妖精と盗人


・・・・・・走る、走る、走る。

 遠くへ、更に遠くへ。ティファニアはただただ駆け、ただただ離れる。何かから、誰かから。漏れ出すその呼吸は荒く、足を伸ばすたびに銃創が疼き、荒い呼吸を繰り返すたびに身体はくぐもった悲鳴を上げる。

 しかし、そんな激痛ですらも物の数にも入らなかった。本当に辛いのは、苦しいのは、二人の従姉妹の信頼を裏切ってしまった、という後悔だった。

 復讐を誓い心を憎しみの海に沈めたエルフの少女は、その闇を打ち払い、人間とエルフの未来を一緒に切り開こうと言ってくれた。 

物心ついた時には冠と共にあった少女は、休むことなくその立場を全うし、振り注ぐ責務をこなし、・・・・・・あまつさえただ泣き暮らす自分がこれ以上苦しまないようにと、その過密な時間のわずかな間すらも使い、“制約”を習得し、自分にかけてくれた。

 (二人ともわたしを信じてくれたのに、任せてくれた、のに・・・・・・)

 ごめんなさい、と。・・・・・・そう言葉に出そうとした自分を、ティファニアは更に責め立てた。無意識の内に取り繕っていた自分が、許せなかった。楽になろうとした自分が、赦せなかった。

 本当にそう思っているのならば、この足が前に進む筈がないのに。

 そうでなくともすぐに止まり、あの壇上へと引き返す筈なのに。

 ・・・・・・分かって、いた。こうして背を向ける意味を自分は分かっていて、それでも堪えきれずに逃げ出したのだ。

(・・・・・・脆くて弱い、人でもエルフでもないただの出来損ない・・・・・・)

 悔しくて、悲しくて、もう何度目になるか分からない涙をティファニアは流す。この二週間でそれが何の意味も為さないことを嫌というほど思い知ったというのに、自分はまた同じことを繰り返している。

 贖わなくてはいけないのに。償わなくては、ならないのに。

 (なのに、なのに、わたしはッ・・・・・・!!)

 溢れ出す謝罪を胸の内に抑えつけながら、しかしその身体は入り組む路地へと向かっていく。

 ・・・・・・自分が背を向けたものは、それだけに留まらない。才人にだってそうだ。結局自分は探さずに閉じこもった。現実から逃げて、成り行きに任せた・・・・・・。

 才人の守ったものを守りたい、と思って出た式典だって壊してしまって。そのうえ未だに、こうして逃げ続けている・・・・・・。

 彼の思いを、自分は踏みにじっている。踏み出すこの一歩、一歩が、彼に汚泥を擦りつけている。ないがしろにし、壊し、陥れている。それが分かっているのに、分かっていても、自分にはそれを止められない。止めることが、できない。

 (・・・・・・強く、ない。 わたしそんなに強くないよ、サイトッ・・・・・・!!)

 “・・・・・・強いな、テファは・・・・・・”

 潜水艦、まどろみの中で聞いた一言。ファーティマの言葉に傷つき、ルイズのことに悩んでいた自分の心を、その言葉は優しく抱き寄せてくれた。刻まれた傷に入り込み、心地よく染みわたって塞いでくれた。

 ・・・・・・でも。もう、いない。いないのだ。

 あの優しい言葉をかけてくれる男の子は、もう―――――― 

 戻らないまま、戻れないまま。止まることなく、ティファニアは進む。大通りや広場などの開けた場所の石畳は“大災厄”によって剥ぎ落とされるに留まっていたが、両端から建物に押されたこの裏路地は潰れ、ひしゃげ、激しい隆起を起こしていた。

・・・・・・だからだろうか。それとも、彼女が負い目を感じる人々が、これ以上彼女を行かせまいと引き留めてくれたのだろうか。しかしどうであろうと結果として、瓦礫に足を取られたティファニアは前のめりに倒れ込んでいた。

 「・・・・・・っ!!」

 ティファニアはすぐさま身体を起こそうとするが、その半ば反射的な行動は思考に止められた。

立って。立ち上がって・・・・・・、それから、どうするの?

 それからわたしは、なにがしたいの?

