暴走する狂気


 白塗りの建物は所々に亀裂が入り、その堂々とした風体は損なわれている。はためいていた三角旗の青と黄色は所々が破れていて、戦いの熾烈さを物語る。エルフ水軍司令基地は、散々な状況だった。

 石で出来た桟橋はゴーレムの自爆により、粘土にボールを押し当てたかのように球状に抉り取られている。その他諸々の設備もやられており、弾薬庫に至っては全壊していた。跡形もなく粉々に叩き潰された上、ほんのりと磯の香りがした。砕いた弾薬に海水をぶちまけているのだろう、敵の徹底的な戦力の削ぎ方が窺えた。

 「・・・・・・誰もいないのか?」

 裏路地という裏路地を駆け抜け、辿り着いたファーティマは基地に入るとすぐに違和感を覚えた。

 ・・・・・・人がいない。虚無の曜日ならば有り得ることかもしれないが、あいにくと今日は平日だ。ましてや“鉄血団結党”の党員が大半を占めるこの水軍では、休日に休みを取ろうとする意識の低い者は存在しないはずなのだ。

 どういうことだ、みな復興の為に各地に駆り出されたのだろうか?

 ファーティマが首を傾げていると、崩れた柱の陰から男が飛び出してきた。ファーティマは反射的に敬礼の姿勢を取る。現れた男は、自分をここに呼びつけた張本人だった。

「おお、無事だったかね!」

「久しくお目にかかります、エスマーイル同志議員殿」

「今回きみをここに呼びつけたのは、頼みたいことがあるからだよ」

「頼みたいこと、でしょうか?」

 問い直したファーティマは、強烈な違和感と、得体の知れない気味の悪さを覚えた。自分が知る鉄血党の党首はもっと威風堂々としていて、まさに党の手本となるような厳格さと冷酷さを持ち合わせていたはずだ。なのに、眼前のエルフにはそれがない。どこかおどけたようなその口調も、「頼む」という言葉自体すら彼に似つかわしくない。ここにいる二人は片や水軍の実権を握る党の長で、片やその党に名前を連ねる末端。単純に命令すればいいだけの話ではないか。

「そう、頼みたいこと、だ。決して命令ではない。受けるかどうかはきみ次第だ」

「・・・・・・その内容とは?」

エスマーイルは辺りを見回し、計画の内容を耳打ちする。ファーティマの瞳は驚愕に見開かれた。


「・・・・・・四国友好条約の祭典時に、連合軍の指揮を執ったトリステインの女王を殺す?」


「そうだ。このままでは我らは蛮人共の卑しい思想に染められてしまう。我らエルフは有能故に民の数が少ないが、奴らは愚劣故に数がある。いかに我らエルフが優れていようと、数の力には勝つことは出来ないのだ。一の崇高な思想はいずれ、十の、百の俗物どもに辱められ、淘汰されるだろう。それでは民族の死と同義だ。許されざるべきことなのだ」

 「しかし、“大いなる意思”の力を借りることができない我々がどうやって・・・・・・」

 「・・・・・・どうやら、きみは本当に長いこと軍から離れてしまったようだな。きみのその手の中にある物はいったい何だね?」

 ギラギラと光る瞳を向けられた手を、ファーティマはゆっくりと開く。

 そこにあったのは、深い闇色の小さな結晶。しかし、ただの結晶ではない。それは軍事力として陸軍、空軍に勝るエルフ水軍の技術の粋を集めた、ありとあらゆる精霊の力を封じ込めた強大な魔力の結晶。

 土を使えば地割れを起こし、火を使えばすべてを焦土に還す。水を使えば思うがままに民衆を操り、風を使えば巨大な竜巻がすべてを呑み込むというおぞましい代物だった。

「蛮人へと扮してネフテス統領を襲う手もあるが、あの臆病な老害を相手取るには劣悪な姿では分が悪いだろう。ならば、和睦を信じ油断しきった蛮人どもの王を殺す方が手っ取り早いというものだ。どこぞの蛮人の王がやったというような、全てを葬り去る爆殺では意味がない。民衆の見ている前で、ありありと分かりやすく残酷に殺すのだ。ああ、首を撥ねるか胴体を両断するかはきみの好きにしてくれたまえ」

「・・・・・・エスマーイル同志議員殿」

「感情のままに怒り狂う蛮人どもの姿を見れば、あの老害に洗脳された者たちも目を覚ますはずだ。戦いが始まり数多の血が流れるだろうが、わたしの知るところではない。忌々しい蛮人どもと手を切ってやるのだ、感謝されるのが当然というもの・・・・・・」

