嘘まみれの本音

「・・・・・・けほけほ、けほっ・・・・・・」

「・・・・・・ルクシャナ? おい、そこにいるのか?」

  舞い上がる土煙の中。眼前から聞こえる声とその姿に、ルクシャナは胸を撫で下ろす。

 よかった、無事でいてくれた。この恋人は自分を置いていかずに、生きていてくれたのだ。

「・・・・・・まったく、心配かけさせないでよ。あといつまでものしかかってないで。わたしの傷口、開いちゃうわ」

「・・・・・・ああ、悪かったな・・・・・・」

 照れ隠しに叩いたつもりの軽口だったのだが、アリィーは何の反応もせずにそのまますとん、と座り込んだ。

 なによ冗談なのに、と少し反感を覚えるのと同時に、不安が再び首をもたげてきた。どこか具合でも悪いのだろうか、とその身体を見るが、特に目立った外傷はない。しかし、念のため――――。

そう考えアリィーを“見”ようとしたその時、マッダーフの切迫した声が、彼女の耳に届いた。

「・・・・・・イドリス、おいイドリス! しっかりしろ!」

「・・・・・・それよりもルクシャナ、ぼくは大丈夫だから早くイドリスの所に行ってやってくれ。・・・・・・間に合わなくて咄嗟に風で飛ばしたんだが、下手をすれば命の危険がある。マッダーフだけじゃ足りない、早く、きみも早く・・・・・・」

「ちょっと待ってアリィー、その前に・・・・・・」

 焦燥を浮かべ懇願する婚約者を宥めつつ、彼に異常がないか“見”るためにルクシャナは手を伸ばし・・・・・・、そしてその手を荒々しく払われて、やっと気付く。彼の瞳が責めるように、自分を見ていることに。

 「・・・・・・、え?」

 「何度も言わせないでくれ、そんな暇があったら早く行くんだ! だいたいきみがこっちに近付いてきたせいで、イドリスはあんな目に遭うことになったんだぞ!?」

肩を掴んで揺さぶってくるアリィー。鬼気迫るその剣幕に、ルクシャナはびくり、と身体を竦ませた。

「ね、ねえアリィー、そんなに怒ること、ないじゃない? 分かってる、あなたを“見”たらすぐに行くから・・・・・・」

「自分の命を危険に晒しておいて、一体なにを分かってるって言うんだ! きみはいっつもそうだ、一瞬の思いつきや興味で動いて、後先なんて考えやしない! ・・・・・・さっきだってそうさ、どうせきみはなにが起こったか気になったんだろ、知りたかったんだろ?」

「待って、待ってアリィー、違うわ! わたしはただ、・・・・・・」

「ほら、今だって話を聞かない! 自分のことばっかりだ!」

「!! ・・・・・・っ」

「ああ、確かにぼくはきみの婚約者さ、きみのお目付役だ! でもきみは分かってくれない、それがどれだけ迷惑なことか! だってどんなにぼくが面倒の後始末をしても、事にならないよう前もって手を回していても、きみは軽はずみに全部ぶち壊すんだから! 

 そうさ、きみは知らないんだ! きみの民族反逆罪が決まって、ぼくがどんなに悩んだことか! きみだけ勝手にネフテスに帰って、置いて行かれたぼくがどれだけ心配していたか! ・・・・・・今まで散々我慢してきたけど、もう限界なんだよ! ・・・・・・なあ、頼むよルクシャナ。頼むから一度くらいはぼくの言うこと、聞いてくれよッ・・・・・・!!」

弁明を制されて沈黙を余儀なくされたルクシャナに、アリィーは責めを、咎めを緩むことなく打ち込んでいく。深く、深く。これ以上背負うのはもう無理だと、婚約者の心に押し付ける。・・・・・・くしゃくしゃな顔で、懇願しながら。

 「ア、リィー・・・・・・」

 彼に迷惑をかけるたびに、怒らせることも責められることもあった。しかしその言葉を聞いて、ルクシャナはそれらがあくまで体裁的なものだったと思い知らされた。きっと彼はそうやって、本当に言いたいことは全部心の奥底に封じ込めていたのだ。

 思い返せば自分に説教する時だって、喚き叫ぶばかりでどうということもなく、なあなあまあまあで終わっていた。・・・・・・そして、それを自分は惚れた弱みだと、自分と彼の一つのかたちだと思っていた。

 自分が騒動を起こし、それに彼が文句を言いながらも付き合う。二人でそうやって色んな事をしてきて、それを彼も悪くは思ってないのだろう、そう思いこんでいたのだ。・・・・・・だって、こうして威圧的に怒鳴られたことも、こんなに強く糾弾されたこともいままでなかったのだから。

