凶弾の行方

 

「久しいですな閣下。元気にしておられましたか?」

  ―――――――陽気な声と共に、突如として壇の中央に現れた“元”水軍指令・・・・・・エスマーイルに、周囲の反応は一瞬遅れた。

 知らないままによからぬ不安を覚えていたトリステインの女王も、数々の戦場を潜り抜けてきたであろうその銃士隊の隊長も。・・・・・・事前に話を聞いていたはずのネフテスの統領ですら、投げかけられた言葉に答えられず硬直していた。その彼が顔に貼り付けた笑み。その裏で蠢く得体のしれない何かに呑まれたからだった。

 「ふむ・・・・・・、やはり勝手が過ぎましたかな。自ら地位を捨て去ったわたしが、こうしてこのエルフ一族の未来を決める重要で神聖な式典に横入りしているという事実は、あまりにも無礼極まりなく、許すに耐えぬことなのでありますから。まあ、もしもわたしが判決を下すのでしたら間違いなく死刑でしょうな、ハハハッ」

 後方の爆発に気を取られていた観衆も壇上の異変に気づいたのか、喧噪は膨らんでいく。いずれ耐えきれずに弾け飛び、混乱を撒き散らすのは誰の目に見ても明らかだ。

 しかし、ビターシャルの脳裏にその場を収めるという選択肢は浮かんでこなかった。

 「ところで蛮人対策委員長殿、わたしの居ぬ間はさぞ大変だったであろう? 過労で寝込んではしないかと心配していたのだが、これだけの兵をこんな式典に参加させているのだ、どうやら杞憂だったようだな。・・・・・・それにしてもやはり貴様は優秀だな、此度の蛮人との戦いは、彼らなりに思うところがあっただろうに。どうやって統率したかご教授願いたいものだよ」

 その原因は楽しげに語る、眼前のエルフ。かつて同僚だった彼のあまりな変貌ぶりを見たビターシャルは、驚きと戸惑いに思考を埋め尽くされてしまっていた。

 (・・・・・・どういうことだ、本当に“彼”はわたしの知る水軍指令なのか?)

 彼は笑わない。笑顔は媚びへつらう者に焼き付けられた烙印、彼自身がそう言っていた。

 彼は他に心を配らない。結果や成果を最優先する彼にとって、誰かを思いやる気持ちなど仕事の妨げ以外のなんでもない。もしそれで部下や同僚が壊れても「自身を管理することすらままならないのか。怠慢だな」と言うような男なのだから。

 彼は己を卑下しない。他を凌ぐ才覚を持ち合わせていながら、さらに向上するための研鑽を惜しまないエルフだ。当然その覚悟と誇りは並を外れており、他を見下すことはあっても己を貶めることは絶対にないのだ。

 どれもこれも評議会で自分に突っかかる彼をあしらいつつ、そのたびに覚え、知っていったことだ。

 “鉄血団結党”とその首たる彼は好ましくないと思っているが、エスマーイル自身については、さしてビターシャルは嫌いとは思っていない。彼の考え方はそこらのエルフより偏ってはいるが、しかしそれがあまりに顕著であるがゆえに、その極端な汚点と美点までもが浮き彫りになっているだけなのだ。

(あれだけ頑なに自らの有り様を固持していたのに、彼に何があったのだ?)

 自分が使者としてアディールを発った直後に彼とテュリューク統領が揉め、逆上した彼がその地位を返上したとは聞いている。そして、その後の“計画”とやらの話も。

 彼が言うように実際に前に出て命のやりとりをした兵士たちだけではなく、その攻防に策略を張り巡らせた伝達、指揮系統だって思うところがあるのだろう。ましてやそのすべてを率い、統べていた彼ならばその疲労と苦労は計り知れない。

 ……彼にも思うところがあるのだろう。考えるところが、あったのだろう。

(しかしどういう事情があろうとも、この式典を邪魔する理由には成り得ない・・・・・・!)