 生じたのは純粋な、自分の行動に対する疑問だった。しかしその単純な問いに、今のティファニアは答えられない。

 分からない、分からない。思いに反し前へ前へと退る足が、胸の内から湧きあがるこの恐怖の正体が。

 壇上に戻らなくちゃいけないのに。未来に、前に進まなければいけないのに。

 分かっているのに。どれだけ言い聞かせても、頭の中では絶え間なく自責が巡り廻るだけで。必死になっての民衆の、従姉妹の、・・・・・・そして好きな男の子のことを思い浮かべても、立ち上がった直後に壇上へと引き返せる自分の姿が想像できなくて。

 「ごめんなさい、ごめんな、さいッ・・・・・・!」

 何も知らず、何も出来ず、謝罪の言葉を繰り返し、ぼろぼろと涙を流す。知らない“誰か”に、見えない“何か”に振り回されて、掻き乱されているとわかっているのに、自分はそれを見て子供のように喚き散らすだけで、結局は何も、変えられない。

 (・・・・・・何一つも、ただ一つも。好きな男の子が残してくれた思いですら、自分は、紡げないっ・・・・・・)

 「・・・・・・ううっ・・・・・・」

 痛みは鋭く、苦しみは収まらない。辛い、辛いと訴える心の叫びは瞳から流れ落ちるだけに留まらず、必死に声を殺していた喉を震わせた。抑えきれず、堪えきれず、ティファニアは再び胸の内の黒い“何か”に負けてしまう。

 「う、うぁああぁあッ・・・・・・!!」

 口から飛び出たのは、誰に助けを、救いを求める訳でもない、ただ感情にまかせた慟哭。 こんな自分を、連れ帰って何になる? ・・・・・・なにも、ならない。

 ・・・・・・きっと自分なんかがいなくても、儀式は滞りなく続けられるのだろう。いや、もしかするともう再開しているのかもしれない。

・・・・・・でも、それでいい。それが、いい。

 自分は、自分には、こうやってただ泣くことしか、許されていないのだから・・・・・・

 悲しみはどこまでも、どこまでも深まり、ティファニアは自責の海に溺れ、沈んでいく。もう自分で自分を許したくも、誰かに赦されたくもなかった。

 (きらい、いやっ! こんなわたしなんて、消えて、なくなればッ・・・・・・!!)

 しかし、伏せったまま嘆く彼女の身体に突如、一つの影が差した。足音で誰かが近づいているのは気づいていたが、ティファニアは顔を上げない。放っておいてほしかった。どうせ誰が来て、何を言われたところで、自分にはこの黒い“何か”をどうすることもできないのだから。

 「・・・・・・まったく、手のかかる子だねぇ」

 「・・・・・・え?」

しかし、その“誰か”がため息の直後に発した声に、ティファニアの思考は白く染まった。

 ありえない、幻聴だろうか。・・・・・・どうして・・・・・・?

  ティファニアは驚愕と共に顔を上げようとしたが、それすらまどろっこしいとばかりに“誰か”は彼女の顎に指をかけて持ち上げた。と、その挙動と同時に目元を何かで拭われ、涙に曇る視界が晴れる。

 「あーもうぐちゃぐちゃだね、これじゃきれいな顔も台無しだよ。 ・・・・・・で、なにがあったんだい?」

 「・・・・・・マチルダ、姉、さん・・・・・・」

 再び聞こえる温かい声、ハンカチで頬を撫でるその手。

 

 妄想でも幻想でもなんでもなく、マチルダ・オブ・サウスゴータはそこにいた。

 

「・・・・・・どうして、ここに・・・・・・?」

 「ちょっと野暮用でここら辺をふらついてたら、あの式典を見かけてね。そしたらちょうど、あんたが逃げ出したとこだったのさ」

 「・・・・・・で、でも、それでも・・・・・・」

 “評議会”の牢屋から脱走した時のことを、ティファニアは思い出す。“大災厄”が起こってからはあまり外に出なかった自分でも、この街がどれだけ入り組んでいるのかは、才人とルクシャナと一緒に駆けめぐった際に嫌と言うほど思い知った。道という道は様々な水路につながっていて、また建物の分、路地も多い。

 運河と街が樹木の年輪の如く交互に重なっているのは、ひとえにそれを成せる圧倒的な技術があるからというだけではなく、アディール全体が地形的に隆起しており、そちらの方が通水上都合がいいという事実もある。だから階段も多く、自然と平面的ではなく立体的な構造になる。