「エスマーイル同志議員殿!」

「なんだね同志ファーティマ? ・・・・・・ああそうか、引き受けてくれる気になってくれたのだな? わたしがきみの一族を泥底からすくい上げたことを鑑みれば当然かもしれないが、それでもきみの忠誠心は賞賛に値する! 安心したまえ、きみときみの一族の身の保証はわたしが責任を持って・・・・・・」

「この話、失礼ですが辞退させて頂きます」

「・・・・・・じた、い?」

  エスマーイルの瞳の色が、変わる。一瞬だけその奥の奥から湧きあがったどろりとした闇に、ファーティマは気付くことができなかった。

「はい。任された重要な指令を遂行することが出来なかったわたしに、こうやって再び機会をくださったこと、心から感謝し、また喜びを感じています。ですが、鉄血団結党に無能は不要。わたしだけ贔屓をされては、今まで切り捨てられてきた同志たちに申し訳が立ちません」

「そんなことはどうでもよい!」

エスマーイルはファーティマの肩を掴み、激しく揺さぶった。華奢な柔肌に、その長い爪が深く食い込む。

 「奴らは無能だったが、きみは違う! わたしには分かる! きみほど蛮人どもを憎悪する者はいない! やつらに復讐する、そのためだけにきみはわが党に入ったのではないか! これはきみの悲願だぞ! どうして・・・・・・」

そこまで言い、エスマーイルはハッ、と気付いた。眼前のエルフの瞳には、自分が求めていたあのギラギラとした殺意が綺麗さっぱり抜け落ちていたのだ。

「同志議員がわたしの失態を許して下さっても、わたしには出来ません。なにより、わたし自身が同志議員のご期待に添える自信を無くしてしまったのです」

 ネフテス全軍の指揮を執ったエルフの激しい剣幕に動じることなく、ファーティマは淡々と言葉を続ける。

 「わたしが“竜の巣”で出会った悪魔の末裔は、憎き叔母の娘でした。この世界にあまねく精霊たちに感謝をしながら、わたしは躊躇無く引き金を引き、その身体に何発も弾丸を埋め込んでやりました。ですが結局、悪魔を殺すには至りませんでした。

 ・・・・・・その後悪魔の使い魔に捕らえられ、わたしは海竜船に乗せられました。目覚めたわたしはすぐに悪魔を殺そうと画策しましたが、またもや使い魔に差し押さえられ、わたしは悪魔の業で過去を覗かれました。そしてわたしの過去を知った悪魔は、今度は自らの過去を語り始めました。

 最初は何の気無しに聞いていましたが、悪魔は徐々にわたしの心を惑わせていきました。・・・・・・話を聞き終わる頃には、わたしは腰抜けに成り果ててしまっていたのです。隙を突いて銃を奪い構えても、その手は震え、引き金を引くことは敵いませんでした。ただ大声で泣き喚くことしか、わたしには出来なかったのです・・・・・・」

 「きみは騙されているのだ、同志ファーティマ! それも悪魔の業に決まっておろう! 今ならまだ間に合う、きみが再び党への忠誠を誓えば、わたしは喜んできみを歓迎しようと思って・・・・・・、」

「申し訳ありません同志議員、それでもわたしは、悪魔ごときに惑わされた自分がイヤになってしまったのです。」

「断ってどうするというのだ? きみは捕虜の身、再び表に出て捕まれば更なる刑を科せられるのだぞ? ・・・・・・それともまさか、わたしに断りを言うためだけにここに来たというのか!?」

 「はい、これはわたしの党に対するけじめと覚悟です。その程度の手ぬるい処罰は数える内に入りません」

 はっしと自分を見つめる真っ直ぐな瞳。柔らかな、しかしそれでいて断固たる拒絶。エスマーイルはここまでと悟ると肩を握る手の力を緩め、その肩を何度か優しく叩いた。

「そうか、きみがそこまで言うのならば仕方がない。先も言ったがわたしは強制はしていない。する、しないはきみの自由だ、気に病むことは無い」

「・・・・・・同志議員殿は、どうしてもこの計画を決行なさるおつもりですか?」

「・・・・・・分かり切っていることを聞くな。わたしが“やる”と言って実行に移さなかったことがあったかね?」

「・・・・・・今までお世話になったことは絶対に忘れません。あとこれはお返しします」

ファーティマは深々と頭を下げ、手の中にある魔力の結晶を渡す。

「無理矢理呼び出して済まなかったな。ああ、あと市街地でのあの爆発は単なる虚仮威しだ。恐らく負傷者も損壊も何一つ起きてはいないだろう、安心して戻るといい」

「はっ、失礼します」

 踵を返し、ファーティマは水軍基地を後にする。振り返ることはない。もう党の階級にも、水軍の地位にも未練など無い。これ以上この手を血で濡らすにはあの少女の言葉は、想いは、あまりにも優し過ぎたから。

