第23話 昏い森の中で

 馬車は黒森の中を駆ける。この森に入ったときにはもう夜であったから、一層森の中は昏く、馬車内の頼りなさげな魔力光のランプがこの森の中で最も明るい。

「ルノア様、もう少し休んだ方がいいですよ。ケーテまではあと少しですから」

 俺はルノア様に膝枕をしながら、ルノア様の頭を撫でる。

「わかり、ました・・・・」

 ルノア様の疲労はピークに達している。なにせ連邦からずっと馬車に揺られているのだ。

 全くこの娘は大した娘だよ・・・。

 ルノア様の髪はサラサラとしていて、ずっと触って痛くなる。

「さ、俺も寝ようかな・・・。つーか一番寝てないの俺じゃね?」

 ルノア様は別として。第四中隊の連中もバステゴットで夕方まで休んでたし。やっぱり男の頃と違って筋肉はもちろん体力も落ちてるよな・・・・。

 バステゴットじゃ大量の荷物を俺が一人で運んだんだぜ?たぶんあれがここ最近で一番疲れたね・・・・。

 俺も瞼を落として眠ろうとした頃、馬車の後方から何かが崩れる音がした。

 ん?何の音だ?

 馬車の中にいる俺にまで聞こえたってことはルクハルト達にも聞こえているだろう。だが、馬車は止まらない。むしろ窓の外を見ればどんどんその速度を上げているような・・・?

 俺は御者に通じる小窓を叩く。こうすればルクハルトはこっちの方を一瞬見るのだ。

 だが、このときは何故かこちらを見なかった。見るどころか青い顔をして、汗を滝のように流しながらゴーレムの馬を走らせている。

「ん?おい、ルクハルト。どうしたんだよ・・・・」

 俺が何を言ってもルクハルトはただただ前を向いて怖い顔をしている。しだいに俺も何か良くないことが起きてるんじゃないかって思えてきた。

 また、後ろから何かが崩れ落ちる音がした。そして生き物の悲鳴が。馬のいななきが馬車の中にまで聞こえてきた。

「っ!?」

 俺はその悲鳴を聞いて、ルノア様を座席にしっかりと寝かせたあと、窓から顔を覗かせる。

 暗くてよく見えない上にどんどんと悲鳴からは遠ざかっていってしまってはいるのだが、闇に慣れていない目でもソレ・・がよく見えた。

「ひッ!」

 俺は思わず息を飲んだ。

 黒塗りの森の街道の上で真っ赤な二つの光がじっと俺のことを見ていたからだ。

 急に風向きが変わったのか、俺の鼻に鉄臭い血の匂いと獣の匂いが風に流されて伝わってくる。それは屋敷でルーカルトさんがさばいていたジビエみたいな野生の匂いだ。

 俺はすぐに窓から顔をひっこめる。心臓が嫌なほど早く鼓動を打っているのが分かる。

「なんだよ、あれ・・・。どういうことだ・・・?俺達を狙ってる?」

 狼って犬よりちょっと大きい感じの動物なんだろ?さっきの牛ぐらいの大きさがあったぞ!?

 ルノア様はまだ眠っている。その可愛らしい寝顔がおかしくなりかけていた俺を恐怖から戻す。

 落ち着け俺。大丈夫だ、きっと大丈夫・・・・大丈夫。

 必死にそう繰り返す。

「おいルクハルト!後ろのを振り切れないのかよ!?」

「いまやってる!だが、黒森の中じゃ魔力は減衰してしまうんだ!」

 なんだって・・・!?

「サシャ、座席の下の引き出しの中にナイフが入ってるから・・・お前が持っていろ」

「は?ナイフ?な、なんで・・・」

 そんなもの使いたくない・・・・。俺には使えない・・・。

「万が一だ・・・・」

 また後ろで悲鳴が聞こえた。今度はさっきよりも大きく、近くで聞こえた。

「クソ・・・。ルノア様はまだ寝ておられるのか?だったらすまないが起こしておくんだ」

「お、おい!」

 ルクハルトは前を向いて馬車を走らせる。だが、動きはジグザグと左右に揺れながらになった。

「あぁ、くそ!」

 俺はルノア様の肩を揺らす。ここまで酷い揺れ方をすればそりゃ起きるよな。すぐにルノア様は目を覚ました。

「・・・サシャ?」

「ルノア様・・・・えっと・・・」

「どうかしたんですね?」

 言葉を濁した俺の態度だけでルノア様は何かが起こったことを察したようだった。

 本当に大した娘だよルノア様は!