 ・・・・・・これは多忙な女王が毎日自分を慰めに来て、話してくれた雑談のひとつだったが、確かにそうだったと思う。ゆっくりと見て回るような状況ではなかったが、確かに逃げ回っていたあのとき、階段を何度も降り、水路を何度も横切った覚えがあった。きっとこの街の構造も、アディール軍が聖地回復連合軍の猛攻を凌げた理由の一つに挙げられるだろう。

 土地に慣れ親しんだ者には微笑み、そうでない来訪者には牙を剥く街。生まれたときから砂漠の民としての誇りを持った、自分のエルフな方の従姉妹ならばわかる。しかし、この姉代わりな人が、自分を追いかけられる訳が・・・・・・。

 「不思議に思ってるのかい? なに、そんなことは些細なことさ、気にしなくていい。・・・・・・ところでティファニア、あんた、昔のことは覚えているかい?」

 「・・・・・・、えっ?」

 突然始まる、昔話。ぐちゃぐちゃで散り散りだった感情の中に入り交じっていたほんの小さな疑問が、次の瞬間一気にすべてを呑み込み、染め上げた。言っている言葉の意味が、分からなかった。

 しかし戸惑う彼女にはお構いなしとばかりに、マチルダは話を続ける。

 「・・・・・・いつだったかねぇ。ケガした小鳥を、サムが拾ってきたことがあるだろう? あのときわたしは偶然帰ってきてたからね。あんたたちがあれをかわいがってたのも、・・・・・・ちょっと目を離した隙に、ヘビに食われたのも見てたし、聞いてたし、知ってるよ。ガキだったあの子たちは悲しんだ。サマンサの泣き声なんて、森中に響いたよ。あれから2日3日はあたしの耳が痛かったくらいだからねぇ。・・・・・・っと、ここから先は、あんたが続けな。そしたらあたしが何が言いたいかわかるさ」

 「・・・・・・マチルダ姉、さん・・・・・・?」

 「さっさとしな。あたしがトロくさいのは嫌いだって知ってるだろう?」

 ・・・・・・もちろんそのことはよく覚えているが、やっぱりわからない。脈略も意図も掴めず、ティファニアは混乱するままにその言葉に従う。

 「・・・・・・えっと、ヘビはそのまま逃げないで、とぐろを巻いて鳥籠の下で寝ていたわ。まるで好きにしろって言わんばかりに。・・・・・・だからみんなヘビを恨んで、やっつけようとして、・・・・・・それで、わたしはそれを止めて・・・・・・」

 「そう、そこだよ。どうしてあんたは、そこであの子たちを止めたんだい?」

 「それは・・・・・・だって、一番年長者のわたしが、しっかりしてなかったのが悪かったから・・・・・・。ヘビは生きるために、仕方なく・・・・・・」

 「・・・・・・それは本当かい? その理由は本当に、あんたの心からのものなのかい?」

 「・・・・・・うん。でも、おかしいよね。本当なら、わたしにそんな資格があるわけないのに・・・・・・」

 ・・・・・・違う。マチルダはそう、妹分の言葉を否定する。確かに、優しい彼女が出しそうな答えではあった。しかし自分が長年見ていたこの混血の少女が、こんなに情けない言葉を口にするはずがないのだ。

 (・・・・・・やっぱり鎌はかけてみるもんだねぇ。・・・・・・と、なると・・・・・・)

 マチルダは思案する。だとすれば、考えられるのは・・・・・・。

 「・・・・・・そうかい。やっぱり、そういうことなんだね」

 思い浮かんだのは、何者かに心身を操作されている可能性。解決する手段はあるが、いまの彼女にそれをしなければいけない現実が腹立たしかった。

 「! ・・・・・・あ、あの、姉さん・・・・・・」

 チッと舌打ちし、苛ただしげに呟く。そのあまりにもあからさまなマチルダの態度に、ティファニアは自分が彼女の不興を買ってしまったと思い謝ろうとする・・・・・・

 ・・・・・・がしかし、その言葉を最後まで紡ぐことは叶わなかった。

 「・・・・・・本当に、変わっちまったんだねティファニア」

 「・・・・・・ッ! ・・・・・・」

 つかれた深いため息。足下をさまよわせていた視線がいま、ゆっくりと自分に向けられる。その瞳には何も浮かんではおらず、繰り返される言葉は何も変わらない。しかしだからこそ、ティファニアは気圧されてしまう。心象の機微が分かるからこそ、それが何よりも怖かった。

