第二章 復興と陰謀

ギーシュとルクシャナ

第2章 残された者たち

 

 空から叩きつけるように差す陽光が地面に反射して、どこもかしこもむせかえるような暑さに包まれる昼下がり。

「う・・・・・・」

 目を覚ましたルイズの目に最初に映ったのは、シエスタとギーシュの安堵と喜びの入り交じった表情だった。

「ミス、ミスヴァリエール! 気がついたのですね!」

「ルイズ、目が覚めたんだな! よかったぁ・・・・・・」 

「・・・・・・ここは?」

 ルイズは身体を起こし、目を擦りながら辺りを見回す。小さな部屋だったが、いろいろごちゃごちゃしていた。いま自分が寝ているベッドと、二人が掛けていた椅子と、他には少し大きなタンスがあるだけで他には何もない。だが壁や天井にはありとあらゆる物が縦横無尽に貼り付け飾られ吊されており、もはや元の部屋の色が何色かすらも分からない。 なんというかまあ、一言でいうとしっちゃかめっちゃかなゴミ屋敷だった。

「ルクシャナのオアシスさ。きみは三日の間、眠り続けていたんだ」

「心配しました。ほんとに、もう起きないかと思ったんですから」

 ギーシュが答えシエスタが続けるが、その言葉の端々をぎこちなさがよぎる。ルイズは不審さと疑問、そしてわずかな違和感を感じた。

 ・・・・・・なにか。なにかが足りない。 大事な、わたしの大事な・・・・・・。

 それはまったく理屈じゃなくて、ルイズは感覚に任せそのまま口を動かした。

 

「・・・・・・サイトは?」

 ・・・・・・そして、それがすべての引き金だった。心が記憶に蓋をしていたのだろう、次々と光景がフラッシュバックする。

 迫り来る地面、消えた契約。血だらけの身体を引きずり、必死に自分に手を伸ばした愛しい使い魔。そして、そして・・・・・・記憶は、そこで途切れている。

 あれから一体なにがあった? サイトは、大陸隆起はどうなったの??

「ねえ、サイトはどこッ!!」

 ルイズは跳ね起き、繰り返す。その問いに答えたのは、シエスタだった。

「さっ、サイトさんはっ・・・・・・」 

 先程自分を案じてくれていた時の表情から一変し、その瞳は絶望と後悔に塗り固められている。いつも見る者を元気づける笑顔は、もうそこにはない。

「・・・・・・サイトさん、はっ・・・・・・」

 何度も言い直すが、続く言葉が出てこない。瞳と声を震わせながらそれでも必死に答えようとするシエスタを、見かねたギーシュが手で制す。シエスタは俯くと小さく震え始め、足早に部屋から出て行った。

「落ち着いて聞いてくれよルイズ。きみが気を失ってから、サイトはやることがあると言って“聖地”に残った。・・・・・・そしてぼくらが発ったあと、爆発が起こった。ちょうど、サイトがいた辺りの地割れの中からだった」

 混乱することがないよう、ギーシュは最小限の情報をゆっくりと告げていく。

「後からジュリオのやつに聞いたけど、あの地割れは大陸隆起の兆しだったらしい。でも爆発したあとは閃光が辺りに広がるだけで、一瞬目が眩んだだけだった。・・・・・・きっと、サイトが食い止めてくれたんだと思う」

「思う、じゃないわよ! なんで止めなかったの!」

 ギーシュに詰め寄りその肩を激しく揺さぶるが、返事はない。

「どうしてよ! どうし・・・・・・」

 ルイズはそこで気づき、ハッと息を呑んだ。精霊騎士隊の隊長の歯は食いしばられ、その握る拳は震えていた。

「・・・・・・みんな必死になって探してる。まだ死んだって決まった訳じゃない」

 抑揚のないその口調が、どれだけの感情を押し潰しているかをルイズに分からせる。止められるならば止めたはずだ。先程飛び出ていったシエスタだって、才人がわざわざ死地に向かうのを黙って見ていた訳がない。

というか、なぜそもそも自分はこうして生きている? “自分”の存在は虚無に蝕まれ、終わりを迎えようとしていたのだ。自分の身体が動かなくなり、大気へ溶けていくあの不思議な感覚。儀式を終えた後のティファニアから、落ちゆく最中に学園のみんなから感じた戸惑いの視線。全部、夢なんかじゃない。

