第24話 帰郷、そして

 ヴァランシに着いたのは早朝だった。城郭は霞によってその威容を隠してしまっていた。

 ルクハルトが馬車を停めた。俺の体も慣性に引っ張られる。

「到着です」

 ルクハルトは肺の中に残っている空気を全て吐き出すかのように、溜め息混じりに呟いた。きっとそれは誰に向けた物でもないのだろうが、静けさに満ちたヴァランシでは聞こえてしまう。

 屋敷か・・・。なんか久しぶりだな・・・・。

 俺は車窓から煉瓦造りの屋敷を見る。何も変わっていない、変わっていないはずなのに、どうしてこんなにも変貌してしまったのか。

「ルノア様、屋敷に到着致しましたよ。屋敷ならベッドもございます。目を覚ましてくださいませ」

 小さな肩に両手を置いて、優しく揺する。寝息を立ててる少女はその可愛らしい瞼を気だるげに開いた。

「あっ、そうですか・・・。起こしてくれてありがとう」

 その口調は淡々としていて、素っ気ない。

 まぁ寝起きだしなぁ・・・。

 ルノア様は立ち上がろうとしてよろめいた。俺は咄嗟にルノア様の身体を支える。

「ごめんなさいサシャ・・・。ありがとう大丈夫ですよ」

「疲れが溜まっているんです。あたしが部屋までおぶります」

 俺は腰を下ろしてしゃがむが、ルノア様は俺の背中に乗ろうとはしなかった。

 寝起きでもある程度の羞恥心はあったんだろうか?なんだか思春期の娘を持った父親の気分・・・。いや、子供どころか彼女もいなかったけど。きっとこんな感じなんだろう世のお父さんってのは。

 代わりにと、俺はルノア様の手を握った。ルノア様は冷え症だったのだろうか、白い手は氷のようだった。

「サシャの手は、暖かいですね」

「そうですか?あぁ、でも冬の手もみ洗いで寒さには強いかもしれませんね」

 パンツを洗えるから心は温かいんだけども。

 そんななかなか極まったフェティシズムを秘めた俺の手をルノア様はじっと見つめて、ようやく小さく笑った。

「サシャってば・・・。いつもありがとう」

「はい・・・!」

 そんな花がほころぶような笑顔が見られるだけで、感謝の言葉なんてなくなって俺は嬉しいんだよ。





 久しぶりの屋敷。きちんと掃除をしているようで埃の一つも見当たらない。

 俺は窓の桟に指を当てて、指の腹で撫でる。指の腹には埃は付着していない。

「これ、一回やってみたかったんだよね・・・・」

「何か言ったか?」

「いえ、何も」

 俺の前を歩いていたルーカルトさんに俺の独り言が聞こえてしまっていたようで振り向いてしまった。俺は独り言をしていたことを隠した。

「サシャさんは元気でやってたかい?連邦は寒いっていうからな・・・・」

「えぇ、あたしはいつだって元気ですよ。それよりルーカルトさんは?」

 ルーカルトは自分の腰を指さした。

「腰が痛い」

「もう歳なのに無理してハッスルしちゃうから・・・・」

「そんなんじゃ無いわい!」

 そんな大声を出したらルノア様が起きちゃうんですけど・・・。

「歳なのは合ってるがなぁ・・・。今日は朝から特に痛い。あぁ、嫌だ嫌だ。あんな体験は一度で充分だってのに・・・・・」

 ルーカルトさんは窓の方を見た。その先にはヴァランシをぐるっと囲む城郭がある。

 何かあるのか・・・?

「あ、そういえば朝食は作らなくていいんですか?いつもならもう調理してる時間だったと思うんですけど」

 連邦にいたころなら俺はとっくのとうに鍋に火を入れている時間だ。それは俺に料理を教えてくれたルーカルトさんも同じだったはず。

「・・・・・。そうだな。今日はルノア様が居られるからな、失念しておった」

「え?」

「サシャさんは皿を用意してくれ」

 そう言うとルーカルトさんは今までの進行方向の逆の位置にある厨房に向かって歩き直した。

 この態度だけで何かあったことを俺は察した。どうにもきな臭い・・・・。

 埃臭くなくても嫌な空気が屋敷には漂っていた。




 太陽が霞の中からその姿を現した。

 長いテーブルに付いているのはルノア様ただ一人のみ。俺は料理の皿を乗せるトレイを抱えながら部屋の隅に立っている。俺の隣には、俺が連邦に行っていたときに屋敷で働いていたローザさんが立っている。