「あたしはこの質問、前にもしたんだよ。そのときあんたは、こう答えた。 “誰かを、何かを傷つけたら、その痛みは自分に返ってくるから。忘れられずにずっと、ずっと心に残るから。だからわたしは、あの子たちにそんな思いをさせたくなかったの”・・・・・・ってね」

 「・・・・・・」

 「そうそう思い出したよ、小鳥が食われたあの時、あんたは泣かなかったね。“わたしはお姉ちゃんだから、みんなの前じゃ泣いちゃだめなの。だってわたしが泣いたら、みんなもっと悲しんじゃうから”って。・・・・・・そうやって気丈に振る舞えて、人を思いやれる子だったのに、どうしてそうなっちまったんだい?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・答えることすら、できないのかい。 ・・・・・・残念だよ。どうやらあたしは、少しばかりあんたを買い被りすぎていたみたいだね」

 言葉は聞こえるが、心には入ってこない。吹き荒む負の感情の嵐に、ついにティファニアは心を閉ざしてしまった。

 ・・・・・・もう、すべてが嫌だった。

 好きな人が消えて、いなくなった。“神の心臓”、二人目の主人。その理由を作ってしまったのは自分なのに、なにもできなくて。悔しくて泣いても、動けなくて。立ち直れなくて、みんなに迷惑をかけた。

 多くの人々が傷つき、嘆いた。自分たちの“儀式”の時間稼ぎの為に、死んでいった。その事実を認められなくて、やりきれなくて。少しでも助けになろうと壇上に立ったのに、それすらもできなかった。自分の身愛しさに、逃げ出して、裏切った。

 育ててくれた人に、お世話になった人にこうやって責められるのが、苦しくて。こんな情けない姿、見てほしくなくて・・・・・・。

 (忘れよう、何もかも。こんなに辛いなら、痛いなら、全部・・・・・・ッ)

 しかし、考えることからさえ逃げようとする少女を、一つの言葉が引き留めた。

 

「やっぱり・・・に・・・のは、・・・・・・・だったみたいだね」

 

「・・・・・・姉さん、いま、なんて言ったの?」

 「聞いてなかったふりをしても無駄さ。何度でも繰り返すからね」

 とぼけたつもりはない。自分の聞き間違いだと、思いたかっただけだ。

 だって、あんなに優しかった姉さんが、そんなことを言うわけがない。

(悪いのは自分。でもそれだけは言わないで、その言葉だけは・・・・・・)

 祈るように聞くティファニアの心を、マチルダの言葉は一切の躊躇も、容赦もなく刺し貫いた。

 

 「ガンダールヴ・・・・・・あいつに、あんたを外の世界に連れ出すのを頼んだのは、間違いだったって言ってるんだよ」

 

 瞬間、ティファニアは立ち上がった。怒りを孕んだその瞳に見据えられたマチルダだったが、しかしその向けられた視線に真っ向から応じた。

……待つこと十数秒。唇を固く、固く引き結んでいた混血の少女は口を開いた。 「・・・・・・取り消して、今すぐ」

 「なにをだい?」

 「とぼけないで、さっきの言葉よ」

 「・・・・・・無理だね。だいたいあんた、なんのつもりだいこの手は? いきなり挙げるからつい掴んじまったよ。・・・・・・まったく、職業柄過敏になっちまうとはいえ嫌なもんだね。あたしはつい、あんたがあたしを殴ろうとしてるのかと・・・・・・」

 「いいから早く取り消して。じゃないとわたし、姉さんを許せなくなる・・・・・・ッ!」

 「なんでさ? あいつに任せて、あんたが変わっちまったのは紛れもない事実だ。そしてその事実に、それだけの価値はあったのかい? それにもしあったとして、今の自分を見てあんたはそれを言えるのかい?」