 なんで、どうして・・・・・・。

 “それは、リーヴスラシルとなった者の心臓を完全に破壊し尽くすことである”

 フォルサテの綴った一節がふと脳裏に蘇り、ルイズの背筋にいやな寒気が走る。

 自分の大好きな使い魔はただの男の子。死ぬことを恐れない伝説の英雄じゃない。世界のために簡単に命を捨てられるような聖職者じゃない。

 だったらなんであんな場所に残った? ・・・・・・答えは、一つしか浮かばなかった。

 “きっとサイトは、わたしの身体に起こる異変に気付いたんだわ”

 ・・・・・・そしてどういうわけか、才人は自分を救う方法を知ってしまった。

 才人はそのために聖地に残り、そしてそれは成功したのだろう。そうでなければ、自分が生きていまここにいる説明がつかない。

 落ち着くにつれ残酷な事実がルイズの頭にじわじわと染み渡り、広がっていく。身体の力が抜けていき、へたへたとルイズは崩れ込んだ。

 じゃあなに? サイトは、わたしのために・・・・・・、

 

 大事な“何か”が崩れようとする寸前、ドアが軽く叩かれた。

 

「勝手に失礼するよ」

 間髪入れず言いながら入ってきた月目の少年に、ギーシュがわずかに身を固くする。

「やあ、目が覚めたようだね眠り姫。調子はどうだい?」 

「・・・・・・どうやってここに来た」

「さあね、そいつはぼくの相棒に聞いてごらん」

 そのとき、グルルルといった音が聞こえた。きっと外で待っている風竜アズーロの鳴き声だろう。

「何をしに来た。今度は何を企んでるんだ」

静かに、だが激しく煮えたぎる怒りを言葉に乗せるギーシュを無視し、ジュリオは身をかがめて沈黙したままのルイズを覗き込む。

「・・・・・・その様子は、彼がどうなったか分かったようだね。できればそっとしてあげたいんだけど、すまない。きみを連れてくるように言われてるんだ」

「・・・・・・」ルイズは答えない。だがジュリオはその手を取り、地べたに座ったままのルイズを立ち上げようと促す。

だが次の瞬間、薔薇の造花が舞った。

「・・・・・・どういうつもりだい?」

 ロマリアの神官は、唐突に出現した青銅の戦乙女たちを見やる。長槍も戦斧も大剣もレイピアも、その切っ先は寸分違わず彼の首に向けられていた。

「いい加減にしてくれないかね? ぼくたちは散々、きみたちのいいように振り回されてきた。もう十分だ。これ以上は・・・・・・」

「無理だね、こっちもいっぱいいっぱいさ。どうせきみに言っても無駄だけど、聖下の容態が急変した。もう時間がないんだよ」

「聖下だと? 三十一代目のロマリア教皇がお亡くなりになられてから、みんな次の教皇を決めあぐねてまだ誰も戴冠には至っていないんだぜ! 冗談を言いに来たならさっさと帰ってくれ! それとも異端審問がお望みならば今すぐ司教を引っ張って来てやろうかい!?」

「ほら、こうなるのは目に見えてる。というかいつまでそうやって呆けているつもりだい? ぼくは別に構いやしないが、ずっと悲しみに明け暮れていれば時が戻るとでも思ってるのかい? 失ったものが帰ってくると考えてるのかい? だとしたら本当におめでたいね、きみらトリステイン人は」

「・・・・・・口を慎みたまえ、神官風情が」

 ギーシュは再び薔薇を振る。銅像の武器の間隔が狭まり、鋭い刃物が頬、顎、首筋に触れる。透き通るように白く鮮やかな肌に浅く傷が刻まれ朱に染まっていくが、しかしジュリオは動じる風もなく淡々と続ける。

「きみがぼくをこの世から消して、彼が帰って来るというならば喜んでこの首を差し出すよ。だけどそれじゃあぼくもきみも後悔するだろうね。なぜならぼくがここに来た理由は、聖下が彼女に彼女の使い魔のことを話したがっているからさ。彼は、もしかしたら生きているかもしれない、ってね」

