イドリスとマッダーフ

地震の影響で建物は崩れ、火の手が上がり荒廃を見せていたネフテスの首都アディール。その大通りに建ち並ぶ、商店街の一角ではこんな会話が繰り広げられていた。

「なあ、これは元々このようなはずだと言っていたのだが?」

 屋根は崩れ、看板などの外装や壁はボロボロに剥げている。そんな店の跡地で、若いエルフは設計図らしき紙を指差し文句をつけ、年配の職人が木を切りながら首を巡らせてそれに応じていた。

 「まあまあエルフの旦那、そんな細かいことはいいっこなしで」

 「いや、結構重要なことなのだが・・・・・・」

 職人の言葉に、エルフは生返事をする。驚くことに、彼らの間を飛び交っているのはガリア語だった。

 このアディールには勇猛な戦士や優秀な議員が駐在してはいるが、その大都市を支えているのは他ならぬ商人たちだ。気位の高いエルフといえども物を売る商人となれば話は別で、あらゆる所からできる限り安く品を仕入れて売り捌かなければならない。人間とエルフの間に線を引き、貴賤や愚劣だの言う者はこのアディールに店を構えることなど出来はしない。そしてこのエルフも、その例に漏れない立派な商人だった。

「へいへい、どうせ俺たちは高貴なるエルフ様と比べたら野蛮な民族ですよ。あんたらお得意の先住魔法とやらなら、俺たちなんかに頼らなくても家の一つや二つぽんぽんと建てられるんだからな!」

 けっ、と職人は不機嫌そうに息をつくとそっぽを向いた。あんまりな態度だが、それも仕方のないことだと言える。彼らは自分たちの腕に絶対の自信を持って、このネフテスにやってきた。しかしエルフたちの建築技術は彼らに真似できないほど凄まじく、さらにそのうえ、蛮人なんかに大切な住居をいじられて堪るかと職人たちの修復を拒むエルフも少なくなかった。結果、職人たちのプライドと自尊心は著しく損なわれ、卑屈になってしまったのだ。

「いや、わたしには出来ない。気を悪くしたのなら謝罪する。許してくれ」

「・・・・・・すまねえ、俺が悪いんだ。あんたに当たる道理なんてねえのに・・・・・・」

 しかし商人が頭を下げると、職人はさらに卑屈になってしまった。商人は困って頭をポリポリと掻いている。宥める言葉を探しているようだが、職人の落ち込み方からするといどうやら見つからなさそうだ。

 ・・・・・・申し訳なさそうな顔をする職人と、いかにも気まずそうなエルフ。人とエルフが対等に言葉を交わすというそんな常識から逸脱したやりとりを、軍服を纏った少女、ファーティマ・ハッダードは静かに見つめていた。

 ちなみに実際、先程職人の言ったように先住魔法で建築を行うことはできない。先住魔法とは強力だがなにしろ自然の力を扱うので、力を貸してくれる精霊たちに細かい指示を聞いてもらうことは出来ない。だからこのような精密さを要する土木工事等にはあまり向いていないのだ。

 ・・・・・・というかそもそもそれ以前に、いまアディールでは地震による地脈の乱れにより、エルフたちは精霊たちと一時的に契約が出来ず、精霊魔法が使えない。そして実はそれが

エルフたちの「“大いなる意思に選ばれた者”である自分たち、“そうでない者”の人間やメイジ」という蔑視の基準としていた線引きを曖昧にし、結果としてアディールが大勢の人間を受け入れられる理由の一つとなっていたのだった。

 ファーティマはふと、辺りを見回す。一週間が経った今では、その痛々しい町並みや煤けた大通りは人間でごった返し、活気に満ち溢れていた。彼らは隣国のガリアから復興支援のために急遽派遣された、腕の立つ職人や料理人たちだった。

 もちろんアディールには建築関連の職人や技術者自体は多く存在はするのだが、アディールは大量の精霊と事前に契約をしていたお陰か、建物の損傷はこれでも大分小さい方だった。よって、半壊程度で収まった建物の再建築はネフテスの方針で聖地回復連合軍が受け持つこととなり、アディールの職人の大半は今回の“大災厄”の被害が激しい地域へ派遣されていった。・・・・・・とまあ、そんな理由でここアディールではエルフと人間が特に密に接することになっている。

