閑話 乙女の見た種火

 まだ日も登り切らない早朝。少女趣味の激しいベッドから上体を起こす。

 毎日思いますけど、このベッドって私には似合ってないですよね・・・。お父様がプレゼントしてくれた物ですけど。

 フリルをこれでもかとあしらわれたベッドから降りてクローゼットを開ける。

 中には三着の服。普段着の白いワンピース、儀礼用の青のドレス。そして黒の布地に金の装飾が施された軍服。

 この三着から今日は、軍服を手に取る。そして私は皺の一つもない軍服の袖に腕を通す。

 これは私の十二歳の誕生日にお父様にいただいた物。ツェルスト家の宿業を表す物。

 私は軍服を着込み、姿見の前に立つ。鏡面に映るのは白い顔をした私。低血圧のせいもあるけれど、きっと今日をもって私は普通の少女ではなくなることの恐怖が顔に出ているからかもしれない。

「こんな顔を見せたら、不安にさせてしまいますよね」

 人の上に立つ人間が弱みを見せてはいけない。お父様の言葉を思い出す。そして鏡の前で無理やりに笑顔を浮かべる。

「『付与 獅子心王の加護エンチャント ライオン・ハート』」

 心の底から勇猛を溢れさせる魔法を唱えて、もう一度鏡を見る。

 よし、ちゃんと笑えてます。

 身支度を終え、次に机の引き出しから地図を取り出す。そしてある地点に赤インクで円を描く。

「『召喚 使い魔イボーク ファミリア』」

 私がそう告げると地図上の赤のインクが青白く光りだす。そして右目が私の部屋ではなく広大な平原を映す。

 更にもう一点、円を描く。これも同じように光を放った。

「準備終わり・・・」

 机に広げた地図を巻き直してカバンに詰める。

 ここに私がいなかったらサシャはびっくりするでしょうか?

 驚いた顔をするメイドを思い浮かべて小さく笑う。心が少し明るくなった。

「行ってきます、サシャ」

 必ず帰ってきますから、待っていてくださいね。




 ヴァランシから南方の山とも呼べない小高い丘の上にツェルスト軍本陣を敷いている。そしてこの丘を見上げるようにしてハルザス軍が展開している。

 お父様はまだ来られていない。現場は軍の将官が指揮を執っていた。

「これはルノア嬢。よく眠られましたかな?」

「おはようございますディディエさん。ええ、しっかり眠れましたよ。それで何か変わったことはありますか?」

 私がそう尋ねると現場指揮を執っていたディディエは双眼鏡を渡してきた。私がそれを覗くとディディエは現状を話し始めた。

「本陣を睨むようにハルザスの砲兵科が展開中、その後方に騎兵が待機。更にその

後方に歩兵連隊。愚考するに砲撃支援の後に騎兵突撃、歩兵で占領といった具合でしょうか」

 ディディエの敵の作戦予想を聞く。敵兵は確かにその通りに配置されていた。

「そんなに単純な物なのでしょうか・・・あまりに教本通りかと・・・・」

 私には考えるときに顎に手を当てる癖がある。今も無意識に顎に手を当てていた。

「ルノア嬢は初陣でしたな。まぁ戦況とは刻一刻と変わる一体の生物のような物。今は教本通りに見えてもいつの間にか状況は悪化しているというのはよくあることです。戦況をよく見て指揮を執ることだ。これが生き残る指揮官という奴です」

 生き残る、その言葉はこの場で最も場違いな物に思えた。

 私達は今から殺し合いをするというのに。

「ルノア嬢、これはある種の考え方です。ツェルスト家の血が残っていればどんな戦いも敗北にはならない。その為に我々は死線に身を晒している。何も初めから死ぬと思っていたら大したことも無い石ころにだって殺されるのです」