「聞こえなかったか、ぼくはもういい加減にしろと言っているんだ! だいたいどの口でそんなデタラメを言っているんだ! ぼくたちを唆してサイトを聖地へ残るよう仕向けたその口か!? ふざけるなッ!!!」

 普段のおちゃらけた態度からは想像もつかないような怒号が走るが、ギーシュが感情のままにその薔薇を振ることはない。無抵抗の人間に杖を振るったとなれば、まさしく貴族の名折れだ。しかし視線で射殺さんとばかりに見開かれた瞳とわなわなと震わせながら杖を固く握り締めている腕を見ると、その誇りと激昂との均衡はかなり危ういようだった。

 しかしそんな鬼気迫る二人のやりとりを、ルイズはそれを止めることもせず他人事のようにただぼんやりと眺めていた。頭の中を、始祖の円鏡に映った一文がぐるぐると回り始めていたからだった。

 “担い手の身体は次第に透過していき、担い手を知る人々からも忘れ去られる・・・・・・”

 “やっぱり、聖下は忘れられてる。フォルサテの言葉は本当だったんだわ”

 ・・・・・・あれ? 

 思うと同時、疑問に気付く。ならばなぜいま、自分はいまこうやってギーシュやシエスタに認知されている? そしてなぜ自分は第三十二代目ロマリア教皇、ヴィットーリオ・セレヴァレのことを知っている?? いや、思い出した???

 教皇聖下は彼の使い魔以外からは忘れ去られたままで、症状の進行は留まらず半身を失ったという。だというのに、自分はこうやって何事もなかったかのように平然としている。 こんな都合のいいことがあるだろうか、いやない。もし才人がフォルサテの言葉に従ったというのならば、自分だけではなくこの神官の主も自分と同様に完治していなければおかしいはずなのだ。  

「・・・・・・せっかく深手に苦しむアズーロを引っ張って、広大な砂漠からこんな豆粒みたいな場所を探して来てあげたのに、どうやら無駄足だったみたいだね。すごく残念だけどしょうがない。ぼくは聖下の元に帰るよ」

ジュリオはそう言うと何事もなかったかのように銅像を押し退けると背を向け、ドアノブに手を掛けたまま言葉を続ける。

「・・・・・・安心してくれミスタ・グラモン、本当の本当にこれが最後だ。ぼくはもう二度と彼女の、君たちの前に現れない。永遠にさよならさ」

 そしてジュリオは振り返ると、ルイズの方を向き微笑んだ。・・・・・・もちろん、その笑みの意味は一つではない。

「ルイズ、辛いだろうけど頑張ってくれ。きみときみの使い魔とは本当に色々とあったけど、ぼくは彼のことをいまも変わらず兄弟のように思っているんだ。それじゃ、じゃあね。きみたちが再会できることを、ぼくたちロマリアは心から願ってるよ・・・・・・」

 ジュリオはそのままがちゃり、とノブを回した。だが開いたドアがジュリオを引き寄せ、その姿を飲み込むことはない。

 理由は単純で、ルイズがジュリオの袖を引いて引き留めていたからだった。

「・・・・・・待って、ジュリオ」

「ルイズ、そんな男の話なんか聞いちゃだめだ! また何を吹き込まれるか分かったもんじゃないんだぞ!」

「ミスタ・グラモン、きみがいくら彼にヴァリエール嬢を託されたといってもその発言はいただけないね。決めるのは彼女、きみじゃない。すまないけど部外者は静かにしていてくれるかい?」

「なんだと!? 貴様ッ!!」

ついに限界に達したギーシュはその言葉に握り締めた杖を振り上げ、怒りのまま青銅の戦乙女たちを振るおうとする。だが、それはルイズの嘆願によって止められた。

「・・・・・・ギーシュ、やめて、お願いッ・・・・・・」 

「ルイズ・・・・・・」

 ルイズの真剣な眼差しに呑まれ、ギーシュは言葉を失った。ジュリオは頃合いを見計らい、絶妙なタイミングで話を続ける。 

「・・・・・・それでルイズ、ぼくに何か用かい?」

「聖下はいま、どうなってるの?」

「虚無が聖下のすべてを蝕んでる。まあ来ればわかるさ。もう聖下のことを覚えているのは使い魔のぼくだけ・・・・・・じゃない、きみも含めてこの世界で二人か。いや、彼も含めると三人になるかもね」

