第6話 メイド、魔女にパイのレシピを教わる
ツェルスト家で奉仕を始めて早一か月。
屋敷近くの川では子供たちが遊び始め、洗濯をする度に濡れて帰るような日々が続いております。
あのガキども絶対胸を見てやがる。
あぁ世の女性方はこんな想いをしてたんだなと俺がジェンダーフリーは未だ遠いと実感する今日この頃。
現在屋敷に人はいない。
その代わりに―――
地の底から這いあがってきた震動の如き轟音が屋敷の窓を叩く。
始まった。
その音は戦場に配置された大砲が榴弾を吐き出し、炸裂する音。
現在、ツェルスト領城郭都市ヴァランシよりやや南方の地点が戦場になっている。
「失礼いたします、御着替えに参りました」
ノックは面倒だし、どうせ寝ているのでそのままドアノブを回して押し込む。
「む?おはようサシャ。ノックぐらいしないか」
え・・・・。
俺の目の前には信じられない光景が広がっていた。
だ、旦那様が・・・・自分で服を御着替えになってる・・・・?
これだけで俺は何か異常が起きていることを察知した。
「なんだ、主人の服を落とすくらいに俺が服を着ているのがおかしいか?お前、主人に対して不敬が過ぎるぞ?」
え、いやぁ・・・だって、ねぇ?
慌てて床に落ちた旦那様の服を拾う。
ちらと旦那様を見ると、全体的に装飾華美の黒い軍服を着用されている。
貴族であるツェルスト家の人間が軍服を着るということは、きっとそういうことなんだろう。だが、それは・・・・。
「今日は客間を念入りに掃除しておけ。それとルーカルトには最上級の晩餐を用意しろとな」
それは、つまり・・・この戦いが終わったら俺は、というフラグ・・・!?
「だ、旦那様?一体何をおっしゃっているのかあたしにはさっぱりなのですが・・・」
「む?先週お前も書斎でハルザスの使者と会っただろ?お前は何を聞いていたんだ?」
ハルザスの使者?そんな人いたか・・・?確か先週お客様が来るって・・・それで何か青の派手な服を着てて・・・え、その人が使者だったの!?
「え、でも旦那様とお客様は楽しそうにお話していたのでは?」
「む?なわけあるか。確か・・・今度こそ帝国進出の橋頭保ヴァランシを確保してやるからせいぜい毛布にくるまって震えているんだな、だったか?面白い奴だろ?あれで共和政府で二番目に偉いんだぞアイツ」
「いや、何も面白くないんですが」
む?じゃねーよ!戦争じゃん!やばいじゃん!
「まぁ大丈夫、とは簡単には言えんが多分大丈夫だ」
簡単に言ってるよ!大丈夫って言ったよこの人!
「落ち着け、せっかく可愛らしい顔をしているのにそうも目を見開くと台無しだぞ」
「お、おお落ち着けってこれが落ち着いていられますか!せせせ戦争なんて・・・」
「いいから落ち着けサシャ」
旦那様が俺の両肩に手を置く。肩に置かれた手はごつごつとしていた。
「ハルザスと事を構えるなどいつものことなんだ。そのくせ奴らは一度もヴァランシを占領していない。それよりちゃんとルーカルトに言っておけよ?晩餐のこと」
「そ、そんな夕食よりも考えなきゃいけないことがっ」
「それでは行ってくる」
「ちょっと!」
旦那様は振り返ることなく後ろ手を振って部屋から出て行ってしまった。
あぁ・・・戦争なんて・・・俺、どうなるんだろう・・・。
「ルノア様?サシャです。失礼します」
ノックをきっちり三回叩きドアノブを回す。
だが、部屋の中にルノア様の姿も無いのだった。
そんな経緯で今に至る。
現実逃避でもしないと不安に押しつぶされそうだ。
あぁルノア様・・・ルノア様・・・ルノア様ぁぁぁ。
ルノア様のことが心配な俺が大広間を何周も歩いて周っていると、厨房からルーカルトさんが出てきていた。
あぁそういや夕飯は豪華にとか言ってたっけ・・・。
「なんじゃ忙しいのう、こら少しは落ち着かんか」
「ルーカルトさん・・・夕飯が旦那様を豪華にしろって・・・・」
「おう、おう。分かっている。いつものことだ。それよりお前さん、心配なのは分かるが心配のし過ぎだ。どうじゃ外にでも散歩してきたら」
散歩、そうだな大広間にも飽きてた頃だし・・・・。
「転ぶんじゃないぞー」
虚ろな足取りで俺は屋敷を出た。
いつもの川沿いを歩いていると、横から冷水をぶっ掛けられる。