「第四中隊の連中が、次々に、・・・・殺されています」

「ッ!眠っている暇ではありませんでしたね。分かりました」

 ルノア様は座席に座り直した。

「ルクハルト」

「はっ」

「逃げきれますか?」

「現在、黒森街道の半分を通過。ですが、被害の程からして・・・・」

 鉄仮面ルクハルトすら言葉を濁した。それはつまり・・・・。

「出来るだけケーテに近づけなさいルクハルト」

「はっ!」

 馬車の揺れは依然酷いままであるが、空気が変わった。ルノア様の目は少女の物では無くなっていた。

「ルクハルト、銃はありますか」

「座席の引き出しにマスケット銃がございます」

 ルノア様は引き出しから一つの銃を取り出した。ルノア様は慣れた手つきで銃に弾を込める。

「ル、ルノア様・・・?」

「サシャ、すみませんが私の体を支えてください」

 ルノア様は窓を開け、銃口を馬車の後方、迫る獣に向ける。

 俺は言われるままにルノア様の腰に手を添える。酷い揺れからルノア様の体を固定させる。

「『付与エンチャント 獅子心王ライオン・の加護ハート』。『逆風カウンターブラスト』」

 獣の動きが鈍くなった。ルノア様の魔法によって生み出された風が向かい風になって獣の行動を遅くしてるんだ。

 たじろぐ獣の額にルノア様は照準を合わせると、なんの躊躇もなく引き金を引いた。

 断末魔の悲鳴が森に木霊する。

「やった!」

 俺が歓声を上げるが、ルノア様の表情はまだ固い。

「まだです。一匹じゃありません」

「え・・・」

 俺も窓から顔を出せば、馬車の後ろにはギラギラと無数の光る真っ赤な光が向かってきている。

 もう一発銃弾が放たれる。火薬が炸裂し弾丸が獣に突き刺さるが、獣の進軍は止まらない。

「あんなに・・・・」

「ルクハルト、もっと速度は出ませんか!」

「これ以上は無理です!」

 ルノア様は一瞬手に持つ銃に目をやり、床に置いた。

「『追風チェイサー・ブラスト』。これなら速度が出ますね?」

「・・・・はい。これなら振り切れるかもしれませんが・・・ですがそれでは御身体に負担をかけることになります!」

「死んでしまえば、どっちみち同じです。私が倒れる前にケーテに入りなさい」

「はっ!」

 二人がそう話す中、俺は何も出来なかった。なんにもできずに必死にルノア様にしがみ付いているだけだった。


 依然、獣は馬車を追走している。魔法によって追い風を作り出しているルノア様の顔には玉のような汗が噴き出していた。

 俺はルクハルトの言葉を思い出す。「黒森の中では魔力が減衰する」。つまりこの森の中じゃ魔法は本当の力を発揮出来ないということだ。

 俺はせめてもとルノア様の汗をハンカチで拭っている。

 俺にはなにも出来ないのかよ!俺よりも小さな女の子が必死になって頑張っているのに、俺は!

 ふと、気まぐれに見た窓の向こう。なんの偶然か途切れた茂みから後ろの獣とは違う黄金色の眼光が走っているのに俺は気づいた。

 ソレが見えたのはたった一瞬。だが、ソレは魔法によって加速しているこの馬車と並走していた。いや、この馬車よりも速く見えた。

 俺の心臓がドクン、と強く鼓動した。

「駄目だ」

 俺はルノア様の頭を守るように抱きかかえた。


 次の瞬間、馬車は横転した。






 痛い。全身が熱いはずなのに、身の毛がよだつほどの悪寒がじわじわと迫って来る。

「ルノア様は!?」

 俺は痛む上半身を起こす。その下にはルノア様がいた。目立った外傷はない。

「よかった・・・・」

「んっ、んぅ・・・・サ、サシャ?馬車は・・・」

 ルノア様が馬車を見る。馬車はもう横転してしまっていた。俺とルノア様は街道の上に寝転ぶ形になっていた。

「馬車が横転、して・・・俺達は外に投げ出されたみたい、ですね・・・・」

 獣の遠吠えが聞こえた。

 早く逃げないと・・・。ルノア様を守らなきゃ・・・。

「サ、サシャ・・・あなた、あ、足が・・・・」

「ぇ・・・?」

 そういえばさっきから足が動かなくて・・・・・・・・・・・・・・・・あ、れ?