 「そこまでだ、エスマーイル殿!」

 ビターシャルは制止の声と共に、腰に差した銃を引き抜く。風石の力で弾を撃ち出すそれはファーティマから借り受けた物で、威力には欠けるが小型で精度が高いため護衛に適していた。

 ビターシャルもまさか使うことになるとは思わなかったし、そしてなにより、これはエルフ水軍・・・・・・更に言えばエスマーイル個人が開発したものだ。水気の多い戦場で潮風などに晒されても気にせず戦えるように、と開発を命じたというが、その銃をこうやって向けるという皮肉じみた行為が忍びなかった。

 「貴殿の計画は、すべてこちらに伝わっている! 抵抗は無駄だ、速やかに退くことを命じる!」

 言いながら、拒むようならばやむをえまい、とビターシャルは引き金に手をかける。テュリューク統領は彼を買っており、できれば再び共に国を動かしたいと考えていた。

 自分だってこうして同僚に銃を向けているのは、正直良いとは思っていない。

 ・・・・・・実際にはビターシャルの合図と共に、壇下に潜む手練れたちが一斉に彼に飛びかかるので、この銃は目に見える牽制以上の意味を成さない。しかしだといっても、統領に持たせるなどあってはならないし、国賓である女王やその銃士隊の隊長などは当然論外である。よって自分が彼を制し、押さえ込む役目を担うしかなかったのだ。 

彼が抵抗せず、おとなしく従ってくれることをビターシャルは心の内でそう願いつつ、壇上に立つ彼を威圧するような視線で射抜かざるを得ない。

 しかし当のエスマーイルは臆した風もなく、時間が惜しい、と言わんばかりの本来の早口調から、打って変わった間延びした声で応じる。

「速やかに、・・・・・・なんだね? わたしの聞き間違いでなければ、貴様はわたしに命令したのか? ・・・・・・クッ、クハハハ、冗談は大概にしたまえよ蛮人対策委員長殿? しかし、このような厳粛な式典で乱入者であるわたしですら笑わせてくれるとは、予想だにしなかったよ」

 ・・・・・・そこで、語りかけてくるその一言一言に、得体の知れない黒く、深い何かが練り混ざっていることにビターシャルは気づいた。 

(・・・・・・なんだ、これは・・・・・・?)

 憤怒ではなく、憎悪でもない。悲しみとはかけ離れていて、絶望とは違った。


 少しでも触れれば、即座に切り刻まれる。そんな刃物のように鋭い敵意があった。

 見る者の瞳に燃え移り心すら焦がす、そんな火石のように燃え盛る殺意があった。

 浴びれば肌を刺し吸えば喉を削る、そんな紫煙のように毒々しい害意があった。 

 身体だけではなく、魂まで吸い込まれそうになるどこまでも純粋なその悪意たち。即座に危険と断じたビターシャルは即座に合図を送り、壇下の者たちをけしかけた。

 ・・・・・・しかし反応は、返ってこなかった。何度ビターシャルが合図を送ろうとも、その結果は同じ。不安と焦燥の影が、あまり感情的にならない彼の心に落ち、募っていく。

(どういうことだ? どうして誰も動かない!?)

 「ククククッ・・・・・・、どうしたというのだビターシャル? 先ほどからずいぶんとしきりに手を動かして。観衆の中にいる友人か、・・・・・・それとも貴様がよく言っていた手のかかる姪にでも、手を振っているのか? だとしたらあまりいただけぬ振る舞いだな、ここは神聖なる式典の場だというのに」

 これだけ警告していても、相も変わらず彼は楽しそうに笑う。その様子はビターシャルの頭の中で警鐘を鳴り響かせ、猛烈な怖気を背中に這わせる。同じ評議会の議員として払わねばならない敬意がいま霧と散っていき、心の中から消えていくのを感じた。

「……これ以上の発言は許可しない。最後だ、三つ数える。すぐに指示に従うのだ」

 最後の通牒は、告げる蛮人対策委員長の耳の中にも他人ごとであるかのように吸い込まれていき、これが本当に自らの喉から出てきたものなのか、とビターシャルを驚かせる。それほどまでにその声は低く、そして微かに、震えていた。

