第32話 日本語を繰る
皆さま、いつも ありがとうございます。
リクエストも、いま いただいているぶんは最後となりました。
5人目の作家さま、どうも ありがとうございます。
遅くなりまして、申し訳ないことでございます。
今回のお題は、漢字表記の選択について。
これは日本人作家ならではのお話ですよね。
みる、いく、きく。
どの漢字をあてるのか、それとも平仮名のままとするのか。
みる。見る。視る、診る。観る。看る。
いく。行く。逝く。往く。
きく。聞く。訊く。訊く。効く。利く。
すべて、意味が違ってきます。
難しいですよね。
説明文なのか、科白なのか。
それによっても違うし、
誰の科白なのか。
によっても違ってきます。
オカタイ文章の文学作品ならば、漢字のほうが格調高くなるでしょう。
ライトな文章の大衆作品ならば、いっそカタカナ表記も効果的でしょう。
──科白だとしたら?
年齢、性別、人格、国籍、思想によって、その人物を表現する素晴らしい選択にもなります。
①「きみのこと、ずっと見てた。心配だったから」
②「君のこと、ずっと看てた。心配だったから」
③「キミのこと、ずっと視てた。シンパイだったから」
上記3つの文章は、音読すれば、どれも同じです。
しかし、意味はまるで違います。
たとえば①は、少年。母親が亡くなった幼馴染みが慣れない家事に奮闘するさまを見つめていた、というような状況を想像させます。無理矢理かな。
②は、青年。熱を出して倒れた同級生を保健室で見守っていたのでしょうか。
③は……ちょっと怖いけど、ストーカー。愛する女性をこっそり陰からみつめていたという感じ。
どうでしょう?
それっぽくないですか?
すくなくとも、全然、印象が違いますよね。
日本語って、すごい!
私は、だから日本語が大好きです。
リクエスト主の作家さまはじめ、皆さまには既知のことかもしれませんが……。
キャラクターによっても、違ってくると思います。
幼い子どもが難しい熟語を次から次へと繰りだすのは、私は不自然に思います。とくに、なんらかの分野において突出するほどの才能を示すような子どもなら、その分野にのみ、努力をしてきたはず。言語的にも天才、得意分野にも天才、知識学的にも天才。そんな人間は、作品にひとりいてもリアリティを守るのに苦労することでしょう。
熟語を敢えてカタカナ表記する、それだけでも、ああ、憶えた言葉を使いたいんだな、と微笑ましくさせます。
「枝葉末節にばかり拘るんじゃない」
「シヨウマッセツばかり、気にしないでよ」
大人と子供の差。
それを表現するのも、漢字表記の有無で可能だと思います。
あとは、読みやすさでしょうか。
「君達早晩内閣総辞職と予想していたね」
「君たち早晩内閣総辞職と予想していたね」
「本の未見見つけました」
「本の未見みつけました」
「君一切喋らなくていいから」
「君いっさい喋らなくていいから」
どうですか?
上段の文章より、下段の文章のほうが、読みやすいのではないかと思います。
文章表現だけでなく、漢字表記の選択も、読者さまのことを考えて出来るといいですね。
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