 俺の足はどういうわけか膝から下が・・・・。

「ぁれぇ・・・おかしいな・・・。ルノア様、俺・・・・」

 頭がぼーっとしてきた。脳味噌まで血が回っていない。激しい頭痛も襲ってきた。

「サシャ、止血しないとっ・・・!」

 ルノア様がせっかくのドレスに手を掛けた。

「だ、めですよ・・・せっかくアルベリク様からいただいたのに・・・・」

 あぁ、駄目だ。なんでこうなったんだっけ・・・・。なんかスゴイことがあったんだよ。そうだ、獣に襲われてて・・・目が金色の奴が、馬車を・・・・。

「ルノアさ、まっ・・・逃げないと・・・。はやく逃げないと!」

 そうだよ・・・。まだ終わってない・・・。

 よく見れば獣達はなぜか襲ってこない。理由は知らないけど今の内に・・・・。

「で、でも・・・サシャは足が、足が!」

 ボタリ。ベチャっ。

 俺とルノア様の間に何かが投げ込まれる。続いてもう一つ。

「アし、ハ、アルよ。ホら」

 俺の背後から声がした。もの凄くたどたどしくて、生理的な嫌悪感を感じさせるような声だ。

「ワタし、ズガイ、コつ、ハ、ニガて」

 そしてもう一つ。それは今の今まで馬車を引いていた御者の・・・・・・・・頭。

「ワカい、オンナのコ、オイシい、から大好きなの」

 声はしだいに普通の声に変わっていた。気づけばすぐそこから声は聞こえていた。

「ねぇ、護衛の兵士はあの子達にあげちゃったからワタシお腹空いてるんだァ・・・」

 ルノア様の背後にあの黄金の目が立っている。

「ルノア様っ!」

「サシャ!」

 間一髪なのか、ルノア様が今まで立っていた場所からは剣のような物が突き立ててあった。いや、剣というよりは大きな包丁か。

「ルノア様、俺の、ことはいい、から早く逃げて、ください!」

 口から血が漏れる。今更になってあり得ないくらいの痛みがのぼってきた。

「で、でも・・・・・」

「はやく行けよッ!」

 俺は石を投げた。ルノア様に、幸い当たりはしなかった。

「なんのために第四中隊の連中が死んだんだよ!全部お前の為なんだぞ、分かってんのかよ!」

「サシャ・・・」

 もう一回石を投げようとして急に腕が軽くなった。

「お腹空いてるんだってば」

 俺の右腕が宙を舞っていた。

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いタイ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいたい痛いたたたたいたいたた????!!!

