安寧と破壊

 ―――――溯ること、少し前。アリィーは、アディールの広場の端に積み上げられた瓦礫の山の上にいた。彼らに任されたのは不用意に舞台に近付く者や、怪しい物を置いていく者の監視。それを踏まえると、これ以上に適した環境はなかった。

 「・・・・・・それにしても、これだけの数に気を配るとなるとやはり疲れるな・・・・・・」

 視力と視界。二つの能力を上昇する眼鏡のような魔道具を外し、アリィーは目頭をつまんで酷使していた目を何度か瞬きして、小さく呟いた。

 「熱い・・・・・・」

 自分たちが依りとする“大いなる意思”も、彼らが信とする“悪魔”・・・・・・いや、始祖ブリミルとやらも祝福してくれたようで、今日という日はこの上ない好天である。しかし、それは同時に太陽が更に勢いを増すということ。さらに建物という建物が倒壊しているので、影に入って乾いた風に身を委ねることもままならない。現に集団の熱気と照りつける日射に当てられ、気分を悪くする者や倒れて担架で運ばれる者なども珍しくはなかった。

 「・・・・・・まあ、今までやってきたことと比べれば大した苦労じゃないが・・・・・・」

「ん? アリィー、いま何か言った?」

「いや、別に何でもない・・・・・・」

 大きな麦わら帽子を被り、なんだかよく分からないものを大量に引っさげてやって来たルクシャナの姿にアリィーは少し呆れてしまう。そのほっそりとした肢体に痛々しく刻まれた銃創もまだ完全には癒えていないというのに、相も変わらず元気なエルフだった。

 「それよりもほらこれあげる、人間たちのオモチャですって! 他にも色々あるわよ!」

 「・・・・・・どこでこんなものを買ってきたんだ?」

 手招きにひらりと瓦礫から飛び降りると、兎を模した銀細工を押し付けられた。首を傾げて問うアリィーに、ルクシャナは誇らしそうに語り出す。

「エウメネスで外で店をやっていたのを思い出してね、人間とエルフの商人にこれだけ観衆がいるなら物を売ったら大もうけするわよ、って持ちかけてみたの! そしたらみんな競うように店を出してね、提案者のわたしにお礼って言っていろいろくれたの!」

「何をやっているんだきみは!? お祭りじゃないんだぞ!?」

「別に悪いことじゃないでしょ? それに式典を見る人だって、増えた方が良いと思うわ」

 「ああ、その分僕の仕事が増える事を除けばね!!」

 ルクシャナの勝手な行動に、アリィーは頭を抱えて叫ぶ。なんてったって自分が大変な思いをしてやったことの大半が、こうやってこの婚約者の起こした騒ぎや面倒事の後始末ばかりである。率直な所、もう少し自覚を持ってもらいたかった。

「食べ物を売ればゴミが増えるし、人が集まれば揉め事だって起きるし・・・・・・、はぁああああああ・・・・・・」

 切なげにため息をつくフィアンセを見て、ルクシャナはなんだか申し訳なくなってきた。

 思い返せばここ最近ずっと、アリィーには迷惑をかけっぱなしである。悪いとは思っているが、溢れ出る好奇心を抑えられないのは自分の性分である。絶対に変えられはしないし、変えたくもない。・・・・・・だがしかし目の前で嘆くアリィーを無視できるような性格でもないので、ルクシャナは日頃のお礼もかねて、彼を元気づけてあげることにした。 

 「・・・・・・ねえアリィー、まだ行ってないお店がいっぱいあるから、わたしと一緒に色々見て回りましょ?」

 「まったく、きみってやつは勝手だなあ・・・・・・」

 婚約者からの誘いに、そう言いながらもアリィーは少し考えてみる。警護はまた他の者に任せられているらしく、自分たちの仕事は大したことではない。きっと何事も起こらず儀式は進められていくだろうし、それに見回りだって立派な監視だ。