 (エスマーイル同志議員殿には悪いが、先程の話は聞かなかったことにはできない。事情を説明し、統領閣下にお伝えしなければ)

 ファーティマは先程眺めていた大通りを思い出す。今から自分がすることが、彼への恩を仇で返すことになるというのはわかっている。だがどのような正義だろうと、あの光景を壊していい理由にはならない。

 ・・・・・・しかし、先程口止めされなかったことがやけに引っかかる。どうしても成功させたい計画ならば、計画を知った自分を殺すなりなんなり出来たはずだ。なのに、彼はそれをしなかった。

なぜだ? と疑問を浮かべていると、ふとファーティマの脳裏に先程のやりとりが浮かんできた。

 “・・・・・・同志議員殿は、どうしてもこの計画を決行なさるおつもりですか?”

 “・・・・・・分かり切っていることを聞くな。わたしが“やる”と言って実行に移さなかったことがあったかね?”

 さっき計画の中止を訴えかけたとき、エスマーイルの顔を過ぎった陰。ファーティマはあのとき、自分が良く知っている“何か”を感じ取った気がした。

 (・・・・・・そうか。同志議員殿も、自分の行いに戸惑いを感じているのか)

 きっと彼はいま正気ではない。そうでなければこんな矛盾した計画を、エルフ水軍の総司令が立ち上げる訳がない。

 国のために国を滅ぼす。そう言ったエスマーイルに、ファーティマは昔の自分を重ねた。

 思い出すのは海竜船の中でのこと。あの時自分は引き金に手をかけた。殺すべき相手に殺す理由が求められなくて。そして、その矛盾をどうにかしたくて。

 散々葛藤したが、自分はなんとか一線を踏み留まることができた。もしあの時超えていたならば一生後悔がついて回っただろうし、その前に自分はたぶんこの世にいない。

 (なんとしても止めなければ。同志議員の為にも、このネフテスの為にも・・・・・・)

 ファーティマは思う。あの陰はきっと、彼にわずかに残った理性の欠片が顔を出した瞬間だったのだろう。まだ彼には理性が残っている。そうでなければ、あの市街地の被害を気にするような素振りを見せた説明が付かない。

 彼自身が分かっているのなら、後を押すことくらいはできる。それに、恩人が道を踏み間違えるのを黙って見ている訳にはいかない。

 (わたしは彼女のお陰で踏み留まれた。なら踏み留まれたわたしが、他の誰かを踏み留まらせるのは当たり前だろう)

 手の中に、海竜船で握られたあの混血の少女の手の感触が蘇る。

 その暖かみが逃げてしまわないよう、ファーティマはぎゅっと手のひらを握り締めた。

 

 「・・・・・・」

 ロビーから出て去りゆくその背中が消えるまで、エスマーイルはただひたすら蝋人形かのように立ち尽くしていた。

 「・・・・・・ふっ」

 ファーティマの姿が見えなくなると、エスマーイルは息を小さく吐いた。それで貼り付けていた笑顔は剥がれ落ち、獰猛な肉食獣のような光が瞳に宿っていく。

 やはり彼女は無理だったか・・・・・・。

 蛮人共に捕らえられたと聞いていたので、自分の失態は耳に入っていないだろうと考えたのだが、どうやら蛮人どもに毒され過ぎたようだ。

 (わざわざ拾ってきたというのに、錆びて使い物にならないとはな・・・・・・。そのうえ、跳ね返ってわたしを打ち抜こうとするのか。なんともまあふざけた鉄砲玉だ)

  自信がないからと言ったか、そんな即座に貼り付けた薄い嘘で自分が騙されると思ったか。間違いない。あれの心は、蛮人どもの犬に成り下がっている。

 “申し訳ありませんがこの話、辞退させて頂きます”

 先程のファーティマの言葉が蘇る。ピシリ、とこめかみ辺りがひくつくが、正直驚いていた。あわや一族郎党飢え死に、というところを救い、今まで十と数年間丹念に“鉄血団結党”とはどうあるべきかというのをすり込んできたのだから。

