第25話 その命は誰が為に

 城郭都市ヴァランシに号砲が轟く。その音は地を這い、風を呑んだ。これは始まりでしかない。長い戦乱と悲鳴の産声。俺を苛む過酷の始まり。





 屋敷の窓が鳴いた。ガラスがカタカタと震えた。一斉に鳴りだしたおかげで俺は叩き起こされた。

「な、なんだっ!?」

 地震か!?

 俺は部屋を見回す。何か倒れているというわけでも無かった。

 --カタカタ・・・。

 まただ。

 ガラスが鳴った。俺は震える窓に駆け寄る。

 窓から見えるのは屋敷の庭、ヴァランシの街並み、街を囲む城郭。その奥に土煙。

「土煙っ!?」

 かなり小さく見えることからだいぶ遠いってことだけは分かるが、あんな土煙が自然現象な筈がない。

「隕石とか・・・・そんなわけないよなぁ・・・・・」

 開口一番に軽口を吐き出すも、俺の脳裏を嫌な不安が埋め尽くす。

 始まったのだろうか。戦争が。殺し合いが。

 確証を求めない確信に、胸が潰されそうになる。居てもたってもいられなくなる。

「ルノア様っ!」

 寝間着のままに部屋を飛び出した。気にかけていられる余裕は無かった。

 フリル満載のスカートに足をとられそうになるが、気合で転倒を避けて二階へ通じる階段を駆け下りる。

 絨毯の生地は柔らかい。おかげで非常に走りにくいが俺は全力でルノア様の部屋まで走る。きっとこっちに来て一番走っただろう。

 薄暗い屋敷、俺以外の物音が一切無い。まるで、俺以外の人間はすでにいないみたいだ。一層不安になる。

 俺は乱暴に扉を開け放った。本当ならノックをして主人の許可を待たなくてはいけないのに。

 これじゃメイドとして失格だ。もしかしたらルノア様に怒られるかもしれない。いや、それでもいい。誰かの声が聞きたい。

「ルノア様!」

 部屋を見回す。

 あの大きな机。クローゼット。天蓋付きのベッド。本棚。必要最低限の物しか置かれていないルノア様の寝室。

「なんでっ・・・!」

 そこに主であるルノア・ツェルストはいない。





 何をしたらいい・・・。俺は、どうしたらいいんだ・・・・。なんでルノア様がいない、一体いついなくなった?

 俺は昨日の晩のことを思い出す。

 あの時、あんな時間になぜ扉が軋む音がしたのか。それはつまり・・・・。

「昨日の時点で、ルノア様は既に・・・?」

 ならあの時ローザさんが、言ったことは・・・・。

『もう夜も遅いから』

「なんだって、あたしを置いてくんだよ・・・・・」

 俺は誰もいない食堂で一人席について俯いている。時折屋敷が軋み、天井から埃が落ちてくる。テーブルは何年も使われていないように埃で白くなってしまっていた。

 ルノア様はきっと自分の部隊を連れて戦場に行ったんだろう。

 前の時は一日で帰って来てたけど、今度は帰ってくるんだろうか。さっきから嫌な予感ばかりがしてる。


「あの娘を守れなかった」

 夢の中で少女達が繰り返し呟いたあの娘。最後の少女は俺と瓜二つ。

「そういえば、ケーテの宿の時の夢・・・・」

 ケーテの宿で見た夢。その時の俺は確か馬車に足を潰されて・・・化け物に喰われた。腕が千切れて・・・・。

 昨日の夢の時も、足が潰れてた気がする。

「偶然か・・・?俺の夢・・・繰り返される、あの娘。終わらない責め苦・・・・?」

 考えている内に頭が痛くなってくる。奥底に押し込められた何かが外に溢れ出ようとしてるみたいだ・・・・。

 もし、もしあの夢に出てきたのが全部俺だったなら。初めに出てきた男、あれが日本にいた頃の俺で、次がツェルスト軍の軍服を着た俺・・・・。軍服ってことは戦争に行ったんだよな。そして死んだ。

