第20話 終わりはいつだって突然に

 朝飯の残りのスープの入った鍋を火にかける。ブイヨンの香りがキッチン中に広がる。

 何時間も煮込んだ甲斐があったってもんだよな。夕飯も使うから飲み過ぎちゃいけないんだけどね。

 もう一度温まったスープをスープカップに注ぐ。温かな湯気が立ち上がり、俺の食欲がわいてくる。

 よし・・・。

 買ってきたライ麦パンを紙袋から皿に出す。

「何気に初めて食うのかも知れない」

 帝国じゃ小麦が採れる。ライ麦じゃない。どんな味するんだろう・・・。

 とりあえず、皿とスープカップを持ってテーブルの席に座る。

「いただきます・・・・」

 それでは早速ライ麦パンを・・・・。

 俺がパンを口に入れようとしたとき、寮の部屋のベルが鳴った。

 誰だよ・・・・。俺はお腹が空いてんのによ・・・・。

「はーい!ただいま」

 メイドは悪態を吐いても顔には出さないのだ。笑顔、笑顔。

 俺は持ち上げて、口に入る直前まで行ったパンを皿に戻して玄関に走っていく。

 玄関のドアの鍵を開ける。

「どちらさまですか・・・っ!」

 ドアの向こうにいたのは漆黒の軍服に身を包んだ男。ルノア様直属の第四中隊の兵士が木偶の如く立っていた。




「えっと・・・スープ、飲みます?」

「いただきます」

 あ、いただくんですね。

 俺は来客用の新しいスープカップを卸す。白磁の底にコンソメのスープを注いでいく。

「それで・・・兵隊さんがどうされましたか?」

 俺は俺の席の向かいの席に座った兵士に温かなスープを差し出す。

「ルノア様は・・・今授業中でしょうか・・・」

「え、えぇ・・・」

 兵士はコンソメの水面を見つめている。沸き立つ湯気が兵士の顔を白く覆う。

「今日、帝国から出向いている貴族家の子女に対して帰還命令が出されました。ツェルスト家もそれに従い、今日中に連邦を出ます。小官はそれを伝えに来た次第。ルノア様がお帰りになりしだい、ここを出たいと思います。あなたにはその準備をしていただく。これはブリュン・グラーネ帝国皇帝陛下の名において出された命令です。拒否権は存在しません」

「そう・・・ですか・・・。そうですよね・・・」

 いつかはこんな日が来ると思っていた。戦争がはじまるのだ。現にハルザス軍は連邦の東部国境にまで現れたという。でも、これを知ったルノア様はどんな顔をされるのだろうか・・・。