「・・・・・・分かったわ。行くわよ、すぐに」

 小さく呟き、すっく、とルクシャナは立ち上がる。・・・・・・怖かった。これ以上ここにいたらこの婚約者に、反感を覚えてしまいそうで。決定的な破滅の一言を、放ってしまいそうで。

 彼の言ったとおりに自分のことだけしか考えられない自分は、後先もなにも考えずに彼の言葉を否定し、拒絶し、苦しみを吐き出す彼の心をさらに傷つけてしまいそうだった。

 誰にもそれを止めることはできないから、彼から離れるしか、手段はなかった。なぜならルクシャナ自身ですら、自分を御することなどできはしないのだから。

 「早く、早く行ってくれ・・・・・・」

 後ろから投げかけられる言葉がルクシャナの心を穿ち、その奥底から悲しみを引き摺り出す。

 なによ、なによ。

 ・・・・・・わたしはただ、あなたのことが、心配だった。それだけなのに。

 ・・・・・・あなたが、どこか遠くへ行ってしまいそうで、それが怖かった、だけなのに・・・・・・。

 ・・・・・・分かって、いる。今までの彼に対する自分の身勝手が、そっくりそのまま返ってきただけだということは。

 でも、愛する婚約者にこの思いを理解してもらえなかったのが、何よりも悔しかった。

 彼の自分に対する思いを、言葉を、都合が良いように勝手に解釈していた自分が、何よりも、憎かった。

 ・・・・・・そして、彼にそんな風に思われていたという事実が、・・・・・・何よりも、痛かった。

「・・・・・・なんでよ、なんでッ・・・・・・」 

愛しい婚約者から遠ざかる足は次第に早くなり、いつの間にかルクシャナは駆け出していた。喉から絞り出す自分の言葉は感情を高め、その全てを透明な雫に変えていく。

 「知らない、知らない、もうッ・・・・・・!!」

 溢れ出した思いは双眸に留まるところを知らず、置いていく風に乗っては消えていく。

・・・・・・そうしてルクシャナは、愛しい婚約者に背を向けたのだった。


 

「・・・・・・」

 去りゆく婚約者の姿を無言でただただ、アリィーは見つめる。その背中は、悲しみに震えていた。目元を拭ったのが、遠目に見えた。

 「ごめんよ、ルクシャナ・・・・・・」

 一言の謝罪を空に放つ。と同時、身体の力が抜けてしまい、アリィーは倒れ込むように背中から転がった。・・・・・・もう指一本、動かせない。このまま死を待つのみだ。

 だが結果としてアリィーは聡い彼女に、自分の状態を気付かせなかった。そう。彼の仕事は終わった。・・・・・・終わった、のだ。

 思い出すのは彼女の手を払ったあの一瞬。自らの心身を偽り安心させ、イドリスの救援を口実に自分から離れさせようとしたのだが、しかし、それでも彼女の気は逸らせなかった。

 あれ以上に下手な挙動を晒せば即座に看破されていて、そして自分に、そんな彼女を無理矢理突き放すだけの体力は存在しない。瞬時にそう判断したアリィーは、同時に最悪の方法に手を染めた。・・・・・・糾弾と叱責によって、彼女に離別を促すしかなかったのだ。

 ・・・・・・もちろん、日頃の怒気なんかでは全然足りない。もしも半端な責め方であれば、彼女の性格上反発されてその場で口論が始まってしまう。となれば自分の体力は持たず、彼女を追い払う前にボロを出してしまう。もしくは一度離れてくれても、訝しまれて戻って来られる場合も考えられた。

 ・・・・・・だからアリィーは彼女を取り乱させ、冷静な判断力を欠かせねばならなかった。

 好きな婚約者が気にしていることを抉り、苛み、苦しめざるをえなかった。

 そうまでしてでも、アリィーは彼女に自らを“見せる”訳にはいかず、離れさせなければならなかったのだ。

 ・・・・・・もし彼女が自分を“見”ていれば、きっと彼女はすぐに治療を始めていた。自分がイドリスにしたのと同様に、彼女は“火”を自分に分け与えようとして。そしてきっとそれだけに留まらず、この傷を治すために“水”も使おうとして・・・・・・、命を落としていた。

 諦めを知らない頑固者だから、きっと自分が手遅れだと知っても死ぬのが許せないとか言って。止めることなく続けて、自分も彼女も助かることなく死んでいた。長い付き合いだ、そのくらい手に取るように分かる。