 「・・・・・・ふう」

 目まぐるしく動く人や物を見るのに疲れたファーティマは、小さく息をついた。この現状を作り出した原因となる和睦条約は、表向きでは劣勢に立った聖地回復連合軍が、和睦を懇願した末に結ばれることになったと言われている。だが、実際は少し違う。

 これは軍に属する者しか知らないことだが、ネフテスと聖地回復連合軍との戦いは、ネフテス統領テュリュークが降伏を宣言した印書を連合軍に送って終結した。しかし帰ってきた大使が携えた聖地回復連合軍からの信書には、なぜか今回の戦いに対する深い謝意が長々と綴られており、末尾には“大災厄”による建物の損害や無関係な市民に対する“償い”をしたいと法外な賠償金の提示と共に、ネフテス復興を助力したいとの申し出が記されていたのだ。

 あれだけ優勢に進んだ戦だというのに、なにがあったのだろう? 

 戦う理由を忘れてしまった、なんて訳がないだろうに・・・・・・。

 おかしい、おかしいと何度も繰り返す軍人としての自分を鎮めていると、ファーティマの隣に控えていたエルフが口を開いた。 

「すごい勢いで復興が進んでいくな。十年はかかると評議会の連中は見積もっていたのに」

「それは蛮・・・・・・、いえ、人間たちの力を借り受けなかったからではないですか?」

 薄茶色の髪をしたエルフの言葉に、細い目が印象的なもう一人が答える。マッダーフとイドリスは、彼女の監視役として行動を共にしていた。

「確かに。どうやら知識や技術ばかりに気を取られて、我々は大切なものを見落としてしまっていたらしいな。貴殿もそう思われるだろう、ファーティマ少将殿?」

 「ああそうだな、とわたしが答えるとでも思ったのか? “騎士”アリィーからの命でわたしを見張るのはいいが、その過ぎる口は看過しない。あと少将と呼ぶな。わたしはもはや鉄血党の団員ではないのだから」

 ファーティマはそう吐き捨てる。しかし、口で言うほどこの光景に負の感情を抱いてはいなかった。過去の出来事から一時はエルフと人間の交流を極端に嫌っていたのだが、今ではあまり悪いもののようには感じない。高潔なエルフの首都としての洗練された煌びやかな町並みはもうそこにはない。しかしファーティマには、混じり合うその騒々しさが不思議と笑い声に聞こえてしまう。

 人はエルフを畏怖し、エルフは人を卑下した。きっとそれは、互いを知る機会がなかったから。遠い遠い過去の確執は語り継がれていくにつれ肥大化していき、いつしか溝は更に深く大きくなった。

 もちろんそんな古の伝承をよしとせず、新しい風を吹き込もうとエルフと人との間に橋を架けようとした者もいた。だが歴史が作り出した虚像は彼らを奈落の底へ引きずり込み、その親族や関係者に更なる恐れや憎しみを植え付けていった。その中には叔父と、そして自分も含まれていた。

 叔父に責を負わせて殺したシャジャルを自分は呪い、間接的な要因となった人間たちを憎んで鉄血団結党に入った。

 しかし、捕らえられた海竜船の中で自分は一人の少女と出会った。

 「・・・・・・」

 ファーティマは思い出す。あの混血の少女がどうして自分を赦し、理不尽に着せられた罪を謝ったのか今なら分かる気がする。あの少女は人とエルフの間にある“溝”を埋めるには互いを認め、理解し合うことが大事だと最初から知っていたのだ。

 だからあの少女は、必死に自分を理解しようとした。自分は理解され、少女のことも理解してしまった。その瞬間、今まで何も考えずただ憎しみにという鎖に縛られ、従わされていた自分は、自らの意思でその鎖を断ち切り、自分の足で立ち上がることを余儀なくされてしまったのだ。

・・・・・・自分は何か、変わったのだろうか。

 そう考える時点で、自分の中の何かはきっと変わってしまったのだろう。だがまあ、やはり悪い気はしない。ファーティマが改めて大通りに視線を向けると、エルフと人とのぎこちない交流の細かな様子が目に飛び込んできた。