「ご馳走様でした」

 ルノア様が席から立ち上がって部屋を出て行った。

 脇に控えていた俺とローザさんはようやくの仕事を手早く終わらせる。

 銀食器、ナイフ、フォーク。食器類を全てトレイに乗せ、ローザさんは残った料理を片付けている。

 そこで、俺は一本おかしなスプーンを見つけた。

 それはティースプーンのようだ。銀製のスプーンはこの屋敷に沢山あるが、今までに見たどのスプーンとも違った。

「こんなの、あったっけか・・・」

 新しく買ったとか?いっぱいあるのに?よくわかんね。

 とりあえず謎のスプーンをポケットに突っ込んで、重くなったトレイを持ち上げる。

 室内にはローザさんもいるはずなのだが、俺以外に人がいないかのように静かだ。ローザさんはもっと賑やかな人だったと思っていたのに、人が変わったようだ。メイドの仕事は人を変える・・・?俺は・・・変わったな、うん。

「あ、ローザさん・・・」

「どうしたの・・・?」

 声を掛けたものの、何か聞きたいことがあったわけではない。俺は言葉に詰まってしまった。

「何か・・・あったんですよね?旦那様もいなかったですし・・・」

「あぁ、そっか。サシャちゃん達はずっと馬車で移動してたからねぇ・・・・」

 ローザさんも窓から城郭を見つめる。そして俺に向き直った。

「今、ヴァランシの南にハルザス軍が展開しているのよ。そしてその防衛の指揮を執るために旦那様も・・・・・」

「それは本当なんですか!?」

 俺は落としそうになるトレイをぎゅっと握りなおした。

「えぇ。街の人の半分はもっと北の方に疎開していったわ。今残っているのは、ここがハルザス王国だった頃から住んでいる人達だけなの」

 軍隊、戦争。今の日本じゃ縁遠い二つの単語。その二つが自分達の近くまで迫ってきている。いや、もうその渦中に囚われてしまっている。

 早朝の静けさを思い出す。あれは嵐の前の静けさだった。

「どうなってしまうんでしょうか・・・・」

 この街は?ルノア様は?急に目の前の風景が白く染まっていくようだ。息苦しい。

「私は戦争についてよくわからないけど、今は勝利を信じるしか無いわ。サシャちゃんは知らないかもしれないけど、旦那様はあれでもう何年も戦争をしていて負けたことが無いんだから。その勝負運の強さを信じてね」

「そ、そうですね・・・・」

 ヤバい。頭が痛くなって来た・・・・。

 身体中から汗が噴き出て来た。内臓が好き勝手に動き回ってるみたいな感覚。身体が勝手に動き回ってるみたいでとても気持ち悪い。

「サシャちゃん?顔が真っ青よ?大丈夫?」

「あぁ~、いや・・・。疲れが溜まってるんですかね・・・・・・」

 ローザさんが分身して二人いるみたいに見える・・・・。これマジな方でまずいんじゃ・・・・・。

「そっちも私が片付けるから、サシャちゃんは休んだら!?」

「そうですね・・・・すみません・・・お先に休ませて、いただ、きま、す・・・」

 あれ・・・なんか身体に力が入んねぇ・・・・。あれ、なんで天井が見えるんだ・・・俺・・・・。

「サシャちゃん!?サシャちゃん!しっかりして!」

 ローザさんの声がだんだんと遠のいて、意識も沈んでいく。












 気づけば、真っ暗な所に俺は立っていた。

 最近、こういうの多くない?

 そうぼやいてから、辺りを見回す。何もない。何も見えない。しかし、俺の背後で足音が聞こえた。コツンコツンという音だ。

 誰かいるのか!?

