マッグ売りの少女
しきみ
第1話 マッグ売りの少女
「マッグ。マッグはいかがですか?」
冬の寒いある日。とある都会の外れの外れ。そこは貧困街と呼ばれ、人でもモノでも世間から不要とされたものが集まりやすくなっていた。
弱い地震で倒壊しそうなコンクリートの二階建ての宿舎と、大人が使ったら落ちてしまいそうなほどさびきった金属製の屋外階段を持つ四階建てのビルの間で辛うじて生きている街灯の下、中学生くらい少女が学生服を着たまま立っていた。汚れた制服を着ている事で辛うじて中学生とわかるが生活習慣の影響か、髪も肌も同年代のそれとは程遠くぼろぼろになり、血色も悪く背も小さかった。
「マッグ……マッグはいかがですか?」
少女は懸命に声を上げるが通りの人間には声が届かない。通りすがる大人たちは精気を失った目で食料を探していた。北風が吹き枯葉の代わりに道路に溜まった馬券が舞う。
「マッグ……マッグは……」
人が通る度に少女はマッグを売ろうとした。少女が一人で抱えるには大きすぎるほどの段ボール。それが三箱積みあがって少女の隣でボディーガードのように立っていた。その中にはマッグが詰め込まれている。
「……なんでぇ。そのマッグってのは」
頭皮が寒そうだがそれ以上に服装も寒そうな初老の男性が声をかけてきた。歯は所々抜け落ち、口を開くたびに口内の闇が少女を睨む。
「あ、あの。マッグはおもちゃです」
初めて声をかけられて少女は動揺した。だがこれを売らなければお金を手に入れる事は出来ない。少女は必死になってマッグを売り込もうとした。箱の中からマッグを一つ取り出す。
「えっと、こうやって遊びます」
マッグを道路に置き、突くと「アイエエエエエ」と奇妙な音を立てながらマッグは歩いた。芋虫よりもゆっくりと進み、五センチほど動いて止まってしまった。
「なんでえ。これだけか」
男は興味を失って少女に背を向けた。
「あ、あと、すごくよく燃えます!」
少女は道路で動かなくなったマッグを取り上げ、腕を捻って取った。マッグは「アイエエエ」と小さく唸るような声を上げた。
「燃える?」
今晩の寒さをしのげるならいいかもしれない。男の単純な思考がマッグに興味を戻した。
「はい」
少女は捻り取ったマッグの腕を地面に置き、ポケットからゴミ箱から拾ってきた汚い使い捨てライターで火をつけた。その瞬間、マッグの腕はたった数グラムの物質からは想像もできない高熱を発し火柱を生んだ。数十秒経ってもマッグの腕は燃え続け、火は止まりそうにない。
「お、おおお!これはいいぞ。で、いくらだ?」
値段の話になり、少女の顔はぱぁっと晴れやかになった。
「五十円です」
男はポケットから小銭を漁り、十円玉五枚を取り出すと少女に見せびらかすように手のひらに乗せた。
「ほれ」
そして路地の奥に向かって投げた。
「あっ!」
少女が投げられた十円玉を拾いに行っている間に、男はマッグを一箱持つとどこかへ走って逃げてしまった。
「五十円、あった……あれ? マッグは」
少女がマッグを売っていた街灯の所に戻ってきた時には遠くにマッグの箱を持って逃げる男の姿があった。
「あ、そんな……マッグが……」
「アイエエエエエ?」
残された箱からはマッグたちが少女の悲劇を憂うように、悲哀のこもった声を上げた。
一箱奪われてしまった。その事実に絶望した少女はうつむくまいと、天を見上げた。曇った空では星一つ、月明かりすら見えない。街灯の下に付いている時計に目をやると深夜零時をちょうど過ぎていた。
「あ、時間だ」
少女は売り込みを止め、売れ残りのマッグの箱を押して建物と建物の間の路地に無理やりねじ込んだ。その間もマッグ達は「アイエエエ」と声を上げる。声ではなくマッグ達の中にあるばねだったり液体燃料がそのような音を上げるのだが、声を出しているようにも見える。
「ごめんね。ここに置いて帰るから……」
少女は箱詰めされたマッグに別れを告げ、主の元へと向かった。
少女の母は新しくできた男との生活で少女がいらなくなった。そのため臓器として売り出そうとしたところ子供の女としての利用価値の方があるとされて様々な店で働かされ、四日前に現在の主に拾われてそこで生活している。