 羊皮紙と羽ペンを握り口論する商人と商人、騒ぎを聞きつけ儲け時とばかりにやって来た大道芸の集団とそれに見入りはしゃぐ子供たち。もちろん未だに人を蛮人とあからさまに見下すエルフもいるが、彼らは先住魔法が使えないと知った人間たちに拳で挑まれて裏路地で殴り合いを始めるし、それに乗じてどちらが勝つかと賭けを仕切り始める者もいる。かと思えば、エルフの子供たちに料理を配ったりする給仕や、手持ち無沙汰でしょうがないと職人が使う木材や瓦礫の運搬を手伝うエルフもいた。

 ・・・・・・だれもかれもが復興を第一に考え、互いの手を取り助け合っている。困っているならば互いに手を差し伸べようとする善意は、種族の壁すら越える。その光景は人もエルフも信じられずに生きてきたファーティマに、当たり前の“優しさ”を教えてくれる。

 “ああ、だからあの少女はあんなに強い目をしていたのだな・・・・・・”

 しかしそんな復讐に生きていたエルフの温かい想いは、唐突に打ち砕かれた。

 “同志、同志ファーティマ”

 聞き覚えのある声に呼びかけられ、ファーティマは反射的に背筋を伸ばしていた。自分を同志と呼ぶ者は、“鉄血団結党”の党員に限られる。しかもその声はファーティマの記憶に間違がなければ、党首エスマーイルのものだった。

“エスマーイル殿?”

 “そうだ、きみに用がある。わたしがきみの両隣にいる監視の目を盗むから、その隙を突いて民衆に紛れたまえ。水軍基地でわたしはきみを待っている”

 一方的な指示を伝えるやいなや、通信は唐突に終わる。 

 一体どこに、捕らわれた自分を引っ張り出す理由がある? 一度失敗を犯した自分はもう、“鉄血団結党”にとって不要な存在のはず。だというのに、なぜわざわざ周到に騒ぎを起こしてまで自分を使おうとするのだろうか?  

 蛮人共を殺す、自分はただそれだけの為に生きていると決め込んでいたあの頃は出された指令について疑問を浮かべ、考えることなどなかった。だが今になってくるとそんな上官からの一を聞いて十を察しろ、と言わんばかりの命令にはどこかついてこれず、ファーティマは途惑ってしまう。

 しかし、そんな様子を見て取ったかのように上官は通信を再開し、こう後付けした。

 “ああ、流石にこんな状態のアディールで気付かれぬように抜け出せとは無茶を言ってしまったな。これを使うといい”

 “お待・・・・・・”

 ち下さい、と言い切る前に、再び通話は断たれてしまった。しかし代わりにファーティマの指先は、何かを握らされたと彼女に伝える。監視の手前確認するわけにもいかないので、ファーティマはその“何か”を手の内で弄んで正体を知ろうとする。

 固くもなく、柔らかくもない角張った何か。咄嗟には何かは分からなかったが、“大いなる意思”たちの力を借りることが出来ないこの状況を織り交ぜて考えると疑問は瞬時に氷解した。ただそれはあまりにも、自分が持つに相応しくない物だった。

 “これは・・・・・・”

「何をやっているのです、ファーティマ殿?」

 ファーティマの様子を不審に思ったイドリスが、その表情を怪訝なものに変え覗き込んでくる。

「その右手、よろしければ開いて頂いてもよろしいですか?」

 「・・・・・・」

 ファーティマは表情を殺し、沈黙で答える。自分は捕虜の身、逆らうことは出来ない。しかしこんな危険な物を持っていては、間違いなく自分は疑われてしまう。かといってどこかへ放り投げれば、誰が悪用するか分からない。

 ファーティマは混乱し、そして、思い出した。自分が一つ、やり残したことを。

「どうしました? さあ」

 イドリスの更なる催促に、しかし口をつぐみ時間を稼ぐ。どんな事情かは知らないが、自分のような一兵卒にこれだけのものを持たせているのだ、動かない訳がないはず・・・・・・。

 そう考えたファーティマの読みは当たった。突然発せられた閃光と爆炎にマッダーフたちは気を取られ、ファーティマから視線を逸らした。

 「何事ですか!?」

 イドリスが驚愕に目を見開き叫ぶが、しかし轟音は留まることを知らない。見れば先程何となく眺めていた商店街の至る所からいくつもの煙が立ち上っていて、どこからか発せられた女や子供の悲鳴が大通りに響き渡る。

「なんだなんだ!? 一体どうなってる!」

「エルフたちは先住魔法が使えないんじゃなかったのか!? 」

「いったい何の騒ぎだ! また貴様ら蛮人が何かしでかしたのか!」

 職人やメイジたちが騒ぎ、エルフたちが彼らを疑う。投げ込まれた一つの石によって、均衡の上に成り立っていた安寧は瓦解を始めていく。

 (こんな風にのんびりと突っ立っている場合ではない。早く救助に向かわなければ!)