 (感情にほだされることがない、扱いやすく従順な道具に仕立て上げたはずだったが・・・・・・)

 まあいい。所詮は単なる鉄砲玉。手元にあろうが無かろうがたいして変わるまい。

予想外のことだったが、エスマーイルはすぐに思考を立て直した。使えないものはすぐさま斬り捨てる。これ即ち“鉄血団結党”の鉄則であり、ひいてはエスマーイルの思想でもある。しかし、今回捨てたものはただ地面に放り投げた訳ではない。

 エスマーイルは基地を出て、どこかへと向かいながら考える。

 まず間違いなく計画は筒抜けになるだろう。蛮人の女王の警護は手厚くなるだろうし、成功の確率は当然低くなる。だが、失うものがあれば得られるものも必ずある。

 たとえばそう、信頼。事前に危険を報告した彼女は間違いなく重く用いられる筈だ。関係のないことのように思われるが、エスマーイルにはこれが何よりも重要だった。

 (やはり気の迷い、という印象を与えるために少し顔に陰をつけたのが功を奏したようだな)

 指令に忠実だった以前と、自分に逆らう今の彼女の矛盾。計画を教えた上で見逃す、という不自然さを取り除くためにエスマーイルはそれを利用したのだった。

 疑う素振りは微塵も見られなかったので、きっと上手く信じ込んだのだろう。どうやら演技の才能があるのは、テュリュークだけではないらしい。

(もっとも故意とはいえ、そのような表情を作るのは不本意だったが・・・・・・)

 エスマーイルは足を止める。目の前には、水軍の弾薬庫があった。崩れひしゃげているその姿は、重々しい威厳と輝かしい栄光を放っていた以前と比べて見る影もない。

 当然中の弾薬だって全て使い物になる訳がないのだが、かつてエルフ水軍を統べていた男はその中に入り、朗々と長々と、詠唱を始める。すると足元の石組みが光り、組み替わり始め・・・・・・瞬く間に、地下へと続く階段へと変貌を遂げた。これは捕らえた蛮人や反逆したエルフを使って極秘に作らせたもので、当然彼らは口封じに消えてもらった。つまり、この地下室の存在を知るのはエスマーイルただ一人、と言う訳だ。

「真の策士というものは、十重にも二十重にも策を巡らせる。それに最も重要なものはいつでも取り出せ、また定めた場所に必ずにあらなければならないものだ。たとえそれがどんな状況にあろうとも、な・・・・・・」

暗い笑みに口の端を吊りながらエスマーイルは階段を下り、現れた鉄の扉に手を当てて押し開ける。

「・・・・・・なにはともあれ、条件は揃った」

 重々しい音を立てて扉が開く。視界には何も見えない漆黒の闇が広がっていたが、エスマーイルが近くの壁に埋め込まれた魔道具に魔力を流し込むと、備え付けてあるランプが反応した。しかし整備を怠っていたためか奥のランプには光が灯らず、ちょうど彼の“切り札”には影が残る形になった。

 ・・・・・・そして暗闇が開けたそこには、縄や鎖で飾られた、うつ伏せに横たわる男のエルフの姿があった。ピクリとも動かないが、上下するその胸を見るとまだ生きてはいるようだった。死なれても良かったが、どちらかといえば生きている方がエスマーイルとしては助かる。しかしただ生きているのでは困る。戦き、衰弱し、それでいてこの状況を諦めずに、なんとか打開しようとする強さを持ち合わせていなければならないのだ。

「劣勢? 無謀? 多勢に無勢? だからどうした。そんなものは物の内にも入らぬ」

 エスマーイルは手の平で魔力の結晶を弄ぶ。彼の心の中で蠢く闇のように深かった黒色は、いつの間にか透明なただの結晶へと変わり果てていた。

(敵が拾うと知っているものには、予め毒を塗り込んでおくのは当然というものだ)

エスマーイルはいたずらに靴の底でエルフを転がし、結晶で屈折させた光を浴びせる。集中した光がエルフの男の白い肌をちりちりと少しずつ焦がしていくが、男が目覚めることはない。・・・・・・いや、実際に彼に意識があることは当然気付いている。ただこうやって体力を蓄え、自分の喉元に食らい付くだけの牙をいま研ぎ澄まし、淡々とその機会を窺っているのだ。

「取れる手段はいくらでもある。なあ、きみもそう思うだろう?」

 男は、イドリスは答えない。エスマーイルの嗤い声が、部屋の隅に残る影へと吸い込まれていった。


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