「・・・・・・ああ、そうだな。もうそろそろマッダーフと交代の時間だから、休憩ついでにご一緒するよ」

こじつけた理由を並び立てた末に自分の口が肯定の意を紡いだことに驚き、そしてそのことにアリィーは思わず笑ってしまう。

「ちょっと、いきなりなに笑ってるの?」 

「悪い悪い、きみのことじゃないよ。ぼくもこんなことを言うようになったんだな・・・・・・、っておかしくなったのさ」

 彼女に出会う前の自分だったら、「この忙しい時間に!? ふざけるな!」と突っぱねていた自信がある。それに言ってしまえば、この誘いだって彼女の勝手な善意の押しつけである。今でこそ疲れた自分を彼女が元気づけようとしていると分かるが、きっと昔同じ事を言われたら激怒していた。・・・・・・それほどまでに、彼女と会って自分は変わったのだ。

 ・・・・・・もちろん今でもそんな彼女にいろいろ思うところはあるし、言いたいことだってある。でも、この炎天下だというのにはしゃぎ回る婚約者を見ていると、そんな事がどうでも良く思えてくるから不思議だった。

 「それにしてもやったわね! この式典が終わったら蛮人・・・・・・いえ、人間とエルフが正式に交流を結ぶのよ! もっと、もっと彼らのことを知ることができるのよ! ねえアリィー、これってすごいことだと思わない!?」

 楽しげに、嬉しげに、ルクシャナは笑う。新しいオモチャを与えられた子供のように、心が弾んで仕方ないといった様子で目を輝かせる。 

 ・・・・・・人間の倍もの時を生き優秀な頭脳を持つエルフは、物事を知るにつれて未知への興味や関心が薄れていく。今までにあった経験則や知識に当てはめれば、彼らの世界に起こり得る大概の事象は説明がつくからだ。

 (・・・・・・だけど、彼女だけは違う)

アリィーはふと口元を綻ばせる。彼女の婚約者になって振り回される毎日。大変なこともあるし、いやになることもあった。・・・・・・でも何より、自分は・・・・・・、

そのとき、アリィーは気付いた。視界の端で静かに壇上の言葉に耳を傾けていたはずの観衆の気配が、変わっていることに。

 誰もがみな取り乱し、ざわめきが漏れ出す。慌てて眼鏡型の魔道具をかけ直し壇上を見ると、先程壇上に上がったばかりのハーフエルフの少女の姿がない。一体何が起こったのだろうか?

「・・・・・・アリィー、懐、何か光ってるわよ?」

「ああ、どうやら君の叔父から何か用らしい。まあきっとこの騒動の事だろう」

 そう言うと婚約者に背を向け、アリィーは懐に手を伸ばし、二つの通信用の水晶を取り出した。・・・・・・のだが、たとえ“騎士”の称号を得ていようとも、軍の中では部隊長に過ぎない彼が持っているのは軍から支給されたものなので、あまり質はよろしくない。水晶から発せられた音はあまりにも小さいので、アリィーは長い耳を押し付けて必死に聞き取ろうとする。だが、あまり芳しくなかった。

 “・・・・・・が、・・・・・・から・・・・・・”

 わいわい、がやがや・・・・・・。

 「・・・・・・済まないことですが、周囲の雑音が邪魔で聞き取れません。もう一度お願いします」

 “・・・・・・そうだ、くれぐれも・・・・・・”

 「アリィー、もしかしてそれ、新しい通話用の魔道具なの!? 使い終わったら見せて! ねえ、お願い!」

「・・・・・・すみません、今度はあなたの姪です。ちょっと待ってて下さい、はい。すぐに静かにさせますので」

“・・・・・・!”

