第3話

「スコット・ラファロは、ベースの役割を変えたんだ。彼は革新的なプレイをした。インタープレイという言葉、聞いたことある?」

「うん、ビル・エヴァンスのポートレート・イン・ジャズの枯葉のような演奏でしょ。あの、ピアノとベースの掛け合い。」

「そう。あのレコードもスコット・ラファロが参加している。ポートレート・イン・ジャズ以降、ベーシストは、ウォーキングの自由を手にしたんだ。それまではベースの役割は一小節に四つ音を弾くことに縛られていた。だけど、僕たちを含め全てのベーシストは彼のおかげで自由なウォーキングをすることが可能になった。あの掛け合いは、スコット・ラファロがいなければ生まれなかった。彼は天才だった。いや、努力の天才だった。一時期、彼は食事と寝ているとき以外はベースを弾くという生活を送っていたらしい。」


 田中君がここまで熱く語ることは珍しい。少し興奮しているようだった。

田中君は続ける。


「スコット・ラファロが生きていれば、もっと違う世界が開けていたのかもしれない。ジャズはもっと違うものになっていたかもしれない。彼は今流れている『Waltz for Debby』が録音された日の十一日後に亡くなった。二十五歳で、ベースを始めてたった六年で。」

「死因は?」私は田中君に聞いた。しかし返事は返ってこなかった。『Waltz for Debby』はベースソロに突入した。田中君をみると、既に耳を演奏に集中させているようであった。一音も逃さない。そんな様子であった。


 細かいアクセント、メロディックなライン、明るい出音。スコット・ラファロのベースソロは他のベーシストのソロとは確実に異なっていた。楽器や、一つ一つのフレーズの上手さはもちろんのことであったが、彼の演奏にはストーリーがあった。

彼の考えていることが、そのまま彼のソロにぶつけられている。はっと息を呑まざるを得ない、そんな演奏であった。口を開こうものなら、ストーリーを成り立たせる大事な何かを拾い損ねてしまいそうであった。


 『Waltz for Debby』は今までに聞いたことがあった。何故この素晴らしいソロに今まで気が付かなかったのだろう。スコット・ラファロが死ぬ間際の演奏、ということを田中君から聞いたことによって、私の耳が、私の感性が変化したのだろうか。

 

 ベースソロが終わって、テーマに戻っても、私と田中君は口を閉ざしたままであった。ベースソロの余韻に圧倒されたままであった。演奏が終わる。部室に残されたのは私と田中君、空調の音だけであった。


 田中君が口を開く。

「交通事故だったんだ。彼は自分のレコードを友人の家で聴きながらお酒を飲んでいたらしい。相当、気持ちよかったんだろう、自分の演奏がね。泥酔したまま、車を運転していた彼は、乗せていた友人もろとも、ばーん、てね。スピードメーターは振り切れていたらしいよ。」

田中君は友達の事故を語るように、悔しそうにそう言った。冗談が言える空気ではなかったが、私の頭には、「飲酒運転なら仕方ないよね」だとか、「自分の演奏で泥酔って」だとか、不適切な言葉しか思い浮かばなかった。そのため、

「そうだったんだ。」とだけ、田中君に言った。

田中君は、そんな言葉に困っている私に気が付いたのだろう。

「ま、死んじゃったら、そこまで。しょうがないよね。」と言った。

何十年も前に死んだ人のことを、ここまで残念そうに語ることが出来る田中君は、スコット・ラファロのことを本気で尊敬しているのだろう。


 田中君の好きなプレイヤー発表の時間はどうやら終わりのようであった。しかし、田中君の後に、私の好きなプレイヤーを紹介する気にもなれなかったので、私はさっさと食事を済ませ練習に戻った。


 メロディックマイナースケールをなぞりながら考える。田中君も、ふとしたことで死んでしまうのかもしれない。交通事故、急な病、あるいは殺されてしまうかもしれない。そのとき私は、うんと悲しむことができるのだろうか。田中君がいない世界のことを残念に思うのだろうか。田中君がいれば、と思うのだろうか。ああ、駄目だ、集中できない。さっきからCのメロディックマイナースケールばかり。同じことを繰り返してしまっている。ピアノを弾く手を休める。

 部室に鳴り響く、田中君のベースの音。田中君はまだ全然下手。私と同じか、その少し上くらいのレベル。スコット・ラファロのベースとは全然違う。田中君がいくら彼に憧れていても、違うものは違う。ただ、田中君のベースの音からは、田中君の伝えたいことが、少しだけ聴こえるような気がした。


「田中君、セッションしよう。」

私は、田中君のベースの練習を遮った。田中君がふっと、死んでしまって、田中君と一緒にセッションできなくなってしまうかもしれない、と考えると、どうしても今セッションしておかないといけない気がした。

「珍しいねえ、セッションしよう、だなんて。いいよ、何の曲にする?」

田中君は私の誘いにのってくれた。

「田中君は、何かやりたい曲とかある?」

私は、田中君に曲を決めてもらいたかった。その方が、田中君の音が、田中君の考えが伝わるような気がしたから。

「うーん、今練習している曲でいい?」

「もちろん。なんていう曲?」

「All of You。」

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