十五
紫のパルタイダヴィドは所々芝居がかった口調で要件を述べた。昨日今日とフェルミが高校を休んだのは《パルタイ》としての業務に追われていたためであり、具体的には《超人》を目指す先駆けとして彼女が打ち立てた新たな計画の賛同者とコンタクトを取り、諸々の約束を取り付けていたこと。計画の核に和久田があり、そのために彼が今後他のパルタイから友好的或いは敵対的な接触を受ける可能性があるため注意してほしいということ。
『なんでも、鎧型のザインだとか、なんとか』
鎧型のザイン。否が応でもクウガを彷彿とさせる言葉に和久田は顔をしかめた。フェルミの奴、人の気も知らないで勝手になんて計画を進めているんだ。
「なんでまた、ぼくがその候補になるんですかね」
『細かなることはフェルミにしかわかりませんから私には何とも言うべかめれど、曰く適正がどうとか、なんとか』
「敵対的っていうのはまたどうしてなんです。《超人》を目指すっていうのはパルタイ共通の目標のはずじゃなかったんですか」
『そう単純な話でもあらざるということにあります』
曰く、いかに超人を目指すかという点で意見が分かれて、親フェルミ派と反フェルミ派とでもいうべき勢力へと内部分裂してしまったらしい。尤も八人全員が仲違いしたわけではなく中立派というべき者もいて、ダヴィドは曰く「親フェルミ派寄りの中立派」だというのだが。
『超人はパルタイと人間の相の子、中間にあるもの。人間にディングを貸し出すのみならずザインを、それも本人の自由に扱えるように与えるなど、その人間がパルタイに近付きかねない、つまりは《超人》化の、いわば乗っ取りが起こりかねない行為だというわけであります。あくまでもパルタイはパルタイによってのみ《超人》に至るべきと主張せる派閥こそあれ。わたくしめとしてはフェルミはむしろ人間の《超人》化を狙いたるのではないかとさえ思い侍る。といいますのも彼女の願いは尋常の方法では、パルタイの力をもってさえ不可能な事柄でありますゆえ……』
フェルミの願い? その言葉を聞いた和久田は奇妙な感じにとらわれた。その言葉が言いようのない違和感をはらんでいるように思われたからだ。パルタイが願いを持つなんて、そんなことがあるのか? パルタイにとって願いというのはそれを叶え対価として《生命への意志》を譲り受けるものではなかったのか。
――ダヴィド、無駄なことは喋らないでよろしい。
ダヴィドの声を遮って別の声がした。
『おやフェルミ、
どこからか聞こえてくるフェルミの声は、どうやら店主を介して別の場所から二人に声を送るダヴィドの、いわば本体の傍から発されているらしかった。
――ひとの願い事なんて、本人以外が一々具体的なものを言うことじゃありませんよ。
『成程、それもそうであります』
何やら耳を傾けるような動きをするダヴィド……どうやらフェルミが耳打ちしているらしい。小さくぼそぼそとした声が聞こえてくるが、何を言っているのかまでは理解できなかった。
『成程。では和久田様、それからアリス様、わたくしはこれにておさらばにございます』
突然店主の体ががくがく震えだし、膝から崩れ落ちた。目から、口から、鼻から、紫色の流体が流れ出て、空中の一点に収束していく。
『敵、と言ってよいのかわかりませんが、反フェルミ派の筆頭の一は、【5】緑《不定形》ゲオルギーです。重々お気を付けますよう、と、フェルミからは以上です』
「待ちなさい、ダヴィド!」
武藤が叫んだ。
「答えの真偽はともかく一つ質問があります、《あぜ》という名前に聞き覚えはありますか!」
『《あぜ》? 知っていますとも』
一点に収束した流体、ダヴィドは、消える寸前に言葉を残して、消えた。
『我らがインテリジェンスの一なればなり』
先に出て行った西門は、帰ってしまったのか、店の周りにはおらず、乗ってきた自転車も消えていた。代わりに一台、西門のより二回りほど小さいママチャリが停まっていた。武藤は家に戻って制服のまま自転車にまたがりここまで来たらしい。
武藤は家まで和久田についていくと言って聞かなかった。アリスと名付けられた武藤の黒兎の姿とその手甲があれば大方のパルタイには対抗できる、あのフェルミが勝手にことの中心に和久田を据えようとして、余計に彼の危険が増しているならば、自分がついていった方がいい、と彼女は言う。家の場所を把握する気でいることは明らかだったが、断ってもどうせついてくるだろうし、何をするかわからない。
彼女が、こと《超常》のことになると見境がなくなることを、和久田もだんだんと理解し始めていた。そもそもことの発端からして異常だ。親友の命を奪った相手を殺すために、その相手のいわば同僚と契約を結ぶなんて、つまり彼女は最後には……関谷が死にかけの命を使って彼女に十人並みの体を与えたというのに、まるで無駄になってしまうではないか。あるいはそれが狙いなのか。親友の願いもパルタイも《あぜ》も、諸共を道連れにすることこそが彼女の願いだとでも?