 ……認めざるを得なかった。自分はいま、目の前のこのエルフに怯えていることを。

「ああ、これは忠告というより警告だが、わたしにその銃は向けぬ方が・・・・・・」

「黙れと言っているッ!!」

 これ以上は無駄と判じ、ビターシャルは構えていた銃を立て続けに放つ。

 パンパンパァン、と乾いた音が弾け射出される銃弾、その数、3。

 しかし迫り来るその凶弾をエスマーイルは避けようとも防ごうともせず、人差し指を立ててそれに応じた。

(ああ、やはり今の彼はまともではないのか・・・・・・)

いくら利便性を求め火薬に頼らず、殺傷力を落としたといえども銃は銃。3発も撃てば致命傷足り得るのは明らかだというのに、その制作を命じた当の彼がそれを理解していない訳がない。

もう手遅れだ。彼はもう、止まらない。元の彼には、戻れない。

しかし、だからこそビターシャルは容赦という言葉を切り捨てる。かつてガリアに単身で赴き、狂王に使えたことがある彼だからこそ、この世で最も恐ろしく、御し難いものが何かをよくわかっていたのだ。

 放たれた弾は寸分の狂いもなく、彼の胸に、腹に、肩に吸い込まれていき……そして、信じられない事が起きた。


  先程伸ばした指。その先を中心として、つむじ風に巻き込まれた木の葉のように弾丸が吸い込まれていった。


 「……な、ッ!!?」

 驚愕に声をあげるビターシャルの目の前で、2発目、3発目までもが同様に減速し、ゆっくりとした円を描いてその指先に収まる。しかしその勢いは保たれており、それどころか唸りを上げて回り続ける弾丸は、周囲の風によって明らかに速度を増している。

 (使えるといっても、未だ“風”は圧縮する程度が精一杯。・・・・・・だというのにどうしてこれほどの行使を行える!?)

 回転させつつ受け止め、さらに加速させた上でそれを保ち続けているのだ、どう考えても制御の精度がおかしい。ここまで自在に精霊を行使することは、大災厄の前のアディールでだってそう容易には行えなかったというのに。

(そのうえ、詠唱を行った様子もないとは……、!! まさか、閣下と同じ詠唱破棄を習得したとでもいうのか!?)

 恐怖が驚きと成り代わろうとしたそのとき、しかしビターシャルは気付いた。……彼がもう片方の手のひらで、なにかを弄んでいることに。

 無色透明なその結晶を見て、風石だとビターシャルは思った。それならば浮かんだ二つの疑問にも説明が付けられる。単純な話だ、風石を解放して生み出した風を使えばいい。そうすればその行使は強力なものになるし、詠唱もまるで破棄したかのごとく短縮できる。

(……となれば、あの手の内の結晶は……)

 注意深く、しかし気取られはしないようビターシャルは複数回に分けて手中を凝視する。すると、思っていた通りにその大きさはだんだんと小さくなっていった。推測が確信へと変わり、ビターシャルの心に余裕が生まれる。これしきのことに使えるほどに風石は安価ではないのだが、わかってしまえば大したことではない。

「……だからわたしには効かぬ、と言ったのに。さあ、どうする? 蛮人対策委員長として恥を忍んで汚らわしい蛮人どもの王に使え、今回の戦でその経験を活かし立ち回った優秀な貴様は、一体どうやってわたしをこの場から排するというのだね?」 

 興味深そうに問う彼の言葉を無視して、ビターシャルは銃弾を放ち続ける。目の前の元水軍司令の行使のタネに気づいたことを悟られぬよう、変わらず防ぎ続けることに焦りを浮かべる風を装う。

 今の自分の仕事は、時間を稼ぐこと。

 なぜなら、彼の背後に座するネフテス統領が自ら身振り手振りで命じ、静かに壇上に衛兵を集わせているのをビターシャルは確認したからだ。

 もちろん自分と統領の保身の為ではなく、同盟相手の聖地回復連合軍の代表者、アンリエッタ・ド・トリステインとその腹心の銃士隊隊長を守らせるために。

 そう。元水軍上官のファーティマ・ハッダードの話によると、エスマーイルの目的は彼女の抹殺であったはずだ。

 トリステインの王といえども、所詮彼女自身はただのメイジである。大いなる意思の行使がままならない現在のアディールでも、銃一つあれば殺めることなど容易い。

 ……しかしこうして衛兵を引っ張って来たいま、もうそうはいかない。壇下に忍ばせていた手練れたちには及ばないが、彼らもまた誇り高きエルフの戦士たちだ。

 いくら彼が精霊石を使い行使権の底上げをしていようと、多勢には勝てはしない……

  ……カチッ、ガチン。そこまで考えたところで引き金の手応えが、変わった。弾はまだ懐に残してはいるが、これ以上の発砲は無駄だと弾を込める手を止める。

 「どうした、弾がきれたのか? ならば今度はこちらの番、ということでよろしいかな?」

 (・・・・・・くれてやった弾の数は6、か。ならばこれで十分だろう……)

