禁忌の“風”


 「・・・・・・ふぅ、マッダーフが機転が利く奴で助かった・・・・・・」

 ・・・・・・そう言うと、“マッダーフ”は自らにかかる変化の魔法を解いた。イドリスは驚愕と共に目を見開く。

「・・・・・・アリィー、殿・・・・・・!!」

「驚かせといてなんだが、すぐに心身を落ち着かせろイドリス。何も考えるな、そして何も喋るな。正直なところ余裕が無いんだ」

「・・・・・・お待ち、下さい・・・・・・。・・・・・・なぜ、どうして残られたのですか・・・・・・?」

 その目に胸の火石を見据えつつ、瞬時に指示を飛ばす上官に、しかしイドリスはその言葉を半分聞き入れ、もう半分を拒絶する。

 入れ替わった? 一体いつ? ――――目配せでもしたのだろう。一瞬在れば事足りる。

 “大いなる意思”の力は使えないというのに、どうやって“変化”を? ――――単に効能時間を縮めただけのこと。身体に負担はかかるがすぐに行使は出来るし、数分は持つ。

 湧いた疑問や戸惑いを即座に断じて捨てる。本来なら考えるまでもない事なのに、頭が回らない。きっとそれだけ自分は衰弱しきっているのだろう。

「・・・・・・火石を食い止めるために決まっているだろう。このままでは罪のない者たちが爆炎の餌食となってしまう。そんなふざけた真似を許す訳には」

 一拍の後、アリィーは答える。そしてその上官の嘘を、イドリスは荒い呼吸を繰り返すだけの口で遮った。

 「いえ、それだけならば、どうにでもなりました・・・・・・。アリィー殿があのときマッダーフとルクシャナ嬢と共に退避をしていれば、わたしは自ら命を絶ち、爆発は最小限に抑えられたはず・・・・・・。・・・・・・分かりません。アリィー殿はどうしてここに・・・・・・、!!」

切れ切れで続かない言葉を必死に繋ぎ止め、吐き出したところで、イドリスは自らの問いが全くの愚問だったことに気付いた。

 いくら呑まず食わずでの監禁に苛まれ、疲弊しきった思考力でも。少し、ほんの少し考えれば分かったはずだ。・・・・・・この誇り高きネフテスの“騎士”が、自分すらも救おうとしてこの場に立っていることが。

「いけません、なりませんアリィー殿・・・・・・! あなたに何かあれば、ルクシャナ嬢はどうなるというのです・・・・・・?」

 叫ぶ力も残っていないいま、イドリスに拒絶を示す手段は必死に首を振ることしか許されていない。いくら彼が最年少で“騎士”の称号を授けられた優れた戦士だといっても、未だに地脈が乱れたアディールで、この状況の打開は厳しい。

 ・・・・・・ただ、手だてはある。彼が自らの命を削ったならばその限りではなくなる。しかし、そんなことはあってはならない。

何よりこれは、自分が持ち込んだ種から生えた毒草なのだ。いくら撒いたのが自分ではなかろうと、この騒動の因の一端に加わった以上は己の手で摘まねばならない。誰の力も借り受けられないし、それに犠牲が伴うなんてもってのほかだ。

 たとえ企みを阻止せんと動き、立場の上では被害者だったとしても、見透かされ、利用され、この身に宿る火石の種を運んでしまった事実は変わりはしないのだから。無辜の民を危険に晒し、その自覚すらないままに親愛なる友を、敬服する上司を傷つけようとした愚か者なのだから。

「今ならまだ、何とか、間に合います・・・・・・、逃げて、下さい・・・・・・!!」

 身体を包む熱が強くなっていくのを感じる。それでも掠れ、小さくなっていく声を張り上げてイドリスは訴える。

 死に恐怖を覚えていない訳ではない。ただこの命を慮る以上に口惜しかった。情けなかった。・・・・・・惨め、だった。だとしても不甲斐ない己は、悔いることすら許されない。だから責めて、死をもって一矢報いたかった。

 迫り来る死に臆せず、動じず、何の躊躇もなく命を絶ち、被害を自分一人に留めて笑いたかった。あの狂ったエルフの思い通りにならないでやったぞ、と。暗い、昏い笑みを滲ませて、爆炎に包まれてしまえばいい。イドリスはそう思っていたのだ。

 「う、くっ・・・・・・」

震える手で懐から短刀を引き摺り出し、イドリスは胸の上に持って行く。だが、それ以上はどうすることもできない。今この場でこれを胸に突き立ててしまえば、必ずこの上官まで巻き添えになってしまう。

