十六

 三すくみということになるのだろうか。

 超常一切殺すべしと言わんばかりの武藤は、パルタイのみならず、おそらくは《超常》一般に対して必殺というべき爪を備えている。一方で人間である和久田に関しては、とにかくその命をパルタイであるフェルミから守ろうとしている。言動が傍から異様にも見えるのは、自分の親友の死のような悲劇を繰り返すまいという彼女の意志があまりに強いからだ。

 その和久田は、ダヴィドから伝わったフェルミの言葉曰く「鎧型のザイン」に対する適正がある。そして隣人であるフェルミに、みすみす死なせてはおけない程度の親愛の情を持っており、クラスメイトの武藤も殺したくないと思っている。殺したくはないのだが、一方で彼女に対する異常なまでの攻撃衝動を有しているのもまた事実なのだ。怪物は夢の中で武藤を裸に剥き、犯し、絞め殺してからも暴行し続け、そして……全ての行いを怪物の体に宿って眺めている和久田は、これ以上ない昂りを感じているのだ。その余韻は夢から覚めても残っている。パルタイとの契約には人間の自発的な同意が必要で、契約にサインしない限り少なくとも命を取られることはないとはいえ、自分が利用されない保証はどこにもなかった。

 最後に《超常》の一角であるフェルミは、単騎では武藤の爪に敵わない。もしフェルミの体が少しでも爪の持つ刃に触れれば、彼女の体はたちどころにバターのように切り刻まれてしまう。《超人》になるべくより多くの《生命への意志》をその身にため込む必要があるフェルミらパルタイにとって、エネルギー源である《意志》を削り取る武藤の爪は脅威そのものだった。そこでフェルミは和久田に、パルタイの脅威たる武藤に対する殺人衝動を……あるいは、フェルミに対する親愛の情さえもを……植え付けて、ディングそしてザインを与えることで、あわよくば武藤を排除しようとしている。

 おそらくは、「適性」をもった和久田の隣に越してきたフェルミは、ゼンダーを通してパルタイの脅威となる人物に対する殺人衝動を和久田に植え付けた。その殺人衝動が最初に反応したのが武藤だったのだ。

「どうしてパルタイを殺そうとする? お前が殺したいのはあぜだ、パルタイじゃないはずだ。放っておいていいはずのパルタイを、どうしてそんなに執拗に追い回す」

「パルタイが人を殺すからです」

「それじゃ説明になってない」

「なってない? どこがですか」

「たとえばそうだな、人間だって人を殺せるじゃないか。いや、おれが言いたいのはそういうことじゃなくて、そうだ、フェルミから聞いた話だがパルタイは全部で八人いるらしい。もしフェルミを殺したとしてもあと七人もいるわけだ。フェルミも、それ以外のパルタイ、たとえばあのダヴィドも、今この瞬間にも、どこかで人間の《生命への意志》、魂をかき集めている最中かもしれない。八人が八人せっせと魂集めをやってるわけだ、より多くの《意志》を取り込んで超人になるためにな。もし武藤が人命救助を目的にするならただのいちクラスメイトにこんなに長いことかかずらってないで町中歩き回ってパルタイを探せばいい。部活にも入ってないんだし放課後の時間はたっぷりあるだろ。まとめるとだ、おれが言いたいのは……」

 続く言葉を口にしようとして、ずいぶんと自意識過剰に聞こえる台詞だなと思い、少しだけ和久田は自分の口元が緩んだ気がした。結局のところこれは、何か武藤に聞くという類の話ではなかったのだ。

「おれの周りで色々としでかすのは本当にやめてほしいんだ。何を考えてるのか全部がわかるわけじゃないけど、迷惑は迷惑なところもあるしさ」

 和久田はクウガのような英雄にはなれない。彼のような超常的な力は和久田にはないし、そうでなくとも和久田は肉体的に非力だった。天道のように知恵をはたらかせてもいけない。和久田の知恵は所詮浅知恵と小手先の小細工で、とてもではないが彼の真似はできない。結局のところ和久田はその程度の能しかないのだ。無能というのは少々きついかもしれないが、ともかく有能な人間ではない。