「ルノア様とあなたは我ら第四中隊が必ずヴァランシまで、アルベリク様のもとまで送り届けます」

 そういって兵士はスープを一気飲みした。だが、そのまま動かなくなった。

「兵士さん!?」

 俺が兵士の顔を覗き込むと、兵士は感情の判別が付きづらい顔をしてこう言った。

「小官、猫舌でした・・・」

「お水、いりますか?」

「はい・・・」




 日が完全に沈み、人通りの無い暗闇を街灯だけが照らし始めた。寮のドアが開け放たれる。

「お帰りなさいませ、ルノア様」

「お帰りなさいませ」

 俺と兵士ルクハルトは共にルノア様の帰りを出迎える。

「た、ただいま・・・」

 ルノア様の戸惑いの声が聞こえた。当然だ。この場にルクハルトがいるのだから。

「あ、あの・・・ルノア様。お話しが・・・」

「ルノア様、帝国にお戻りになっていただきます。これはブリュン・グラーネ帝国皇帝の名において出された命令ですゆえ、ご理解ください」

 俺を遮ってルクハルトがルノア様にそう言った。

「そう、ですか・・・。いえ、分かってはいました。今日の授業はクラスのほとんどの人がいませんでしたし、テオバさんも午後には帰ってしまいましたから・・・」

 ルノア様・・・・。

「もう準備は終わっております。第四中隊の者が馬車を用意しております。特殊な馬車ですので二週間ほどの旅になりますが、ご容赦ください。それでは」

 ルクハルトが先導するようにこの部屋の荷物をまとめた最後の荷物を持っていく。もう既にルノア様の部屋に置いてあった本達も馬車に詰めてある。

「ルノア様、急ぎましょう?」

 俺はルノア様に声を掛ける。だが、ルノア様の目は空っぽになった部屋を見つめていた。

 もうこの寮の部屋には何も無い。毎日使ったキッチンも個室も俺がゲロを吐いたバスルームでさえ、俺が午後の時間を使って掃除をしてしまった。

 もうこの部屋にツェルスト家の者が暮らしていた生活臭のような物は残っていない。

「分かっています。行きましょうサシャ」

 たったの数ヶ月間であったが住んでいた場所を追われたというのに、ルノア様は。空虚な部屋から目を離した。だが、その目には涙は浮かんでいない。

 ルノア様は、泣くのは今ではないと無理やりにでも堪えているようだった。




 この馬車というのは特別製らしく馬車を引くのは馬ではなく、馬のゴーレムとかいう魔物らしい。

 行きもこれで来たのだが、その時は帰りがこんなに早いとは思っていなかった。

「こちらへ」

 ルクハルトが馬車の扉を開き、中に入るよう促す。

「ありがとう」

「いえ」

 ルノア様が中に入り込む。続いて俺も馬車の中に入り、扉を閉める。

 馬車の中は基本的にルノア様と俺の二人。御者にルクハルト。他の兵士達は個人の軍馬に乗ってヴァランシを目指す。

 馬車の中は片方のシートに五人が座れるような大型の物だ。それがお互い向き合うように配置されている。だから定員数は十人。御者を足せば十一人乗りだ。

「では出発いたします」

 ルクハルトが御者が顔を覗かせるようの窓からそう言った。ルノア様は無言で頷く。

 慣性に従って体が前方に引っ張られる感覚が起こり、窓の向こうの景色が動き始めた。

 こんな形でのお別れをするなんて思いもしなかった。一応、言えるだけ知り合いには別れを告げた。だがそれでも暗鬱とした雰囲気が馬車の中に漂う。

 窓の外を見れば、暗い大通りを走っているのが分かる。向こうに見えるのは俺が掃除をした爺さんの店があるし、おばちゃんの薬屋もある。

「ルノア様、お腹空いて無いですか?一応、夕食を作ってはみたのですが・・・」

「そうですね、いただきます。サシャ」

 よかった。何かを食べれば多少は気も落ち着くと思う。

 俺は少し気分が楽になった。横に置いておいたバスケットの中からルノア様の夕食を取り出す。だが、間違っても貴族に出すような物ではない。だってこれは日本じゃファストフードって呼ばれてるような物だからだ。

 紙包みに包まれたソレをルノア様に差し出す。ルノア様が小さな手でソレを受け取る。

「・・・・?これはどうやって食べるのですか?」

 やっぱり迷うよね。そう思って出してみたけれど。

「紙包みを開いて食べるんです。紙包みが無いとソースでバスケットの中がベタベタになってしまいますからね」

「そうなのですか?それじゃあ・・・・」

 ルノア様が俺に言われた通りに紙包みを開く。開かれた包みの中から顔を出したのは二つに分かれたバンズに挟まれたレタス、照り焼きソースで味付けをしたハンバーグ。

 そう俺が作ったのはハンバーガーだ!

「変わった料理ですね・・・、いただきます」

 ぱくり、もぎゅもぎゅもぎゅ。ごくり・・・。

 どうだ・・・?

「美味しい・・・!このお肉、ステーキでは無いですよね?それなのにこんなに油が溢れてきて・・・。このお肉は何ですか?」

「ハンバーグという料理です。牛肉をミンチにして玉ねぎなどと一緒に混ぜて焼いた料理なんです。それで表面に小麦粉をまぶして焼くことで油を閉じ込めているんですよ」

 なかなか好感触じゃないか?これで元気になってくれればいいのだけれど・・・。

「へぇ・・・。サシャは色々な料理を知っているんですね。私は私の知らない色々な美味しい料理が食べられていつも嬉しいです。この前のパスタというのも美味しかったですし、ピザというのも美味しかったです」

 ピザは生地から作ったから色々大変だったから一度っきり作ってないけど、屋敷に着いたら作ってみようかな。窯は立派なのがあるからな。トマトは貰った苗があるし、トマトを育てて作ってみようか。

「あ、ルノア様。失礼いたしますね」

「サシャ?」

 俺のポケットに入っていたハンカチでルノア様の口を拭う。ソースと肉汁でベタベタだった。

 ソースの量が多かったな、これ・・・。

「んっ・・・」

 反応が可愛いな・・・。出来ることならずっとこうしていたいな・・・。

 その時、俺の体はルノア様の方に倒れ掛かってしまう。

「す、すすすすみましぇん!」

 俺は急いで立ち上がる。

 太もも、柔らかかった!やわっこかった!

 せっかく立ち上がったのに、もう一度俺の体は倒れてしまう。

「ル、ルノア様・・・?」

 俺の手には小さく白い手が握られて、腕を引っ張られていたのだった。そしてまたルノア様の太ももの付け根あたりに顔を埋めてしまう。起き上ろうとする俺をルノア様の手が抑えているせいで俺は太ももの感触を頬でしっかりと感じてしまう。

 暖かい!あったかい!

「ルノア様・・・立ち上がれませんよ・・・?」

 顔を抑えつけられてはルノア様の顔も見えない。

「少し、少しだけでいいので・・・このままでいさせてくれませんか・・・?」

 声が震えていた。

 そうだよな。辛くないわけないんだ。こんな歳の娘が涙を堪える必要なんてない。むしろ大泣きして周りを困らせたっていいじゃないか。だって、ルノア様はこんなにも良い娘なんだから。

「存分に。出す物出した方が体にも心にもいいですよ」

 俺のこの言葉がルノア様の感情の防波堤を決壊させた。

 

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