忘れ去られた男

エルフたちの住むサハラは乾いた空気が大地を包み、容赦ない日差しも手伝って植物が少ない。だがそんな砂の海の中見えてきたアディールはその首都とだけあって、遙か上空から見下ろすと近郊には所々緑豊かな森があった。

 目の前で竜を駆る神官の主はここにいるのだろうとルイズは思い、今から始まる降下の際に落ちないようジュリオの袖を握る。

 しかしジュリオは眼下の海上都市を一瞥するだけで、風竜を方向転換させそのまま飛行を続けさせた。どうやら降りる気は無いらしく、ルイズは驚く。

 目的地がまったく見えない。彼は自分を、一体どこに連れて行く気なのだろう?

「ああ、ここからもう少しかかるよ。聖下は誰からも忘れられてるから問題ないけど、ぼくはエルフの竜騎士中隊を潰しちゃって顔が割れてるからね。首都に滞在なんてできっこないよ」

表情に出ていたのか、振り向いたジュリオの顔には微笑みが浮かんでいる。

「ほら、少しづつ地面に緑が見え始めてきただろう? 東に行けば行くほど森は広がり、やがてサハラを抜ければそこは・・・・・・。もう分かったかい? そう。僕らが目指すのは、ロバ・アル・カリイエの入り口さ」

 ロバ・アル・カリイエ。

 才人の出自を誤魔化すときに使った地名だ、とルイズが思い出すのには暫しの間があった。なにせロマリアの執務室で見た“世界扉”の魔法を見て才人の故郷を見ていたし、聖戦中に泊まったカルカソンヌの宿屋では、才人はこの世界に留まろうとする意思を自分に伝えてくれた。

 だからどうしたという言い訳に過ぎないが、才人の故郷に帰れるという東方のことはルイズの頭の中からはすっぽり綺麗に抜け落ちてしまっていたのだ。

サハラから東をロバ・アル・カリイエとひとくくりにしてはいるが、地平線まで続く広大な森があるということ以外は、その広さがどのくらいか、また、どのような村や町があるのかなどは未だ明らかではない。昔とある竜騎士がサハラを迂回してまで東へ行かんと飛んでいったそうだが、その竜騎士は森に入った途端に打ち落とされたという。森では吸血鬼や翼竜人などの亜人がそれぞれ活動地域を決めて住み分けており、彼らは自分たちの領域によそ者が侵入することを激しく嫌うらしいのだ。

 ・・・・・・とまあ、ルイズはこのくらいしか知らない。これでもロマリアへ行く前までは、才人が副隊長をやっている間にこっそり学院の図書館を漁って、才人が帰る方法を探していたというのに、だ。

 しかし、どうして今更そんな名前が出てくるのだろう? 

 ルイズがそうこう考えている間にも、ジュリオは笑みを絶やさずに言葉を続ける。今までずっと黙りこくっていたのだ、自分が警戒しているのは当然分かっているはず。しかし、この月目の神官はその上でこの行動を取っている。きっと、相手の心の扉をこじ開けて中の本音をほじくり出すことについては相当の自信を持っているのだろう。

 そして実際、ルイズの心は次の一言だけで感情の濁流に押し潰された。

「そういえばきみを乗せるなんて久しぶりだね、アルビオンの時を思い出すよ。覚えてるかい? きみは彼にやきもちを焼いてもらおうとして、ぼくの竜に・・・・・・」

 ふざけないで。誰のせいでサイトは。あなた達が仕組んだんでしょ。いいかげんにして。 

一斉に押し寄せる言葉の数々に頭が沸騰し、抑えきれない怒りが口から飛び出そうになる。だが、ルイズはなんとか踏みとどまった。それが出来たのは、ひとえに先程ギーシュが同じことを怒鳴ってくれていたお陰だろう。

「・・・・・・悪いけど、あなたと雑談する気はないわ。いいから早く聖下の所に連れてって」

 ルイズは杖を引き抜き、ゆっくりとした動作で目の前の神官の背中に押し当てる。

 その先から伝説が迸ることはもうない。冷たい目をジュリオは返すが、しかし結局笑みを消し、明朗とした口調を固いものにした。それほどまでにその小さい身体から滲み出る気迫は強く、揺るぎないものだった。

