第21話 傭兵の街バステゴット
夜霧も凍るヴァラスクジャルブ連邦の南の国境。そこの検問所を抜けた頃にはだんだんと冷気が弱くなり、馬車の窓にわずかな水滴が浮かび始める。
視線を窓から下に移すと、俺の膝に温かな重みがじっととどまっている。
「んっ・・・」
ルノア様が俺の膝の上で寝返る。その小さな身じろぎに、俺の心臓がドキンと強く鼓動を打った。
ルノア様はまた微睡みの底に落ちていく。俺はルノア様の柔らかな金髪を根元から撫でる。すると、寝息が聞こえてきた。
薄暗な風景にまた目を戻せば、よく整備された街道の先には地平線の彼方まで続く畑が見える。だが、いまは冬であるからその畑には薄く銀幕が降りていた。
ルクハルトに聞いた通りならこの街道は帝都ブリュンターグまで繋がっていてその途中で宿場町として大規模な都市が発達していると。
帝国は貴族間の領地を行き来するにも検問所を通ることになる。国境の検問所を抜けたと思っていたら次は貴族領内検問所でまた止められた。
検問所の中から検問官が現れてルクハルトと何かを話している。数分話すと検問官は馬車から離れて行った。
「ルノア様・・・・っと、まだお休み中でしたか」
「はい。もう二時間ほどはお眠りになるかと」
俺がそういうとルクハルトは首を傾げる。
「・・・・?なぜそう言えるのですか?」
ルクハルトがそう尋ねる。
「ルノア様は規則正しい生活をしておりますから!」
ちょっとだけ自慢げに俺が言うと、ルクハルトは小さく笑った。
毎日、同じ時間に起きるんだぜ・・・。
「我々はバステゴットで一旦停車します。そこで必要な物を買いましょう。枕も必要になるでしょうか?」
え・・・ずっとこのままでもいいのに・・・・・。
「・・・・?お疲れ、でしょう?」
俺はただ首を横に振る。
ルノア様は目に入れても痛くないし、膝に乗せても重くないんだよ!
バステゴットの街はさっきも言った通りに宿場町として発展していった。傭兵ギルドの前身である冒険者ギルドなる組織の本拠地もあったらしい。
バステゴットの駐車場に着いた頃にはすっかり朝になっていた。冬の登り切らない太陽が眩しい。今日は晴れだ。
「ルノア様、第四中隊の兵士達を休ませることをお許しください。次の出発は正午、まことに勝手ではありますが、出発前に昼食をお取りください」
「構いませんルクハルト隊長。夜通し走っていたのですから、休息を取ることに誰も文句は言いませんよ」
「はっ。ありがとうございます。それでは我々はこれより休憩に入らせていただきます」
ルクハルトがルノア様に対して恭しく礼をして、馬車から降りていった。降りた先で「これより休憩に入る」という声が聞こえる。
俺は腕を前に突き出してのびをする。筋肉が伸びる感覚がして、体が少し軽くなった気がした。
「ルノア様、あたしは街に出ます。朝食は用意出来ませんでしたから・・・」
「分かりました。私はちょっと・・・まだ眠くて・・・・」
慣れない馬車の旅をしたんだ。ルノア様の歳じゃ疲れて当然だろう。
「無理はされないようにしてください。まだヴァランシは遠いですからね。何か食べたい物はございますか?」
「いえ、何でも・・・構い、ま・・・せん・・・・」
寝ちゃった。
俺はルノア様の身体を横にして、眠っていて疲れない体勢にする。せっかく眠るのに疲れてしまうのはあんまりだ。時間を消費するわけだし、疲労回復の効率を求めよう!
俺は馬車の扉を閉める。ポケットの中には財布を忍ばせて、ルクハルトのもとに駆け寄る。
「ルクハルトさん。これから買い出しに出るんですけど、何か必要な物はありますか?」
俺がルクハルトに声をかけると兵士達が俺の方を向いた。
全員目の下にクマが出来てるなぁ・・・、徹夜で馬に乗ってたんだもんなぁ。ライフルを持ってリュックを持って。疲れてるだろうな。
「サシャさん、バステゴットはヴァランシに比べると少々治安が悪い。誰か同行させよう」
え、こんなに疲れてるのに?