 その言葉に、ティファニアは固まった。真冬の井戸水で頭の中を濯がれたかのように、煮えたぎっていた怒りはさっと落ち、力が抜けた手は握るマチルダの手から滑り落ちる。

 「それ、はっ・・・・・・」

 「なんだい? 文句があるなら言うがいいさ。早くあたしの言葉を否定してみな、ほら」

 その口調は決して責めるものではなく、いつもと何ら変わらない。ただその口から淡々と語られる事実に、勝手にティファニアが傷ついているだけだった。

何も言えず、また何もできない二つの血をその身に宿す少女はどうしていいかわからず、心のままに疑問をぶつける。

 「・・・・・・どう、して・・・・・・? 姉さんはわたしを送り出すのに、賛成してくれたんじゃ、なかったの・・・・・・?」

 「ああそうだね、たしかにあたしはあんたが世界を見るのは良いことだと思ったさ。・・・・・・でもね、あの子たちはどうだい? ハーフエルフの身の上さ、きっとあんたも苦労しただろうね。 でも、それでもいま、あんたはあの子たちにはかないやしないよ」

「・・・・・・どういうこと・・・・・・?」

「孤児院に入って、あの子たちの世界は広がった。あんたが来るための条件さ、あんたの従姉妹・・・・・・国王の指示で特別に金も出てるから、貧しい生活はしてない。・・・・・・でも、それだけさ。それだけでしかない」

 繰り返す疑問に気を悪くすることなく、マチルダは話を続ける。

「タイミングも条件も最高だったあの話を蹴る訳にはいかなかったから、しょうがないことなんだろうけどさ。それにあのままウエストウッドで暮らしてたら、誰も幸せになれなかった。過ごしてきたのが何も変わらないぬるま湯の日々だったことに気づいた時には、あんたもあの子たちももう大人だからねえ。幼い身で孤児として生きる以上、あの子たちも、もちろんあんたも世界を知らなきゃいけなかったんだよ」

 「姉さん、何が、何が言いたいの? わたしも孤児院に毎週ダエグの曜日に行くけど、みんな幸せそうにしてるわ。なのになんで・・・・・・」

 「・・・・・・そうかい。あんたにはあの子たちが、幸せそうな顔に見えたんだね?」

 まるで確認するような問いかけ。鋭く研ぎ澄まされていくその眼光にたじろぐ少女を、さらにマチルダは追い詰める。

 「土台無理な話だけどさ、女王様に言っといておくれよ。もっと孤児院に金を回せってね。・・・・・・ああ、確かにあの子たちは不自由してないさ。でもね、それを他の子の立場で考えてごらん? いきなりやってきた新入りたちが貴族みたいに扱われるんだ。自分たちと食べ物は違うし、着るものは違うし、寝る場所も違う。・・・・・・あたしだったら、そんなやつらと仲良くするのはまっぴらごめんさ。ましてやこれが年端もいかない子供同士の話となったら、幼いあの子たちがどれだけ周囲から愚直に悪意を受けたかなんて想像もつかないね」

 「・・・・・・うそ、だってジムは言ってたわ。新しい友達ができたって、嬉しそうに・・・・・・」

 「そいつは違うね。あたしがたまたま顔を出した時には、あいつはボロボロだったよ。何でも聞くには、あいつから上級生にケンカをふっかけたんだとさ。・・・・・・おかしな話だろう? 虫も殺せないくらい優しい、あの子がだよ? それであの子はあたしにこういったのさ。“ティファニアお姉ちゃんには言わないで”って」

 「・・・・・・そん、な・・・・・・」

 「湧き上がる憎悪のままに、自分の不遇をあの子に当てつけた子供がいた。それを見て見ぬふりをして、手を差し伸べなかった子供がいた。管理し諭す立場であることを忘れて、責任を恐れてろくな詮索もしなかった孤児院の大人たちがいた。

 ・・・・・・理不尽な話さ。不条理な話さ。だけど、あんたはだれも責められない。あんたはあいつに、護ってもらったから。あの子は、あの子たちは耐えるしかなかった。身体にアザを作っては、国からの支給金で買ったバカ高い薬で治されて。きっとあれが初めてじゃなかったんだろうよ。あの子たちの目は、そんな諦めを浮かべていたからね」

「じ、じゃあ、今でも・・・・・・」

 「ひどいねぇ、そこまで知ってて放っておくような女にあたしが見えるのかい? 孤児院側の怠慢は見かねたから、国に告発するって脅迫文を金袋と一緒に孤児院の玄関に投げ込んでおいたさ。今じゃ他の子供も、あの子たちを羨むような生活はしていないだろうから大丈夫だろうよ」