 「イドリス、ファーティマ殿を頼む!」

 幸いなことに、ファーティマの見張りを任されたのは自分だけではない。自分の仕事を信用の置ける相方に任せると、マッダーフは騒ぎの方に駆けだした。

「どこへ行くのですかマッダーフ!」

「無論、民間の者たちを助けに行くに決まってるだろう!」

「我々はいま先住魔法が使えないのですよ、あなたが向かって一体何が出来るというのですか!?」

 「出来ることならばある!」

 “忘れるなよマッダーフ。我ら戦士は、民を守る為に日々腕を磨いているんだ”

叫びながら駆けながら、いつだかアリィーから聞いた戦士の在り方をマッダーフは思い出す。アリィーはあの若さにして“騎士”という戦士として相当高位の称号を得てはいるが、それはなにも戦闘能力に限った訳ではない。自分が正しいと信じたものをはっきりと見据え、それらに身を違えることなく尽くすことができる強力な意思。それこそがアリィーを“騎士”たらしめているものであり、そんな彼をマッダーフは同僚として、隊長として尊敬していた。若さ故に決断力に欠けると自覚しているマッダーフにとっては、あまり変わらぬ歳なのに信じたものを愚直に貫き通し、何の躊躇いもなく行動に移すことができるアリィーは親しい同僚でもあり、また憧れの対象だったのだ。

「・・・・・・っ、もう、仕方ないですね・・・・・・」

 そしてそんなマッダーフの気持ちをよく知っているので、イドリスも深くは止めずファーティマに向き直る。

 

 しかしそこに、もう彼女の姿はなかった。

 

 「・・・・・・え?」

 思わず小さな声が口から漏れ、イドリスは素早く辺りを見回す。いない。ぶわっと顔の周りに血が集まってくるように感じ、背筋がひんやりと冷たくなる。

 (ありえない、そんな訳がない。そんな筈がない)

 認識できていないだけ、すぐ近くにいるはずと自分に言い聞かせつつ人混みからその姿を見出そうとするが、何度やっても見つからない。イドリスの焦りは加速していく。

 彼女は自分が目を離す直前まで、確かに隣にいた。一瞬でどこかに移動したというのか?ありえない。いまこのアディールでは精霊との契約は行えない。よって、エルフが出来ることは人間たちと何ら変わらないのだ。しかし、だとしたら一体どうやって?  

 考えれば考えるほど、謎は大きく深くなる。何はともあれ、任された職務を全うすることが最優先だ。

 (マッダーフは騒ぎの大きい大通りの方に向かった。ならば自分は、裏路地を探す方が効率的だろう)

 自らのするべきことを見定め、すぐさまイドリスは走り出す。見失ったと連絡もせずマッダーフに任せるのはどうかとも思ったが、流石に自分と一緒ではなく、一人で出歩く彼女を見かけたら捕らえてはくれるだろう。

 それにイドリスは、ファーティマが逃げ込んだのが大通りではないと予測していた。民衆の中でもあの軍服はよく目立つし、なにより目撃証言などされれば簡単に追跡出来る。誰かの手引きならば余計にその可能性が高いだろうし、仮に自分がその立場だとしたら間違いなくそうするからだ。 

・・・・・・大体なぜ、彼女は逃げ出す? 脱走した捕虜の罪は重くなるというのに?

 以前彼女の瞳の底にあったどろどろとした憎悪は、監視を始めてからはもうずいぶんと見ていない。恐らくあの海竜船の中で、彼女の中で何らかの決着が着いたのだろうとは容易に想像できた。このまま野放しにしても、彼女はきっと何も起こさないだろう。

 むしろイドリスが懸念していたのは、彼女の逃走を手引きした者の素性だった。

 手がかりは二つ。彼女が捕縛されたことを知る者は限られているということと、先程の爆発だ。あれはいくらなんでもタイミングが良すぎた。関係ないという方がおかしい。まず彼女を逃がすため、“誰か”が故意に仕組んだと見ていいだろう。

 しかしここで、疑問が生じる。捕らえられたファーティマを逃がすことで、“誰か”が得られるメリットとは何だ? これだけ大きな騒ぎを起こしてまで、地位や権利を失った今の無力な彼女を解放することに意味はあるのか? 