「そうかい、じゃあ着いたら教えるよ。といっても、そう時間はかからないんだけどね」

 ジュリオはそう言うと大人しく前方に視線を戻し、アズーロの手綱を繰ることに集中し始めた。ルイズは心の中、ほっと安堵の息をつく。危なかった。あと少しで、自分は完全にこの男に呑まれていた。何を言われても何を聞いても、自分の目で見て、感じたものしか信じてはいけない。ロマリアというのはそういう国なのだ。

「・・・・・・」

 作られた沈黙は、それを望む者に余裕を与える。俯いて砂漠特有の乾いた風に髪をなびかせていると、目覚めてから今までに取ってきた行動の重みがゆっくりと頭の中に染み込んでいく。自分たちが知らない“虚無”に関わるすべてを、目の前にいるこの神官たちは知っている。そんな彼らが才人が生きているかもしれない、と言い始めているのだ。

 ギーシュには悪いことをした。でも、自分はこの竜の背に乗らずにはいられなかった。

「さあ、着いたよ」

 着地と共に走る、軽い衝撃。顔を上げると鬱蒼と茂った森の中に、ぽつんと小さな小屋があった。

「元は木こりが住んでたんだけどね、積むものを積んだら快く譲り渡してくれたよ」

 ジュリオはポケットから小袋を取り出し、じゃらじゃらと鳴らしてみせる。

「どうした? 降りないのかい?」

 ジュリオはひらりと竜から降りるとルイズに手を伸ばすが、ルイズは小屋に目を奪われていた。・・・・・・木漏れ日が差す目の前の小屋は、フーケと戦った時のことをルイズに連想させていた。

フーケのゴーレムに踏みつけられそうになったとき。自分でも無茶だと分かってた。でももうこれ以上“ゼロ”って馬鹿にされるくらいなら死んだ方がましだと思ってた。

 だけど才人は、そんな自分が間違ってるってちゃんと怒ってくれた。心配してくれた。

“貴族のプライドがどうした! 死んだら終わりじゃねえか!”

 男の子に頬を叩かれたのは、あれが初めてだった。 頑張って、頑張って、でもできなくて馬鹿にされて。悔しくて情けなくても我慢していた涙が、あの時溢れ出た。 

 わたしの使い魔はわたしの魔法や家柄なんかじゃなくて、「わたし」のことをちゃんと見てくれた。

 才人と一緒に過ごしてからもう長く感じるが、いまでもあの時のことは昨日のことのように思い出せる。あれから自分はあの異世界から来た男の子のことを意識し始めるようになった。

“生きてる。きっと、生きてる”

 愛しい使い魔との思い出を振り返りながら、ルイズは信じる。約束、したのだ。死ぬなら一緒だって。わたしの方が先に破ろうとしたけど、そんなことは関係ない。

“わたしがよくても、あなたはダメ。ぜったい、ぜったいに許さない”

 自分の考えに呆れて笑みがこぼれた。なんて勝手なご主人様だろう。使い魔はさぞかし大変だったに違いない。そんなことを考えていると、気持ちは大分楽になっていった。

  小屋の前まで来て、そこでジュリオは足を止めた。軽くドアをノックする。

「聖下、ヴァリエール嬢をお連れしました」

「・・・・・・ジュリオですね、入って下さい」

 ドアの向こうからは、そんな弱々しい声が聞こえた。かなり衰弱しているらしい。

「失礼します」

 使い魔といえども決して礼を失することなくジュリオは入室と共に一礼し、ルイズにも入るよう促す。しかし、ルイズは少し躊躇いを覚えて立ち止まってしまう。この先には、誰よりもハルケギニアの民のことを考え、虚無の呪縛に身体を捧げた男がいるのだ。

 ・・・・・・彼は一体何を語り、それを聞いた自分はどうなるのだろう。どうしても考えてしまう。もちろん怖い。でも、知らなくちゃいけない。

“どんなところにいても見つけてみせる。どんなにあぶない目に遭ってても、必ず助けてみせる”

 そのためにここに来た。あの男の子ともう一度会えるのなら、自分はもう何もいらない。

“こんなわがままなわたしに付き合ってくれるひとはどんなに世界が広くても、あいつしかいないんだから”

心の中でそうひとりごちる。ルイズは目を閉じて大きく深呼吸すると頷き、部屋に足を踏み入れた。

 

 部屋の中にはベッドを取り囲むように、鎧に身を包んだ男が十人ほど床に座り込んでいた。ベッドの隣に置かれた椅子にはジョゼットの姿があり、彼女は甲斐甲斐しくベッドの上で安らかに眠る“忘れ去られた男”の毛布をかけ直していた。

