第15話 快楽の園 ボス
なんだろう。
すごい世界だ。
裸の男女が入り乱れる。
けれど、決して卑猥な感じはしない。
巨大なザクロ(?)の中に入る男女。
シャボンの中の男女。
股間に赤い実をはさみ、水中に頭を没して、スケキヨ状態の、おそらくは男性(大切な部位を両手で隠しているので、推定)。
水鳥の背中の上で睦みあう、黒人女性と白人男性。
ブラックベリーに群がる人々。
魚。
駱駝。
馬。
牛。
小鳥。
山羊。
動物たちと入り乱れている人間たち。
イガイという貝の中に隠れている男女もいる。それを担いでいる男。
頭の上にサクランボを乗せた女性は、ほらごらんなさい、というように、得意げなポーズだ。それもそうだろう。これは花嫁の象徴という。得意げにもなろうというものだ。
画面上部には、奇天烈な形状の建物が五棟。この建物の描写は、並大抵のものではない。私にも描けない。
ヒエロニムス・ボス。
ルネサンス期、ネーデルラント(オランダ)に生まれた画家です。
生誕は1450年ごろといわれています。
本名は、イェルーン・ファン・アーケン。祖父、兄、三人のおじが画家という一族に生まれました。
その生涯については不明な点が多いものの、父のもとで修業をしたと推察されています。
富裕な家の娘との婚姻により街のキリスト教友愛団体である「聖母マリア兄弟会」に所属し、名士となりながらも、会の依頼で絵画の制作活動を行っていたと考えられています。ヨーロッパ各地の王侯貴族たちからの依頼も多かったといいます。
よって、宗教的に意味のある作品が多いです。
「快楽の園」は、1480年から1500年、あるいは1490年から1510年ごろに描かれました。
三枚のパネルからなる、三連祭壇画です。
向かって左のパネルにキリストの姿をとった神がアダムにイヴを娶らせている「エデンの園」があり、右のパネルに胴体が卵の殻になっている男や人間を丸のみにしてはすぐに排泄する怪鳥を描いた「地獄」があります。
「快楽の園」は中央のパネルです。
左右のパネルを閉じると、当時の人々が考える地球のグリザイユが現れます。
誘惑からの危険に対する警告を意図したとか、道徳的な警告が描かれているとか、失楽園が描かれているとか、その解釈は何世紀にもわたって学術論争が続いてきました。
私?
私はどう思うかですって?
これは純然たる警告には思われない。
なぜなら、これが人間の自然な営みだと訴えかけてくるように思われるからです。
産めよ、増えよ、地に満ちよ──。
しかし、マリアさまのような処女懐胎ができぬ身の上。
性交は生殖。
ただ、警告であるとするなら、それに溺れてはならないという意味ではないかと思うのです。
なにせ、この裸体は美しいのです。
無駄な脂肪のない、均整のとれた、型にはめて量産したかのような裸体の群れ。鳥と戯れたり、薔薇を掲げたり、まるで見られていることを知っているかのような。それでいて、その視線を意に介さないような。
無邪気な雰囲気に満ちています。
子供の遊びとでも言えばよいのでしょうか。
遊具に隠れたり、よじのぼったりするかのよう。
ヒエロニムス・ボスは、肉体の快楽は罪ではないと語っているかのようです。
※グリザイユ──モノクロームで描かれた絵画のこと。色は一般に灰色か茶色が使われるが、微少にほかの色がつくこともある。イタリアでは「grisaglia」あるいは「chiaroscuro」に該当し、「グリザイユ」は別の意味を持つ。
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