第13話 メイドは度胸と愛嬌

 暗い路地の中、俺は走っていた。

 ここ、どこだ?俺なんで・・・?

 全くもって見覚えが無い。土地勘なんて微塵も無い。だけど足、いや体が勝手に動く。

 人一人しか通れないような薄汚れた路地をただ走る。走っているはずなのに体は息切れも疲労も無い。体が何かによって突き動かされている感覚がある。

 真っ暗な視界の先に小さな光が見えた。その小さな灯りは複数が集まって群れとなりどんどんと横切っては消えていく。

 待って!

 叫んだはずなのに声は出ない。叫んだ言葉は喉から出た瞬間にかき消える感じだ。

 俺の体は小さな光を求めるように走っているようだった。俺の体が通りに出たようだ。

 小さな光はランプの灯り。そのランプを持っていたのは青い軍服を着込んだ集団。

 その集団の最後尾が通り過ぎるのを待って、俺の体はまた走り出す。青い軍服を追いかける。

 大通りらしいこの通りの先には一つの大きな建造物が見える。それはヨーロッパによくあるような城だ。その城を目指してこの青軍服は進んでいる。

 彼らは一度も休むことなく城まで続く長い坂を登っていく。俺の体はけして彼らを追い越すことはなかったが、彼らのその背中姿からは尋常ならぬ何かを感じた。

 

 彼らは城門まで辿り着いた。城門は不自然と思えるほどに人気が無く、その門は開かれていた。普通ならこんな時間に訪れる客は無礼とされるのが貴族の中の認識だ。それは城を持つ者でも一緒のはず。

 つまりこいつらは客ではないが、ここにある何かに用があるということになる。嫌な雰囲気だ・・・。

 先頭を行っていた指揮官らしき男が一人声を上げる。

「もう後には退けない。行くぞッ・・・!」

 誰も返事はしなかったが、先頭の男に続くように続々と城の中に入っていく。当然俺の体は勝手に付いて行った。

 彼らは迷うことなく広い城の中を進んでいく。

 絢爛豪華な廊下、宝石をあしらわれた調度品の数々。時代錯誤も甚だしいような甲冑に見守られながら彼らは走る。

 彼らが走るたびに廊下の灯りが弱々しく揺れる。それにつられて影は激しく明滅する。

 彼らは階段を走る。階段を軍靴が叩く。かなりの音だが城の人間が現れることはない。

 おかしい・・・絶対に使用人あたりは駆けつけるはずだ。俺なら絶対にそうする。それにコイツラは客じゃない。ならなおさらのはずなのに・・・・。

 不気味なほどに静かな城内で軍靴の行進曲ばかりがけたたましく虚しく響き渡る。



 貴族身分の住む住居っていうのは大抵上の階に貴族の私室がある。下の階には公的な部屋や来客用の部屋、書斎だ。

 彼らは二階に上がると右側に曲がった。

 薄暗い廊下に一部屋だけ扉から光が漏れていた。

 彼らはその部屋の前で止まった。足を止めた彼らからは激しい息切れの空気の吐き出し、吸い込む音が聞こえる。

 そしてその部屋の中からも声が聞こえた。誰かがいるようだった。

「・・・・るなっ!」

「・・・・を拘束してどうする気だ!」

 うまく聞き取れない・・・、何を言ってるんだ?

