第4話

 『All of You』、これは私も好きな曲だ。この曲は、A♭m6という不気味なコードで始まるくせに、最後には明るい響きで終わる。そんな、暗いのだか明るいのだか分からない、捉えどころのなさが、捻くれた子供のように可愛らしく思えて好き。

「君の唇、腕、魅力、優しさ、純粋さ、目、鼻、口、全部が好き、だから君の全てを支配したい。こんなに君が好きなのだから何パーセントかだけでも私を好きになって」というような『All of You』の歌詞をはじめてみたとき、全部が好き、なんてあるものか、と私は思った。しかし、好きだから「付き合う」というどこか嘘めいた契約よりも、好きだから君のことを支配したい、好きだから君も私のことを好きになって、という部分は、正直な気がして好感が持てた。


「よし、『All of You』ね。」

私はコードブックをぱらぱらめくりながら『All of You』を探す。『Alone Together』に『All the things you are』…。どれも大昔の恋愛を歌っているスタンダード。あ、『All of You』あった。

 平成生まれの私と田中君が、二人きりで大昔のスタンダードをセッションすることに意味はあるのだろうか。誰が聴くでもない。録音を残すでもない。私も田中君も、明日にはセッションの内容の九割は忘れてしまっているだろう。大半の部員は、セッションを、楽しければいいだとか、ただの練習だ、とか言っている。私も部分的にはそれに同意する。セッションは楽しいし、練習の一環でもある。しかし、セッションをする意味はそれだけではないはずだ。それだけではないから私はここまで嵌ったのだ。思い出?とも思ったが、そんなもの別に音楽でつくらなくてもよい。まあ、やってみれば、何かが掴めるのかもしれない。


 私はテンポを崩し、ゆったりとルバートでテーマを弾き始める。

田中君は私の音を一音も逃さない、という様子で私のピアノを聴いている。私はだんだんとテンポを速め、音量を上げていく。テーマの最後の八小節に差し掛かる。田中君が入ってきてビートを刻む。私と田中君は歩調を合わせていく。二人のリズムがぴったり合う瞬間、はぁ、とため息が出そうになる。気持ちがいい。

 テンポが定まった状態で私はもう一周テーマを演奏する。私の頭の中ではキース・ジャレットがイメージされている。もちろん、目前のピアノから聴こえる音はキース・ジャレットの音ではない。私の音。それは残念なことではあるけれど、私は私。

 田中君は、誰かをイメージして演奏しているのだろうか。スコット・ラファロかな?


 私のソロに入る。私が小さい音で展開をつけようとすれば、田中君も音量を抑えてて弾く。私が♭系のテンションをソロに多用すれば、田中君が弾くベースラインもそれに対応して♭系のテンションが踏まれる。私がペダルポイントを用い、ソロを盛り上げようとすれば、田中君は私に加勢して、同じようにペダルを踏む。


 ああ、これだ。


 私がセッションをしている意味。「わかっているよ」という承認、相手のプレイに対する反応。これこそが、セッションをする意味であり、私たちが今、セッションをしていたということを確かにする。


 今度は田中君のベースソロ。ドラムがいないために、田中君はソロがとりづらそう。今度は私が少しでも田中君を楽しませるように尽くす。慣れないことではあったが、私は右手でコードを押さえながら、左手でベースラインを弾く。私の出すビートに揺られながら、田中君は、ソロをとる。

 田中君は、三連符の刺々しいフレーズを今日はよく弾く。ああ、やはり、田中君の頭の中ではスコット・ラファロが流れているのだろうな。

 音の伸び、力強さ、フレーズの良さ、リズム、全てにおいて、田中君はスコット・ラファロのソロに及ばない。しかし、私はスコット・ラファロとセッションをしているわけではなく、田中君とセッションをしている。それでいいのだ。田中君のソロは、誰のエッセンスが入ろうと、田中君のソロ。田中君のこれまでの練習、人柄、これまでの人生が浮き出てくる。

 私は、田中君のプレイ全てを包み込むようにバッキングがしたい。それも、できるだけ田中君の想像力、表現に水を差さないように、田中君の音を掻き消さないように、さりげなく。

 田中君は私のバッキングに感謝するように、申し訳なさそうな苦笑いを私に見せ、自らのソロの終わりを私に告げる。お互い様なのに。いや、セッションしよう、と言ったのは私なのに。

 後テーマに入る。セッションを終わらせたくない、という気持ちが出てくる。終わってしまえば、どんなにいい演奏であっても過去になってしまうから。そのセッションを再現することなどできない。私は、マイルスのようにターンアラウンドを繰り返し、最後の四小節を引き伸ばす。

 何周か、引き伸ばしたはいいものの、私に長く引き伸ばすことができるほどのフレーズはストックされていない。


ああ、終わり。テーマの最後の五音を弾く。


 ピアノとベースの余韻も消え、空調の音だけが部室を支配している。セッション後の空気は、いつも少しむずがゆい。感想をしゃべりたくなるのに、言葉を発するのが恐ろしいというような感覚。場に合わない言葉を発してしまえば、どんなにいいセッションをしたところで、台無しになってしまいそう。


「いやあ、難しいね。」


 田中君が声を発した。田中君も私と同じように、この空気にはらはらしていたのだろう。田中君のこの感想は、この場に適したものであった。いつも田中君はこのようにして私を助けてくれる。