貧困街の外れ、あと五分ほど歩いたらビルの森へ入りそうな所に少女の主は家を構えていた。家と言ってもアパート。一フロア四部屋で三階建て。その三階は四部屋がくっついていて少女の主が住んでいた。
「ただいまもどりました」
少女がインターホンに向かって声を飛ばすとインターホンが『入っておいで』と優しい男性の声を出した。鍵が開く音がしてドアがすこし開く。
事務所スペースなので土足で中に入ってもいいと言われているため、少女は土足のまま中に入る。中には接客用テーブルでグラス片手に牛乳を飲む褐色の肌を持つ若い男がいた。三十代序盤程度で整った顔にあうきちんとした身なりをしていた。
「今日はどのくらい売れたかな?」
褐色の肌の男は少女に微笑みかけながら聞いた。
「あ、あの。一つ売れたんですけど、一箱盗まれてしまって……」
少女は怒鳴られるだろうと身をぎゅっと強張らせ、覚悟を決めた。
しかし飛んできたのは優しい声だった。
「そうか。大変だったね」
男は少女に近寄りぽんぽんと頭を撫でてあげた。少女の緊張が解れ、顔からも恐怖の色が消えていく。
「盗まれても大丈夫だから。気に病むことは無いよ。在庫は言った通り路地に置いてきたかい?」
「はい」
「それなら大丈夫だ。また明日も頑張ってくれ。今日は部屋に戻って休むといい。新しいトリートメントも入れておいたから使いなさい」
「はい!」
少女の顔に笑顔が戻ったのを確認し、男は満足げに微笑んで少女を下のフロアに用意している部屋に返した。
時折少女は考える。今の主の元に来るまでこんなに良い生活を送ったことは無かった。犬小屋のような狭い部屋で布きれのような毛布を与えられ、風呂は三日に一回、食事は一日一回もらえればいい方だった。
それが今では八畳ほどある広い部屋を与えられ、使用制限のない風呂も、清潔なトイレもある。今が夢じゃないのか、と少女は度々考えていた。
新しい男と逃げた母は今の少女を見てどう思うだろうか。少女を売った金で新しいマンションを借りると言っていたが今少女が住んでいる部屋よりいいところを借りる事が出来たのだろうか。
「ざまあみろ」
闇の中、少女は呟きながら目を閉じて眠りについた。
「順調順調」
少女の主の男は地図に印をつけていた。
少女を雇って四日。三日間、三か所でマッグを売らせた。売り上げは最悪で毎回三箱持って行かせて三箱の在庫が残っている始末だ。つまり売れていない。
「明日で終わりでいいかな」
男は段ボール箱にマッグを詰めながら、少女に向けたような優しい笑顔をマッグに向けた。
「明日は君が主役だ」
当然だがおもちゃのマッグに意思は無い。だがタイミングよく「アイエエエエエ」という唸り声を上げた。
翌日、いつもと同じように日が暮れる時間になると少女とマッグを三箱乗せた軽自動車が貧困街へと赴く。運転手は少女の主が雇った男で貧困街で転がっていそうな品の悪さと臭さを備えていた。
「へぇ。こんなオモチャを売るのか。大変だな」
前日よりも少しだけ小綺麗になったもの、まだまだ少女の血色の悪さとぼそぼその髪は直らない。男はマッグを左手でいじりながら車を運転していた。
「今日は、盗まれないように頑張ります」
「盗まれたのか。それは災難だな。まあ、襲われないようにな」
今までマッグを売っていた場所とは違うところで降ろされた。運転手の男はマッグの箱をそっと降して少女の隣に積んだ。
「じゃあな」
そしてまた一人になって、少女はマッグを売りだした。
「マッグ。マッグはいかがですか?」
今回は飲食店が近くにあったため人通りがいつもより多かった。だが、皆店内で安くて臭い飯を食うために来るか、店の外のベンチで将棋を打つ事しかなかった。少女の方を見るのはごくわずかだ。
「んだ。マッグってよ」
将棋に負けた老人が場所を奪われたのか少女の方へ来た。
「マッグはおもちゃで燃料なんです」
そう言って少女はマッグの実演販売を始めた。寒い日に屋外でも暖が取れるという事でホームレス層が集まる飲食店前ではそこそこ売れた。それでも十個。売り上げがいいとは言えない。
