第27話 中毒
「イリスの魔力が、強すぎたのだ」
一般に、癒やしの魔法を浴びすぎると、魔法の慢性中毒になってしまうのだという。癒やしの魔法は、適度であれば薬になるが、量が多すぎれば毒になるのだ。
いったん中毒になると、もはや魔法の摂取をやめることはできない。中毒患者は、魔法の効力が持続しているあいだはハイの状態で元気いっぱいの幸せ気分に包まれている。しかし効力が切れた途端、中毒患者は一気に精神のバランスが崩れて深い抑鬱状態に陥る。効力が切れたまま何もしないでいると、ひどい禁断症状が出る。胸がきゅんと締めつけられるように痛んで切ない気持ちになったり、嫌な幻覚を見たり、不眠になったり、自分のことが心底嫌いになったりするのだ。やがては自殺を図るようになる。
だから魔法による心の治療には、細心の注意が必要だった。
もっとも、ふつうなら、一回の治療で魔法の中毒になることはありえない。しかし、魔法の力があまりに強い場合は話が別だ。
イリスの魔力は、非常に強かった。たった一度きりの治療で、患者を魔法中毒にしてしまうほどには、強かったようなのだ。
これは、クーちゃんにとっても予想外のことだった。驚いたことにイリスには、クーちゃんが与えた以上の強い魔力がみなぎっていた。悪魔が提供したのよりもはるかに強大な魔力を、イリスは自力で身につけていたようなのだ。いったいどういうわけでイリスの魔力がこれほどまでに強くなったのかは、不明だった。イリスの魔法の素質の賜物かもしれないとクーちゃんは述べたが、これは憶測にすぎなかった。
いずれにせよ、マリーはこれから一生涯に渡り、イリスの治療を受け続けなければならないと、クーちゃんは淡々と言った。マリーはこれからずっと、毎日毎日、イリスの魔法で癒やされ続けなければ生きていけない身体になってしまったのだ。
「癒やしの魔法がそんなに危ないものだったなんて、知らなかったよ。そんな大事なこと、先に言っといてよクーちゃん。あたしのせいで、マリーちゃんがおかしくなっちゃったじゃん」
イリスは、あくまで冷静なままのクーちゃんに苛立ちながら言った。
「そんなこと言われても、私だって予想できなかったんだ。イリスに、これほどの魔法の素質があるなんてな」
「そんなの言い訳にならないよ。どうしてくれるのクーちゃん。マリーちゃんを元に戻してよ。できるんでしょ、クーちゃんなら」
「それは無理だ。魔法の治療の効果を打ち消すことはもはやできない。魔法とはそういうものだ」
「無責任なこと言わないでよお。ほんとのほんとに困ってるんだからあ」
「あたしの大切なイリス様。あたしの大好きなイリス様」マリーが目をとろんとさせ、イリスの耳元で囁いた。
「ねえ、どうにかしてったらクーちゃん」イリスがクーちゃんの胴体を手で掴んで揺さぶった。
「イリスの魔力が強すぎるのがいけないんだ。知らない。私は何も知らないぞ」
「んもう、クーちゃんのばかあ! 役立たず!」イリスは目をつぶり、大空に向かって叫んだ。
マリーは
イリスは、はあ、と溜息をついた。どうしよ。マリーちゃん、性格まで変わっちゃったみたいだし、あたし、とんでもないことしちゃったのかもしれない。ほんとどうしよ。イリスは、もう一度、はあああ、と深く深く溜息をついた。
「お嫌でしたか、あたしと一緒に歩くのは。あたしがお側にいると、イリス様のご迷惑でしょうか」
マリーの目の輝きが急速に失われ、手首を自分で傷つけていたあのころと同じような沈んだ暗い色の目になった。
イリスは慌ててかぶりを振った。
「そんなことない、そんなことない! 全然、そんなことないってば。マリーちゃんと一緒に歩くの、とっても楽しいよ」
「本当ですかイリス様! よかったです、イリス様に嫌われていなくて。イリス様はあたしの命の恩人です。イリス様はあたしの癒やしです。イリス様はあたしのすべてなんです。これからもずっとずっと、イリス様のお側にいさせてくださいね」
マリーの目に輝きが戻ってきたのを見て、イリスはひとまず胸を撫で下ろした。
何か、とんでもないことになってしまったような気がしないでもない。だが、いまのマリーがとっても幸せそうにしているのは事実だった。心の底から満ち足りていて、悩みなんか何一つない、そんな表情をしていた。
だったら、これはこれでよかったんだよ、だっていまのマリーちゃん、とってもとっても幸せそうだもんと、イリスは思った。そう思わずにはいられなかった。
だからきっと、何もかもこれでよかったんだよ、マリーちゃんにとって、これが一番いい結末だったんだよ、そうだよ、そうに決まってるもん、絶対絶対、全部全部、これっぽっちも間違ってなんかないんだもんと、イリスは学校に着くまでのあいだずっと、心のなかで何度も何度も繰り返し祈るように呟いていた。
フルール・ド・リスの魔法の姫 もちかたりお @motikatario
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