 ツェルスト家の血・・・。

 私は双眼鏡をディディエに返す。するとぞろぞろと男の人達が入って来た。その中にはお父様の顔もある。

「閣下、ご機嫌麗しゅう」

 ディディエはお父様に頭を恭しく下げた。私も同じく頭を下げる。

「お前もなディディエ。それでハルザスの連中はどうか。戦況を教えろ」

「はっ。前方に砲兵、その後方に騎兵、更にその後方に歩兵。砲撃でこちらを牽制しつつ騎兵、歩兵で突撃、占領が目的かと」

「なるほどな。敵兵の数は?」

「敵方が二万、此方は一万です」

「ふむ、数の上ではこっちが不利か。了解した。それでは開戦までまだ時間はある。作戦会議と行こうじゃないか」




 私はお父様の隣の席に座った。長机を囲むようにして士官が集まり地図を見ている。

「まず敵の思惑は砲兵の支援を受けて騎兵、歩兵が突撃。本陣を占領の後にヴァランシに侵攻、かと」

「ヴァランシを帝国攻略の橋頭保にしたいんだろうな。いつものことだ。そして向こうの指揮官もアイツ。いつも通り過ぎて集中しろって方が難しい」

 お父様は小さく笑った。でもそれは餓えた獣の様だった。

「砲兵の支援在りきの作戦なら砲兵を潰せばいい、そうだな?」

 ディディエに向かってお父様はそう尋ねた。いえ、尋ねたというよりはそう認めさせるようだった。

「えぇ。その通りです」

「そうか。なら・・・・」

 地図上でハルザスの砲兵を表している駒をお父様が動かす駒が弾いた。

「ルノア、お前の中央第四中隊にその役目を任せる」

 急に名前を呼ばれて体が反応してしまった。だが平静を装いお父様に返事を返す。

「謹んで拝命いたします」

「作戦は・・・・まぁこれも経験だ。結果が出るのなら過程は問わん。好きにやれ」

 好きにやれ・・・ですか。

 昔から同年代よりは多少頭が良かったせいか、周囲の自分に対する期待というものに敏感に育った私。

 こんな時まで期待されているんですね・・・・。

「それでは私に一つ案があるのですが、よろしいですか?」

 お父様は無言で、ただ目線で言う。『好きにしろ』と言っただろ?と。

「ヴァランシ付近は前々から防衛時に優位に立てるように計画的に設計されています。そこでこの丘周囲の森林に私の指揮する第四中隊を配置。この森林からならライフルの射程に砲兵を捉えられます。よって第四中隊を森林に配置し砲兵を無力化します。これなら後は丘を登ってくる的を歩兵もしくは砲兵で薙ぎ払うだけ、かと」


 この丘はヴァランシに続く道路上にある。元は山だったのだけど木を切り倒した結果、丘と呼ばれるようになった。だが、道路の周りは森林が残っている。そこに歩兵が持つマスケット銃よりも射程、命中性が高いライフルを持った第四中隊を使って、敵砲兵を狙撃して無力化するのが私の立てた作戦。


 私の作戦を聞いたこの場の大人達はしばらく周囲と話し合い、目線をお父様に向けた。

「む?そうだな、だがどうやってお前の第四中隊を森林に潜ませる?」

「開戦と同時に砲撃を行い、その砲撃にハルザス側の注意を向けさせます。その隙に第四中隊を進行させます。その際の砲撃はあくまで注意を向けさせるのが目的です。ですから怪しまれない程度に間隔を開けて砲撃していただきたいのですが・・・」