 軽快な問いを沈黙でいなし、視線を悟られぬよう気を配りつつ。ビターシャルは銃撃しながら作っていた風の防壁を起動させようとして、……しかし、その行動を空振りに終えた。

「いや、待て……、貴様にこれをくれてやるのも良いが、それではあまりにつまらぬな……」

そう言うとエスマーイルは振り向き、背後の王女とそれを囲む衛兵たちを見まわしたのだ。

「……!? あ、あぁッ……!!」

目が合ったのはほんの一瞬。しかしそれだけで聖地回復連合軍を率いた彼女は肩を狭め視線を落とし、その両の腕で自らを強く抱きしめた。伏せたその顔からはその表情をうかがうことはできなかったが、その震える足元は彼女の心情を愚直に語る。

「陛下、陛下、お気を確かに……!!」

(知らせずにいてすまない。未然に防げるよう何重にも策は講じ、施してはいたのだが……)

 主の異変に駆け寄る銃士隊の隊長の声に ビターシャルは心の中で謝罪する。しかし、女王の様子はどこかひっかかるものがあった。

(……それにしても、反応が過剰過ぎはしないだろうか??)

 ビターシャルはふと考える、あまりに怯えすぎていると。

 鉄血団結党元党首の企てを何も知らないはずの彼女たちにとって、突如現れた彼は未知の存在である。多少の戸惑いや疑惑は生じただろうが、ここまで慄く必要はないはずだ。たとえ、この禍々しい邪気を差し引いたとしても、だ。

「逃げて、逃げてッ!! できるだけ早く、そして遠くに!!」

悲鳴のような叫び声をあげ、退避を呼びかける女王。ビターシャルは落ち着くようにと声をかけようとするが、唐突に拍手を始めた元同僚に気を取られてしまう。

「……1、2、3……おお、ちょうど6、いるではないか! 貴様はこれを見越していたのだなビターシャル! なに結構結構、もはや気になど障らぬよ! では早速お披露目と行こうか!!」

 指を鳴らすと共に、放たれる六つの悪意。しかしどれだけ風を巻き付けて速度を増そうとも、所詮はただの弾丸。衛士たちも各々で風を使って壁を作っている、防ぎきれない訳がない。

 あとは取り押さえるだけ、ビターシャルはそう思っていた。楽観しているのでもなければ予想ですらもない、純然たる確定事項。たとえ執務室でテュリュークに見せられた黒光りするあの高性能の銃であろうと、その発砲に前もって備えられるとなれば大いなる意思の力の敵ではない。



 ……しかし、そんな常識ですらも、次の瞬間、銃弾を受けて転がった衛士たちの姿にあっけなく叩き潰された。


 「いやはや驚いた、余興のつもりであったのに、まさか誰も避けようとせぬとは! 危機に対してこんなにも愚鈍な者どもを、わたしは率いていたというのか!? まさかそんな訳はなかろう! ……おい衛兵たちよ、いつまで寝ているのだ!いかに今日がめでたき日といっても、巫山戯るにも程があるだろうが!?」

 

 護衛としてつけられた衛兵、それぞれの額を1発ずつ貫いて絶命させておきながら、しかしエスマーイルはおどけた口調で語り、かと思うと、血だまりに沈む彼らに怒鳴り散らす。彼らが自分の言葉に答えることなどあるわけがないと知りながら、楽しげに、嬉しげに、元水軍司令は口端を歪ませる。

「……クッ、クハハハハ、ハッハハハハァ!!!」

 その様子を見ながら、しかしビターシャルは固まったまま動けない。

 どういうことだ? 一体何が起こっている???