話しながらも、ジュリオは歩みを止めない。さっさと空気の膜から出ていこうとするので、ルイズも慌ててついて行く。さらにギーシュもワルキューレを仕舞うと、ルイズを追ってオアシスの外に出てきた。

「なんでわたしは助かったの? なんで聖下のことを覚えているの? あれから何が起きたの? ハルケギニアは? サイトはどうなっちゃったの?」

「おっと、いまこれ以上は答えられないな。・・・・・・きみがその疑問の答え合わせをしたくて、少しばかりの“可能性”の話が聞きたいのならついておいで。もしかしたら希望の種が芽生えて、きみを彼の所へと導く神樹に育ち得るかもしれない」

「ルイズ、何度この男がきみとサイトを裏切り、欺いたか思い出すんだ! 他でもないきみが一番それをよく知ってるはず、惑わされちゃだめだ!」

確かにギーシュの言い分はもっともだ。目の前にいる月目の少年はこの世の誰にとっても、ただの嘘にまみれている一介のロマリア神官に過ぎない。そんな男があまつさえこのような大口を叩いているのだから、疑ってかかるのはむしろ当然とも言えた。

 ・・・・・・でも、自分は知っている。この神官は紛れもなく、自分の知らない六千年前を知るロマリア教皇の使い魔なのだ。サイトがどこかで生きているという話にも、きっとそれなりの根拠と理由は存在するはず・・・・・・。

「信じるかどうかは、きみ次第さ。どうぞご自由に」

「ルイズ、ぼくの話を聞いてくれ!」

 ルイズは悩む。ギーシュの言うとおり、また騙されるかもしれない。しかし月目の神官はゆっくりとした動作で袖からルイズの指を解き終わると、アズーロに跨り飛び立つ準備を始めている。考えている時間は、もうなかった。

「それで、どうするんだい? 乗るのかい、それとも乗らないのかい?」 

「ルイズッ!!」

 ジュリオが手を伸ばし、ギーシュが制止の声を投げかける。

 

 ・・・・・・しかし、ルイズはジュリオの手を取った。


「・・・・・・ギーシュ、ごめんね」

「・・・・・・ルイズ、どうして・・・・・・」

「ミスタ・グラモン、そんなに時間は取らせないから心配は無用だ。日暮れまでにはそちらに返すよ」

「ま、待ってくれ、ぼくはサイトからルイズを託されたんだッ! どうしても連れて行くというのならばぼくもッ・・・・・・!」

「悪いね、聖下は彼女ひとりを御所望なんだ。それじゃあアズーロ、行くよ」 

グルルルル、とアズーロが待ちくたびれたとばかりに唸り声をあげ、唐突に翼を力強くはばたかせた。盛大に砂煙が舞い上がり、ギーシュはたまらず手で目を覆う。

「待て、待、てッ・・・・・・」

 ギーシュは“フライ”を唱え砂煙からの脱出を試みた。だが口を開いた途端に砂が口に入り込んでしまい、喉にこびり付く強烈な異物感に背を折ってたまらずむせこんでしまう。

「ゴホッ、ゴホッ・・・・・・」

 なんとか普通に呼吸が出来るようになった頃には、砂煙は収まっていた。咳き込みすぎてくらくらする頭を抑えながらも、ギーシュはなんとか顔を上げる。

 ・・・・・・首を巡らせて晴れた視界を見回すが、いくら探しても青い空に風竜の姿を見つけることはなかった。こんな短時間で遙か彼方まで飛んでいった、と考えるほどギーシュは馬鹿ではない。恐らく魔道具かなにかを使って身を眩ましたのだろう。

「・・・・・・くそッ!」

 込み上がってくる悔しさと情けなさに、ギーシュは腹立たしさを隠すこともなく足元の砂を踏み散らした。こうなってはもう“フライ”で追いかけることも叶わない。

 引き留めようと思えばできた。なのに、自分はそれを躊躇してしまった。

“すまないけど、部外者は静かにしていてくれるかい?”

 あのロマリアの神官の言葉に、自分は激しく憤り杖を振り回そうとした。だが同時に部外者と呼ばれ、即座に否定できなかった。それはその言葉を、ギーシュ自身が認めているからに他ならない。

 “自分はルイズの、サイトの何を知らないのだろうか?”