「・・・・・・ごめんなさい。わたしはそんなの、全然・・・・・・」

「だから、それが違うって言ってるんだよ。あたしのほうこそ言わせてもらうよ、その謝罪、取り消しな」

「・・・・・・?」

「何でも自分のせいにすればいい。そうすれば、誰が苦しんでいても悲しめる。誰が傷ついていても、助けてあげられる。・・・・・・たしかにそうかもしれないさ。でもねティファニア、それは優しさとは違うんだよ。あんたのやってるそれは“逃げ”さ」

「ッ! ・・・・・・そんな、つもりは・・・・・・」

「じゃあさっきの謝罪はどういうことだい? あんたはあの場にいなくて何一つしちゃいないんだ、申し訳なく思うにしても謝る理由なんて一つもない。・・・・・・それともなんだい、まさか“気付なかったから、知らなかったから”って言うわけじゃないだろうね? もしそうだったとしたら今すぐやめな。そんな道端の小石みたいにどうでもいいことで謝られたら、かえって気分を悪くしちまう」

「ど、どうでもいいことじゃ・・・・・・」

「いいことさ。少なくともあんたは部外者だったのに、その責任を奪い取ろうとしたね。・・・・・・いいかい? 履き違えるんじゃないよティファニア。あんたの胸を汚く汚すその黒は、あんたの独りよがりの妄想でしかないのさ。あいつが死地に行ったのを自分のせいにするなら、それはあいつの護りたいものの為に死にに行った、って覚悟に泥かけてバカにしてる。人とエルフが争ったのを自分のせいにするなら、その争いで気づき、互いに手を伸ばしあおうとしてる者たちを頭ごなしに否定してるんだよ。・・・・・・みんな自分の意志で動いて、感じて、生きてるんだ。あんたみたいな小娘が勝手に“罪”を人から奪えるような、楽で甘い世界じゃないんだよ」

「……マチルダ、姉さん・・・・・・」 

「話は終わりさ、長々と悪かったね。・・・・・・どうだい? 今でもまだそんな現実が怖いのかい? こんな世界は、嫌いなのかい?」

 「ううん、大丈夫」

 からかうような口調に、ティファニアは笑って答える。・・・・・・身体の震えはもう止まっていて、代わりに心の震えは大きく、激しくなっていく。だがもうその源は、膿んだ傷の痛みからではない。溢れんばかりの想いと願いが、彼女を突き動かしていた。

 「・・・・・・いい目に、なったね。・・・・・・ちょっと待ちな」

 そう言うと薬だろうか、懐から小瓶を取り出し、マチルダはティファニアの痛々しく残る銃創に塗り始めた。ティファニアは焦る。そんな暇はない、一刻も早く式典に戻らないと―――――

 しかし結局、気づけばティファニアは薬を塗られていた。目の前の姉代わりな彼女は、自分が行くのをどうしても許してくれなかったのだ。

「じっとしてな、これ高いんだから。わたしに無駄遣いさせるつもりなら、あんたが払いな」

 「で、でも・・・・・・」

 「気になってしょうがないんだよ、その傷。それにそれじゃろくに走れやしないよ。それともなんだい、ガキの頃みたいに薬は染みるからイヤだって逃げるのかい? だったらわたしも、あの頃のようにゴーレムを使ってあんたを羽交い締めにしてやらなきゃいけないね」

 「・・・・・・ふふっ」

 「なんだい、なにがおかしいのさ?」

 開きかけの傷口だというのに、マチルダは容赦なくぐりぐりと薬を塗り込む。中々に痛いが、それでもティファニアは微笑んでしまう。ただ昔も今も、その示し方が不器用なだけなのだ。

 「・・・・・・ほら、できたよ」

  本当に高い薬なのだろう、痛みはみるみるうちに引き、収まっていく。ただそのもらった熱だけが残り、温かく、優しく彼女の心を抱きしめる。

「ありがとう、姉さん。行ってくるわ」

「ああ、行ってきな」

 マチルダが答えた瞬間、ティファニアは駆け出した。

“もう、逃げない。もう、負けない。ぜったい、絶対”

  当分会えないかもしれないという、予感がした。寂しくないと言えば、嘘になる。それでも振り返ることなく、ティファニアはただただ走る。

 自分はもう、一人で前に進める。それを見せることが姉代わりの彼女への、誠意だから・・・・・・。





 去りゆくその背中が見えなくなり軽く振っていた手を止めようとしたが、同時に全身の力も抜けた。糸の切れた操り人形のように崩れようとする身体を、マチルダ・・・・・・土くれのフーケは壁に身体を預けて支える。