 目の前で再度捻じ曲げられた「当然」に戸惑いつつも、ビターシャルは震える手を必死に操り弾を込める。とにかく、あの男は危険だ。

 ……幸い、まだ機会はあった。彼は何をするわけでもなく、先ほどの女王の言葉に戸惑う観衆たちを見て滑稽だと笑い飛ばしていた。

 その姿はまるで隙だらけ。いま引き金を引けば、……

ビターシャルは自らの想像を現実と化すべく、かけていた指を引いて、


……そして直後に飛び散った、銃そのものの破片に全身を貫かれた。

「……かッ、ぐはッ・・・・・・!?」

 膝から崩れ落ち、ビターシャルは壇上にうずくまった。そのかつての同僚の情けない姿をまじまじと見ようとエスマーイルは歩み寄り、長い髪を引き掴んで無理矢理顔をあげさせる。

 「ぐッ……、まさか、こんな時に暴発するとは……」

「いいや、違う。言ったであろう? その銃はわたしに向けぬ方が良いと。君がわたしの話に耳を傾けていれば、こうして傷ついてしまうこともなかっただろうに。残念だ、ああ残念だが、しかしこうなってしまった以上仕方が無いことと割り切ろう」

 抑揚を交えてつらつらと紡がれる彼の言葉を、しかしビターシャルは解することができない。

身体に喰い込んだ銃の破片がそれだけに留まらず、あろうことか熱を帯び始めたのだ。

何だ? 一体なんだというのだ、これは!?

「が、っぐ、かはッ……!!」

じわりじわりと破片は温まり続け、何の比喩でもなく血を沸かし、身が焼き焦がされていく。痛いどころの話ではなく、少しでも気を緩めれば死ぬ。そう思わされるだけの極限状態に、一瞬にしてビターシャルは追い込まれていた。

「はッ、は、ァッ……」

「おおどうした、苦しいのか? そうかそうか、いま楽にしてやる」

肩を震わせ、必死に息を吸おうとするビターシャルに、エスマーイルは嗜虐的な笑みを浮かべ、振り上げた足を叩き込む。

「がぁッ!?」

「んん、感謝の言葉が聞こえぬぞ? きちんと言いたまえよ?」

途方もない激痛に丸まったかつての政敵に、エスマーイルは問いかけながら追い撃ちをかける。

「ぐッ……、か、はぁッ…………」

「ほら、どうした!? さあさあ早く言いたまえ、エスマーイルさまお情けをかけて下さりありがとうございます、となぁッ!」

ビターシャルは沈黙を貫く。答えないのではない、二度目の蹴りで気を失い答えられないのだ。しかしエスマーイルはそんな抵抗しない彼にさえ面白さを見出したのか、高らかに笑いながら、再び片足を振り上げ、その懐に叩き込もうと……


「……やめぬかぁッ!」


……その瞬間、すべてが止まった。混沌とした観衆も、身を震わせる女王も、成り行きを見守るしかなかった銃士隊隊長も、笑い狂う乱入者も静まったその中で、声を上げた当のネフテス統領はゆらりと立ち上がる。

「……エスマーイルくん。これは一体、どういうつもりだね? 」

「はははッ、どういうつもりも何も……、こういうつもりですよ!」

エスマーイルは叫び、詠唱を始めた。唱えるは風、エア・カッター。エルフの国ネフテスを率いる統領の力は未知数。だからこそ、手加減はしない。

エスマーイルの前方に風が集い、刃を形成していく。みるみるうちに十メイルほどの大きさになるが、まだ放ちはしない。

もっと鋭く、もっと速く。詠唱を解放した瞬間届き、いかなる物をも薙ぐ、そんな回避も防御も不可避の一撃が完成した。

……しかし、その風の刃は放たれることはなかった。

 タァン、と軽快な音とともに、懐を朱に染めエスマーイルは倒れた。

 いつの間に壇上に上がったのだろうか。発砲した彼女は、漆黒の銃口からうっすらと上がる煙を眺めている。

 テュリュークは身構えたまま彼女、ファーティマ・ハッダードを、唖然として見つめることしか出来なかった……

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