「そ、そんな!大丈夫ですよ!皆さんお疲れでしょうし、まだまだ道のりは遠いですから。休めるときにきちんと休んでください!」
「しかし・・・」
ルクハルトは少し不満気だ。他の兵士達も似たような顔をしている。それほど自分の仕事に誇りを持って完遂させようとしてるってことか・・・。でも、彼らの任務はルノア様を守ることで俺はおまけだ。彼らに無理はさせられない。万が一に備える為にも。
「それで!朝食はなんにしますか?って、あたしも何があるかは分からないんですが・・・・」
「てへへ」と頭を掻く。可愛い娘だからこそ出来ることだよね。元の俺がやったら絶対にキモいよ。
バステゴットの街は宿場町。その通りに宿屋がずらっと軒を連ねる。石畳にレンガ造りの街並み。道行く人々は連邦と違って明るい。傭兵ギルドの本拠地もバステゴットにあるらしいからなのかもしれないな。
街の入り口で観光客用の地図を貰った。それには商店街の詳しい情報が起債されていて、どこに何の店があるのかが分かる。
「えっと・・・あっちがそっちで・・・・そっちがあっち?なんだこれ、あたしの地図の見方がおかしいのか?」
地図を右に傾けたり左に傾けたり、地図を透かしてみる。
うん、分かんない。
参ったな、と地図を睨んでいたとき、突然背後に視線を感じた。俺は慌てて後ろを振り向く。
「えっと・・・驚かせたかな?」
俺の後ろには男が立っていた。俺と同じぐらいの歳・・・サシャと同じ歳ぐらいの少年と呼べると思う。
「あっ・・・ご、ごめんなさい・・・」
やっぱりトラウマって簡単には治らないよな・・・。これでもだいぶマシになったと思っていたのに・・・気のせいだったのかな・・・・・。
「地図を持って同じところをぐるぐる回ってたから、困っているのかって思ったんだけど・・・逆に怖がらせちゃったかな・・・ごめんね?」
少年は俺に頭を下げる。背中には大きな剣を持っている。
悪い人じゃない、のかな・・・。
「い、いえ・・・あたしがちょっと視線に敏感なだけなので・・・・。お気になさらず」
「そう、なんだ。あっもう聞かないからね!それで・・・よかったら俺が街を案内しようか?俺はこの街で育ったからどこに何があるかもわかるけど・・・・」
悪い人じゃない・・・とは思うけど・・・ふむ・・・。どうするか。
俺は目の前の少年を見る。足元は動きやすさを重視した長靴の半分程度の長さの半長靴。ズボンは頑丈で可動域を妨げないような作りのツェルスト軍の兵士が着ているようなパンツ。
「・・・?」
追い剥ぎとかじゃないよな・・・?
「あたしのこと、襲ったりしないよね・・・・?」
胸元に手をおいて俺がそういうと少年は噴き出した。
「お、襲うなんてっ!俺はそんなことはしないからっ!」
あ、この反応は童貞だな。押し倒す勇気も無いな、多分。
サシャの身体は発育が大変よろしいので出るとこは出て締まるところは締まってる。俺は見過ぎて慣れたけど。なるほど、俺ってやっぱり美少女なんだな。
「ふふ・・・。ちょっと確認しただけなの、ごめんね。それじゃあなたに案内を頼んでもいいかな?あたしはサシャ」
「お、俺はランツェル。ここの傭兵ギルドに所属してる傭兵」
ランツェルが俺の前に手を差し出した。
握手かな?よく日焼けした手だ。
「あ、いつもの癖でつい・・・・」
俺もランツェルの手を握る。ランツェルの手はマメだらけでデコボコの手だった。
「・・・っ!?」
おうおう、顔が真っ赤だ。茹ダコみたいだな。
「よろしくねランツェルさん」
「は、はひっ!」
コイツはそのうち悪い女につかまったりするんだろうなぁ・・・・。
さっきまで同じところを回ってたってのは本当らしい。結構歩き回っていたはずなのに見たことがない景色が目の前に広がっている。
「わぁ~!活気がありますね!」
「そう?これぐらい普通じゃないかな。バステゴットは帝都なんかと比べると全然だよ?」
「それは・・・帝都と比べれば全然なんでしょうけど、あたしのお仕えする屋敷がある街に比べれば、人の数が違いますよ」
それに連邦。あそこは今は徴兵で人も活気も無くなってしまっていたから。こんなににぎやかなのは久しぶりに感じられる。
「サシャはどこで働いているんだ?メイドだろ?」
「あたしはヴァランシにある屋敷で働いてます。帝国の国境沿いにある街です」
ツェルスト家は嫌われているから、少し探り探りな感じで言葉を選ぶ。ランツェルがツェルスト家にどんなイメージを抱いているのか分からないからな。
「ヴァランシ!それってツェルスト侯爵のいる街だよな!?」
「え、えぇ・・・」
どうだ・・・?嫌がられるのかな・・・。
「ヴァランシの黒虎!南方防衛の要!サシャってすごい人に仕えてるんだな~!俺もヴァランシ行ってみたいよ!」
お、おう・・・。思ってた反応とは全然違かった・・・。
黒虎って旦那様のことだっけか?