「冷たい・・・」
顔を横に動かすといつものマセガキ共が三人、仁王立ちしている。
あぁ心配だ・・・。
「お~いサシャ~!お~いってば!」
「なんであんなフラフラしてんだ?」
「悪い物でも食ったんじゃね?」
俺が無反応だと分かるとガキ共はまた三人で水遊びを再開させた。
ガキ共は能天気だな・・・。あぁ・・・。
川沿いを真っすぐ歩くと橋がかけられていて、その橋を渡ると商店通りがある。そこはいつも人の往来が激しく、この時間帯ならいつもは最も人がいるはずだが戦争状態とあれば人通りも少なくなるのは普通の流れか。
だが、それでも人は多い。楽しそうに店の女将と井戸端会議をしている。
「あれ?サシャちゃんじゃない?」
一人商店通りを行く俺に声を掛けたのは肌色が目立つ黒いローブに魔女みたいな帽子を被った女性だった。
この人は最近知り合った人で、俺はこの人に仕事の合間に勉強を教わっているのだ。
服装はただのビッチだが俺は先生と呼んでいた。
「あ、こんにちはビッチ」
「ビッチがどういう意味かは分からないけどそれってきっと蔑称なのよね?それは分かるわ」
あ、間違った。
俺を見かねた先生は自分のお店に連れて行ってくれることに。
先生はここら辺じゃ珍しい銀髪で目の色も赤い。
初めて先生にあった時にその旨を伝えたら黒い髪も珍しいと言われてしまった。
旨で思い出した。先生は出るとこ出てるグラマラスな体型、露出度の高さと相まって目のやり場に困るタイプの人間である。
なんて益体もないことを考えているうちに先生のお店に着いた。
店先に飾られた看板には『魔女の店』と書いてある。なんで魔女の店なのかと尋ねると先生は決まって「魔女だから。ふふ」なんて答えるのだ。
「さ、着いたわ。入った入った」
「すみません・・・ご迷惑おかけします」
店の中は全く何の役に立つか分からない物ばっかり置いてある。
ドクロとか手の形をした蝋燭立てとか誰が買うんだろう・・・。
「ほらこっちで座りなさいな。今お茶も出すから」
言われるままに差し出された椅子に座る。
どこからか視線を感じるんだよなぁこの店。
「はいどうぞサシャちゃん。それでどうしたの?酷い顔をしてるけど」
「戦争が・・・ルノア様が・・・あぁ・・・」
不安だ、セクハラ旦那様の大丈夫なんて信じられない・・・。
「戦争?あぁ今やってるアレね。あんなの年中行事よ。大したことないわ」
「大したことないなんて!戦争ですよ!?」
万が一ルノア様と旦那様になにかあったら俺は・・・俺は・・・!
「考えたってしょうがないわ、それにどうせ子供の喧嘩みたいな物よアレは」
先生は割り切った風に言う。俺はあまりの飲み込めなさに出されたお茶を一気飲みしてしまう。
「でも・・・人が死ぬんですよ?それが当たり前みたいな、そんなのって!」
「おかわりどうぞ。落ち着きなさいな。ヴァランシが帝国に編入してからハルザスとの戦争で人は死んでないのよサシャちゃん。相手の指揮官の帽子を鉄砲で撃ち飛ばしてそれでいつも終わっているのよ」
まるで見てきたみたいな言い方・・・。
「まるで見たことあるような口ぶりですね先生・・・」
「魔女だから、ふふ」
出た。
俺はお茶を一口だけ口に含む。気が付かなかったが砂糖の入れ過ぎなのかとても甘いかった。
「魔女ってなんなんですか、いつもいつも。魔法使いってことなんですか?」
俺の問に先生は一拍置いて「少し違う」と言った。
「魔法使いは精霊と契約を交わしている。けれど私のような魔女は悪魔と契約するのよ」
悪魔?
俺の心の内が読めるのか先生は言葉を続ける。
「悪魔は契約者の魂と引き換えに契約者の望みを一つ叶え続けるの。そして契約者が死んだら魂は悪魔の物になる」
「先生は悪魔に何をお願いしたんですか?」
「それは言わない契約なの。言ったらその時点で魂が抜き取られちゃう」
へー、と適当に相槌を打って俺はお茶菓子に手を伸ばす。
「自分から聞いてきたくせに興味薄いわね・・・」
あ、これ美味しい。
俺がさっき食べたのはアップルパイみたいなお菓子だ。
これをルノア様に作ってあげたいなぁ・・・。
「いいじゃない。レシピを教えてあげるわよ。キッチンまでいらっしゃいな!」
ほんとにこの人は心が読めるんじゃないだろうか?