 婚約者の叔父は何か言ったようだが、兎にも角にもアリィーは一旦水晶を仕舞い込むと、手のかかる恋人へ柔らかく声をかけた。そりゃあもう、柔らかく。   

「ル~ク~シャ~ナァ~、こんな時くらいは静かにしてくれないかなぁ?」

「うっ・・・・・・」

 ゆっくりと振り返った婚約者の様子に、ルクシャナはたじろぐ。その顔には笑みを浮かべてはいるものの、目元が噴火前の火山のように、ピクピクと不自然に痙攣している。この表情をルクシャナは知っている。もう彼の「怒り」と書いてある袋は、どうやら詰め込みすぎていっぱいいっぱいのようだった。

 ちなみにアリィーは基本、ルクシャナに怒らない。それは何を言っても諭しても無駄だと知っている故の一種の諦めなのだが、その分彼に蓄積する負荷やストレスは並ではない。だから溜まりに溜まったそれが彼の容量を超えると、唐突に鍋をひっくり返すように全てをぶちまけてくるのだ。当然そのほとんどは、ルクシャナに対する不満や文句であるから逃れられる訳もない。最近では潜水艦で目覚めた時がそうだった。

 説教に次ぐ説教に次ぐ説教に次ぐ説教。儀式を執り行う二人が心をぶつけ、修羅場を演じていたあのとき、自分もまた確かに言葉によって繰り広げられた修羅場をくぐっていたのだ。

 あれは酷かったわ・・・・・・と思い出すだけで背筋が少し冷たくなる。そして、その雷雲は現在彼の頭上で渦巻いているのだ。また迸られて雷を落とされでもしたらたまらない。刺激を与えないようにとルクシャナは気をつけ―――ずに、思うがままに言葉を放った。これしきのことでめげるのならば、彼女の探求心という名の暴走はとうの昔に止まっている。どんなときでもどんな状況でも、自分の心からの行動を取る。それがこのルクシャナというエルフだった。 

「・・・・・・だって、だってしょうがないじゃない、気になるんだもの! それよりもお願いだから、早く叔父様と話を済ませて! わたしそんなに気が長い方じゃないの!」

 「ああ、そんなことは僕が一番良く知ってるよ! それにまずこれを貸すには、君が開発局から借りてきたままの送受信用の魔道具を返してくれなくちゃな! 試験用とはいえ、あれが一体いくらすると思ってるんだ!?」

 「いいじゃない、通話用と送信用二つも持つなんてかさばるもの! それにそんな小さい声、聞き取りにくいったらありゃしないわ!!」

「今回の戦でその二つを使ってた部隊長たちは、いまの君の言葉を聞いたら一体どんな顔をするんだろうなぁ!?」

「なによ、ちゃんと使ってるからいいじゃない!」

 「そういう問題じゃないんだよ!」

「・・・・・・それはそうと、いいから早く取ってよ! ほら、叔父さまだって待ちくたびれてるわよ!」

「・・・・・・ああもう! 今度こそ頼むから静かにしといてくれよ!」

 知らずのうちに話の道を外していたことを指摘され、アリィーは逃げるように水晶に向き直った。まったくこういう聡い所はずるいと思いながら、再び口元を緩めようとしたが、話を聞いた直後に自然と彼は戦士の顔つきになっていた。束の間の安寧に、忍び寄る影の足音が聞こえた気がした。事態は彼が思うより、一層深刻だったのだ。

「・・・・・・どうやら壇上から逃げ出した件のハーフエルフが逃げ出したらしい。彼女を追いかけて連れ戻してこい、だとさ」

「あら? わたしあの子のこと見てきたけど、そんな弱い子じゃなかったわよ?」

「なんでも精神操作を受けた可能性が高いそうだ」

そう言うと、アリィーは使い終わった水晶をルクシャナへと放った。なんだかんだで、アリィーは結局は恋の奴隷なのであった。

「・・・・・・嘘でしょ?“大いなる意思”の力はいま、もうほとんど使えないのよ?」

「そう、そこが問題なんだ」

 アリィーは頷く。大災厄から二週間の時が経ったが、已然としてこのアディールでは精霊との契約は結べていない。・・・・・・厳密に言えば地脈と関連しない“大気”・・・・・・“風”に関しては、試してみたところここ最近で行使が可能になっていることがわかった。しかし纏わせたり束ねたり、という様に思いのまま操る、とまではいかないのだが。

