苦しい。消える、終わ、る? わたしが、わたし、が? ―――あはハハ、゛アーーーーーーーハハハハははッ―――おい、だれか、だれかわたしを助けろ――――」

 笑い声は徐々に低く小さくなり、叫びや震えが入り混じっていく。もはや愉悦による歓喜か、それとも嘆きによる慟哭かわかりはしない。笑っている彼自身が分からないのだとすれば、誰にも分かりはしない。

「ヒヒひひッ、フはひッ、アははハはハはッ――――ふざけるな、ふざけるなッ!! わたしはこんなところで、終わるわけに、は・・・・・・」

・・・・・・切れ切れになった言葉が、途絶える。


永遠に続くかと思われた地獄は、あっけなく終わりを迎えた。 


 ―――あのエルフと何か関係があったのだろうか。燃える骸を見つめ、悲しみに頬を染めるファーティマは、“ティファニア”に頭を撫でられその瞳を潤ませる―――


 ―――水精霊騎士たちが、傷ついた観客の手当てに走り回っている。気づけばエルフに弾き飛ばされたアニエスが、隊長代理のレイナールに肩を貸され壇上に戻ってきていた―――

 

 めまぐるしく動く人と状況。しかし、アンリエッタだけは一人取り残されていた。腹心の銃士隊隊長に怪我の有無を問われても、生返事しか返すことが出来ない。

 ・・・・・・観衆たちの反応は、さまざまだった。危機が去ったことを純粋に喜ぶ者、突如として終わった狂宴に戸惑う者、そして混沌とした現状に何をすればいいか分からず、ただ唖然として呆けている者。

 しかしそんな彼らを見ていても、アンリエッタは何も思えない。聖地回復連合軍代表で、トリステインの王であるというのに、この光景に何の感慨も抱くことが出来ない。

 ティファニアの胸の中、ファーティマがボロボロと大粒の涙を零し泣き出しても、先ほどまで言葉を交わしていたエルフの長と人対策委員長が壇に伏せっているのを見ても、・・・・・・燃え続けるエルフの亡骸を見ても同じ。

 ・・・・・・あのエルフにも、覚悟があったのだろう。ファーティマにも理由が、ティファニアにも想いが、老いたエルフと若きエルフにも願いがあったはずだ。

しかしそれを冠を被った少女は汲むことも、察することもできないでいた。 

 いまアンリエッタの心を占めるのはただ一つ。・・・・・・突如として消えた“あの男”の居場所を、どうやって突き止めるかだけ。目に映るすべてが目の前で起こった出来事としてではなく、「起きてしまった過去のもの」として淡々と頭の中に流れていく・・・・・・


―――ファーティマと何度か言葉を交わし、“ティファニア”はティファニアに戻る。・・・・・・直後、信じられないことが起きた。

 狂ったエルフの暴虐を止めようと戦いを挑み、敗北した戦士たち。血まみれになり壇の下に転がっていた彼らの中から、突如として動き始める者がいた。どう見ても助かりそうにない深い傷が、みるみるうちに塞がっていく。

いまではただの黒い線になった炎の壁間際でも、喜びの声が上がる。次々と息を吹き返していく、死に瀕していた者たち。・・・・・・しかし、事切れた者たちはもう戻っては来ない。ヴァルハラに行ってしまった者たちには、何を望んでも叶わない。どれだけ願い焦がれても、たった一つの言葉を聞くことすら―――


・・・・・・・しかし。悪夢から目覚めたからといって、起きる出来事が幸福なことばかりとは限らない。

 「・・・・・・・ハァ、ハァッ・・・・・・、見つけたぞ! 貴様だ貴様ッ、さっきはよくも我が友の腕を折ったなッ!」

 「ふざけるな、先に仕掛けてきたのはそっちだろうが! だいたいあれは事故だ、誰かに後ろから突き飛ばされたんだよ!」

「問答無用、人・・・・・・蛮人ごときが口答えするな!」

「何だとてめえ、この長耳野郎が!」

一組の男と息せき切ったエルフが口論を始め、掴みあいになる。静寂の中にその怒鳴り声は良く響き、観客は人とエルフで争ってしまった悲しみを思い出す。・・・・・・そして、それはそのまま傷付けられたことに対する怒りや憎しみへと変わっていく。

