咲いてはいけない花

 恵先生は英語教師で美術部の顧問で、若くて、格好いいと思う。それはもう女子たちの間では人気の先生。先生が教室に入ってくるだけで空気が変わる。授業中も静かにどよめく。

 趣味はバスケらしく身長は高くて体格もいい。顔は耳とアゴのヒゲが繋がっていて渋い。そしてなんといってもあの低い声。教師になる前は高級ホテルのベルボーイをしていたらしく、流暢な発音で通った声質。

 確かにかっこいいしモテるのも頷ける。

 頷けるけど、何で。

「失礼します」

「恵先生いらっしゃいますか」

「ああいるよ。ちょっと待って。恵先生ー」

 何でそんな人が柚なの?


「こんにちわ、先生」

「こんにちは。あれ君達、今日学校来てなかったよね」

「ズル休みです」

「そんなはっきり言われると困るなあ。俺も一応先生なんだけど」

「先生なら生徒に向かってあんな事頼まないとおもうけど?」

「んー…まあ、そうかもね」

 恵先生は自前のカップに入ったコーヒーをズズッと飲みながら、私を見ていた。そしてカップをソーサーの上に置いた。

 このほんの数秒の間、沈黙の時間だった。先生は蚊帳の外のはずの私が、どうしてここにいるのか不思議なんだと思う。私もどうしてかよくわからない。

 私は動揺していた。


「えっ? ヌード?」

「そう、告白の前に言われたの。描かせてくれって。まあ言い返したけどね。その発言、通報したら犯罪になりますよって。軽く脅しちゃった」

「笑い事じゃないよね」

「あはは……そうだよね。そうなんだけど、それ以上に真剣な顔で言ってくるもんだから少し悩んじゃってさ。まあヌードは断ったんだけとね」

 ——じゃあそこに居てくれているだけでいい。

「……結局モデルにはなったんだ」

「ごめん。断りきれなくて」

 断わって欲しかったが本音。

 私は嫌だったし、私だって蚊帳の外なんかじゃないんだから。

 もう時間は昼前。学校に行く途中の電車内で、私は多分ムスッとした顔してるんだろう。流石に困ってしまったらしい。いつもなら適当に私をあやしてくれるはずなのに、ごめん。と一言いって電車の窓の外を見ていた。


 人気の無い場所を選んで美術室についた。

 先生と私、そして柚の3人。

「で、何か用があるのかな」

「先日、私に言った言葉はなかった事にしてもいいですか」

「……それは出来ないな。例え君が重荷になってもね」

「……ずいぶん身勝手なんですね」

「本心というのは一度言ったらもう止まらないし、簡単に止められないものだからね」

 ……。

「何度でも言う。柚、君が好きだ。もう一度付き合ってほしい」

 ……。

 えっ…?

「もう! 何でそーゆうこというの!」

「嫌いなら嫌いって言ってくれよ」

「あームカつく! 嫌いっていえばいいの? じゃあいいわよ。嫌いよ! 嫌い嫌い大っ嫌い!」

「そうか」

「そうよ! 私とあんたとはもう関係ないの! そして前から関係ない! だからもうそーゆうことは……」

「柚」

「何——」

 強引だった。二人は私の前でキスをした。その瞬間、時間が止まった。三秒の時間ぐらい。

「……ッ! 」

 柚は悔しそうな顔で先生を見てた。涙を浮かべながら。そして先生の胸あたりを両手で思い切り押して、美術室から飛び出していった。

 私の横を通り過ぎた時、柚は私の方を向いてくれなかった。

 柚は泣いていた。

 私だって……。

「あ……」

 ——私、本当は蚊帳の外だったんだ。


「君は、柚と付き合ってるのかい」

「……」 

「そうか」

 少しすると、先生は絵を持ってきた。 その絵には彼女、先生が描いた彼女が居た。

 何を着てない裸姿。だけど白い肌が光を反射させて肝心な所は隠れて見えない。ショートカットの髪の毛は微かに風に揺られて美しく顔に靡いている。正座を崩して座った格好をして、儚げに遠くを見つめてる。

 この柚は何を想ってるのだろう。間違いなく私の事じゃない。とても美しくて触れたい。でも触れても何も感じない。

 私は生身の柚が好きなんだから。  

「あ……」 

 離れたくなかった。行かないでほしかった。 

「うっ……うぅ……」 

 私を連れていってほしかった。大粒の涙が出た。

 先生は私にハンカチを渡すと、 

「君にあげようかと思ったけど、やめた。この絵はなかった事にしよう」

「えっ?」

「ついて来なさい」

 そういうと先生は絵を持って屋上にあがった。私も付いていく。

 屋上は生徒立ち入り禁止で、誰も入る事が出来ないよう鍵がかかっているが、

その鍵を開けて外に出た。

 校舎などから一番見られにくい場所を選ぶと、先生は床にその絵を置いた。そしてアルコールらしき液体を絵にかけ、そして最後に火をつけた。

 燃える。

 燃える。

 燃えるのをただ見ているだけ。

 私の好きな人が目の前で消えていく。

この感覚、ついさっき感じたばかりだ。

「僕はもう目の前から彼女を消す。君は……報われない恋なのはわかってるよね」

 私は……。

「まあ、僕は応援するよ。同じ人を好きになった人として」

 灰になったキャンバスを見届けて、先生は何も言わずにその場を立ち去った。私の泣き声も止み、静かになった。柚の絵も、燃え尽きて真っ黒になった。 

 その時、私は何分か立ち尽くしていた。聞きなれた声が聞こえるまで、思考が停止したまま真っ黒なキャンバスを茫然と見つめていた。 


 振り向かないで、そのままで聴いて。

 わがままを言わせて。

 心にある二つの重みは、消し方がわからないまま見つけてしまった。

 だから ごめんね 知らないうちに 

 巻き込んで 傷つけて 道を選ばせて

 でもどちらにも 触れていたい。

 多分、その答えが私のものだった。

 志津香は……?

 志津香の気持ちを聞かせて。 

 

 私は……。

 私はやっぱり柚には私だけをずっと見ていて欲しかった。それは今も変わらない。

 柚。

 柚ちゃん!

「柚ちゃんっ!」

「は、はい」

「今まで…嬉しいかった。ありがとう、ございます」

「……ごめんね」

 私は彼女の隣を通って屋上を出た。

 ぐしゃぐしゃに泣きながら。 

 泣きながら校舎を歩いた。

 

 私は……失恋したんだ。 


   ■


 どんなに重い病気にかかっても、交通事故で両手がなくなっても、失恋で一日中疲れ果てるまで泣き続けても、時間は止まらない。  

  周りの人は目がどーんと腫れている私を見ても、こんな事になってるとは誰もわからない。少し心配するくらい。

 この事を誰にも言えない。言うのがとても怖い。 

 だから誰も知らずに明日はやってくる。 

 幸い同じクラスじゃないから会う事は少ない。恵先生の授業もない。だけどあと一年以上もある高校生活。会わないはずがない。何回かは目も合うのだろう。

 私はきっと話そうとしないし、彼女も話しかけてこないと思う。

 私はそんな簡単に忘れられない。私の心は、当分痛いはずだ。けれど、時間は止まらない。止まらないから辛い。


 桜が咲く頃に、

 とても綺麗なアジサイが一輪咲いていた。

 眺めるだけ、触るだけならよかった。

 その花びらの中身を覗いてしまった。


  【咲かない花を見に 完】

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咲かない花を見に 村乃 @orikouko

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