 自らに問うが、答えは前から出ていた。人間が使い魔になるなんて見たことも聞いたこともなかったし、ルイズやティファニアが使う魔法は四の系統のどれにも当てはまることはない。おかしい不思議だと何度も思うことはあったが、ギーシュはその疑問を口にすることは無かった。大事なことならルイズや才人が自分から話してくれればいいと思っていたし、アクイレイアのゴンドラでティファニアに詰め寄った時はともかく、知ること自体が罪だというものがこの世にはままある。そしてそれがルイズや才人の“何か”であることは十二分に理解していた。

 だが、いまとなってはそんなものただの言い訳に過ぎない。

「サイト、・・・・・・きみはどこに行ったんだい?」

 ギーシュたちがジュリオに誘導されるままロマリアの艦隊に合流したときには“聖戦”は終結を迎えており、アンリエッタは平和条約を結ぶために奔走していた。しかし“聖地”での出来事を伝えると顔を蒼白にして、メイジを数十人も捜索隊として派遣してくれた。

 だがしかしいま、依然として才人の姿は見つかっていない。

 ギーシュはあの閃光を思い出す。吹き飛ばされそうになったあの爆風。地が鳴り、伝説の聖者が杖を振ったかのようにぱっくりと割れた海。数十リーグも離れていたというのに、ギーシュは生まれて初めて明確に死を感じた。

 あの爆発の威力ならば、才人が身体の原型を留めないこともありえなくはない・・・・・・

 何度も頭を過ぎる不安を、ギーシュは首を振って払う。考えたくもないし、信じたくもない。七万の兵に飛び込んで帰ってくるような男だ。また必ず帰ってくるはず。

 それに、もしそうだとしても剣であるデルフリンガーすらも見つからないとなればいよいよおかしい。剣に高温や衝撃が加われば、溶けたり折れたりして辺りに散らばるはず。なのに、いくら探してもそれらしき破片すらも未だ見つかっていないのだ。

「・・・・・・こうしちゃいられないんだ。陛下とみんなに伝えないと」

 自らを責めていても何一つ始まらないし、自分は考え事をするのはあまり得意な方ではないというのは分かっている。まずはルクシャナに相談しよう。たしかここ数日は、ずっと自分の部屋に籠もりっきりだったはずだ。

 ギーシュがオアシスを囲む空気の膜をくぐり家に戻ると、そのルクシャナは丁度いま、リビングで遅めの昼食を食べている最中だった。どうやら献立は海鮮パスタらしい。こんな砂漠のど真ん中で食べられるなんてどうやっているのだろうか。不思議に思いつい考えを巡らせてしまうが、生憎とそんな余裕は存在しない。

「なあルクシャ・・・・・・」

 ギーシュはルクシャナに呼びかけようとしたが、すんでの所で思いとどまった。頭の中を、なにか閃きが通り過ぎていったような気がしたからだった。

 待て、待てよ。・・・・・・そういえば、彼女は僕たちのことを調べる学者なんだっけ。

 ・・・・・・もしかしたら、ルイズや才人の“秘密”とやらを知ってるんじゃないか?

「なに? 呼んだ?」

 声を掛けたまま固まるギーシュを、ルクシャナは皿から顔を上げて不思議そうな顔で見つめる。だがギーシュはそれを気にも留めず、自分の仮定が正しい可能性を推測し始める。

 ガリアの狂王に仕えたビターシャルが彼女の叔父であるということは“竜の巣”で聞いている。蛮人対策委員長とまでの仰々しい肩書きがついているのだ、何かしらの情報は姪に流れていてもなんら不思議ではない。そのうえその姪までもが自身を蛮人の学者と称している。これで知らないわけがない。

 思考を深めるにつれ、それがありえないことではないとわかっていく。もはや確率は五分五分では効かないほどに高いといえた。

 “よし、すこしこの生意気なエルフを引っかけてみよう。うまくいけばもしかしたら、先程の「問い」に対する答えに辿り着けるかもしれない”

 しかし、こうしている間にもあの神官はルイズに何かしらのことをしているはずだ。たとえそれが嘘に染まりきった下らない話をするだけのことだったとしても、いまのルイズには心を蝕む猛毒になりうる。ルイズと才人。二人の絆が強ければ強いほど、そこにつけ込まれたときにできる傷は深く抉られてしまうのだ。