 それでもこの場をどうにか切り抜けねばならない。和久田は当然武藤を殺したくなどないし、フェルミを見殺しにすることもできない。圧倒的ということもできない程度の体とさほど上等でもない頭とで、この場から穏便に、そして確実に、武藤をこの場から立ち去らせなければならない。もしもフェルミが帰ってきて鉢合わせになろうものなら、きっと三人の全員が無事ということにはならないだろう。そしてその方法は、この場限りではなく、できる限り長い間続くもの、可能であれば永続的なものである必要があった。

「フェルミも殺さないでほしい。おれが、武藤、お前に何か願うことがあるとしたらそれが第一だ。一つ目がフェルミを殺さないこと、それから二つ目はおれや、それからフェルミや井坂、西門にも、とにかくおれの知り合いにはかかわらないこと、もし必要があるとしても最低限に抑えること。今の武藤、お前の生活ぶりならできるだろう。あぜか超常か、とにかくあれらのことについてだけかかわって、クラスメイトともろくに交流しない、今のやり方なら……」

 武藤は白くなり、顔をこわばらせて、小さく震えていた。期待を裏切られたような顔をしていた。和久田にはそのように見えた。そして、畳みかけるように言葉を続けた。

「おれの願いを叶えてくれるんだろう?」

 彼女は低い姿勢を保ったまま、限界まで一重の目を見開いて、油の足りない機械のようにぎこちなくゆっくりとうつむいていった。震えが引き結ばれていた唇に伝わって、しばしの間その唇は言葉以前の形をつくってうごめいた。拳があまりに固く握りしめられているので、指先はうっ血し、色素の薄い肌を透かして血の濃い赤色が表に現れていた。

「本当に」小さくなった武藤が声を発した。「本当にそれだけなんですか? フェルミに願おうとしていたことは、それだけじゃないでしょう?」

「あるにはある。でも、武藤には叶えられない」

 和久田は仕方なく自らの願いと秘密の一端を武藤に明かすことにした。

「おれはこんな歳になっても特撮もののヒーローに憧れててな。小学校の時仲の良かった友達も本当にかっこよくて、そいつにも憧れてた。いや、今もそうかもな。でも、その二人みたいになりたいっていっても、それはできない相談じゃないか。フェルミが計画してるっていう鎧型のザインっていうのも多分おれのこの願いをどうにかして知って、その気にさせようってことなんだろうが、そういう特別な力があったところで、精神的なところで、英雄的にあれないってことは十分ありうるだろう。いくらパルタイといえど人の精神までは変えられないだろうからな。ましてや武藤にはできないことじゃないか。だから却下ってわけさ」

「そんなことじゃあなくって!」

 武藤が顔を上げて、両目がまっすぐ和久田をとらえた。

「和久田さん、本当にそんなことなんですか? それ以外にももっと、あるんでしょう。何か、もっともっと激しい……その身を焼き焦がさんばかりの、どんなものかはわからないけれど、あるんでしょう、強い願いが!」

「そんなことって、お前、いや」

「そのくらいわかります!」

 武藤の瞳は和久田の瞳孔をとおして彼の魂までも射貫いているかのようだった。心の底を見透かされているような心地がして、和久田は内心で縮み上がっていた。ひょっとすると本当にこいつは、おれが何を考えているのかわかっているのかもしれない。そんなはずがない、はずだ。

 武藤は口角を上げた。笑みを作っているつもりらしかった。

「今だって精いっぱい何か耐えようとしている……本当に、いいんですよ? 私ができることなら何でも、本当に何でもしますから。だから」

「違う!」

 それだけは否定しなければならなかった。これ以上言わせようものなら、我慢できなくなってしまうかもしれない。きっと彼女は自分が何を言っているか本当のところは理解していないのだ。武藤は和久田の中に巣食う怪物を知らない。この怪物は今やギリシア人にとってのディオニュソスのように、本質のもっとも根深いところまで根を下ろさんばかりに、和久田の心を蝕んでしまっている。

 何でもするだなんて言うもんじゃないんだ。おれは、お前を……。

「武藤、お前、誰かを殺したいって思ったことはあるか。恨みや憎しみじゃなく、単純にそうしたいって、願いとしてそう思ったことはあるか」

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