 私は視線を地図、お父様と動かして砲兵科連隊の指揮官へ留める。

 砲兵科連隊の指揮官は私と目が合うと静かに頷いた。

「了承した。なるだけ目立つように撃とう」

「ありがとうございます。それではこれでよろしいですね?」

 私は視線をお父様に戻す。お父様は不敵に笑った。

「俺はお前に任せたと言った。一々同意を求めるなルノア。お前は俺の娘だ。自信を持てよ」

 私はお父様にただ頭を下げてみせた。

 魔法で押さえつけてなければ、きっと私はトイレに籠りきりだったと思います。




 手元の懐中時計を見る。針はもうすぐ直上を指す。

 時間ですね・・・。

「目的はあくまで注意を引くことです。第四中隊はなるべく脇道から降りますが、なるべく開けた場所に向かって撃ってください。それでは砲撃開始してください」

「砲撃用意ッ、撃てッ!」

 軽砲兵達が砲弾を撃っていく。直線上にしか撃てない大砲も丘の上から砲撃すれば砲弾は丘を転がって敵の陣地に直進する。

 砲弾は幸か不幸かハルザスの陣地に転がり込んでいき、開戦直後の砲撃は静かな水面に投げ入れた石ころの如く波紋を生み出す。

「第四中隊、第一から第二小隊は右側から、第三と第四小隊は左側から降りてください。第五小隊は待機してください」

 私の号令と共に第四中隊が動きだす。ハルザスの砲兵も負けじと撃ち返してくるが、ハルザスの使用する大砲はこちらと同じく直線上でしか狙いを付けられない。斜度のある箇所へ砲撃してもツェルスト軍本陣までは届かない。

 まだ砲撃は止めない。だがハルザスはこっちに当てるつもりが無いことを察したのか、水面の波紋は収まってきたように見える。

「第一、第二小隊、配置完了しました」

「第三、第四、同じく」

 待機していた第五小隊所属の兵士が私に報告を上げる。

「砲撃、止めてください」

 私は砲兵科連隊の指揮官に告げる。

 砲兵科連隊の指揮官は轟音の中でも聞こえる様に大声を出す。

「撃ち方やめいッ!」

 私はカバンから一丁のピストルを取り出す。貴族用の装飾が付いたピストルを。

 最後の轟音が消えた後、ピストルを空に向けて引き金に指を添える。

 これは第四中隊に向けた発砲命令。

 これがこの戦いで人を殺す根源の一発。

「ごめんなさい・・・」

 私は引き金を引いた。




 森林の中からライフルの発砲音が聞こえた。そして第五小隊の観測役が必死に双眼鏡を覗く。

「敵砲兵連隊敗走を開始。敵砲兵連隊は無力化したものと思われます」

 私も双眼鏡を覗く。敵の陣地で倒れる砲兵と指揮を執っていたであろうハルザスの指揮官が慌てふためく姿が見える。

「敵砲兵連隊を無力化させました。繰り返します。敵砲兵の無力化に成功・・・・」

 私の報告に本陣は色めきだった。これで戦況はツェルストに傾いたと思う。

 浮足立ちかけていたツェルスト軍本陣にトランペットの音が響く。

 これは騎兵突撃の合図だ。

「やっぱりアイツは無能だな。そのおかげで甘い汁を吸えるんだがなぁ」

 本陣の奥からお父様が私の隣まで来ていた。

「重砲兵、出番だ!ハルザスの連中に痛い目を見せてやれ!」

 お父様が声高らかに告げる。それは死地に飛び込まざるを得ない騎兵達に終わりを告げる音頭だ。

「重砲用意ッ!撃てッ!」

 先ほどの軽砲よりも威力の強い重砲から榴弾が放たれる。整備された道いっぱいに広がって突進してくる騎兵達に避ける術なんて無かった。

 先頭が転べば、それに足を取られた馬も転ぶ。それを避けようとした騎兵が馬を停める。この停滞の連鎖によって騎兵突撃は完全に抑え込められ、正面から砲撃、側面からは第四中隊のライフル射撃に晒されることになる。

 これが戦争ですか・・・こんなものが・・・?一方的に殺しているだけなのに?