「・・・・・・それにしても困ったな、僕の身体は二つもないんだが・・・・・・」

「マッダーフを呼べばいいじゃない。そこら辺に居るんじゃないの?」

ちらちらと送る視線に“見張りをかわってくれないか”との言葉を絡めるが、婚約者はどうやら水晶に夢中らしい。これではとても任せられないなと思い、アリィーはため息をつきながら話を戻した。

 「・・・・・・いや、いてもたってもいられなさそうだったから、捜しに行かせてる。イドリスがいなくなったことに、責任を感じていたんだろうな。・・・・・・とは言っても、あまりに遅いな。もうそろそろ来ても良い頃だが・・・・・・、!」

 疑惑に沈んだアリィーの柳眉は、次の瞬間驚愕に跳ね上がった。―――こちらに向かうマッダーフが、一人のエルフを引き連れてきたからだった。

「アリィー、アリィー! 見つけたぞ!」

ずいぶん駆けずり回ってきたのだろう。息せき切った言葉は途切れ、その顔には珠のような汗が浮かんでいる。しかしその代償として、彼が探し続けていた同僚は、彼に肩をされながらも確かにそこに存在していた。

 「ほら、ちゃんと立てるか?」

「ええ、大丈夫です・・・・・・」

 イドリスはそう言って借りていた肩を外すが、その鍛え上げられた身体はやはり衰弱しきっているらしく、その足元は卵からかえったばかりの小竜のようにふらふらと頼りない。

 痩せこけた頬、ぼさぼさの髪、すり切れた服、濁った目。見てくれはまるで路地裏の乞食のようですらあったが、その瞳の奥に宿る意思の力強さが、彼の戦士としての誇りを保たせていた。

 「マッダーフ、どうしてこんな状態で引っ張ってきた?」 

 開口一番、小隊を率いる隊長としてアリィーは部下に問いただした。マッダーフは申し訳なさそうに答える。

「いや、どうしてもお前に言いたいことがあるって聞かなくてな。言伝を預かろうとしたんだが、どうしても自分の口から、と・・・・・・」

「わかった、きみは僕の代わりに見張りに戻っていてくれ。あとルクシャナの面倒を頼むよ。・・・・・・それでイドリス、僕に伝えたいことって?」

「・・・・・・アリィー殿、早く、早く人民に避難を促して下さい! ・・・・・・このままでは、このままでは・・・・・・!!」

 もはや大きな声を出すことすら叶わないのか、語尾を荒げたイドリスはけほけほと蒸せ込む。

「落ち着けイドリス、大丈夫だ。統領閣下は既に何もかもご存じで、壇上にはアディール屈指の手練れを控えさせておられる。何も心配することは・・・・・・」

 「ない!? いいえアリィー殿、アリィー殿はあの倉庫にあった火石を見ていないからそう言えるのです! 今このアディールにあれが放たれれば・・・・・・!」

「お、おいイドリス待ってくれ。倉庫? 火石? きみは一体どこに捕らわれていたんだ?」

「水軍総司令、鉄血団結党党首エスマーイルの牙城、水軍基地です! 連合軍によって兵器はあらかた破壊されていたはずなのですが、地下に隠し倉庫があり、そこに大量の兵器を蓄えていました。ええ、間違いありません、なにせわたしはそこに監禁されていたのですから! ・・・・・・未だに瞳には焼き付いています、目の前で運び出されていく十六個の火石!! だからこそわたしはこれを伝えるべく縄をなんとか引きちぎり、機を見計らって脱走に望みました。幸い基地には誰の気配もなく、拍子抜けする程に容易く外には出られはしましたが・・・・・・」

 矢つぎはやに語られる情報の数々を頭の中に入れ込んで整理しながら、しかしそれでいて受け身になることなくアリィーは更に部下から情報を引き出す。

「・・・・・・他の誰かが、彼の行いに荷担していた様子は?」

「何度も何度も時間を空けて、一人のエルフが出入りと運搬を繰り返していました。深いローブを纏い目元から下を布きれで覆う、といった出で立ちのだったため誰とは判断が付きませんでした。しかし、エスマーイルとは違い明らかに小柄だったため確認することが出来ました」

「・・・・・・そうか・・・・・・」

「・・・・・・アリィー殿、これはわたしの考えですが、火石がどこかに仕掛けられたとすればその場所はまず一つではありません! 一ヵ所に集めて爆発させるだけならば一度に持ち運べばいいのです! しかし彼は気付かれる危険を冒し、わざわざ手間をかけて持ち運んだ! ・・・・・・アリィー殿、何か、恐ろしい何かがこのアディールの中で蠢いています!