キッチンにはやる気満々のエプロン姿の先生。
「パイの生地はたくさん残ってるからサシャちゃんにあげるから、屋敷でも作ってみてね。それじゃまずはリンゴを食べやすいように薄く切るの」
俺は既に用意されていたまな板の上にリンゴを置いてそれを切っていく。
「そしたらそれを鍋に入れてレモン汁とグラニュー糖と一緒に強火で煮詰めるの」
言われた通りに作業する。だが鍋に具材を入れたところで一つ気づいてしまう。
火ってどう付けるんだろ・・・火打石なんかどこにもないんですけど・・・。
どの棚にも着火出来るような物は無かった。
「こらこらサシャちゃん、ここは魔女の家よ?火なら出してあげるから」
先生が指を鳴らすと急に鍋の下の薪に火が着いた。
「魔法使いじゃなかったんですか?」
「魔女だって魔法を使えるのよ、燃料が違うだけで」
そんな物なのか・・・。アバウト過ぎじゃない?魔法。
「ほら、焦がしたら美味しくないわよ?」
「え?って危ない!」
マジで焦げるところだった・・・。
慌てて木べらで混ぜる。
「そしたら完全に水分を飛ばすまで混ぜ続けて」
今頃ルノア様は何をしているんだろか?旦那様は簡単なことじゃ死ななそうだけど。
戦争に行くことが宿命だったとしてもルノア様はまだ十二歳だ。他人のことを気遣えるような優しい娘が戦争なんて・・・。
「サシャちゃんも優しい娘ね。自分以上にルノア様のことを考えられるんだもの。サシャちゃんがルノア様のことを大事だって想い続ければ神様だってきっとルノア様を守ってくれるわよ」
「悪魔と契約した魔女が神様、とかいいんですか?」
「魂は売り払っても心まで売ったわけじゃないのよ?」
本当にアバウトだなぁ。
鍋の中のリンゴがしなっとしてきた。
「リンゴがしなっとしたらバターとシナモンを入れて。バターが溶けたら火を消す」
鍋の底に触れたバターが固体から液体に変わる。
キッチンの中にバターの溶けたあの匂いが漂い始める。
「鍋の火は消すから、次は生地の方。長方形に整形したパイ生地にバターを塗るの」
ふむふむ。こんな感じか。
「そうそう、そんな感じよ」
鍋の中身が冷めるのを待ってると先生が俺をじっと見つめていた。
「な、なんですか?」
「サシャちゃんって十六って言ってたわよね?なんかたまにちょっとだけ大人びて見えるというか」
あーそりゃあ中身は二十だし。便宜上十六歳になってるけど。
「そうです?そう言う先生は何歳なんですか?」
「そうよね、お互い女の子。歳を聞くのは失礼よね」
え、女の子?
「私、まだ十九なのだけど・・・」
年下でした!
鍋の中のリンゴもちょうどいいくらいに冷えた。
「そしたら生地の上にリンゴを載せて、その上からもう一枚の生地を被せるの」
もう一枚被せるっと・・・。こうか!
「出来たらこっちに持ってきて。オーブンに入れて焼くから」
容器に載せたパイ生地をオーブンに入れる。
先生はまた指を鳴らした。
「後は二、三十分このままね。もう一杯ぐらいお茶でもどう?」
先生から貸してもらったバスケットにアップルパイを入れて屋敷に帰ってきた。
ルノア様が帰ってきていないか物は試しとルノア様の私室のドアをノックする。すると中から返事があった。
「どうぞ」
「し、失礼いたします・・・!」
中には愛しのルノア様がいた。
黒い軍服には傷どころか泥飛沫一つ付いていない。その姿を見ると、張り詰めていた物が解き放たれたように、思わず泣いてしまった。
「サ、サシャ!?ど、どうしたんですか!?なんで泣いているんですか!?」
良かった・・・なんともなくて本当に良かった!
「ルノア様・・・アップルパイを焼いてみたのですが・・・如何ですか?」
ルノア様は一瞬驚いたようで、すぐに笑顔に変わる。
「えぇ、いただきます。もちろんです」
「小分けして持ってきますね・・・!」
神様、本当にありがとうございました。
俺は生まれて初めて神様という物に感謝したと思う。
涙を拭った俺の手はシナモンの香りがした。
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