「傭兵の中っていうか、たぶん正規兵の連中の中でもかなり人気が高い人なんだよ。アルベリク・ツェルストっていう男はさ。貴族でありながら軍人。国境沿いに領地を持っている貴族ってのは国境警備の命令を受けてるから、傭兵ギルドって必ずと言ってもいいほどその領内にあるのに、ヴァランシだけには無いんだ!それなのに自分の軍隊だけで国境を守り切っているのがスゴイよ!傭兵の憧れなんだよ!」
旦那様ってそんなに凄い人だったのか・・・・。
「って、何熱くなってんだろ俺・・・。ごめんねサシャ」
「いえ、本当に活き活きとしていて。旦那様がそんな風に思われていたなんて知りませんでした」
ランツェルは照れたのか、話題を変えてお店の紹介を始める。
「あ、あっちの店は武器の店。
道具屋か。入ってみようか。
「道具屋に入ってみましょう。その後には何か料理を・・・出来れば出店みたいなのがいいんですが」
俺がランツェルに伝えると、ランツェルは頼もしく頷いた。
「分かった。食い物の店も近くにあるから、道具屋に行ったらそっちに行こう」
道具屋の中はいい感じに雑貨屋のようだった。薬草に聖水。ヴァランシの先生のお店ほどじゃないが混沌としている。
「お、おぉ!?ランツェルが可愛い娘を連れてるだと!?」
店番をしていたらしい男性がランツェルに向かってそう言った。
「うるせえなレオポルク!俺が誰と一緒にいたっていいだろ!」
「いや、だってランツェルだし・・・。よく話しかける勇気が出たな、お前超奥手の癖に」
俺は彼らをよそに品揃えを見る。実用的な物が多いのは先生のお店とは大違いだった。
「いらっしゃいメイドさん!レオポルク様の道具屋『万物堂』にようこそ!この店にはなんだってあるぜ!」
「なら枕を一つ、それと傷薬と包帯を銀貨二枚分頂けますか?」
傷薬と包帯は備えとして。第四中隊にはルノア様を守り切ってもらわなきゃ困る。
「まいどありっ!」
レオポルクはよく通る威勢のいい声でそう言った。
次に出店通りに来た。ここで朝食を買う予定。
ランツェルによればいつもはもっと人がいるらしいが、朝ということでだいぶ加減されてるんだとか。
「俺のおすすめはこれ!バステゴットに来たならコレを食わなきゃね!カリーヴルスト!肉団子をレモン果汁とケッパーっていう花の蕾を酢漬けした料理なんだ。知り合いがその店やってるから、その店に行こうか」
そう言ってランツェルが人混みの中を進む。大剣を背負っているランツェルを避けるように人々が歩いて行くから動きやすくていい。
歩いているだけで様々な店からいい匂いがする。
「ここがそのお店。俺の幼馴染みがやってるお店なんだけどさ。アイツの作るカリーヴルストってガキの頃から絶品でさぁ!おう、ペトラお客様を連れてきてやったぞー」
「あぁランツェルいらっしゃ、い・・・?」
ペトラというのがきっとこの言葉を詰まらせた少女なんだろう。
「ちょっと待ってランツェル、この人誰なの?どういう関係なの?」
「こちらはサシャ。さっき下の広場で会ってさ、バステゴットの案内してるってわけ。朝飯が欲しいって言うからお前のところに連れてきたんだよ」
「そ、そうだったの・・・。ちょっと安心した・・・・」
「安心?店の売り上げか?」
「そんなわけないでしょ!」
なるほどペトラさんってランツェルとそういう感じなのか。ツンデレってやつだ。初めて見た。
「って、ほら。お客様の前なんだから接客しろっての」
「う、うん。ごめんなさいサシャさん。ウチの店にはカリーヴルストしか無いけど、味は保障するわ」
ペトラがそう言う。心なしか敵対心が見え隠れしてる気がする。
取らないよ!