「ああ、彼らは傭兵たちさ。こんな場所だから何が来てもおかしくないからね、護衛にロマリアの艦隊から何人か引き抜いて来たんだ」

 ジュリオは小さくルイズに耳打ちする。しかしそれをめざとく聞き取ったひとりの傭兵がヴィットーリオを指差しながら大声で笑い出した。

「聖下だと? 馬鹿言っちゃいけねえ! なあ坊主、この得体の知れない死にかけがロマリアの教皇様だって!?」

 そう言うと、傭兵はヴィットーリオの毛布を引き剥がした。虚無に冒されたその姿が晒され、ルイズは息を呑んだ。

 腕もない。足もない。・・・・・・彼の身体は、胸から下が存在していなかった。

「たんまり金がもらえるって聞いたから俺たちはこんなとこまで来たんだ! だってのに命じられることはおっかねえエルフの攪乱だの、終いにはガキと死にかけのお守りときた! こんなひでえ話があってたまるか! なあロマリアの教皇様よ、あんたが存在もしねえ三十二代目を名乗るってんなら俺たちの為に始祖に祈ってくれよ! その無え腕でな!」

 傭兵といえば腕っ節しか能のない粗野な者たちで、金に汚く礼節を軽んじる、というのが主立った特徴だ。しかしそんな彼らでも、戦の前には始祖を敬い自らの安全と勝利を祈願するものだ。どれだけ傍若無人だろうと、この傭兵の態度は有り得ない。いや、あってはならない。

「ハハハ、今までいろんなバカ話を聞いてきたがこんなに笑えるのは初めてだ!! なあそうだろてめえら!」

 傭兵は下卑た笑みを浮かべたまま叫び散らす。本来なら不敬罪により斬首は間違いないのだが、周囲の傭兵たちもつられて笑い出し小屋の中には嘲笑の渦ができあがる。その声で目覚めたのかヴィットーリオは薄く瞼を開け、状況を把握すると悲しそうに目を伏せる。 

 ・・・・・・現状のあまりのおぞましさに、ルイズは言葉を失ってしまった。これは“虚無”に冒された男の末路。この光景は、彼がすべてを失ってしまったことに対する証明だった。

「くくくく・・・・・・、ひひひひひっ・・・・・・」

 未だ笑いを漏らす傭兵は飽き足りないのか、瞳を怪しく光らせながらヴィットーリオへ手を伸ばす。我に返ったルイズが制止の声を投げかけようとしたが、その前にその手は横から掴まれると、勢い良く捻り上げられて傭兵の背中に組み抑えられた。

「・・・・・・おい坊主。この手放してくんねえか?」

「・・・・・・」

「・・・・・・なんだよ坊主、俺にケンカ売ろうってのか? さっきから口揃えて聖下聖下言ってやがるが、生憎と俺は架空の教皇ごっこに付き合う分の金はもらってねえんだよ」

 傭兵の口調はあからさまに怒りの見え隠れするものだったが、ジュリオは少しも動じない。傭兵は残った方の手で、剣の柄に手をかけ始めた。

「ジュリオ、やめて!」

 ジョゼットが手を引いて止めるが、ジュリオははっしと傭兵の目を見据え続ける。ルイズは、月目の少年の瞳が怒りに染まっているのに気がついた。

 ・・・・・・硬直する傭兵と神官。傭兵というものはとにかく短気で、この男も恐らくその例外ではない。傭兵の身体がわななき、柄を握る手に力が込められる。

「てめえが雇い主だろうがなんだろうが関係ねえ。坊主、最後だ。この手を放せ」

「・・・・・・」

 いつ剣が振り抜かれてもおかしくない状況。沈黙を破ったのは、他ならぬ床に伏した教皇自身だった。

「・・・・・・ジュリオ、彼らはきちんと、我々の依頼を、果たしたのです。・・・・・・どういう理由があろうと、あなたが彼らに手をあげていい道理は、・・・・・・ありません」

「! ・・・・・・報酬だ。小屋の裏に竜騎士を呼んであるから送ってもらえ」

 息も絶え絶えといった様子のヴィットーリオの言葉に、ジュリオは傭兵の手をさっと放し、その手の中に金貨の詰まった袋を握らせた。しかし怒りはまだ収まらないのか、言葉遣いはガキ大将だった頃のものだった。 