 ・・・・・・何か必ず目的があるはず。だがこれはすべて単なる予測であり、具体的な形を与えて断定することはできない。情報の量があまりにも少なすぎるからだ。

 (急ごう。彼女がその“誰か”と接触する前に探し出さねば)

 いやな予感が収まらない。イドリスは裏路地を何度も何度も曲がり、町の奥へ奥へと突き進んでいく。

 

 その時だった。どこからか、声が聞こえてきたのは。

「戦士はその忠を為す所に尽くし、その命を全うするべしとはよく言うが、実際目の当たりにすると見上げたものだな。もっとも、わたしはそれを当たり前のことだと思っていたがね」

 静かでゆっくりとした、男の声。しかし、それが耳に入り込んだ瞬間イドリスの身体は硬直した。感じたのは憤怒と憎悪。表現しようもない程に高ぶったそれらは男の声によく溶け込んでいて、男が紡ぐ言葉に強烈な違和感を与えている。イドリスが恐怖を覚えたのは、ほんの少し溶け残ったその感情の一部に当てられたからだった。

「誰だ! 姿を現せ!」

イドリスは平静を装い声に応じつつ、ゆっくりと腰に手を当て、下げている道具袋の中を手で探り始めた。こちらからは相手が見えない。となると、相手からもこちらのことは部分的にしか見えないはずだ。そう想定しての賭だった。

「わたしは部下たちの“忠を為す所”で在り続けようとした。党の、軍の成長のために自分のすべてを捧げた。新しい技術を導入し、何度も何度も人選を行った。意識の低い者を斬り捨て、無能な者を斬り捨て、一度でも失敗した者には過大な処罰を下した。 

 ・・・・・・だがそれが結果として仇になったな。わたしが選び抜いた者たちは、過ちを犯したわたしを排除した。まあ、なるべくしてなった訳だが、わたしは彼らを恨んではいない。いくらわたしが道を踏み外したとはいえ、彼らはわたしの崇高な考えを理解することが出来なかったのだ。憐れむ以外の感情を持つことなど、どうして出来よう?」

 続く独白に耳を貸さず、イドリスは袋の中から煙玉を取り出し石畳に投げつけた。瞬く間に煙が広がり、辺りの景色を呑み込んでいく。本来ならばオークなどの亜人や魔獣を撒いたりするための物だが、もちろんこんな場合にも使うことができる。

 ここはとにかく一旦退いて、体勢を立て直そう。こんな視界封じは風の精霊の力を借りれば簡単に無力化できるだろうが、幸い今このアディールでは精霊魔法が使えないので有効な手段となり得る。自分の視界も煙に包まれてはいるが、やって来た経路は先程目に焼き付けたので問題ない。

 (一刻も早く、このことをアリィー殿に知らせねば!)

 あれだけ煮詰めた負の感情を持ちながら、そのほとんどを身の内に蓄え込むなど狂気の沙汰としが言いようがない。あの男は、放っておくには危険すぎる。

煙を吸い込まないよう口に服の袖を当てて最低限の呼吸で済むよう深呼吸し、イドリスは踏み出す足に力を込める。

 しかし背後から、唐突に突風は起こった。辺りの煙が、駆けるイドリスを追い抜くかのように前方へと吹き散らかされていく。

 (そんな馬鹿な、“大いなる意思”の力だと!? わたしの背後にいる者は一体誰だというのだ!?)

 イドリスは男の正体を確かめるべく振り返ろうとしたが、首をがしりと掴まれて身動きが取れない。反撃を試み腰のナイフに手をかけるが、それは敵わなかった。身体中を衝撃が走り、脳がガツンと揺さぶられる。掴まれた首筋から、直接“ライトニング”を受けたのだった。

 「わたしはわたしの思想に反する者を恨まない。だから、きみもわたしのことを悪く思わないでくれ」

 再度、電流。意識が遠くなる。身体中の力が抜け、掴んだナイフが手から零れ落ちた。

「・・・・・・きみに恨みはないが、・・・・・・邪魔をされると困るのだよ・・・・・・」

 遠くなる男の声と共に、イドリスの意識は薄れていった。

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