第27話 ないものねだり、それが世界平和
皆さま、いつも ありがとうございます。
そして、リクエストをくださった作家さま、どうもありがとうございます。
とても文字数をカセげそうな お題をくださいました。
それは。
『世界平和(!)について』。
おお~。
深いテーマです。
世界平和。
いま、人類が最も希求しているもののひとつではないでしょうか。
北朝鮮。
中華人民共和国。
中東の数々の国。
世界には自国の価値観と利益のみを追求し、周辺国のみならず世界に争いを生んでいる国がしばしば散見されます。
何故でしょうか。
けれど、じつは、それはもしかしたら、あたりまえなのかもしれません。特筆すべきことではないのかも。
何故なら。
個体と個体が出会ったとき、それは野生の世界でも争いに発展します。縄張りという価値観があるからです。自分の居場所、餌場を守らなければ、死に直結するからです。
まして、それぞれの思想や感情を持つ人間の世界。
考えてもみてください。
家族でも。
「俺は目玉焼きは醤油派なんだよ!」
「冗談でしょ。ソースじゃなきゃ目玉焼きじゃないわっ」
「ふたりとも、卵の味を殺す気!? お塩とハーブでじゅうぶんでしょーが!」
「ハーブ!? バカか!」
などというミニクイ戦いが朝から繰り広げられることだってあるのです。
また、その争いが何年も続くことも……。
いえ、人は もうちょっと生活上重要な問題で戦うものだとは思いますが。ある意味、平和な戦いですなぁ。
──とにもかくにも。
隣家の庭から果樹の枝が大きくはみ出して、熟れた果実が次々と庭に落ちて腐る、みたいなトラブルが大きく発展して隣人戦争となってしまうことがあるように。
争いというものは、なくならないと思うのです。
しかし、それが命を奪うまでになってしまうことは、決して許されてはならない。
人は繁栄を望む。
幸福を求める。
栄華を欲する。
けれど、それは奪うのではなく、築かれるものでなくてはならない。
得ることは、失うこと。
手に入れることは、恐怖すること。
……けれど、価値観はまだ、すり合わせられる希望があります。
問題は思想。
宗教的な差異ですね。
聖地の奪い合い。
教義の解釈についての争い。
それらを平和的に解決するのは、数千年も失敗し続けているので、簡単ではありません。
けれど、テロを起こす人々は、同族たる人間を殺すことが、なぜ自分の魂を救うことだと信じられるのでしょう。なぜ、どの宗教も尊いものだとすることができないのでしょうか。
真に尊い神とは、あらゆるものを尊重し、肯定するそれだと私は思うのですが。
世界のすべてを。
どのような教えも、救いも。
──そんなに難しいだろうか?
私には、理解できません。
そして、他者の命を張るほどの教義に、私は幸福を感じられません。
幸福とは、肯定だから。
けれど、厳格な家庭が放任の家庭を非難するかの如く、厳粛が自由を攻撃する。
そこには嫉妬があるのかもしれない。
金銭と、愛と、嫉妬。
この三つが無くなれば、殺人もなくなるといいます。
けれど、それらが無くなることはないでしょう。
平和とは、誰かの犠牲の上にしか成り立たないのかもしれません。
ウィンウィンなんて、夢のまた夢。
結局は、世界平和なんてものは、ないものねだりなのかもしれませんね。
──クレイグ・ライスの生み出したシカゴの敏腕弁護士、マローンの名言を思い出します。
「恋するものは言う。『あなたがいなくては、私は生きてはいけない』そして殺人者は言うのであります。『あなたがいては、私は生きてはいけない』」
その思考こそが戦争の芽。
争乱の種なのでしょう。
──さて。
次回!
なんとなんと、またもリクエストを頂戴いたしております♡
いやぁ、本当にありがとうございます!
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