出発
「一応、懐中電灯は持ってきた」
圭介が肩から下げていたバックから懐中電灯を取り出す。
「それでは出発! かな、響?」
歌音が僕に問いかけてくる。
高学年になってからだったか、いつからだったか、歌音は何かを始める時には不思議と僕に合図をさせたがるのだった。僕にはその意図が分からなかった。
「うん、出発しよう」
僕はなんの芸もなくそう言うしかなく、圭介だったらもっと盛り上げる事が出来るんだろうなと考えていた。
山の入り口の横には用水路と山の小川の合流地点があったのだけど、水の質のせいか、そこに蛍はいなかった。
「山登りなんて久しぶりだな。前に登った時は親も一緒だったっけ」
圭介は先頭をズンズン進んでいく。
「ちょっと圭介! 落ちたらどうするの!」
足元を気にせずに歩く圭介に、最後尾の歌音が悲鳴交じりに言った。
山の道が舗装されているわけもなく、子供でも二列で歩けないほどに狭いけもの道を進んでいた。下を見ると確かに急な斜面になっていて、足を踏み外せば数十メートルは転げ落ちる事になる。子供の軽い体重、柔らかい体といっても軽傷では済まないだろう。
「大丈夫! 俺が落ちるわけない。でも響、お前は別だ。しっかり足元を見て歩くんだぞ」
「大丈夫だよ、私がちゃんと見てるから!」
いつの間にか僕を心配する話になっていた。
二人に心配される、まるで子供みたいに扱われる事が嫌だった。でも逆らったら、二人と一緒にいられなくなってしまうかもと考えると、素直に足元に注意して歩くしかなく、それがまた情けない。
しばらく歩くと川の上流に出た。
川の周りには腰かけられそうな石がいくつかあり、開けたスペースになっていた。
今までの狭いけもの道を考えるとその場所は何か、創られた様な神秘的とも言える雰囲気を持っていた。
川の流れは穏やかで、さらさらと水の音が聞こえる。
心地良い。
でも、肝心の蛍の姿はなかった。
「ここにもいないのか」
残念そうに圭介が呟いた。
腕時計をチラッと見る。八時半を回っていた。
「それなら、もっと上にいけば」
歌音が圭介に言った。
「……そうだな、俺が行って様子を見てくる。三人で行くより早いし、それで駄目なら諦めよう」
そう言い残して圭介はさらに上に登って行った。この場所より上は圭介も初めて行くようで、僕と歌音を連れて行くより一人の方が動きやすいと思ったのだろう。
僕と歌音は取り残された。
圭介は一人なのに、二人の方が残されたというのはおかしいのかもしれないけど、それほどに圭介との差を感じ始めていた。
横を見ると、歌音の表情が曇っていた。
そんなに、蛍が見たかったのだろうか。
それとも……そんなに圭介と離れるのが嫌なのだろうか。
考えて、胸が痛んだ。
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