「・・・も・・で・・なことです」

 老人の怒号が飛び出る中、一人若々しい、張りのあるテノールボイスが聞こえた。

 部屋の中から指の鳴らす音が聞こえた。それを合図にして青い軍服の集団が部屋の扉を強引に開け放った。

「なんだ貴様らはっ!?」

 部屋の中にいたのは三人の身なりの良い老人と青年が二人だった。その青年の内一人は青い軍服を着ていた。だが顔までは見えない。

「時間が来たようです。ご理解いただけないのは本当に残念です」

「な、なにをする気だ!貴様らには大局が見えていない!我らには今堪える必要があるのだ!我らの正義は必ず世界の民衆に届く!」

「王政に擂り潰される民衆にも同じことが言えるのか?今死にゆく民草に同じこと言うのか?言えるのか!?」

「それは・・・、だが今ここで貴様らの思惑通りに進んでしまってはその正義すら通らなッ・・・!?」

 室内の怒号が一発の破裂音で掻き消された。部屋内には硝煙と血の匂いで溢れかえる。

「アルーソン・・・!?殺す必要はないと言っただろう!?」

「シェイス殿、我々は不退転の覚悟を持ってこの場にいるのです。それこそ人命の二つ、三つ厭わないほどの。あなたにはそこまでの覚悟は無いと?」

 青い軍服を着たアルーソンにそう言われて言葉を詰まらせるシェイス。

「そ、そうではない・・・だが我らの正義を示すのに血を流す必要は・・・・」

「言っていることが矛盾していますよ。早急に民衆を救う使命があるのではないのかッ!」

 アルーソンと呼ばれた青年将校が凄む。

「分かったアルーソン。分かったから落ち着け・・・。それでは総裁閣下方、身柄を拘束させていただく。アルーソン、丁重にお連れしろ・・・ッ!」

 シェイスは苦虫を潰した様な顔をして言った。

「了解いたしました。連れて行ってください」

「ハッ!」

 残った二人の老人が青い軍服の男達に両脇を掴まれた。

「お前達軍部は狂っている!本当の平和は対話によって成されるのだ!鉄臭い平和は憎しみを生むだけだと知っ」

「ひぃっ!?」

 廊下まで血に染まる。俺の目の前でもう一人が殺された。

 老人から噴き出した血が俺の左の頬を紅く濡らす。

「アルーソン!」

 アルーソンがピストルを元の位置に戻す。そして最後の一人を睨みつける。

「最後の総裁閣下、あなたは三人の中で一番利口のようで安心しましたよ。あなたの安全は保障しましょう。誰の目も届かない場所でご隠居されるといい」

 アルーソンがそう言うと総裁と呼ばれた最後の老人が真っ白な顔になって連れていかれた。

 ぞろぞろと男達が引き上げていく。死体もこの時に一緒に持ち去られていく。部屋の中から最後にシェイスが出てきた。

「狂犬が色気づきよって・・・・」

 忌々しそうにそう吐き捨てた。

 アルーソン、そうジャック・アルーソン。俺の目の前にジャックがいる。あのジャックが。

「僕は間違っていない」

 囁くようにジャックが言う。

 逃げれない。ジャックが俺を見る。あの目が俺を捉えて離さない。

 急の脱力感が俺を襲う。俺は立っていられなくなって、血の海に沈んだ廊下に腰を落としてしまう。

「これは恋だ。僕はおかしくない」

 呟くように。

 なんで、なんで逃げられない!

「あぁサシャ、君が忘れられない」

 思いを募らせ、悩ましいと。

 体が動かない。足は廊下に打ち込まれた杭のようだった。ピクリとも動く気配が無い。それなのにジャックは俺の方に向かってくる。

 動け!動いてくれ!お願いだから・・・。

「例え何年掛かっても。何人死んでしまっても。いかなる代償も払う」

 ジャックは高らかに宣言する。

 ジャックが俺の方に向かって歩いてくる。あの日から俺を苛む気持ちの悪さが一層こみ上げてくる。

 やめろ・・・来るな・・・俺を見ないでくれ・・・・!

「僕は君が欲しいんだ」

 やめてくれッ!

 俺は堪えきれない気持ちの悪さから少しでも逃げる為に目を瞑った。




「はぁ・・はぁ・・・はぁ・・・・?」

 目に飛び込んで来たのは寮の、俺の部屋の天井だ。

 何が何なのか分からずに部屋の中を見回す。

 いつもの部屋・・・だよな・・・?

 ブラシしかない化粧台、メイド服しかないクローゼット。俺の部屋のはずだ。

「はぁ・・・さっきのは一体・・・・?夢なら悪夢も悪夢だよ全く・・・・」

 寝間着は汗でビショビショに濡れていた。心なしか汗臭い。

 シャワーでも浴びよう・・・。

 クローゼットから新しい服と下着を取り出して、寝間着を洗濯籠に放り込んでシャワーのあるバスルームに向かう。

 バスルームに向かうにはリビングを通ることになる。リビングの壁にかけられた時計が目に入った。

「四時か・・・全く嫌な夢見だよ畜生・・・」

 バスルームの扉を開いて灯りを付ける。クリーム色の浴槽とシャワーがあるだけの部屋だ。

 俺は背中に腕を回して下着を外す。支えられていた重みが重力に従った。肩に若干の重みが加わる。

 俺はため息一つ吐いて、パンツにも手を掛ける。

 すっかり生まれたままの状態になって、俺はシャワーの方に向かう。

 シャワーにもツマミが付いていて右に回せば冷水、左に回せば温水が出る。

 俺は左側に回す。

 ん・・・なんかベトベト・・・・。

 汗のせいかと思いつつ手でお湯を集めて見てみると―――

「あぁ!?あっ!?」

 それは紅い。紅かった。それは夢で見た血のように。

 俺は震える左手で左の頬を触ってみると、俺の左手にはべったりと血が付いていた。

「うっ・・ごへぇっ!」

 胃の中身が急に喉をせり上がってきた。俺は堪えきれずに浴槽にそれをぶちまけてしまった。

 それを二、三度繰り返すと胃の中身がすっかりなくなってしまい、胃液を吐き出すまでになった。


 全部戻してからシャワーを見ると、ただのお湯だった。左の頬にも血なんか付いていない。

 さっきのは幻だった・・・・?あぁクソッ!

 ジャックが夢に出てきたそれだけでこのザマだ・・・正直に言えば今でもあの目線があるんじゃないかと怯えている。

「俺は・・・俺は、ただ・・・ルノア様の為に働きたいだけなのによ・・・」

 震える足でどうにか立ち上がる。

 鏡の中には酷い顔の俺がいた。あのメイド服の似合う美少女なんかいなかった。徹夜明けの男の俺の顔にクソを塗りたくったみたいな顔をしてる。要は酷い顔ってことだけど、そんな感じに見える。

 俺の思考が恐怖に支配されていることに気が付いた。

 人間は諦めなければどこでだって生きてける。お前も希望を捨てることだけはするな。現実を見ても理想を追え。

 そうだ・・・。言っていたじゃないか。

「駄目だ。俺はルノア様の為にここまで来たんだ・・・その俺がルノア様に心配をさせちゃいけないんだ。笑えよサシャ、ジャックがなんだ!あたしのルノア様への愛がアイツに負けるわけないんだからさ・・・」

 両頬を思いっきり叩く。何度も何度も。刷り込む、あたしはジャックには負けないと。

 顔が腫れるまで叩いて、最後に口角を指で押し上げる。

「ひっでぇ顔だな・・・」

 鏡の中のそいつを俺は笑った。

 自分でやっておいてそれはないか・・・

俺はルノア様に拾って貰わなきゃどこぞで野垂れ死んだ命だったんだ。誰のお陰で生きてんだよ。もう全部ルノア様に捧げてやる。だから怯える心も吐き出した。

 鏡の中には頬を腫らした、一人のメイドが確かに立っていた。

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