第22話 暗い森を駆け抜けて
バステゴットからさらに南へ。
北から南下していくにつれて気温が少しづつ高くなり、場に流れる空気のような物も緩く、温くなっていくようだった。
「ルノア様、夜までにはケーテという町に着きます。そこで宿を取りましょう」
ルクハルトがそう顔を覗かせた。俺はにべもなく賛成する。
「そうしましょうルノア様。固い座席の上で眠るよりも柔らかいベッドの上で眠った方が疲れがとれますから」
今日馬車内でルノア様を見ていると明らかに疲れが蓄積してる。このままじゃヴァランシに着く前に倒れてしまう・・・。
「いえ、私には構わず先を進みましょう。お父様もその方が安心されるはずです」
ルノア様はそう言うが、いつもの凛としていた声も陰りを帯びているように感じた。
ルクハルトも気づいたようで不安そうな顔をしていた。
「ルノア様、旦那様だって元気なルノア様が見たいはずですよ?それにまだヴァランシまでは遠いですから、無理を続けて更に疲れて体を悪くしてしまったら・・・」
俺がそう言うとルノア様の無理をした笑いが剥がれて落ちて相応の顔を見せた。
「サシャには隠し事は出来ないんですね・・・。ごめんなさい、お願いします」
「ご自愛くださいませルノア様。それではケーテの町で宿を取ります。誰か、先行して予約を取れ」
俺は安堵の息を吐く。
疲れがあったとはいえ我が儘らしいことは言えたのかな・・・?それに無理をしなきゃいけないのはルノア様じゃなくて第四中隊の面々や俺の方だから、まだまだ頑張らないと!
ケーテの町はバステゴット、ヴァランシよりも小さい町だ。領主がいるわけではなく選挙で選ばれた町長が治めているらしい。
「バステゴットで大きな剣を持った人に道案内をしてもらったんですよ?しかも荷物持ちまでしてもらっちゃって!」
「ふふ、バステゴットの街は傭兵の街ですから。きっとその人も傭兵の一人だったんでしょうね」
「それであたし、最初見た時ナンパか追い剥ぎだと思っちゃって・・・・」
俺はルノア様に朝の出来事を話していた。心の中でランツェルに謝る。親切で俺に話しかけてきてくれたのにナンパだ追い剥ぎだ、なんて失礼極まりない。俺だったらぶち切れてるね。
「あ、バステゴットには出店通りというのがあって軽食を食べながら歩いている人がいっぱいいたんです。あれはヴァランシだとあまり見ませんでしたね」
「バステゴットは帝国に飲み込まれた小国の都と言われていますから、そこに住む人々と南方のヴァランシとじゃ文化の違いもかなりだと思いますよ?」
馬車の中にかしましさが満ちる。だが、馬車の外は暗い森の中を走っていた。
俺が窓から兵士の顔を見るとどこか緊張しているように見えた。
「・・・?サシャ?どうかしましたか?」
「いえ・・・。なんでもありませんよ。あ、そうだカリーヴルストどうでした?」
俺は妙な胸騒ぎがし始めていた。言葉にしづらいがかなりもやっとしていて喉に詰まるようで俺の呼吸が浅くなっていった。
それは置いておいてもルノア様だ。俺のことなんてこの場はどうでもいいだろう。
ルノア様も相当疲れが表に出てきたな・・・。
俺が話しかけてから若干のラグというのか、ズレみたいな物が出てきていた。
「えっと・・・美味しかったです」
「それなら今度あたしがお作りしますね」
「出来るんですか?サシャも今日初めて食べたって言ってませんでしたか?」
「出来るか出来ないかで言ったら出来るんですよあたしは!」
最近は特にだけど、一度食べたらある程度の材料が分かるのだ俺は!香辛料や野菜やら。まぁ誤差が出るけどそれはご愛嬌ということで。
ケーテの町は林業で生計を立てている。それはケーテの町の近くに黒森という大森林が存在しているからだ、と聞いて俺は確かに黒の森だと納得していた。
昼にバステゴットを出たから現在は夕方であるが、夕日は生い茂る枝葉によって完全に遮られ、唯一人の手で整えられた道を走る馬車隊に驚かされた鳥や小動物達が木々の合間を行き来しては木々の枝を揺らしている。
途中で木製の小屋が見えた。だが、窓から漏れる灯りは無かった。
ルノア様の呼吸が再び規則的な拍動を刻む。ルノア様はまたお眠りになられる。
俺が後ろの小窓からルクハルトの顔を伺うとルクハルトの鉄面皮には一筋の汗が垂れていた。
何か不都合なことが起こったのか・・・?
俺は小窓を叩き、ルクハルトに小声で話しかける。
「何か、困ったことが起きたりしていないですか?」
ルクハルトは顔を、いや一瞥すらせずじっと前を向いている。
「問題は・・・。いや・・・サシャさん、あなたはもし突然魔物に襲われたとしてもルノア様を優先させられますか?」
「それは・・・つまり?」
なんとも嫌なたとえ話だ。だがルクハルトが冗談を言っているようには俺には見えなかった。
それは、つまり・・・今ルクハルトが言ったような状況に陥るかもしれないということか・・・?