 私の疑問など他所に戦況は変化していく。

 死屍の山が道を塞ぐこの整備された道の他にもあぜ道ではあるが道がある。そこから戦場に向かっていたツェルストの騎兵と歩兵が到着した。

「こっちも騎兵突撃だ。とびっきりに良い合図で飛び出させろ」

 トランペットを右手に持った兵士が眼下のハルザス軍に向かって騎兵突撃の合図を出す。

 丘の両脇からツェルストの旗を掲げた騎兵連隊が飛び出し、横に列を作っていたハルザスの歩兵に突撃していく。

 決まりましたね。

「決まったな。今夜は酒が上手いなきっと」

 お父様は獲物を捕らえた狼のような目をしていた。




 朝に始まった戦いは昼を過ぎるかどうかの短時間で勝敗が決した。

 私は第五小隊の小隊長に第四中隊を引き上げさせてお父様に従うように伝える。


「お父様、もう勝敗は決したように思います。私は帰ってよろしいでしょうか」

「む?そうだな・・・いいだろう。今日はお前の作戦が上手く敵に嵌った。次もこうなるといいな。俺はこの後捕虜やら何やらで帰りは遅れる。お前は屋敷で休んでいろ」

 お父様はこれからが本番だ、と付け足した。

 戦い自体はお父様にとって気に掛ける必要もないのですね、人を殺すことも。

 私は生まれて初めてだが父親に軽蔑の感情を抱いたと思う。




 グラニに乗ってヴァランシまで戻った。街は戦争があったなんて考えられないほどにいつも通りに平穏だった。

 違うところと言えば人通りが少ないぐらいですね・・・・。

 商店通りはいつもよりも人の往来が無い。それは徴兵で男性達が戦場に行っているからだ。

 女性しかいない商店通りを行く。途中でどこからか甘い匂いがした。

 すると私のお腹が鳴った。

 そういえば朝は少ししか食べていないんでした・・・。


 そんなことを考えていると厩舎きゅうしゃの前まで来ていたことに気づく。

「ありがとうグラニ・・・、今日は疲れましたね」

 ここまで乗せてくれたグラニに感謝して、グラニの背から降りる。

 手綱を引いてグラニを厩舎まで先導する。厩舎の中はいつもたくさんの馬がいるのだが、今日ばかりはここも静かなようだった。

 厩舎の中の、グラニの部屋に戻してバケツ一杯の藁をグラニの前に差し出した。

 グラニはそのバケツに顔を突っ込むようにして藁を食べる。その姿を見ていると私までお腹が空いてくる。

「私もお腹が空いてきました・・・ルーカルトにお昼を作ってもらいましょう・・・・」

 餌入りのバケツを柱に掛けてグラニの頭を撫でる。

 そうしてから私は厩舎を出た。



 屋敷の自分の部屋に戻って来た。靴を脱いでベッドに飛び込むと思いのほか楽しい。

 そんな感じで何度もぽんぽんと飛び込んでいるとドアからノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

 私が返事をするとドアが開かれる。ノックをしたのはサシャだった。

 サシャは私を数秒を見つめると急に泣き出してしまった。

「サ、サシャ!?ど、どうしたんですか!?なんで泣いているんですか!?」

 ど、どうして泣いているんでしょう・・・?私が何かしてしまったんでしょうか・・・?と、とりあえず・・・えっと・・・!?

「ルノア様・・・アップルパイを焼いてみたのですが・・・如何ですか?」

 アップルパイ、ですか?あぁどうりでシナモンの香りが・・・・。もしかして私がお腹を空かせているのが分かっていたんでしょうか?だとしたらサシャってすごい・・・?

「えぇ、いただきます。もちろんです」

 私がそう言うとさっきまで泣いていたサシャはいつものように明るい笑顔になった。

 あぁ、そうか。サシャは私のことを・・・・。

「小分けして持ってきますね・・・!」

 サシャが部屋から小走りで出て行ってしまう。

 転びそうで危なっかしいけれど、どこか微笑ましくて。

 神様ありがとう。私は最高の友達を得たようですね。

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