ですから早く、早く指示を・・・・・・!」

「・・・・・・ああ、だいたいの事情は飲み込めた。だがその前に教えてくれ。ご苦労だったイドリス、君はゆっくり休め。その身体じゃいざって時に動けないからな・・・・・・」

 アリィーはイドリスの言葉に信を置き、労をねぎらうようにその肩に手を置いた。

 自分たちの会話を興味深そうに聞いていた婚約者ともう一人の部下にはそう見えただろうが、実際は違う。アリィーは時間を稼いでいた。イドリスの身体に流れる「水」を見て、疑わしいものがないか調べるだけの。

 先程聞いた話にはそれなりの説得力と信憑性があった。だからこそ、アリィーは部下が発した情報の一つに疑問を覚えたのだった。・・・・・・そう、「何度も何度も時間を空けて、水軍基地に立ち寄れる」者など限られているのだから。

アリィーは考える。まず第一に、イドリスを捕らえたのはエスマーイルではないか? という疑惑は、アリィーも婚約者の叔父によって聞かされていた。

 何でも動機としてはとても単純で、自ら指揮した軍が今まで散々見下してきた人間に敗られたと言う事実は彼の尊厳や誇りを大いに傷つけたらしく、人間と和議を結ぶとのネフテス統領の方針を罵倒した上で、その狂気に身を委ねるがままにファーティマ・ハッダードを呼び出し、水軍基地にて式典を瓦解させる謀を彼女に持ちかけたという。

 しかし、彼が会った彼女は以前のように人間を忌み嫌ってはおらず、彼の意思に明確な拒絶を示し、その行いを阻止せんとすべく彼の言葉をネフテス統領に伝えたそうだ。そしてその際、彼女を追っていたイドリスの行方が知れなくなった・・・・・・

 ここまで聞いて、アリィーは偶然にしてはできすぎていると思った。だから話を聞いた直後に蛮人対策委員長から許しをもらい、彼女の証言からそう時を置かずに水軍基地にアリィーは入った。

 ・・・・・・人手の足りないアディールの兵を三十も借り受けて行われた大捜索だったのだが、しかし結果は芳しいものではなく、誰かが出入りしたという痕跡も、また隠し部屋の存在も見出すことはできなかった。その後も十の兵に命じ今でも探索を続けさせているはずだが、それらしい報告は何も聞いていない。

 そして、この事実は部下の言と矛盾を生じていた。本当に彼らが火石を持ち出し、その隙を突いてイドリスが水軍基地から逃げ出してきたというのならば、水軍基地に残してきた衛士たちが気付かない訳がないのだ。

(・・・・・・それとも兵士たちは、もう既にエスマーイルよって・・・・・・? そもそもあの男が、本当に情報を掴んだ者を逃す愚を犯すというのか・・・・・・?)

 いくつもの予想や思考が、瞬時に現れては消えていく。もちろんイドリスは何度も任務を共にし、背中を任せて死線をくぐってきた仲間だ、戯れ事や狂言に耳を貸すようなエルフではないと胸を張って言える。

 また言ってしまえば、他者の精神を侵すことなどできる筈がない。自分たちが扱う“大いなる意思”の力は、万物に宿る精霊を行使するものであるため命を有する物には干渉できない。生物はその身に宿る精霊の力よりも、持っている「意思」の方が強い・・・・・・という理由だが、これには例外もあり、知性を持たない植物などがそれに当たる。“木矢”で

