第2話 創作を始めたとき

 皆さま、はじ……めましての方は……おられるのでしょうか?

 いつも ありがとうございます。


 この取るに足らないエッセイをお読みくださる天使さまのような方々には、わたくし渾身の投げキッスで感謝と祝福をお贈りしたいと思います。いらんか。


 本日は、わたくしが創作を始めたころのことです。


 えー、覚えていません。


 幼児期には空想世界に全身どっぷりと身を浸して、一人で何役もの登場人物の役をこなし、ぶつぶつセリフを呟いているような不気味な子どもだったので、そのころから創作の真似事は始めていたと思います。


 やがて絵心に憑りつかれた私は漫画の虜となり、自分で作った物語を漫画で描くという遊びに熱中します。

 それは中学一年生頃に絶頂期を迎え、クラスメイトの何人かをモデルに漫画を描き、いわゆる豆本を製作し、収納ボックスまでこさえてドン引きされるという経験も積みました。

 

 その頃でしょう。


 私は自分の画力に限界を感じていました。

 簡単な人物の絵くらいならよい。

 建物も植物も、まあ本気を出せば描けないこともない。

 しかし、ひとつひとつは描けても、全体の集合体とみてはお粗末なものです。


 そこで研鑽を積んでいれば、もしかしたら漫画家への道が開けていたかもしれません。しかし私はスクリーントーンに手を出す寸前で、漫画は趣味の域だと決断したのです。

 そのころ私は、とある作家先生の小説にはまっていました。

 ここでは控えさせていただきますが、その先生は作品の中で仰っていました。


「漫画家は海をかくのに様々な技法を使って時間をかけ、えがく。小説家はいい。うみ、と二文字打って漢字変換するだけなのだから」


 正確ではありませんが、だいたい こんなことを仰っておられました。


 な、なるほどー!


 勿論、ただ「海」と書けばよいというものではないのですが、ちょうど頭の中で動く物語を表現するのに図画は時間がかかりすぎると苛々していた私は、文章という表現方法に膝を打ったのであります。

 まあ、現在となってはキーボードを打つよりも物語を頭の中で整理するほうが時間がかかっているのは、なんとも皮肉なことですが。


 そんなわけで、中学二年生ごろでしょうか。

 私は文章で物語を描くことにシフトチェンジをしたのです。かといって、すぐに漫画をきっぱり辞めたわけではありませんが。暫くは、物語によって かきわけていました。


 現在でもイメージボードとしての作画は頻繁にしていますが、漫画表現は殆どしません。漫画は技術鍛錬の激しさがそりゃあもう凄まじい。要するに、物語の表現力まで到達するほどの根気と努力が足りなかったのですね。


 しかし、絵心の芽を刈り取らずに残しておいたおかげで、イメージ力は強くなれたと思います。美人をただ美人と述べるのではなく、どこがどう美人なのか。そうしたことをイメージして描いておくと、書くときに非常に役立ちます。

 はい、ここで察しのいい方には露見しますね。

 『死神✠Alice✠ Le Morte』ではイメージボードを描いていません。

 簡単な登場人物表を作っただけで発進しました。

 なぜなら、連載作家というものに挑戦してみたかったからです。


 とりとめもなくなりました。


 次回は……創作が生まれるとき全般編といたします。

 



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