 「・・・・・・ッ・・・・・・」

 突然覚えた寒気にすら、アリィーは身体を震わせることもできない。冷たい、寒いと感じるにつれて、しかし不思議と身体の痛みが治まっていく。束の間の安泰を得たとばかりに堪え忍び、強張っていた身体が和らぐが、しかしそれは誤認でしかない。傷自体は勝手に自己回復した訳でもなければ、誰かに癒された訳でもない。・・・・・・痛覚が、消えたのだ。

 (・・・・・・分かっているさ。自分がもう、長くないことくらい・・・・・・)

 “水”は血、“風”は心臓、“土”は臓腑、“火”は肉体。それぞれ湛え、送り巡らせ、吸収し蓄え、創り動かす。・・・・・・このように4つの精霊各々が何かしらを司り、エルフの肉体は成り立っている。人の身を支えるのはその血肉だが、自分たちエルフはそれに精霊の力も付与して生きているのだ。これがエルフの長寿たる理由であり、またあらゆる点において人よりも優れている、と言われる根拠なのだ。

 ・・・・・・そしていま、アリィーが失ったのはその“火”である。身体の内に残された三の力は崩れた均衡を持ち直そうと必死に湛え、巡らせ、蓄えるが、かえってそれは生ける時を殺していく。消費に次ぐ消耗に、次第に身体は留まり、止まり、固まっていく。身体の制御は次々と離れていき、一本、また一本と繋がりが断たれていく。

 思考だけははっきりと取り残されたまま、この照りつける太陽の下で冷たくなったアリィーの身体は着々と死に近付いていく。

それでも・・・・・・いや、だからこそ。エルフの“騎士”は、その身で守り通した愛しい少女に、想いと謝意を送り続ける。それが届かないと知っていても、それで赦される訳がないと分かって、いても。

 (・・・・・・それにしても、酷いことをしたな。まさか泣かせちゃうなんて、な・・・・・・)

 自分が飛ぼうが跳ねようが廻ろうが、彼女は変わらない。今日も今日とて縦横無尽に駆け巡り、鼻歌交じりに自分の観念を、常識を一つ残らずぶち壊していく。

 恋人に対する認識をそう定めていたアリィーだったが、どうやら彼女の行動とそれに伴う数々の実績は、いつのまにか自分にそんなイメージを植え付けてしまっていたらしい。しかし想像と違った彼女の反応に、アリィーは嬉しく思っていた。

 (・・・・・・やっぱりいつも、ぼくに悪いと思っててくれてたんだろうな・・・・・・)

 不謹慎なことに優しい疼きを心に感じたからだろうか。直後に叩きつけられた罪悪感が胸に染みたが、しかしアリィーはそれを拒もうとは思わない。

 ・・・・・・当然だ、自分は彼女のそんな負い目に付け込んだのだから。

 ・・・・・・自分を心配して駆けてきてくれた彼女を浅はかだと詰り、どうせまた“興味”に負けたのだろうと罵ったのだから。

 ・・・・・・もちろんこれは突き放すために吐いた見当違いな言葉だったが、実はあながち間違いという訳でもない。実際に気になることさえがあれば、彼女は自らを顧みることなく、どこだろうと何だろうと突っ込んでいくからだ。

 民族反逆罪を言い渡されたカスバの地下牢の件のときは流石に面食らったが、あれはきっかけや条件が揃ってしまっていたからに過ぎない。蛮人を研究し続けてきた彼女にとって、“評議会”の強引な決定は許し難かったのだろう。

 そんな綱渡りはもちろん今に始まったことではなく、肝を冷やしながらアリィーは彼女を支えてきた。だからアリィーは分かるのだ。彼女自身ですら分かっていないその奔放さの根源を、言葉に変えて説明できるのだ。

 ・・・・・・たとえるならばそう、宝石の価値を知らない垢の他人が、明日の身を立てるためにそれを質屋に廉価で売り飛ばすのを見つめる宝石商の気持ち、といったところだろうか。

 要するに、彼女は悔しかったのだ。忍びなかったのだ。惜しくて勿体なくて、そして何より、・・・・・・許せなかった。

 誰よりも自由で、未知の素晴らしさを知っているからこそどうしても。それを自分が知らないまま、誰にも知られないままで理不尽に失われることが我慢ならなかったのだ。

 (改めて考えると、あまりに暴論すぎて笑えてくるな・・・・・・)

 興味のあるものには夢中になって入れ込み、ないものには見向きもしない。その傲慢さと勝手さに付き合わされる身としてはやってられないし、散々引っかき回したあげく丸投げされるのは本当にきつい。 