「・・・・・・ああ、見つけたぞ、きみだよきみ。そういえば先ほど、手厚い礼を受けたなぁ・・・・・・」「ねえあなたよあなた! 一体何の恨みがあってわたしを・・・・・・」

がやがや、ざわざわと喧騒が広がるにつれ、ねっとりとした負の感情が辺りに漂い始める。空っぽなアンリエッタの心に、諦めが満ちていく。・・・・・・こうなってはもう終わりだ、エルフと人間が手を取り合うなど、所詮は夢物語に過ぎなかった・・・・・・

しかしそんな中、すぅっ、と大きく息を吸い込み、声を上げる者がいた。

ティファニア・ウエストウッド。他ならない、自分の従姉妹だった。

「わたしは! 目の前でメイジに母を殺されました!」

張り上げた声に対し、あまりにも重々しい告白。静まり返った一瞬の隙を見逃さず、アニエスが司会として場を仕切りなおすべく言葉を続ける。

「親善大使ティファニア・ウエストウッド! 貴殿はアルビオン王ジェームズ一世の弟、財務監督官モード大公と件のシャジャル殿の血を引き、この世に生を授かった! ・・・・・・しかし始祖降臨祭の初日、貴殿とその母、シャジャル殿の存在が発覚した!」

 圧倒的な声量に押し黙る観客。手負いの腹心は頬をわずかに苦痛に歪めながらも声を荒げ叫び、忘れ去られていた式典の厳かな雰囲気を取り戻していく。

「王はモード大公を投獄し、シャジャル殿は殺された! 貴殿は“虚無”の力で兵士たちの気を逸らし、生き長らえた! ・・・・・・ここまで、で、異存は・・・・・・ないな? ティファニア殿?」

 「・・・・・・はい。争いを望まないと訴える母に、王軍は聞く耳を持たず杖を向けました。

 “黙れ、我々を見下すエルフが、そんなことを口にするはずがない!”

 “誰が信じるものか、いずれはこの国を乗っ取るつもりなのだろう!”

 兵士たちは口々にそう叫び、・・・・・・母の悲鳴が止んだあとでも、魔法を飛ばし続けました。わたしが羽織るこのローブは、母の形見です・・・・・・ッ!」

しかしその紡ぐ言葉は、観客が投げた石によって驚きに止まる。

「うるさい黙れ! 混血風情が分かった口を利くな!」

 「そうだそうだ! それに逃げ出しておいてよくそんなことが言えるな! お前の身体に我らと同じ血が半分も流れていると考えると恥ずかしくてたまらぬわっ!」

「大体無理な話だったんだ! 六千年の確執を、憎み憎まれた負の連鎖をこんな式典一つで断ち切れる訳が無かったんだ!」

「・・・・・・そんなことないわ! 確かにわたしはハーフエルフで、あの時逃げた恥知らずよ! ・・・・・・でもわたしは父と母の下に生まれたことを誇りに思っているし、逃げたあの時、わたしは大切なことを教えてもらった!

 だから言うわ! 誰かに傷つけられたのなら、その分誰かに優しくしてあげて! それがもしも自分じゃなくて、大事な誰かだったとしたらなおさらっ!」

「・・・・・・ふざけるなッ! 綺麗事を並べて、娘の傷が癒えるのか!? だったら傷つけられたあの子の痛みを、大事な者を傷つけられたわたしの悲しみをあいつにもッ・・・・・・!」

「違うわ、誰かを傷つけたのならば、あなたはまた大事な人を傷つけられる! 杖を向けてしまったら、杖を向けられてしまうの! 傷つけられた者の立場になって! 自分のために復讐に捉えられて、大事な人が自らの時間を、命を削って誰かを傷つける空しさを考えてっ!」 

