咲かない花を見に

村乃

咲かない花を見に

 トントンとローファーを履き、右手に鞄を持った私は、玄関でお見送りをしてくれている母親に対して、今まで正常な女の子として育ててくれた肉親に対して、真っ赤な嘘をついた。

「いってきます」

「いってらっしゃい。気をつけてね」

「うん」

 駅までは歩いて十分。そこから学校まで電車で十五分。本当ならとっくに着いてる時間だけれど。

 ——お母さんごめんなさい。私、学校休みます。


 桜の花が丁度満開の頃。

 まだ咲いていない紫陽花を見るために、

 通学とは反対側の電車に乗っていた。


   ■


「おはよ、志津香しづか

「あ、ゆずちゃん。おはよう」

 駅のホーム。いつもの時間のいつもの場所。別に待ち合わせをしているわけでもないのに柚はそこにいる。

「今日は花柄のヘアピンなんだ。かわいいねー」

「……柚はいつも気づいて欲しいところにすぐ気づく」

「だって気づいてほしそうな顔してるんだもーん」

「そーゆうところ少し嫌い」

「えっなんで?」

「だって、他の子にも同じように言ってそう……」

「そんな事気にしてるの?」

「言って欲しくない」

「ふーん。……ねぇ」

「なによ」

「ほんとに似合ってる。可愛い」

「……ばか」

 いつもそうやって私の感情を簡単に制御してしまう。そんな柚の性格はずるいと思う。何も言えないまま丸めこまれる。

 駅のホームに立って、二人で待つ。いつも柚が後ろに立って、私の背中を見つめている。

「志津香は好きな花って何?」

「……百合」

「まったく、らしいねえ」

 私を見ながら笑ってる。

「柚は?」

「私はアジサイ。あの美しい青紫色の花、素敵だわ」

「あ、私も好き」

「志津香は紫陽花の花の中って見たことある?」

「見たことない」

「そう、ならよかった。あの花は遠い所から見るから美しいの。花の魅力にやられて奥深くまで知ろうとするのはやめた方がいい。絶対に覗いたらダメだからね」

 あまりに真剣な顔をして言うものだから、覗いて見たくなってしまう。

「わかったよ。覗かない」

「うん。よかったよかった」

 いつもの笑顔に戻った。

「桜が咲いてるね」

「そうだねー……」

 私達が通学で乗る電車は、後五分でやってくる。そのまえに反対の電車がホームに入ってきた。

 今日は四月七日で始業式。二年生となって最初の日だった。


 一年前。始業式より少し早い日に入学式があった。これから通う学校は女子高で、背の高い私は、整列すると顔一個分も飛び出てしまい、とても目立っていた。すれ違う度に視線を感じる。同じ新入生はもちろん、父兄や先生も見ていた。

 人見知りの私は、そんな状況が続くと思うと、これからの学校生活に対して不安でしかなかった。

「君、背が高いねー。ちょっと背比べしようよ」

 俯いて歩いていた私に直接声をかけてきたのは、私と同じく背の高い人。それが私と柚の初めての会話だった。

 背と背をくっつけ合わせて、どっちが高いかを頭のてっぺんで確認する。

「勝ったー! 私のが大きいね。あ、私、安達柚あだちゆず。これから三年間、宜しくね」

藤月志津香ふじつきしづかです」

 きっと私が背の高い女じゃなかったら知り合うことはなかったと思う。でも、まさかこんなことになるなんて。


「ねぇ」

「なに?」

「今からアジサイ、見にいかない?」

「えっ」

「ほら、行こうよ」

「今から? 本当に?」

「うん、本当。しづか、ほらいこっ」

 彼女は反対方面の電車に乗って、私に手を差し伸べている。乗ったら始業式には出れない。もう元には戻れない。

 生まれてから一度も学校をサボった事のない人が、その手を取るのにどれほどの勇気がいるのだろう。

 でも私は、もう戻れない位置にいる。

 だから簡単に手を取れた。

 差し伸べられた小さな手を、しっかりと掴んで離さなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る