「いただきます」

 声の主は俺の腕を食む。皮膚、脂肪、筋肉、骨。まとめて噛み砕きジャリ、ジャリと咀嚼する。

「サシャッ!?サシャ!」

 まだ・・・・いたのかよ・・・。

「は、ハやく・・・逃え、ろよぉォ!」

「あはっ♡美味しいねェ」

 俺は声の主から目線を外してルノア様を睨む。

 こんなこと、したくはなかった・・・・・。

「ごめん、なさい・・・ごめんなさい」

 ルノア様がケーテの方に向かって駆けだした。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

 どういうわけか獣は向かっていかない。この声の主によって完璧に統率されているようだった。

「あーあ。逃げられちゃった・・・・」

 ルノア様がどんどん、どんどんと遠くなって・・・見えなくなっていく・・・・。

 途端に恐怖感に心を囚われそうになる。だが、それは許されない。目の前のキチガイにルノア様の後を追わせちゃいけない。

「でも、まぁ・・・。君とっっっても美味しそうだから・・・許してあ、げ、る」

 もう声を出すのも辛い。呼吸の度に肺を焼かれるようだ。

「締まってる腕もいいんだけどォ・・・女の子で一番美味しいのは柔らかい胸だよねっ。そういうわけだから・・・・内臓もちゃんと食べるからね。いっただっきまーすっ」

 木々の隙間から月明かりが差し込んで来た。

 最後に俺が見たのはギラリと輝いた包丁の輝きだった。









「んん、ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・・・・!」

 柔らかなベッドの上で俺は目覚めた。

 俺はベッドの毛布を乱暴にめくる。

「ある・・・・。足も・・・腕も・・・・・」

 寝間着は汗を吸い込み、重くなっていて肌にくっついて気持ちが悪い。

 さっきのは夢・・・だよな?

 いやに、馬鹿にリアルなあの夢。あのキチガイの声が未だに耳に残っている。

「自分が殺される夢って、良い夢なんだっけか・・・・。いや全くいい夢じゃないんだけど・・・・」

 殺されるっていうか喰われる夢だった。ジャックの夢に並ぶくらいに胸糞悪い。

 時計を見ればもう朝の四時だ。時間は誰にも平等に与えられて、平等に去っていくのだ。無駄には出来ない。

「シャワーを浴びたら、着替えよ・・・・」

 まさか、真っ赤な水が流れてきてゲーってしちゃうとか・・・・。ははは。

 宿でとった部屋は二人部屋で、各部屋にシャワー付き。だいぶ儲かっているらしい。屋敷より設備がいいんじゃないだろうか。

 着替えを取り出して、寝間着を脱ぐ。

 そういえば洗濯はさせて貰えるんだろうか・・・・。

 そう考えながらシャワーのつまみを回す。温かなお湯が出て、俺の体の汗を洗い流す。

「気持ちいいねぇ・・・・」

 お湯は赤くないし。吐き気はないし。そういうわけで精神的にリラックスできた。

 屋敷までは遠いけれど、絶対にヴァランシに帰る!




「おはようございます。サシャさん」

「おはようございますルクハルトさん」

 シャワーを浴びて、さっぱりした俺は着替えて一階に降りると、既に第四中隊の連中は馬車の準備をしていた。

「ルノア様の朝食が済みしだい、ケーテを出発しようと思います」

「分かりました。みなさんはもう朝食はお済で?」

 第四中隊の顔ぶれを見ると、全員が頷いた。だが、

「一人・・・足りないような・・・・・」

 俺がそう漏らすとルクハルトが軍帽を目深に被り直した。

「昨日からグスカスが戻ってきていません。ですが、我々の任務上探すこともままなりません。それに・・・何か嫌な予感のような物がするんです。グスカスも生きていたのならじきに追いついてくるでしょう」

「そんな・・・・」

 非情な。そう言おうとしたところで、俺はどうしてこんな気持ちになるのか分からなくなった。

 そうだ。俺も嫌な予感はしていた。今すぐここから離れたい、と。ルノア様を守るのが全てだ。一人の都合には構っていられない。

「分かりました。ルノア様はもうしばらく眠られると思いますので・・・」

「本当に、あなたのように皆が割り切れられたらどれだけいいか・・・・」

「え?」

 去り際に小さくそういう風に言われて、俺は振り返るが、既に第四中隊は作業に戻っていた。




 ルノア様の朝食を部屋まで運んで、俺は荷物をまとめる。と言ってもほとんどの荷物を馬車に置いたままにしていたので貴重品と着替えばかりを小さなバッグに入れておいたから随分と楽だった。

 宿屋のパンは焼きたてなのかフワフワで、ルノア様も美味しそうに食べられている。

 疲れも取れたようだな・・・。

 最後に温かな紅茶を飲んで、ルノア様は立ち上がった。

「ルノア様、馬車の方へ」

「分かりましたサシャ」

 俺は荷物を持って、ルノア様とともに宿の部屋から出た。

 他の部屋に泊まっていたらしい女とすれ違った。その女からはある匂いが漂ってくる。

 猟師かなにかかな?

 その匂いはジビエみたいな野生の獣の匂いだった。

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