「あの娘ってのがルノア様なら・・・・!」

 ルノア様は死ぬんじゃないのか・・・?この戦争で。

 頭痛の痛みが酷くなる。それは自分じゃない誰かが身体の内側から何度も頭を殴っているみたいで。

「都合が良すぎな推測だよ・・・・。でも、分からないこと尽くし。そこで無い頭を捻った結果。今までの夢からすれと・・・・。こういうことなのか・・・・?」

 どうして死ぬって思うのか。夢の中の俺はそんなことを言うのか。さっぱり分からないが、ルノア様が死の運命にある。

「こうしちゃいられない・・・・・」

 俺は立ちあがった。

 杞憂なら杞憂でいい。むしろそうで合ってほしい。

 謎も困惑も残したまま、俺が食堂から走って出て行こうとしたとき、再び屋敷が揺れた。

 さっきよりも揺れが大きくなってる・・・・。

「今すぐ行かなくちゃ・・・!」

 軋む床を蹴り上げて、一歩踏み出す。

 ルノア様が死ぬ運命に抗ってみせる。どうしてかそれだけが恐怖と困惑にとって代わっていた。








 自分の身体が自分の身体じゃないような気分という物を今、俺は感じていた。


 頬を撫でる風。たなびくスカート。石畳をたたく蹄鉄の音。

 俺は今、馬に一人で乗っていた。


 頭痛はすでに痛みが引いており、視野が広がったように頭が冴えている。そしてこの騎乗スキルの高さ。まるで自分の身体に別の人物が入り込んでいるような、俺としてはそうとしか形容出来ないんだ。

「いや。そんなことはこの際関係無いか。待っていてくださいルノア様」


 戦場に飛び出して、メイドの俺に何が出来るのか。

「何も出来ないかもしれない。お荷物かもしれない」


 なら、どうして俺は馬を駆ってこんなに急いでまで戦場に向かってるんだよ。

「大事な人なんだよ。俺にとって。きっとあたしが思っている以上に」


 降り注ぐ殺意に、俺はあまりに無力だ。

「無力でも、ルノア様の前に立ってそれを受け止められたなら、せき止められたなら。ルノア様がそれで生き残ってくれるなら、あたしはそれでもいいだろ」


 それでも死の運命に追いつかれてしまった時、俺は世界を呪わずにいられるか?

「何、弱気になってるんだよ俺。足が潰れても、腕が千切れたって。あの娘の為に尽くす。そうここで俺自身にあたしは誓う」


 拾われた命を、もう一度返すだけ。

「それだけのこと」




 日が東から昇り、ヴァランシ南方の平原を照らしている。城郭から出るとクレーターだらけの大地が目に飛び込んでくる。

 向かい風は硝煙を運び、視界は薄く曇っていた。

 俺は気持ちを引き締める。だが、心臓はだんだんと耳の裏にでも近づいているようで、心音はその鼓動の速さと比例するように大きくなっていく。

「っ・・・」

 俺は喉を詰まらせる。気道がその道を極端に狭ませたかのように、空気が肺まで流れてこない。

 俺は手綱を手繰る。騎馬は再び大地を駆ける。

 硝煙は風上から流れて来た。つまり今流れている風を辿っていけば戦場には着くだろう。

「もうちょっとよろしくな」

 俺は騎馬の茶色の毛を撫でる。すると気持ちよさげに騎馬は疾走する。

 なんだか懐かしくなってきたな・・・。なんでだろ。ライダーズハイ?


 騎馬の疾走を阻むものはこの平原には無く、硝煙混じりの冷たい風が吹きすさぶ。

 風の中に低い唸り声のような物が混じっていることに気づいた。それは騎馬が進むたびに大きくなっている。

「近い、のか・・・」

 さっきよりも唸り声は大きく、明確な言葉として聞こえる。

 それは怒号だ。「突撃」とか「撤退」だとか。指揮官が兵士に対して言っているであろう命令が聞こえてくる。

 手綱を握る右手が震えていた。その震えを左手で抑え込むようにして、もう一度騎馬を走らせる。目的地はもうすぐだ。

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