「うん。何度やっても上手くいかない曲だよね。」と私は同調した。

実際、『All of You』は捉えどころがなく、スタンダードの中では難しい曲であった。

「でも、簡単にいい演奏ができる曲だったら、つまらないよねえ。」と田中君は言う。

その通りだ、と思った。私は簡単に上手くなれないジャズという音楽が好きだし、セッションをすればするだけ理解が深まっていく、難しい曲が好き。

「うん。また、この曲セッションしようね。そのときはもっといい演奏ができるはず。」

「もっと、練習しなきゃなあ。スコット・ラファロはベースはじめて二年くらいでプロになったらしいし。」


 スコット・ラファロの名前が出てきて、私は田中君に聞いておかなければいけないことがある、と思った。

「少しジャズとは関係のない無駄話してもいい?」私は田中君に聞く。

「ん、何?」

田中君の返事のあと、少し間を置く。田中君は、どんな話でも聞く、というような、待ちの表情を私に見せる。私は田中君に聞いた。

「田中君は、私が死んだらどう思う?」

「ん。さっきのスコット・ラファロの話?そりゃあ、悲しいさ。夕食一緒する相手がいなくなってしまうもの。」

田中君は少し冗談めいて、そう答える。私は真面目な話をしているのに、と思ったが、田中君がいなくなってしまえば寂しいと思う私の気持ちも、案外そんなものなのかもしれない。この気持ちが「好き」ということ?

「私も田中君とご飯食べているとき、楽しい。その時間がなくなったら嫌だなあと思う。ねえ、田中君。この嫌だなあって気持ちが、「好き」ってことなのかなあ。」

と私は田中君に聞く。

「なんで、それを僕に聞くのさ。」

田中君は面白いことを聞くなあというように、笑って言った。

「私よりかは田中君のほうが詳しいかな、と思って。」

「人それぞれの解釈があるから、僕が君より詳しいとかはないとは思うけど。」と田中君は言った。しかし、私がその返答に満足していないのをみると、

「君のが「好き」なら、僕が君に思っているのも「好き」になるんじゃない?もしそうだとしても僕の「好き」は、世に出回っている「好き」とは少し違うな。」と続けた。

「どこが違うの?」と私は聞く。

「うーん、今話している「好き」は、もっと限定的な意味なんだと思う。例えば、君のピアノが好きとか、君の観察眼が鋭いところが好きとか、そんな好き。世の中で出回ってる「好き」は、本当に全部が好きな場合じゃない?もしくは、そうだと錯覚している場合。」

「ああ、それならわかる。私は田中君のこと全部は好きじゃないけど、田中君のベース好きだし、田中君のやけに気を回しすぎるところも好きだよ。あ、もちろん褒め言葉ね。」

田中君は、私の部分的な「好き」でも少し嬉しそうだった。


「ねえ、田中君、All of Youの歌詞ってどんな歌詞か知ってる?」

「知らないけど、曲名のまま、あなたの全てが好き、とかじゃないの?」

「そう、あなたの唇も、あなたの腕も、あなたの優しさも、全部が好き、だからあなたの全てを支配したいって感じ。これって怖くない?私は田中君の優しいところは好きだけど、田中君の唇がまだ好きかどうかはわからない。全部が好きだなんて思えない。私は、「好き」って田中君が言うところの限定的な意味で使うべきだと思うの。」

「うーん、そうなのかもしれないけど、全部が好きって言える人は勇気があると思うよ。もうその一言に委ねちゃえるんだもの。」と田中君は言った。


ああ、なるほど、私は勇気がないのだ。だから誰かと付き合う、ということにも恐れを抱いてしまうのだ。


「ねえ、田中君は「付き合う」ってどんなことだと思う?」

うーん、と考えるしぐさをみせ、田中君は答えた。

「「付き合う」の場合は、全部が好き、という感情とかじゃなくて、「付き合う」という言葉に全て委ねている気がするなあ。付き合ったら、全部を好きになるでしょ、という具合に、感情が後にくる感じ。どちらにせよ、勇気があるよね。」


納得がいった。


 「付き合う」という契約は、おそらくとても包括的な契約なのだろう。手をつなぐ、キス、セックス、それらも含まれる契約。もちろん、それを行使しない人もいるだろうけど。

 一気にその契約を結ぶことが出来る勇気のある人は、この契約を結ぶことで、一つ一つの確認が不要になる。うん、合理的だ。しかし、契約に含まれている細かいものに目がいかない人は、相手の思わぬ行動によって、その契約内容を見直すとき、こんな契約を結んでしまったのか、とびっくりしてしまうだろう。

 私はそんな勇気もないし、既に「付き合う」という契約内容に驚いたこともある。だから、私は一つ一つ確認していきたい。付き合う、という包括的な契約ではなく、あれが欲しい、これも欲しい、というように一つずつ見定めていきたい。


 私が田中君に抱いている気持ちは、他の人に判断を委ねれば、「好き」になるのかもしれない。それは、否定できない。田中君を構成する要素の中に好きなものがあるのだから。

 だけど、私は田中君に付き合ってとは言わない。多分この先も。先ほどの語り口からすると、おそらく田中君も私と付き合いたいなんて考えていないだろうしね。


 勇気のない私は、少しずつ確かめながら、前進するしかないのだ。その進んだ先が、「恋愛」であるのか、「友情」であるのかはわからない。それでも確認しつつ漸進するほかない。それは、とても面倒なことで、多くの時間も掛かるだろう。思っていた結果が得られないかもしれない。しかし、一歩一歩進んでいくことで、関係性は確かなものになる。「私たちって今付き合っているの?」そんな確認も不要になるだろうし、相手の思わぬ行動に驚くこともない。キスやセックス。どんなに不自然な行為であっても、一つ一つの確認を踏んでいけば、自然なものと思える日が来るだろう。

 私はその過程を楽しもうと思う。


 それに、簡単に完成してしまったら詰まらないじゃない。

もがいて、もがいて、それでやっと何かをつかめた気がする。それくらいの方が私は好き。



「ねえ、田中君、次は何の曲セッションしようか?」




<おわり>

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For I Love All Of You あさき まち @asagakurustie

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