木々を行使し敵を射抜くことはできても、竜や魔獣の類には同じ事は出来ないのだ。

 よって可能となれば、人間のメイジが絡んでいることになる。有り得なくはない話だが、鉄血団結党の党首がとなれば、それは非常に考えにくい。

 アリィーは更に思考を深める。それに、もしかしたら彼がいたのは本当は水軍基地ではなかったかもしれないし、ネフテス統領が兵を引き上げさせた、ということも無くはない。

 長い時を共に過ごしたこの部下への信頼が、何らかの手違いだとアリィーに思わせる。否定する材料はそこらかしこに転がっていて、拾い集めるのは簡単だった。だが天が砕け、大地が裂けたあの光景を目の当たりにしてしまった以上、起こり得るかもしれないそのわずかな可能性たちを断ち切り、「ありえない」と常識にくるみ込んで呑み込むことはアリィーにはもう、できなかった。

「・・・・・・アリィー殿?」

 自分の様子がおかしいのに気付いたのか、向けられるその瞳に疑念の色が混ざり始める。立つこともままならない身体を引きずりながらも、こうやって駆けつけてくれた部下を疑わなくてはいけない後ろめたさ。自然とアリィーの調べる速度は上がっていく。

 精霊の力を把握するのは子供の頃に誰もが習得する基礎中の基礎である。確かに今のアディールでは精霊との契約は行えないが感じ取ることはできるし、それを戦士としての訓練を受けた自分が行えば、エルフ一人の身体を調べ尽くすのにそう時間はかからないはずだ。

 頼む、単なる自分の思い過ごしであってくれ・・・・・・

 アリィーは部下の潔白を願う。その思いが通じたのか、彼の「水」からは何の異変も見つからなかった。アリィーの口からは自然と安堵のため息が漏れ出す。

 そして疑ってしまったことを謝まらなければと頭を下げ、謝罪を紡ぎ出そうとしたのだが、その言葉は不意の出された口に差し止められた。

 「すまないイドリス、」

 「ねえねえイドリス、」

 『・・・・・・・・・・・・、」悪いけど、ちょっといいかしら?』

 言葉が重なる気まずさにも負けず沈黙を破り、続く言葉を出すのは、やはりというかなんというか、その様子を傍から見ていたルクシャナであった。

「・・・・・・マッダーフ」

 アリィーがため息と共に仲間の名を呼ぶと、先程任せたエルフは慌てて彼女を呼び戻した。

「なあルクシャナ嬢、わかるだろ? 今は大事な話の最中なんだ」

「すみませんルクシャナ嬢。ですが、今は少し・・・・・・」

「いいえ、それを言うならこっちも大事なことよ。それにすぐ終わるから」

 婚約者の部下二人に咎められつつ、それでもルクシャナの口は止まらない。そしてアリィーはその様子を見て気付いた。違う。いつもの自由で奔放なものではない。今の彼女の目は、不可解なものを自らの知識で、見解で突き詰め、明らかにしていく学者の目だった。

「じゃあ聞き直すわよ。・・・・・・イドリス、あなたのその手のひらにあるそれ、なに?」

「え?」

 思わず声をあげ、イドリスは己の手を見つめる。だがしかしそこには何もない。当然だ。なにせ水軍基地を脱してからマッダーフに会うまで、この両手は固く握り締めて、おぼつかない足を動かすために前へ前へと突き出していたのだから。

「・・・・・・何もないぞ? おいルクシャナ嬢、一体どういうことだ?」

 マッダーフも眉を寄せ、怪訝な表情を作る。しかし、神経を研ぎ澄ませてイドリスの両の手を「見」たアリィーは、彼女の言わんとすることが分かった。イドリスの右の手のひら、その中心には豆粒ほどの小さな“無”があった。そしてその存在に、アリィーは戦慄を感じたのだった。

 この大自然から生まれ出づるものならば、どんな物でも何らかの精霊の加護、もしくは火、水、風、土の四の元素から成り立っている。だからこそありえない。この黒い“何か”からは、何の力も感じ取ることができないのだ。

 覚えたのは、かつて桃髪の“担い手”の少女に杖を突きつけられた際と同じ恐怖。しかしそれを感じた理由は違う。あの時のように、大切な物を守りたいという美しい勇気に気圧されたからではない。この全てを呑み込み、食らわんと言わんばかりのどこまでも禍々しい黒は、アリィーの心から嫌悪という感情を無理矢理引きずり出したのだ。

(ビターシャル様に伝えるべきか? ・・・・・・いやそれとも、まず開発局に持ち込んで何であるかを特定するべきか?)