 「お願いします、さあ、さあ早く・・・・・・!!」

 だからイドリスは頼む。懇願する。それしかできないから。それしか、許されないから。

 ・・・・・・しかし、そんな部下の言葉に、アリィーは応じなかった。

 「!?」

 感じたのは唐突な眠気。“眠り”だと瞬時に悟るが、抗えない。衰弱しきり、立つこともままならない身体に、睡魔は心地よく染み渡っていく・・・・・・

 「アリィー、ど、の・・・・・・」

 「いいから黙って、寝、て、い、ろ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 

 声がどんどん、遠くなる。そこでイドリスの意識は、あっけなく途絶えた。


「・・・・・・それにしても、ずいぶんと遠くに行ったな・・・・・・」

 単にルクシャナを遠ざけて置いてくれという指示しか出していないのに、同僚は自分が“火”の力を待機に逃がすことも考慮したのだろう。民衆の中に消えていったその姿は、もはや遠目に見るからには分からない。

 「さて、と・・・・・・」

 まるで鼓動のように収縮を繰り返す火石を見つつ、アリィーはふうっ、と息をつく。

 (・・・・・・不思議だな。日頃どんなにはた迷惑でも、死ぬかも知れないと思うとやっぱり傍にいて欲しいものなんだな・・・・・・。でもどうやらぼくには、叶えさせてくれそうもない、か・・・・・・)

 「・・・・・・いや、きっとそれはそれで集中できなさそうだな・・・・・・」

 彼女を思い寂しげに失意を浮かべ、また彼女のことを考えるだけでそれは、どこが楽しげな失笑に変わる。

 アリィーは思う。きっと自分が残ることを知れば、自分の婚約者は残るなんて言い出しかねない。そしてその言葉通りに、彼女は何が起きようとこの場に留まっていたことだろう。長い付き合いになるが、彼女が言動と行動を違えたことなど、ただの一度としてないのだ。

「まったく、とんだお姫様もいたもんだ・・・・・・」

 自由で奔放が過ぎる婚約者に、そしてそんな彼女に振り回される自分を軽く鼻で笑って、アリィーは目の前の事態に取り掛かる。

 (それにしても、マッダーフには悪いな・・・・・・)

 危険がないように、と恋人を連れて距離を取ってくれた同僚。しかし今から行う手法は彼が想定していたものと異なるため、その行為は無駄になってしまうのだ。

 ・・・・・・確かにそのとおり、空気中に“火”を逃がすのが一番堅実であり、安全だろう。しかしアリィーはそれを分かっていても、行動に移すことができない。

 (・・・・・・イドリスの身体に危害を加えぬよう少しずつ放てば、恐らく出し切る前に火石は爆ぜる。・・・・・・かといってまた時間に焦り、爆発に間に合わせようとすれば、これまたその前に灼熱に身を炙り焦がされ、二人揃って命を散らすのは目に見えている・・・・・・)

従ってこの方法に頼ることはできず、アリィーはこうやってイドリスの“火”を地中に流す、という手段を取らざるを得なかった。

 主な精霊は“風”しかない大気と、様々な力が複雑に入り組みあっているアディールの地下。かかる労力の比は桁外れだ。しかも、自分が案ぜねばならない問題はこれだけに留まらない。

 無茶、無謀。知っている。それでもやらない、という選択肢を選べないエルフの騎士は、火石に左手をかざし、右手をそのまま石畳へつける。それができたのならば、彼はこの場に残ってなどいないのだ。

 ・・・・・・唱えるは風系統の先住魔法、“吸収”(ドレイン)。

 他者の意思に関係なく魔力を簒奪し、己が物とする禁忌。だが奪ったものと引き替えに、詠唱者は体力を失う。

 その量、先住魔法を行使する際のおよそ十倍。

 その爆発的な消耗のため、下手に扱えば限界を感じる前に容易く命を落としてしまう。文献にすら使用したとの記載もない、もはや何のために存在するのかすら分からない古の魔法。当然アリィーだって一度も使ったことはないが、しかしこの方法でなければイドリスは救えない。未知への恐怖と不安を払いのけ、アリィーは呪文を解放する。

 「・・・・・・ッ・・・・・・!!」

 途端、凄まじい熱が腕を這い昇ってくる。だがしかし、アリィーは身動ぎすることなくその激痛と、体内に入ってくる異物を拒もうとする本能的な忌避感に耐える。

 (自分はただ全てを阻むことなく受け入れ、見送る水路。止まらず、留めず、ただ淡々と流し続ける・・・・・・)