 ・・・・・・呆れた数なら数知れないし、怒鳴る喉も痛めた胃もボロボロだ。 “限界”? そんなものには今まで何度もぶち当たってきたし、その度にため息で心を沈ませてきた。だいたい日頃あれだけ叫んでいれば、溜め込むものなどないと気付くだろうに。

(・・・・・・ルクシャナ、きみはほんとにひどいやつだよ・・・・・・)

仕事は降りかかって疲労を生みだし、生み出された疲労は積み重なり、心を崩していく。・・・・・・だというのにそれでも彼女は突き進み、自分への負担をどんどん増やしていくのだ。 微塵の心配も、顧みてもくれないくせに、それでも自分が付いてくるのが当然だと信じて疑わないのだ。その上自分が惚れてると分かっててやってる、この上無くタチが悪い。

 ・・・・・・まあそこに付け込まれていつも騙され誤魔化され、もう少し、あともう少しだけ頑張ってみようと思わされてしまい、そして決まって彼女が見つけ出してきた“それ”に驚かされるのだが。

 ・・・・・・“それ”は物であり、人であり、景色であり、時には法則だったり生き物だったり様々だ。

 でもその見つけ方は自分では絶対に行動できず、また思いもつかないことで。

 “どう、すごいでしょアリィー!”

 いろんな角度からいろんなものを見る彼女、だからこそ描き出せるそんな「世界」。自分の手を取り振り回しつつも、彼女は自分を連れて行く。新しく発見した“それ”を見せつける彼女は得意げに笑い、その笑顔を見たら自分は、まあいっか、と思ってしまう。そしてもう一度、その笑顔を見たくて彼女の後ろから離れられない。

 確かにいい迷惑だ。文句もあるし、面倒だとも思う。

 

 でも一度だって、アリィーはそれを嫌だと思ったことはなかったのだ。

 

 (・・・・・・いや、ひどいのはぼくの方か。こうやって自分に嘘までついて、きみを傷つけたんだから・・・・・・)

 ふと上を見て、こんな時でも空は蒼いんだな、とアリィーは思った。自分がこうやって消えゆこうとしても、何ら変わることなく照り続けていて、流れ続けていて。

 ・・・・・・たゆたう雲は流れ、どこまでも空は同じ色を湛える。 アリィーは口の端を引きつらせて笑みを作り、その情景から婚約者の今を想う。

 ・・・・・・きっとこんなふうに、蒼く透き通ったその瞳は悲しみに濡れていて。

 何一つ変わらない自由で純粋なその心は、傷つき、痛みを訴えているのだろうか・・・・・・。

 ・・・・・・気付けば何も見えないし、聞こえなくなっていた。だというのに、心に残る鈍痛だけはやはり消えてくれない。

 きりきりと、ずきずきと。まるで締め付け、食い込んでいくようなその感覚。・・・・・・そういえば“大いなる意思”の力にそんなものがあったな、とアリィーはどうでも良いことを考えた。

 確か使役した茨を敵に巻きつかせ締め殺す、だったか。

 いっそそうなれればよかったのにと思うのに、この茨にはそこまでの勢いはなく。その棘はじくじくとゆっくりと沈み、その内を食い破っていく。

(どうせだったらこの痛みも、なくなってくれればな・・・・・・)

 そんな想いがふと頭に浮かび、そしてすぐにそれを正す。どれだけ重かろうと辛かろうと、これだけは墓まで持って行かなければならないものだ。決して途中で放り投げる訳にも、また忘れて斬り捨てる訳にもいかない。・・・・・・これは、自分の罪なのだから。愛する彼女を傷つけた、罰なのだから。

(・・・・・・それにしても、どうして地面が爆ぜたんだ? ぼくはちゃんとイドリスの“火”を地下に流したのに・・・・・・)

 手元は狂っていない、成功したはずだった。 ・・・・・・ならば、問題があるとすれば地下の方だというのか?

 背中を預ける地面に、なにかおぞましいものが這い回っているような感覚。しかしその正体を突き止める前に、時間が来た。 

(もう、潮時か・・・・・・)

 思考が薄れる。・・・・・・霞んで、溶けて、消えて、・・・・・・・・・・・・無くなる。

 (・・・・・・感謝の言葉しかないよ、ルクシャナ。・・・・・・でも、欲を言えば。・・・・・・ぼくはきみの描く世界をまだ、・・・・・・見ていたかった・・・・・・)

 ・・・・・・そして、エルフの“騎士”の意識は闇に呑まれ、落ちていった。

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