アジサイとサクラ

 ……聞こえる。愛花の心臓の音。

 ……私のも聞いて。ほら、私も凄くドキドキしてるんだよ。


 ドクンドクン。

 ドクンドクン。

 ドクンドクン。

 ガタンゴトン。

 ガタンゴトン。


「……ねぇ志津香ってば、ほんとに聞いてるのー?」

「えっ? あ、うん。ごめん。聞いてなかった」

「もう、学校サボった事は忘れようって言った矢先にこれだもん。急に誘ったのは悪かったけどさ」

「サボった事はもう何も気にしてないってば」

「じゃあ何を気にしてたの?」

「それは……」

 ああ、このペースはだめ。考えていた事がどんなに恥ずかしい事でも柚の口車に乗せられて、いずれ言ってしまう。

「ね、ねえ。どこに行くの?」

「んー、内緒。ちょっと遠いとこ」

「よりによって、なんで今日?」

「何となく学校行きたくなかったから」

「何で?」

「内緒ー」

 ガタンゴトン。

 ガタンゴトン。

 柚は電車の窓の向こうを見ていた。

「内緒ばっかでずるい」

「じゃあ志津香がさっき考えてた事、教えてくれたらいいよ?」

「それは……」

「それわ?」

「こ、今度教えるよっ」

「ふーん。まぁ今回は許してあげよう」

 はー良かった。なんて胸を撫で下ろしたのも束の間、そのあとの柚の一言は、私の心を動揺させた。

「私、昨日ね、男の子に告白されちゃった」

「え」

 

 柚は今までに男の子とも付き合った事がある。

 彼女はレズというよりバイなのだ。

 女の子は好きだけど、男の子も愛せる人。

 それは私との決定的な違いだった。

 もう一つ違うところといえば、柚は処女じゃない。

 私は経験豊富な彼女に対して、身体を預けるしか出来ない。

 今はわたしの前にいてくれるけれど、私の事が飽きてしまえば、

 きっといつかは何処かへ行ってしまう。

「それで、なんて答えたの?」

「そりゃあもちろん断ったさー。私の好みじゃなかったよ」

「好みだったら……どうするの?」

「志津香がいるから断るね」

「ふーん。本当かなー」

「はいはい。やきもち焼いちゃって困った子だなあ」

 ヤな気持ち。ヤキモチ。

 それが心を締め付ける。今日はもうずっと縛られっばなしだろうなあ。でも仕方のない事だ。確かに私の彼女はモテるのだから。


 柚は、学校では皆から人気者だった。天真爛漫で誰にでも声をかける。勉学は得意ではないけれど、運動や芸術は人並み外れて良い。その中でも特に注目される瞬間は歌う時。ギターを持って歌う柚の姿は、本当に格好いい。彼女の全身から全力で奏でられる曲が、私は本当に好きだけど、他にもたくさん好きな人がいる。学校内には女子の間でファンクラブが作られて、学園祭では柚目当てに来る他の男子高校生がいる程。

 対して私は、皆と同じく柚のファンの一人だったけれど、その一線を超えちゃっただけの人。

 なぜ柚香が隣にいてくれるのかがわからない。隣にいてくれれば誰でもいいのかも知れない。

「さて着いた。これからちょっとだけ歩くよ」

「うん」

 まあ、何でもいいか。

 終わりまでを幸せに感じられるならば。

 

 二人はゆっくりと歩いている。いつもは後ろを歩く柚が、今回は前を歩いて私を導いてくれる。

 車もほとんど通らない道を歩いて二十分。ようやく目的地に着いた。

「あーあ。やっぱりアジサイは咲いてないかー」

「でも桜が凄く綺麗……」

「ねえ、少し目をつぶってくれる?」

「え、うん」


「え?」

「何となくしたかったから」

「……もう」

「志津香を例えるなら桜が似合ってる」

「でもアジサイを見たかったんだよね」

「アジサイより桜のほうがいい」

「私は桜もアジサイも好きだけど」

「志津香らしいよ」

「え?」

「ううん、なんでもない」

「私が学校行きたくない理由、聞きたい?」

「うん。聞きたい」

「どうしよっかなー。志津香からディープキスしてくれたら言おうかなー」

「えっ? それは……ちょっと、恥ずかしすぎる……な」

「あはは、嘘ウソ。実は告白されたの、八板先生なの」

「……え?」

 余りに唐突で、予想していなかった人に思わず柚を見る。

「本当に?」

「うん。これは本当」

 八板恵やいためぐみ先生、まだ若くて女子生徒にも人気のある人。先生なのに生徒に告白するなんて普通はあり得ない。

 あり得ないけど、私はこの事については全然驚かない。驚く立場にいない。

「返事は?」

「さっきもいったけど、断った。お付き合いしてる人がいるので無理って」

「誰にでもモテすぎだよ、ほんと」

「そんな事言われても困るなあ。私もちょっとどうしたらいいか悩んでるんだから」

「ごめん。そうだよね」

「いや、でもヤキモチ焼きっぱなしの志津香を見てたら閃いた」

「閃いた?」

「うん。志津香、今から一緒に先生のところに行ってくれない? 私のお付き合いしてる人を見せびらかしてやるの」

「そんな事して大丈夫なの?」

「志津香が大丈夫なら私は本気だよ。先生は絶対に無いって証明しないと後先が大変だろうし。だからお願い! 一緒に行こ!」

「えー、どうしよう……。あ、柚がディープキスしてくれたら行こうかなー」

「いいよ」

「えっ」

「しづ、こっち向いて」

「あ」

 手を結んでしてくれた。今の私の顔は、サクラの花びらのようにピンク色なのだろう。

 先生に会うのは怖いけど、柚がそばにいてくれるなら大丈夫。

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