 「はッ、は、ッ・・・・・・」

 いまにも飛んでいきそうな意識を、フーケは荒い呼吸を繰り返して必死に引き留める。妹分と話している間、ずっと使わずに背中に回していた右手は、小刻みに震えてすらいた。その先に光るのは一本の杖。・・・・・・そう。彼女は会話の間、絶えず“錬金”を詠唱していた。この身体の不調は、魔力切れによるものだった。

(・・・・・・にしてもふざけんじゃないよ、なんだいあの魔法は・・・・・・)

 十を超えた所から数えていない。フーケが“錬金”を唱えた、回数がだ。

 本来、“錬金”とは物質を変性させる魔法である。自らの魔力を用い、すべての物質を構成する四元素を組み替える、土魔法の基礎にして極意。

 そう。だからこそ、それは形を伴っていない物にでも適応できる。たとえば「水」や、「空気」・・・・・・ならば、“魔法”にでも可能なのではないか? そうフーケは考え、そして実際に魔法の変質、無効化を成功させてみせたのだ。

 当然“ロック”には“アンロック”といったように、魔法にはそれ専門の対処や解除法がある。それなのに無理に変質させるのだ、その負荷は並ではない。しかし呪文をかけた術者が自分より格上のメイジでない以上、この手段は非常に有効だった。

 もちろん、先程行ったティファニアの解呪においても、十分な効果を発揮した。しかし呪文を無力化した、だけであったのだ。

(・・・・・・あれをあいつにかけたのは、・・・・・・一体誰だい?)

 頭をよぎろうとするそんな疑問を押し留め、思考に流し込む。こんな術式を編めるのはエルフくらいのものだろうが、それでもおかしい。“大いなる意思”とやらの力を誇る彼らが、こんなあまりにも道を外した魔法を行使する訳がないのだ。 

 しかも、いくらやっても、あの魔法は外れなかった。溶かせなかった。

 正確に言えば、何度消しても変えても復元するのだ。もともとかけられていた魔法がではない。まったく同じ魔法が、消しても消してもそのたび執拗にかけられたのだ。

 結果、本来ならば一度で終わるはずだった心の揺さぶりも、何度も何度もしなければならなかった。それが彼女を傷つけると分かっていながら、それでもその心を乱さなければ詠唱のほつれを見つけ出せないがために、心優しい彼女を汚す言葉をフーケは吐き続けなければならなかったのだ。

 ・・・・・・ちなみにティファニアを呪縛から解き放ったのは、彼女の靴底に貼り付けた、フーケ自身の魔力を練り込んだ土くれである。水魔法の代名詞とさえ言える“治癒”の魔法も、使うには杖を身体に当てるか、そうでなくとも身体に触れるか触れないかのぎりぎりまで近づけないと発動しない。

 物質ならばともかく、人体はあまりにも四元素の組み合わせが複雑であるからで、それはメイジの唱える魔法もエルフの唱える先住魔法も同じこと。ならばと思い彼女の体に唯一接しているもの――――地面から距離を取らせたところ、これが功を奏したのだ。

 (・・・・・・ただの応急処置にすぎないけれど、大丈夫さね。あの子はもう二度と、あんなちんけな魔法にはかかりゃしないさ)

 あの混血の少女は、自分にとっての宝石だ。あんな不憫な境遇に生まれたというのに、人のことを案じ、思いやることができるその生き方は誰よりも気高く、何よりも美しい。

 (・・・・・・それにしても誰だか知らないがいい度胸じゃないかい。そんなあたしのお気に入りに、これだけ傷を入れて黒ずませたんだ。・・・・・・ただですますわけには、いかないね)

 かつて“土くれ”とトリステインの貴族たちから恐れられた自分をここまで怒らせたのだ、それなりの対価は、払ってもらわなければならない。

 「・・・・・・だけどその前に、あの馬鹿を探しに行かなきゃいけないね・・・・・・」

手の震えも意識の方も一落ち着きしたようで、何とかフーケはふらふらとした足取りで歩き出す。

 しかしここで彼女は一つ、大事なことに思い至れなかった。

 そう。その“誰か”が、アディールの地面そのものを触媒として詠唱をかけ続けた、という事実の異常さを、見落としていたのだ。

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