この、異様な人間を前にして、和久田は彼女を御しかねていた。ゆえにこそ、おめおめと武藤を自らの家の前、すなわちフェルミの住むアパートのすぐ隣にまで連れてきてしまったのである。
自転車から降りた和久田にはひとつ聞きたいことがあった。
「武藤」
「はい」
「フェルミがあの姿になったりしたときは、近くにいればすぐパルタイがいるってわかるんだよな」
「はい。半径百……何十メートルくらいの距離なら、だいたいは」
「あとパルタイ以外にも、たとえばさっきみたいに、ケルペルだったり、それに準ずるものも、わかるんだな。おれが前持ってた、ゼンダーとか」
「ええ」
「今のおれはどんな感じだ」
およそ平行の位置にあった武藤の目が和久田を見た。しかし何も言わなかった。
「おれはフェルミにディングとしてケルペルを、パルタイの力の一部を植え付けられている、らしい。そういえば何も言ってなかったっけかな、詳しくはまたLINEか何かで送る、どうだ武藤、おれからパルタイの、《超常》の気配はするか」
「いいえ、何も」
つかつかと歩いて和久田の家の前に立つと、道沿いに開けられた採光用の窓、白みがかった灰色の壁、向かって左の玄関口と視線が動く。
「ここが和久田さんの家ですよね」
「ああ、うん、そうだよ」
和久田の家の左右には、左に白い壁で瓦葺きの平屋建てが、右にフェルミの住む褪せた薄緑色の二階建てのアパート「エンハイツ」があった。
「つまりフェルミが住んでるのはこっちと」
フェルミが戸建て住まいでないことは、この数週の間に耳に入れていたらしい。武藤は迷いなき足取りでずんずんとアパートの方へ進み、郵便受けを一瞥して「フェルミ」の文字を見つけると、錆びまみれになった階段を音を立てて登っていく。和久田は色を変えて後を追った。しかしエンハイツの階段は人間一人分の幅しかないのでどうしても武藤を追い越すことはできない。フェルミの居室、201号室の前に立った武藤は、ノブをひねって鍵が開いていないことを確認すると乱暴にドアをノックする。
「フェルミ! 居留守など使ってないで出てきなさい!」
切り刻んでやる、と息巻く武藤の声は、なんとも形容しがたいが、ともかく普段とはかなり違った聞こえ方をしていた。殴りつけているといったほうが適格にも見えるいきおいで激しいノックを繰り返す。
「待て待て、待てっ武藤! 器物損壊とかなったら、どうすんだよお前!」
そう高級にも見えず、まただいぶ古びたドアが、今にも壊れてしまいそうに見えて、和久田がドアと武藤の間に滑り込むと、武藤は眉間に深くしわを寄せた。
「まさか本気でフェルミを庇ってるんですか」
「本気だ。殺してほしくないってのは嘘じゃない」
「思考を操られている可能性とか、考えないんですか」
思考の乗っ取り……そうだ、されているかもしれない。今こうして目の前にいてフェルミを殺そうとする武藤を排除するために。しかし当の武藤は、その乗っ取りを正反対の方向に解釈しているようだった。自分で言った言葉に自分で納得したのか、武藤はぎらぎらと目を輝かせた。
「そうです、乗っ取りですよ。和久田さんが無意識のうちにフェルミを庇うようなプログラムが、あのディングでしたっけ、あれと一緒か、あるいはそれ以外の何かしらの方法で和久田さんの頭の中に書き込まれた。だからフェルミをそんなに庇うんですよ、和久田さん、あなたは」
「いや」
暴論だ、と言おうとしたが、怒髪天を衝く勢いの武藤は反駁を許さなかった。
「そうでもなくちゃ一体なんだって《超常》相手にっ、そこまで親身になれるっていうんですかっ!」
武藤は頭の先まで血を上らせて、忌々しげに歯を軋ませた。白い肌はすっかり血の色を透かして桃色に近くなっている。
「和久田さんどいてください、この際扉を壊してでも踏み込みます」
「待て武藤、中にフェルミがいるかもわからんだろ」
「いるからそうやって身を挺してドアをふさいでるんじゃないんですか、ええ!」
「武藤!」
水を打ったように静かになる。
和久田はいくつかのことを同時に考えた。一にフェルミが植え付けた強烈な願いの怪物、二にはあぜと共に関係のあってないようなパルタイの命さえ狙う武藤、三にはあの道化じみた隣人フェルミ、そして和久田がかつて憧れ挫折した二つの英雄像。
「まず、ひとつ聞きたい。ちゃんと聞きたいことがあるんだ、ちゃんと答えてくれ」
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