 声は出ない。後ろを振り向くと一人の男が、立っていた。だが、男は顔を隠すように俺に背を向けている。

 後ろ向きの背姿から分かるのは、男の服装と髪の色くらいか。

 男は俺と同じ黒の髪だ。ヴァランシじゃ見ない。そしてその服装は日本で俺がよく着ていたような白いTシャツにジーンズだ。

 よくあんな恰好をしてたよなぁ俺・・・・ってまんま俺じゃん!?

 男は歩いていく。俺も後を追っていく。

 そうすると、次第に男の姿が透けていった。


 お、おい!


 男の背中が消えていくと、今度は黒い制服を着た少女の背中姿に移り変わった。男から少女に代わったことで背丈は俺と同じくらいだ。

 あの黒い制服に見覚えが・・・・。

 俺はしばらく歩きながら考えて、あの制服を思い出した。ツェルスト軍の軍服だ。ルクハルトが着ていたようなあの。

 少女は銃を構えて走り出した。俺は離されないように一緒に走る。

「俺は、守れなかった。あの娘を凶弾から。時代から」


 え?


 少女はそう呟くと胸に穴が開いて倒れ、消えていった。

 消えたと思えば次の背中姿が浮かび上がった。それは魔法使いのような、黒のローブを着ている。

 杖を手にするも両手に枷を付けられている。ローブは泥だらけで所々に痛ましい血の汚れが付いていた。

「俺は呪う。あの娘を取り巻く全てを。最後の最後で失態を犯した自分自身を」

 少女はそう呟くと、少女の身体は黒い炎に焼かれて灰になった。


 な、なんだよ・・・。


 今度はさっきの少女よりも身長が高い。妙齢って呼べる歳だと思う。立派に仕立てられた礼服、正装だ。旦那様が着ているような、まるで貴族のようだ。

 だが、その足取りは不確かだ。振子のように左右に揺れながら歩いていた。

 俺は駆け寄った。倒れないようにその女性の腕を肩に回す。

 すると、女性の着ている服の布がとても余っていることに気づいた。服のサイズが合っていないんだ。女性は痩せぎすで、頬も痩せこけている。

 長い黒髪はこの身体に不釣り合いなほど手入れをされているが、それがこの女性の不気味さを表していた。

「愚昧な者の手によって、あの娘は冒された。俺はなんの為に思い出を捨てたのか。地位を得たのか。この手で数多の命を手に掛けたのか。いつになったらこの責め苦は終わるのか」

 女性はそう言って吐き捨てると、力無く倒れた。支えていた身体は消えて行く。女性は完全に消える前に俺の顔をじっと見た。

 それは今は亡き母の面影を思わせる、写真でしか見たことが無かった母の顔にそっくりだった。


 どうなってるんだ・・・。なんで、なんでこの人が・・・・。


 女性が消えると、また少女の姿が現れる。今度の彼女は俺と同じメイド服。まさに俺が着ているソレと一緒だ。

 今、俺は何を見てる?これは誰だ?なんで俺と同じ格好をしてるんだよ。なんで俺と同じ顔をしてるんだよ!

 少女は誰かに歩調を合わせる様に、誰かに寄り添うように歩いている。

 まるっきり同じ顔の少女。だが少女の姿は今まで見たどれよりも早く揺らいだ。急に倒れ込むと、立ち上がらなくなった。そして腕が千切れて、少女はじっと虚空を睨む。

 少女の身体はそのまま消えて行った。

 少女は最後まで虚空を、目の前を睨んでいた。




 この先には、何があるんだろう。今までの誰もがこの先を目指していた。

 俺の足は動き出していた。頭が冴えて来たようだ。声も出るようになっていた。

「そうだ。あたし倒れて・・・。ルノア様が大変な状況なのに、寝ていられない!」

 少女が睨んでいた、この闇の先。俺はじっと見つめるすると闇の中で小さな光が灯った。暖かなで高潔な金の光だ。

「行くぞサシャ!」

 光は大きく強くなる。

「仕事中なんだから、休んでんじゃないぞあたし!」

 俺は両頬を思いっきり引っ叩いた。痛いほどの衝撃が脳まで伝わってくる。

 ルノア様が辛いのに、俺まで辛そうにしてちゃいけない。さぁ笑え、何度も同じことを繰り返すなよ!さぁ、仕事だ!