「一箱六個入りで銅貨五枚だよ」
確か第四中隊はルクハルトを入れて五人。ルノア様と足して六人か。
「それじゃあ七つください。えっと銀貨三枚と銅貨五枚ですね」
銅貨は十枚で銀貨一枚になる。この場合銅貨三十五枚になるからこれでいいはず。
「まいどあり。その量だと少し待ってもらう必要があるんだけど・・・」
正午までここに居るけれど、朝食のつもりだからあまり待たせたくはない。
「構いませんが・・・少しだけ急いでいただければ・・・・」
「分かった」
「お願いしますね」
よし、これで朝食は確保。あとは昼食か。いや、もしかすると夕食も確保しないといけないのか?となるとかなり買い込む必要があるな・・・。
「ランツェルさん、パン屋はどこにありますか?」
「パン屋ならこの店から三つ隣の店がそうだ。あそこのパンは美味いぜ?」
それならそこにしよう。
馬車には日持ちするジャガイモしか食材は載せてない。他の食材はメルヴィさんにお裾分けしてしまった。
俺はお店を出てパン屋に向かう。ランツェルには申し訳ないがカリーヴルストが出来たら受け取ってもらうように頼んだ。
パン屋の中からはバターの香ばしい匂いがする。
「いらっしゃいませ。何をお探しで?」
「そうですね・・・」
店内にはライ麦パンが多い。連邦に心なしか品揃えが似ているのは帝国の中でも北方にあるからなのか。
「これを十四個くださいな」
「はいよ。紙袋に入れますから少しお待ちください」
いくらになるのか・・・。足りる・・・よね?
俺は財布の中身を確認する。金貨が一枚と銀貨があと二枚。どうにか足りるがお釣りで財布が重くなってしまうんだろうな、とそんなことを考える。
「お待たせしました。銀貨二枚かな」
ちょっと高いのかな?
俺は銀貨二枚を取り出して、店員に渡す。
「はいちょうど。重いから落とさないようにな」
紙袋が手渡される。それを片手で持とうとすると、その重みで落としそうになる。
重すぎ・・・。
「あ、ありがとうございました・・・」
「気を付けろよー?」
店員さんはいい人だな・・・。
ペトラさんの店に戻るとランツェルの腕にはカリーヴルストの箱が積み上がっていた。
「あ、サシャじゃ全部持てそうにないなコレ」
ランツェルは俺の持っている紙袋を見てそう言った。
「そうですね・・・。申し訳ないですが駐車場まで一緒に持ってもらえますか?」
案内に荷物持ちまでやらせるなんて心苦しいのだけど。物理的に不可能なものは出来ないのだ。
「あぁ、もちろんそのつもりだよ」
ランツェルは笑って答えた。日焼けした肌から白い歯が覗く。
コイツ、良い奴だな。
「それじゃあお願いします」
俺は小さくお辞儀をする。紙袋が落ちないようにしっかり抱きしめながら。
広場まで戻るとさっきまでより人がいる。早く戻ろう。ルノア様達がお腹を空かせている。
「駐車場はあっちです」
「あぁ」
広場の石畳の上をすこし早足で歩き、再び街の城壁をくぐる。そうすると沢山の馬車が停まっている駐車場が見える。
第四中隊の連中が横になっているのが見えた。
俺は馬車の内部の荷台に紙袋を入れる。そうしてもう一度馬車から降りてランツェルからカリーヴルストを受け取る。
「ランツェルさん、道案内から荷物持ちまでさせてしまって・・・ありがとうございました」
「そんな、俺はサシャに感謝されるためにやったんじゃない。困っていたから声をかけたんだよ。俺も人助けが出来た。ありがとう」
ランツェルもまた俺に頭を下げる。
「それじゃあなサシャ。達者で」
「そちらこそ、どうか息災で」
「・・・・。あぁ」
ランツェルは後ろ姿で手を振って街の中に戻っていく。
俺はその背に頭を下げた。願わくばあの背が最後に見る彼の姿ではないことを。
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