「・・・・・・けっ、ホラ吹く暇があるならさっさと金を出せばいいんだよ」

 怒りに青く染まっていた傭兵の顔色がさっと引き、握り込んだ金色の輝きに当てられみるみるうちに上機嫌になっていく。横にいた別の傭兵の口端が吊り上がったのを見て、ルイズは理解した。

 ジュリオにふっかけて教皇を嘲笑したのも、周囲に見せつけるようなわざとらしい怒りもすべてはこのため。全部茶番。この傭兵たちはただ、金が欲しかったのだ。

 傭兵たちは長居は無用、とばかりに次々と小屋を後にする。ロマリア教皇など見向きもせずに、ただ予想よりも高くついた賃金に足を弾まさせて出て行く。・・・・・・やがて部屋の中には、小鳥のさえずる音や風に揺られてざわめく森の声しか入ってこなくなった。

「・・・・・・お待ちしておりました」

 ジョゼットに支えられ、かつてロマリア教皇だった男は身を起こす。頬は痩せこけ、まるで始祖に仕えるために生まれた、といわんばかりに神秘的な白さを纏っていた肌は今ではつやを失っている。山から湧き出る清水のような澄んだ声は変わらない。だが呼吸は浅く速く、息を吸うたびに裏路地のすきま風のような掠れた声が漏れ出ていた。

 ・・・・・・もう、長くない。ルイズは直感的に、そう悟った。

「そこの椅子にお掛け下さい。わたしにはもう時間がない。いつ消滅してもおかしくないでしょう。ですからわたしは、一刻も早くあなたに伝えなければならないのです」

 そう言うと、ヴィットーリオは笑顔を作って見せた。ルイズに“生命”の術式を破壊された恨みも、怒りや憎しみもない。“聖地”で対峙した時に見せた瞳。誰よりもこの世界を真摯に思う慈悲深く優しい瞳が、そこにはあった。

 ・・・・・・ルイズは背中にうすら寒いものを覚えた。この男は平然と、さも当たり前のように自分の死を受け入れている。もうだれも彼の存在を覚えてすらいないというのに、“虚無”は、始祖は彼を解放しようとはしない。しかしそれでも彼は、背負わされた仕事を全うしようとしているのだ。

「・・・・・・まずは始祖ブリミルと、その使い魔サーシャの話をしましょう。あなたの使い魔を救うには、そこから始めなければなりません。・・・・・・こちらの世界とあちらの世界を繋ぐ“ゲート”のこと、我らとエルフとが溝を作るきっかけとなった“大災厄”。・・・・・・ブリミルとサーシャの結末、そして、ヴァリヤーグのこと・・・・・・。立ち話をするには、いささか長い昔語です。・・・・・・ですから是非、椅子に座ってお聞き願いたい」

再度促され、ルイズは我に返ると着席した。ヴィットーリオのベットの周りには先程の傭兵たちのために椅子が用意してあったが、そこは隣に座るジョゼットとジュリオ以外の席は空白のままだった。残って教皇の最期を看取ろうとする、そんな傭兵は一人もいない。・・・・・・当然だ。誰ももう、彼のことを知らないのだから。

「・・・・・・ところでルイズ。きみは使い魔のことばっかりで“大陸隆起”がどうなったかは知りたくはないのかい?」

「・・・・・・!!」

 唐突なジュリオの言葉に、ルイズはハッと気付かされる。

 才人がいない。才人がいない。

 それだけが頭の中を占領してしまい、今の今までそのことを考える余裕がなかったのだ。

「大丈夫だよ、きみときみの使い魔のおかげで始祖の悲願は成就された。“大陸隆起”の細かいことはこれから聖下が話してくれる。なにしろエルフたちの言う“大災厄”と、僕たちの言う“大陸隆起”はとっても深いつながりがあるからね。・・・・・・では聖下、お願いします」

 これから始まる話の途中で口を挟まれないよう、事前に疑問となるかもしれない芽を摘んでおいたのだろう。雑談はここまでとばかりにジュリオは唐突に話をやめ、主人に水を向けた。ヴィットーリオはゆっくりと頷き、口を開いた。 

「・・・・・・エルフたちと我らマギ族との間には、最初から溝があった訳ではありません。かつては互いを尊重し、交流を深めていたことがありました。・・・・・・始祖ブリミルはそのきっかけでした。彼は使い魔であるサーシャの故郷が見たいと言って、彼女とマギ族を率いてエルフの里を訪れたのです。すべてはそれから、始まりました・・・・・・」

 乾いた唇から細々と、しかし確かに六千年前の真実は紡がれ始めた。

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