「・・・・・ん?―――サシャちゃん!」

 俺が目を開けると、そこには天井ではなくて、ローザの顔があった。

「ロー、ザさん・・・?」

 俺がローザさんの名前を呼ぶと、ローザさんは安心したように頷いた。

「良かった。体調も戻ったようだし・・・・」

「ローザさん・・・あたし・・・・・」

 俺は上体を起こす。ここは屋根裏の使用人用の部屋だ。懐かしい俺のベッドの上で寝ていたようだった。

「急に倒れるから・・・・もう、心配させんじゃないわよ」

「すみません・・・」

 やっぱり倒れたんだな俺。

「もう夕食も終わってるから、寝てていいわ。残りの仕事は私がやるから。お腹が空いたら下の食堂で適当に作ること。それじゃあね」

 夕食ってことはもう夜なのか・・・。ずっと寝てたんだな、俺。

 そこで今まで見ていた夢のことを思い出す。

「ローザさん、ルノア様は?」

「ルノア様なら、寝室にいらっしゃるんじゃないかしら。まぁ・・・もう夜も遅いから・・・・」

「もう寝てるか・・・」

 会いに行くのは・・・迷惑だよな・・・・・。

「じゃあ、病人は朝まで寝てなさいな」

「はぁ・・・」

 ローザさんが屋根裏から降りて行った。

 俺は懐かしいこの屋根裏で一人きりになる。ベッドの脇の、小さな窓からは確かに月明かりが差し込んでいた。

 ほんとに夜だった・・・。

 今さら寝ようにも、完全に寝すぎて眠くない。俺はベッドから降りる。

 ローザさんは着替えもしてくれたようで寝間着姿だった。オンボロ机の上には蝋燭の火が灯っている。

 俺は小さなキャンドルに蝋燭の火を灯して、屋根裏を降りる。もう屋敷の灯りは消えているから、その為だ。

「腹減った」

 空きっ腹に夜食をぶち込むべく、食堂に向かうことにした。

 

 暗い屋敷の廊下、もともと二人と使用人一人しか住んでいなかった屋敷だが一層静かに感じる。

 すると、木の軋むような音がした。俺は見回すが、キャンドルの灯りだけだと大したものも見えない。

 音からするとドアを開ける音だった。すると閉める音が聞こえた。

 こんな時間だから、ルーカルトさんかローザさんが外に出て行ったのだろう。

 ってか、立て付け悪過ぎだろ・・・・。

 俺は小さく笑った。DIYなどはやったことは無かった身分だが、明日はドアの立て付けを直してみようか、そう思った。




 厨房には碌な食材が無く、一体ローザさんは何を食えと言いたかったのか疑問に思ったが、牛乳はあったので、鍋に牛乳を入れてホットミルクを飲むことにした。

 ホットミルクには寝やすくなる成分が入っているとか、どこかで聞いた気がするし、ちょうどいいな。

 鍋に白い牛乳を入れて、火をかける。沸騰し出すと泡立って、俺は火を止めた。

 ルノア様は眠れているんだろうか・・・・。

「よし・・・!」

 きっと不安だろう。だから・・・もし、眠れていなかったならホットミルクを持って行って一緒に飲もう。

 俺はコップを二つ取り出した。コップに白い牛乳を注ぐと、湯気が立った。


 温かいうちに飲んでもらいたくて、注ぐとすぐに二階にあるルノア様の部屋に向かう。

 だが部屋の前まで来て、扉をノックする手が止まった。今のルノア様に俺が何か言葉をかけられるんだろうか。だとしたら何を言えばいいのだろう。戦争なんて教科書の文字でしか触れたことが無かった。そんな俺が偉そうに励ませるんだろうか。

 いや、ホットミルクを飲んでもらうだけだ!

 俺は意を決して扉をノックする。

「ル、ルノア様。もしまだ起きていられるのでしたらホットミルクは如何でしょうか?」

 返事は無い。もう寝てしまっていたか。

 そうだよな。もう真夜中だしな・・・・・。

「失礼いたしました・・・・」

 俺は部屋の前で頭を下げる。

 静けさが耳に痛い。

 まるで俺以外の人間がこの屋敷に居ないかのようだった。

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