「昏く深淵の森には狼が潜む」
「それは・・・?」
「帝国に伝わる昔話ですよ、曰くケーテの黒森には人狼が現れ道行く人々を襲う。途中で小屋があったでしょう?あそこには黒森に出現する魔物を討伐している部隊が駐留しているんです」
「え・・・」
魔物は人類共通の敵と言われている。古代に君臨した魔王の手先の生き残りで、魔物は魔王が死んでもなお人間に牙を剥く。
魔物は自然に増殖するから魔物の駆逐は領主の、兵士の主な仕事になっていた。だが、
「今はハルザスに向ける為に国境側に集結してるから・・・、今ここには兵士達がいない・・・・」
俺は一瞬浮かび上がった考えをすぐに振り払う。
悪いことばかりを考えていたらその通りにしかならない・・・。
そうは思っても餅は餅屋。同じ兵士のルクハルトがこんな話をしたことが俺の心に不安を募らせる。
「ですが、魔物は増殖するといってもケーテの兵士達は魔物討伐の達人集団。その彼らが定期的に間引いているはずですから、遭遇の可能性事態は低いかと。ただ・・・」
ルクハルトはここまで話してもなお俺の方を向きはしない。
「ただ・・・?」
「この道は隊列を組むには狭すぎる。現在縦列で進んでいますが、横から襲われてしまったらひとたまりもありません」
ようやく俺の中でルクハルトの発言を線で繋げることが出来た。つまり、
「もし、万が一にでも襲われた場合はあたしにルノア様を連れて逃げろ、と」
それでも逃げきれなくなったら・・・・。
俺は生唾と共に覚悟を飲み込んだ。
ルクハルトは一度だけ俺の方を見た。
「その通りです。サシャさんは意外に軍人という職業が天職だったりするかもしれませんね」
ルクハルトが小さく笑った。
「まさか、ルノア様のメイドが天職ですよ。一番のね」
俺も笑って見せる。いやルクハルトに見えてるかはわからないけど。
そんな暗い話をしてからしばらくしてルノア様をお連れする馬車とその一隊は無事にケーテの灯を見ることとなった。
次第に道幅が広くなり、バステゴットの街に着いたときのような隊列を組む。
小窓からルクハルトを見れば森の中よりは安心したような顔をしている。
俺も喉に詰まった熱い息を吐き出す。俺も緊張していたのだろうか、森の外に出た途端に肩が軽くなった気がするほどだ。それに我慢していたが頭痛も収まった。
「ルノア様、ケーテの町が見えましたよ」
俺がルノア様に声を掛けるとルノア様はゆっくりと瞼を見開いた。だが寝起きほど瞼が重い瞬間は無い。ルノア様はもう一度眠りに入ってしまう。
寝かせておこう。どうせこれなら宿に入ればすぐさま眠ってしまうだろうしな。
すると、馬車の動きが止まった。着いたようだった。
「今、宿の前に馬車を停めています。ルノア様は一足先に宿のベッドに寝かせてさしあげてください。我々は町の厩舎を借りて馬を休ませてから戻ってきますから」
「分かりました。ルノア様、宿に着きましたよ。馬車を降りますよ」
ルノア様が目を開ける。だがまだまだ寝ぼけているようだった。
おっほぅ!上目遣い!可愛い!
俺の庇護欲を最大限高めたルノア様は緩慢な動きで俺の方に手を差し出した。
「ではルノア様、お手失礼いたします」
俺はルノア様の手を握って、引いて馬車を降りる。ルノア様が段差で踏み間違えない様にゆっくり慎重に。
手汗とか出てないよね俺・・・。
無事にケーテの町に足を着けたルノア様はいぜん眠そうにしていた。
「それでは、しばらくしたら今後の進路等で話がありますので部屋に来ていただけるとありがたいです」
「分かりました」
お互い一時の別れを告げて、俺達は宿屋へ。ルクハルト達は厩舎に向かっていった。
「は?」
どういうことだ?
「ツェルスト様、ですよね?予約名簿にはそのような記載がありませんが・・・・」
「そんなはずは・・・確かに一人が先に行って予約をしたと・・・」
ルクハルトはそう言っていたはずだ。だが、宿屋の店主はそれを否定する。
「ですが、当宿屋の部屋はまだまだ余っておりますから予約無しでも構いません。夕食と明日の朝食込みで金貨二枚です」
どういうことだ?予約をとりにいったはずなのに予約は取れていない・・・・。
俺は未だ俺の手を握るルノア様を見る。
考えるのは部屋を取ってから、ルクハルトが戻ってきたからでもいい、か。
「それではお願いいたします。連れは黒い軍服の集団ですので、彼らが来たら先に部屋に入ったと伝えてください」
「えぇ、承りました。あなたがたは黒森を抜けて来たのですか?だとすると・・・随分と肝を潰したでしょう。なんせ、魔物討伐隊を国境に持っていかれて早数日、ケーテの木こり共が魔物のせいで森に入れないと言ってるんですから。それなのに魔物に一度も会わなかったとなると、森の中で奴らに何かあったのかもしれませんね・・・・。あぁ!変な話を聞かせてしまって申し訳ありませんお客様、これが部屋の鍵となります。お連れの方々にも鍵を渡しておきますので、どうぞごゆっくり」
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