 “・・・・・・分かってる。でもこのチャンスを逃せばきっと次の機会なんてものはない”

 “そしてこのまま何も知らないままだと僕は、才人が帰ってきた時に胸を張ってルイズを守ったなんて言えやしないんだ”

 逸る心を宥めながら、ギーシュは努めて平静を装いテーブルに着く。

「少しいいかい、頼みがあるんだ」 

「無理。見れば分かるでしょ、わたしいまご飯食べてるの。“カスバ”から散々あなたたち蛮人の資料を要請されてから、ここ最近ろくに食事なんてできなかったのよ?」

「ああ、もしかして近々結ばれるあの平和条約のためかい?」

ギーシュはなるほど、といった風に頷いてみせる。一週間後に結ばれるネフテスとトリステイン、ガリアとゲルマニアの四国友好条約は、猛烈な勢いで準備が進められている。ギーシュも聞いた当初はありえない話だと思っていたが、アディールでその手伝いをしている水精霊騎士隊やティファニアの言うことには本当のようだ。

 ちなみに聞いたところによると、いままで高らかに鼻を伸ばして威張っていたエルフたちがこぞってこれからは仲良くしましょうと友好的になってきたらしい。てっきりもっと手間取るのだろうとばかりギーシュは思っていたのだが、こうも順調に和睦が進められると何か裏があるように感じてしまう。そして恐らく、その勘は正しい。 

「そ。貿易をやってる一部の人とエルフ以外は相手の国のこと何にも知らないんだもの、だからこうやって自分たちが持つ相手の情報を見せ合って、間違ったイメージを直しあってるわけ。ほんとヘンな話よね」

ルクシャナはフォークで麺をくるくると巻き取り、ぴしっ、とギーシュに向ける。

「・・・・・・そういうわけで、わたしここ最近ろくに食事なんてしてないのよ。だから話ならあとにし」

「わかった。一応何があったか言っておくよ」

ギーシュはルクシャナの言葉を遮ると、息を吸い次の言葉をなんでもないことのように会話へと打ち込んだ。


「ルイズがロマリアの神官に攫われたんだ。竜に乗ってる上に、魔道具で姿を眩ましているから追いかけようがない」


「・・・・・・なんですって?」

 口に運ぼうとしたフォークが空中でピタリ、と止まる。ルクシャナが続きを促すように視線を向けてくるが、ギーシュはそれに応じずにとぼけてみせる。

「おや、聞こえてなかったのかい? 大分うるさかったはずだけど」

「前も誰かに言った気がするけど、大概のドアや壁は宿ってる木や石の精霊に雑音を遮断するよう契約してあるのよ、だから部屋の音は外に漏れないのッ!」

へー、だからこんなにこの家は静かなのかとギーシュはひとりごちる。これならばいま別の部屋にいるシエスタが、自分とジュリオのやりとりの間に駆けつけてこなかったのも納得できる。先住魔法に音を遮蔽されていては何が起こっても気付くわけがない。きっと、いまシエスタがベッドですすり泣いているだろう声もギーシュの耳には入らないのだ。

「それは大変だね。じゃあこうやって食事を邪魔するのも悪いからまた後で話すよ」

 “ボロが出るにはまだ足りないな、・・・・・・少し挑発しておこう”

 肝心なところをしらばっくれたまま、ギーシュが先程聞いた鼻につく言い回しを借りて話を終わらせようとすると、案の定目の前のエルフ様は口から火を吐かんばかりに怒りをぶちまけ始めた。

「・・・・・・正気で言ってるの? あの子は悪魔の力を身体に宿してるのよ! いくら和睦が決まったからって、あなたたちだってあの子の重要度は理解してるはずッ・・・・・・」

「そう、それだよ。僕が聞きたいのはそれなんだ。きみたちエルフが言うルイズに宿ってる“悪魔の力”って一体なんなんだい?」

ギーシュの今更過ぎる問いに、ルクシャナは先の言葉が失言だったことに気付いた。命を懸けてあの“神の頭脳”の人形に立ち向かい、満身創痍のガンダールヴから担い手を託されていたのだ。当然事情を知っているはず、てっきりそう思いこんでいたのだ。