 始めてしまった以上、もう後戻りはできない。このイメージを崩した瞬間、自分とこの部下の身体は爆発四散する。感じる。分かる。流れている。ぐんぐんと吸い上げられていくイドリスの“火”は、自分の手のひらを離れて地脈を駆け巡っていく。まずはこの制御が、第一の関門。彼の救出において、アリィーはこのようにいくつかの問題を乗り越えねばならなかった。

 ・・・・・・いま、イドリスの身体の“火”は、何らかの術式によりその全てが胸部へと集約し、辺りを焼き尽くす火石となって爆ぜる時を待っている。これを止めるためにはまず、彼の身体の“火”を全て取り除かなければならない。

 ・・・・・・しかしここで、問題が生ずる。水、風、土と並び、火は万物を構築する四大元素の一つであり、それはエルフの肉体にも同じことが言える。しかし、これからそれを掻き出すというのだ。健常な者でも半分も抜けば死に至りかねないというのに、それがこの衰弱しきった部下の身体から全部、というのならばどうなるかなど想像するまでもない。

 だからこそアリィーはイドリスの“火”を逃がしつつ、同時に自身の“火”を彼の身体に流し込まなければならなかった。

 ・・・・・・自身の“火”を流し込むのだ、ただでは済むまい。加えて自分の“火”とイドリスの“火”を混ざり合わせぬよう、並列してさらに緻密な制御を行わねばならない。

 一呼吸置いて、アリィーは流れ込む勢いに乗せ、少しずつ自身の“火”を送り出し、・・・・・・そして一瞬で意識を持って行かれそうになり、戦慄と共に認識を改めた。

「・・・・・・ッ、はあっ、はッ!?」

 思わず荒げてしまった息を、瞬時に抑えつける。激痛は腕に伝わるばかりで増えも減りもしていない。しかし何かが削れていく。摩耗していく。溶けて、消えて、無くなっていく。それでもこのままでは間に合わない。だから、アリィーはさらに出力を上げる。

 (くッ・・・・・・ぐッ? がぁあああああああッ!?)

 火石の鼓動の間隔が早まり、バクン、バクンと脈打つたびに透明感が、酩酊感がアリィーを襲う。全てが白くなっていく。何がなんだか、分からなくなる。混沌の渦に振り回される意識。ただそれでも、握る二つの命の手綱だけは絶対に放さない。

 (死なせない、そして自分も、死なないッ!)

 「ッ!? ・・・・・・ッ、・・・・・・っ・・・・・・」

 ゆっくりと段階を踏んで自我を引き戻し、アリィーは生と死の狭間の一線を維持する。愛の力と言えば恥ずかしい限りだが、実際に後ろで彼女が見ている、そう思うと沸々と力が湧きあがってくるのだからそうとしか表現のしようがない。

 「・・・・・・リィ! アリィーッ!!」

 (・・・・・・話をすればなんとやら、か・・・・・・)

 振り切って来たのだろう、自分を呼ぶ婚約者の息は弾んでいた。さらにその後ろからは追いかけてきたのか、同僚の声がする。巡り廻っていた世界がゆっくりと定着し、思考も醒めていく。・・・・・・火石も小さくなり、その拍動も弱く、間隔も広がってきた。

 あと少し。・・・・・・だが、油断はしない。針のように研ぎ澄ませた精神で、アリィーは繊細かつ迅速に、行程を一つずつ終わらせていく。

 

 ――――そして火石を抜き出し、詠唱で作業を締めくくった――――瞬間――――、アリィーは自分の足元に沸き立つ膨大な、“火”の力に気付いた。

 

 「! まさ、か・・・・・・ッ!? マッダーフ、防御ッ!!」

 自分の身体ではもう、これ以上の精霊行使はできない。アリィーはありったけの声で援護を叫ぶが、切迫したその様子をマッダーフは一瞬では察するに至らない。数メイル先にいたルクシャナも立ち止まり首を傾げるだけで、意図をはかりかねていた・・・・・・が、硬直は一瞬で、それどころか直後にこちらに駆けて来た。考えられる限り、最悪の状況だった。

 「なに、何かあったの!?」

 (~~~~~ッ! だめだ! 呼びかけではもう、間に合わないッ!)

 判断したアリィーの行動は素早かった。瞬時に“風”を使い、眠るイドリスを横薙ぎに吹き飛ばす。そして間髪入れずルクシャナに飛びつき、その身体に覆い被さった。

 「え、ちょっとアリ」

・・・・・・ルクシャナの驚いた声、その中途。亀裂の入った石畳から顔を出した炎が爆ぜ、辺りを瓦礫もろとも呑み込んだ。

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