 ともかくどうするにしても、まずはイドリスの手から摘出するのが先決だ。捕らえられていた部下の手にこうして異物が仕込まれている以上、これがあの“鉄血団結党”の党首の仕業であることは明白なのだから。

 「・・・・・・しかしルクシャナ、きみはどうして気付けたんだ?」

 小さく耳打ちすると、婚約者は頷いて話を始めた。

「近くで見てたから分かるの、“悪魔”の力に似てるから。・・・・・・これはわたしの勝手な見解だけど、たぶんこれ、イドリスの体に直接干渉してるわよ」

「なんだって? そんなことある訳が・・・・・・」

 アリィーは咄嗟に否定の言葉を口にし、部下の右手に顔を近づけ、より精密に「見」る。そしてその声を驚愕に掠れさせ、自分の認識が間違っていたことを悟る。これは埋め込まれているのではない、完全に同化している!

 「・・・・・・バカな・・・・・・!」

 見ているものが信じられず、思わず呻き声が漏れる。しかし考えてみれば当然だ、それならば彼の「水」を見た時に異変を察知出来ていたはずなのだ。・・・・・・つまりこの“何か”はイドリスの身体の一部になっていることになる。自分たちに出来ない以上これまたメイジの魔法である可能性が浮上し、疑問は深まっていく。

「アリィー殿? ルクシャナ嬢??」

 そして当のイドリスは自身の微かな異変に気付いていないらしく、しきりに手を見ては首を傾げている。

「イドリス、隊長命令だ。少しの間目を閉じていろ」

 このまま知らない方が良いなと思いつつ、アリィーは腰に差した小刀を握り、彼の感覚を遮断するため小さく詠唱を始めた。

 この“何か”の得体が知れない以上、余計な干渉は行えない。かといってこのまま放置する訳にもいかないので、肉ごと削いでしまうことにしたのだ。

 ・・・・・・乱暴な手段ではあったが、時は一刻を争うため贅沢は言っていられない。それにこの分だとそう傷は深いものにはならないだろうし、何よりこれだけ狭い範囲ならば、少し無理をすれば何とか精霊を行使できる。そう思ったからだった。

 「アリィー、何を・・・・・・」

 「静かにしていてくれマッダーフ、すぐに終わるから」

途惑う同僚を制し、アリィーは部下の手を取って唱えた呪文を解放した。

 

 ・・・・・・その直後に、身体を衝撃を受けたかのように大きく反らし、崩れ込むイドリスのことなど予想できる訳もなく。

 「!?」

「がッ・・・・・・! があああああッ!!?」

 石畳の上に倒れ込み、仰向けのまま苦しげに喘ぐイドリス。何が起こったか分からないまま、とにかくアリィーはその身体を「見」て、・・・・・・思考を停止させた。―――――先程まで確かに在った右手の“黒”。その姿はもう影も形もなくなっていて・・・・・・、

「アリィー殿、何かが、私の、中で、暴れてッ・・・・・・」

「おい、しっかりしろイドリス! アリィー、これは一体どういうことだ!?」

 熱い、熱いとうわごとのように繰り返し、イドリスは服を裂いて胸を掻きむしり始める。マッダーフが叫び説明を求めるが、それでも恋人の硬直は解けない。その瞳が沈黙と共に見つめているのは、掻きむしるイドリスの胸元、その中心。ルクシャナも同様に「見」て、・・・・・・そして、その光景に息を呑んだ。