「カスバの処刑台の上で聞いてたけど、きみたちエルフは随分とあいつのことを怖がってたね。ルイズの魔法は確かにすごいけど、それだけで僕たちメイジが裸足で逃げ出すようなきみたちを震え上がらせるわけがないんだ。

 きっと、きみたちが恐れてたのは聖地で行ったあの儀式だろう? “大陸隆起”を止めるための魔道装置を動かす為。ぼくが聞いたその話が本当なら、放っておいても何も害はないはずの僕たちにきみたちは話し合いにも応じず戦いを仕掛けてきたことになる。だけどそんなわけはないはずだ。それじゃあきみたちの方が野蛮と呼ぶにふさわしくなってしまうからね」

 一気にまくし立てるギーシュにルクシャナは途惑う。一瞬だけこの家と契約してある精霊たちを行使しようかとすら思ったが、もう“大災厄”は過ぎ去ったのだ、口封じをする必要はない。しかし、これ以上“悪魔”の話を知る者を増やしていいのだろうか? 

 ルクシャナは考える。しかし、その思考を止めるのもまたギーシュであった。

「頼むルクシャナ嬢、教えてくれないか」

 ルクシャナは驚いたが無理もない。目の前のギーシュが、突然テーブルに額をこすりつけたのだから。自分たちエルフに負けないほど誇り高いと言われる蛮人のメイジ。その下げられた頭は決して安いものではない。

「・・・・・・ぼくはサイトにルイズを託された。守るって約束したんだ。だけど何も知らないぼくじゃジュリオの、あの道化の言葉に唆されたルイズを止められなかった。もうこれ以上あいつを誰かに振り回させる訳にはいかない。でも知ってそうな陛下は今度の条約で多忙を極めてるし、あんな悲しい目をしたティファニア嬢に聞くわけにもいかない。

 ・・・・・・みんなサイトがいなくなって苦しんでる。悲しんでるんだ。タバサやキュルケなら知ってるかもしれないけどぼくは聞きたくない。これ以上この傷口を広げたくないんだ」

その声が震えているのはエルフに頭を下げて懇願するという屈辱によるものか、それとも無知な自身への怒りか。ギーシュは頭を下げたままなのでルクシャナにはどちらか分からない。いや、顔を上げないのが彼に残ったせめてもの誇りなのだろう。

「都合のいい話さ、だからこうやってエルフのきみに頭を下げてる。でも分かってくれ。ぼくにはもうこれしかできないんだ」

震える声は徐々に落ち着くが、かわりにどんどん卑屈になってきた。なんだか聞いてるこっちが気が滅入りイライラしてくる。ルクシャナはテーブルを叩き叫んだ。

「・・・・・・ああもう、しょうがないわね! 教えてあげるわよ!」

「・・・・・・ほんとかい?」

「ええ、そのかわりさっき何があったのかわたしに教えなさい! それになにやってんのよ、あなたのおともだち攫われたんでしょ! わたしとこんな駆け引きやってる場合じゃないじゃないの!」

 文句を言う口は止めずに、ルクシャナは自らの部屋に戻ると乱雑に積まれた道具の山をガシャガシャと漁り始めた。

 先程の会話からすると、どうやらルイズを追跡するための道具を探しているようだ。ギーシュも手伝おうと部屋に足を踏み入れるが、「入っていいわけないでしょ!」とルクシャナに怒鳴られてしまった。文字通り手も足も出せないので、ギーシュは口を出す。

「いや、でもどうやって追いかけるんだ? もっかい言うけど相手は竜に乗って、魔道具で姿を隠してるんだ。きみたちエルフがいくらすごくてもどこに行ったかなんて・・・・・・」

「うるさいからちょっと黙ってて!」

 ルクシャナは歩き回りながら、片手で筒状の物体を耳に当てている。何かの儀式かと思ったが、呟いている言葉を聞くとどうやらあれは通信用の魔道具で、微かに聞こえる怒声は恐らくアリィーのものだろう。ヴェルサルテイルで置いてけぼりにしたという話は聞いていたので、今すぐ来てとか無茶な要求をしているんだろうな、とギーシュは勝手に想像がついてしまう。