気が付いたら街灯の時計も零時近くを刺していた。
「今日もたくさん売れなかったよ。ごめんね、マッグ」
「アイエエエエエ」
少女はいつものようにマッグの段ボール箱を押して路地に入れようとした。
「あれ? あったかい」
少女が段ボールを触るとあったかい。人肌程度に温まっていた。
「どうしたんだろ」
少女が疑問に思って押すのを止めると、マッグの箱が赤く光り出した。
次の瞬間、まばゆい光と共に鋭い炎が噴射し爆発を起こした。
その様子を遠く離れた摩天楼の上から望遠鏡を使ってみている男がいた。少女の主だ。褐色の肌を夜天に溶かすように紛れ、二つの目でその行く末をしっかり見届ける。
貧困街全域が炎に包まれ真っ赤に燃え上がり、建物は倒壊し、人々は生きながら燃え上がってうごめいていた。貧困街は地上でありながらも地獄と化した。水を求めるも消火栓は無く、消防車が入り込む隙間もない。
「さて。最後の掃除事業も終わったし。引退するか」
男は満足げに微笑むとビルの屋上から姿を消した。
「…………ァィェェェェェ。…………ァィェェェェェェ」
数か月後、男が夜に寝ているとどこからともなく声が聞こえる。その頃、男は貧困街の大掃除という仕事から手を引いて、子供に夢を与える大手おもちゃメーカーの営業と言う至極まっとうな職に就いていた。都心のマンション。地上十三階に部屋を構えているため、不自由のない生活を送っていた。
そんな中、ここ最近になって男は幻聴に悩まされていた。あのマッグの声が、聞こえるのだ。アイエエエエという、体内の金属と燃料、駆動部分が織りなすただの偶発的な音。それが発火したマッグうめき声に聞こえる。
その声がここ数日、毎晩聞こえてしまう。それも日に日に大きくなっていた。
深夜零時。男の目は完全に覚めてしまった。
「アイエエエエエエ」
廊下の方からマッグの声が聞こえるようだが、起きているときに聞こえてもただの気のせいだろうと男は思い込むようにしていた。冷蔵庫からお茶を取り出し、グラスに注いで一気に飲み干す。
お茶ではなく酒にすればよかったかと思い、男はしゃがんで台所の下の棚からウイスキーを取り出した。その時、背後から爆発音が聞こえて部屋が震えた。
「な、なんだ」
ウイスキーのボトルが床に落ちて割れる。部屋の内部の扉は爆風で吹き飛び、鉄製の玄関扉は溶けている。
「アイエエエエエエエ」
マッグの唸り声が聞こえた。足元にはのそのそと歩くマッグがいた。
「ど、どうしてここに」
マッグは在庫もあったが拠点のアパートに放置してきたはずだった。ここにあるわけは無い。男は冷静になろうと深呼吸をしたが熱風が肺に入りせき込んだ。
「あ“い”え“え”え“え”え“」
せき込んでいるとマッグの声とは違う、低く、殺意に満ちた声が玄関から近づいてくるのが分かった。足元のマッグは一体、二体、と徐々に増えていて気が付いたら十匹近くが男の足元でうごめいていた。下手に動くと爆発する恐れもある。マッグの危険性は使っていた男がよく知っていた。
男はその場から動けなくなっていると、玄関からくるモノの正体に気付き、男は震えた。
「そ、そんな。死んだはずじゃ」
新品になっている学生服。しかし着ている方はボロボロだった。包帯でぐるぐる巻きにされて松葉杖を突きながらなんとか歩いている。顔も見えず、肌も見えず。だが男はその眼に見覚えがあった。空いている手には燃えているマッチを持っている。彼女の足元には数百のマッグがうめき声をあげながらうごめいていた。
少女は、にやっと笑いながら男に向かっていった。
「マッグは、いかがですか」
「まて! やめろ……」
男の静止も空しく、火のついたマッチは床でうごめくマッグたちに引火した。
マッグが爆発する直前、男は少女の顔を見た。見てしまった。
悪魔のように満足げな笑みを浮かべ、抜け落ちた歯が目立つ口を開けてこう言うのを。
「おかいあげ、ありがとうございます」
マッグ売りの少女 しきみ @Shikimi_nico
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