 「なによ、これッ・・・・・・」

 火石が、あった。先程までは無かったはずなのに。いや違う。彼の身体の中で、“作られた”のだ。その証拠に今も火石はイドリスの身体から“火”の力を掻き集めその大きさを増しており、万物を構成する四大元素のうちの一を失った彼の身体はみるみるうちに生気を失い、エルフ独特の白い肌からさらに色を落としていく。

 どう見ても明らかな、外的なものではない干渉。火石はまるで脈打つ心臓のように収縮を繰り返している。マッダーフも「見て」しまったのか、その口を閉ざし動かない。

「アリィー殿、どうやら自分は一杯、食わされたようです・・・・・・、早く、逃げて、下さい。あと、もし、よければ、伝えて、下さい、母に、すまな、かった、と・・・・・・」

 もう、時間はない。イドリスもそれを悟ったのか、自分を見捨てるように言う。誇り高きネフテスの戦士として歴史に名を刻むほどにその言葉は勇敢で潔いものではあったが、しかしそれでもまだ足りない。

 「おい、どうした!?」「何かあったの?」「何事だ!?」

 騒ぎに気付いた聴衆が様子を見に集まり始めたが、被害が拡大する恐れはない。この火石の規模は決して小さいものではなく、このままの勢いで成長すれば壇上まで爆風に呑まれ、この場の全てが死に絶えるからだ。

 いま逃げようと集まろうと、大して結果は変わらない。だからこそ爆発自体を抑え込む「誰か」・・・・・・、そう、最低でももう一人更なる犠牲が必要だった。

 ・・・・・・そして、この場にいて、それが出来る強力な“行使手”は・・・・・・

 ハッと気付き、ルクシャナは振り返る。しかしその危惧は、すぐに霧散した。

 「ルクシャナ、逃げるぞ!」

 「きゃっ! ちょっと、アリィー!」

 案じていた婚約者は自分を肩に担ぐと、周囲に大声で避難を喚起しつつ走る。蜘蛛の子を散らすように逃げていく観衆。その後ろでは、マッダーフがイドリスの隣に座り、詠唱を初めている。

 「ちょっと待って、マッダーフで大丈夫なの!?」

 「・・・・・・ああ、心配ないはずだ」

 「・・・・・・そ、そう・・・・・・」

 躊躇うような口調で返される言葉に気まずくなりながらも、ルクシャナは不覚にも安堵してしまった。本来ならいま遠ざかるあの場には、精霊魔法に長けるこの婚約者がいなければいけなかったのだ。

 ・・・・・・きっとアリィーだって、生死を共にした仲間を置き去りにするのは忍びないはずだ。彼らにだって守りたい大事な者がいて、彼らが愛し、また彼らを愛する者がいるというのに、その命の重さを比べるなんてことは絶対に許されない。

 ・・・・・・でも、それでも。どうしても誰かを犠牲にしなれければいけないというのならば、この婚約者だけは選ばれないで欲しかった。隣にいてくれるこの幸せを、ルクシャナは失いたくなかったのだ。

 「・・・・・・ねえ、わたし少しくらいなら走れるからもう下ろして良いわよ? ねえアリィー、聞いてるの?」

 担いだままでは距離も稼げないだろうと繰り返し問うが、応じない。何かがおかしい婚約者の様子に疑問を覚え、ルクシャナはその表情を覗き込もうと身体を捩らせるが、恋人はそれを許さず、抑える力を強くする。

 「ねえちょっとアリィーってば、苦しいじゃないの!」

 責めるような言葉に一瞬、腕の力が抜けた。その隙に腹を軸にくるりと身体を反転させる。後方に向けられていた身体が前になり、ルクシャナは走るその横顔を窺う。・・・・・・そして、自分の目を疑い、思わず声を漏らした。

 「・・・・・・えっ?」

 ・・・・・・どうしてそこまでして見たかったのか。どうして安心を覚えてしまったことに罪を感じていたのか。・・・・・・きっと、無意識の内に気付いていたのだろう。

 かけていた“変化”が解け、掠める風が、その面影を、容姿を削ぎ落としていく。

 ・・・・・・そう。そこにいた彼は、愛する恋人では、なかった。

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