「待ってるから早く来てね。それじゃ」

 強引に通話を終わらせ、筒を元の山へと放り投げる。ルクシャナは再び何かの道具を引っ掴むと、ギーシュの手を引いて家を飛び出し外に出た。

「その竜が飛び去ったときの方向は?」

「え?」

 唐突な質問にギーシュは途惑う。しかしルクシャナは今にも舌打ちしそうな勢いで足を踏み鳴らしている。助けてもらっているのは嬉しいが、こうも自分勝手に命令され急かされると喜ぶに喜べない。これでは自分たちに高慢呼ばわりれても仕方がないと思った。

「どっちに飛んでいったかって聞いてるの、早く答えて!」

「あ、あっちだったと思う。でもあの時は砂煙が立ちこめてて正確には・・・・・・」

「なによもうほんっとに使えないわね! ・・・・・・まあいいわ、見てなさい」

これまたわざとらしいため息をついてみせる。そして先程部屋から取ってきた道具を手のひらに乗せると、ルクシャナはなにやらエルフ語で呟き始めた。

 何をするつもりだろう? 不思議に思い、ギーシュは興味本位に覗き込む。見たところただの水晶玉だが、よく見ると中は空洞らしく透明な液体で満たされていた。

「ああ、これ? わたしたちはこうやって水晶に精霊の力を満たして道具にするのよ。他にもいろんな道具があるけど、これが一番主流ね。水晶なんていくらでもあるからちょっと加工すれば、誰でも手軽に作れるんだもの。まあ、性能は作り手の行使権の強さによるけどね」

 ギーシュの視線に気付いたルクシャナは得意げに説明し始める。そういえばビターシャルを相手取ったときも、彼は手に小さな水晶玉を隠していた。きっとあれもそうだろう。

 ・・・・・・それにしても驚いてしまう。ハルケギニアで水晶細工は、腕利きの職人でも一つ作るのに一月かかるのが当然、というほどに至難の業だ。それをこのように内部を空洞にして再び密閉するなど考えられない。こんな所でも、自分たち文化や技術のレベルの違いを見せつけられてしまうのが少し歯がゆかった。

 水晶に満たされた液体の中には一本の針が入っており、小刻みに揺れるとある一点を示して静止した。

「・・・・・・見つけた。あなたのおともだちが乗った竜はここから北西に飛んでるわ。あとはアリィーを待つだけよ」

 顔を上げたルクシャナはギーシュの微妙な表情に気付いたのか、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「あなたの話を聞いてたら閃いちゃったのよ。その神官とやらが魔道具を使ったなら、きっと放出された魔力が空気に残ってると思ったの。そしたら案の定当たったわ。まあ方向しか分からないけどね。・・・・・・どう、いい加減わたしたちがすごいってわかった?」

 ここで機嫌を損ねられたらお終いだ。ギーシュは渋々といった体で頷いたが、当のルクシャナはそれを見て大層ご満足した様子で、今にも鼻歌すら歌い出しそうだ。なんとも単純なエルフである。

「それで、何から聞きたいの? アリィーが来るまで時間があるからいまここでいいわよ。さあ、思う存分質問しなさい!」

 先程の迅速な対応を目の当たりにした上でのこれなので、ギーシュはその奔放さに呆れてしまう。しかし、嬉しそうに笑うルクシャナを見て嫌な気持ちはしなかった。

 ギーシュは思う。エルフという種族はただちょっと、自分たちより自尊心が高いだけなのだ。

 “・・・・・・エルフたちみんながこんな感じだったら、僕たちはきっとこんなに深い溝を作らずに仲良くできたんだろうな。もしそんな世界だったらきっとティファニア嬢だって、ハーフエルフであることを悩まずにもっと明るく笑ってたんだろうな・・・・・・” 

 条約の草案は既に決まり、あとは数日後に控える締結を待つだけだ。これからはエルフと人が平等になる世界だろう。もう「こうだったら」と仮定で済ませる時代は終わった。これからは、「こうなるように」と思いを込めながら現実にしていくのだ。

 そんなことをふと考え、ギーシュはやれやれと胸の内でひとりごちる。まずはルイズの救出が先だというのに、こうも暢気な笑顔を見せられては逸る気持ちも落ち着かされてしまう。

「じゃあ、いいかな」

 一つ咳払いをすると気を取り直し、ギーシュは本題に切り込んだ。

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