「・・・・・・耐えろというのか? 堪えろというのか? この怒りを、この憎しみを?」

「・・・・・・ええ。傷つけられたあなたの大事な人は、きっとあなたが誰かを傷つけることを望まないから。 できなければせめて、・・・・・・忘れてあげて。どうしても忘れられない、許せない、・・・・・・そんな自分を、許してあげて!」

「・・・・・・そんなことができると、本当に思っているのか? この煮えたぎる殺意を封じ込め、愛する者のことを忘れて、・・・・・・心の底から笑える日が来るとでも?」 

「ああ、来る。・・・・・・すくなくともわたしの所には、やってきてくれた」

目じりの端に浮かぶ涙を拭い、ティファニアの隣に立つファーティマ。会話の端々にティファニアに向け投げられる石をその手で一つ残らずはたき落とし、その眼光による威圧で観客の投石をやめさせる。

 ・・・・・・しかし一つ、その中にひとつだけ。今のアンリエッタの心の色とは対称な、真っ白い「それ」は壇上の従姉妹ではなく、自分の元へ飛んできた。

「わたしはこの従姉妹を・・・・・・、ティファニア・ウエストウッドを許し、救われた! 許していなければ負の連鎖に絡め取られ、・・・・・・そこにいる彼のようになっていた!」

 そのとき、まるで呼応するかのようにエルフの骸が爆ぜた。先ほどまでの凄まじい悪意を思い出し怯む観衆に、二人は一気に畳み掛ける。

「わたしは許すわ! 母を殺した王軍を、わたしを虐げた人たちを! わたしには守りたい大事な人がいるから! もうこれ以上誰にも、傷つけられたくはないからっ!」

「わたしも許す! 義父を見殺しにした者たちを、義父が死ぬ要因となったシャジャルの血族を! ・・・・・・そして、義父を救えなかった自分自身を! だからわたしはいまここに立っている! ・・・・・・だからわたしは、わたしは救われたっ!」  感動的であろう演説は、しかし次第にアンリエッタの耳の中から消えていく。伝わる声が、すべての音が、鳴り響く自らの心臓の音に上書きされていく。

・・・・・・・震える手でアンリエッタは目の前に転がった「それ」―――純白の仮面―――を拾い上げ、くるりと回す。そこには刻まれた一つの言葉があった。

“式典の後、アディール西の森で待つ”


・・・・・・その瞬間、アンリエッタの時は止まった。


「―――! ――――――!  ―――、――――――ッ! 」

 想いを込めて吼えるファーティマ。・・・・・・・次第に、観衆の中から頭を下げる者が現れてきた。

「・・・・・・・! ・・・・・・・・・・・! ・・・・・・、・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ!!」

 願いを込めて謳うティファニア。・・・・・・獣の唸りのように低く、荒々しい喧騒が、さえずる小鳥のように優しく、柔らかくなっていく。


「「・・・・・・、―――っ!!  ――――、・・・・・・、・・・・・・・、――――ッ!」」


 まばらに聞こえる破裂音。アンリエッタがそれが拍手だと気付いた頃には、式典は終わりを迎えていた。

・・・・・・・パチパチパチ・・・・・・・・・パチパチパチパチ・・・・・・・・・・

生きている今を実感し、喜び合う人々。兵士の飛ばす指笛を見て、教えてくれと請うエルフ。

 笑い合い、愛し合い、信じ合う。人もエルフも・・・・・・ハーフエルフも関係ない。壇上の友人たちも同じように、どこからともなく浮かぶ笑みに頬を任せる。ほっとした様子で話し合い、強張らせていた肩を安堵に降ろす。


・・・・・・・・・そんな中、アンリエッタだけが一人だった。


“・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、憎、い・・・・・・”

 エルフの死と共に、消え去ったはずの心の闇が蠢く。それがエルフに植え付けられたのが蘇ったものなのか、それとも自らの内から生じた物であるかがアンリエッタには分からない。


“憎い、憎い、・・・・・・憎、い・・・・・・”


ただ一つの憎悪を胸に、アンリエッタはゆらりと立ち上がり、・・・・・・玉座を、後にした。

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