十二品目 渇いた土地で食す魚料理


 男は腹が減っていた。


 路銀稼ぎと新たな剣の慣らしを兼ね、北の地に戻るまでの道中で寄り道をしながら怪物だの盗賊などを休まず斬り続けているので、ここ最近はすぐに腹が減って仕方がない。


 前の剣よりやや重くなった剣だが、調子は良い。

 否、良すぎて最初は困った。

 あまりにも切れ味が鋭すぎるのだ。切っ先を下に向けて手を離したら、石交じりの渇いた地面に自重だけで根元まで刺さったほどである。


 これほどの切れ味の剣を振るには、これまでのような重さと力で叩き切る剣法ではどうにも宜しくない。雑魚が相手ならともかく、強敵を相手にするなら、しばらく時間をかけて剣を手に馴染ませる必要があったのだ。コレに関してはただの素振りではどうにもならぬ部分もあるので、人を斬り、獣を斬り、時には物言わぬ木や岩も斬った。


 来る日も来る日も休まずに何かを斬って斬り続けた。性根が怠け者のこの男にしては珍しい事であるが、新しい玩具を手に入れてはしゃぐ子供のようなものだろうか。


 男の前に二人の武芸者が現れたのは、そんなある日の事である。


 その二人はまだ二十歳前後の兄弟であった。まだ若いがよく鍛錬をしているらしく充実した気を纏っており、生半可な強者にありがちな増長もない。真、将来が楽しみな若武者達であった。


 その二人は仇討ちの旅をしており、父を殺めて逃げた男を追って遥か東方の地から来たのだという。仇の男も追っ手がかかっている事は察しているようだが、僅かな噂を頼りに追い詰めつつあり、恐らく決戦の日は近いと思われる。


 武芸を金に替えて路銀を稼ぐ生き方に通じるものがあったせいだろうか、男と兄弟は意気投合し、次の街まで共に行く事にした。朝方に共に稽古をしたり、お互いのこれまでの旅路を語って聞かせたりしていると、復讐を前に控えた兄弟のどこか暗鬱とした面持ちもいくらか和らいだものである。


 三人はそのまま四日間、舗装もされていない田舎道を歩み、五日目の夕刻に目的の街に辿り着いた。


 まず宿を確保してから数日かけて仇の足取りを探るのがこれまでの兄弟の旅の常であったが、今回はその必要はなかった。


 眼前には全身を黒鉄の鎧兜で覆った重装の戦士。まさに兄弟の仇であった男と街に入るや否やという所で出くわしたのだ。







――――――――――――――――――――――――





「加勢は要るか?」


 油断無く相手を見つめたまま、レオ殿が拙者と兄上に加勢の申し出をしてきた。仇の男は卑劣ではあるが技量は確かで強敵には違いない。尋常の戦であれば一も二も無く快諾する申し出であったが、拙者達は視線を交わして互いの意思を確認するとレオ殿の加勢を断る事にした。



「彼奴めは我らの獲物なれば」



 これは戦ではなく仇討ちである。ならば彼奴との因縁無きレオ殿の手を借りるのは道理が通らぬであろう。


 否、そうではない。

 道理の通る通らぬなどの為ではなく、我ら自身と父上の怨念を晴らす為には自らの手で彼奴を斬る必要があるだけの事。



「そうか、ならば見届けは任せろ。おい、そこのお前、この二人と立ち会え。真っ当に戦う分には俺は手を出さんが、逃げようとしたり卑劣な手を使ったならばこの剣が即座にお前の首を刎ねると知れ」



 レオ殿が背の大剣に手をかけながらそう言うと、彼奴も逃げるのを諦めたようだ。三人を相手取るよりは、まだしも我ら兄弟だけと死合ったほうが勝つ見込みが高いと踏んだのだろう。



「その大男ならまだしも、貴様ら若造如きに後れを取る俺ではない」



 仇めはそう言い放つと腰の剣を抜き、裂帛の気合を放った。

 いくつもの場数を踏んできた拙者が思わず一歩後ずさってしまうような、すさまじい威圧を感じる。横を見ると、兄上も冷や汗を流していた。覚悟はとうに決めてきたつもりだが、情けない事にいざその場に立つと竦み上がってしまいそうだ。



「決闘だ、決闘だ!」


「門前の広場だ、あの鎧野郎と若造二人がやるってよ」


「仇討ちだとよ!」



 街中で武器を抜いて向かい合っているので自然と耳目を集める。

 周囲には見物の町人共が集まり、こちらの気も知らずに囃し立てている。どちらが勝つかと賭けをしている者までいるようだ。面白い気分ではないが、これだけの人垣に囲まれていれば決闘が終わるまでは彼奴も逃げられまい。もはや、この囲みを出れるのは我らか彼奴かどちらか片方、生き残った方のみである。



「……大丈夫、決闘とはいえ二対一だ。いつも通り行けば負ける道理はない」


「兄上……」



 我ら兄弟の必勝の戦法は、拙者の槍でまず遠間から牽制をし、それで生まれた隙に兄上が飛び込んで小太刀で急所を突くというもの。単純ではあるがその分崩し難く、数々の実戦を経て連携を磨きに磨いた。


 個人の技量においても並みの相手であれば一人で圧倒できる自信がある。仮に拙者か兄上のどちらかが斬られても、その隙に残ったもう一人が大願を果たせるはずだ。



「さあ来るがいい、貴様らの父のところへ送ってやろう!」


「死ぬのは貴様の方だ。行くぞ!」


「応っ! 覚悟しろ!」



 彼奴めの獲物は大人の背丈ほどもある、長く重い鉄棒である。

 旅装には似つかわしくない全身の鎧で相手の攻撃をいなし、その隙に重い鉄棒の一撃で頭を砕くのが彼奴の必殺の戦法だ。ここまでの旅の途中でも、その攻撃により殺されたと思しき人間や獣の死体を何回も見ている。

 鎧の隙間を狙えれば手足の腱や血管を断つことも出来るが、敵は易々とそれを許すような生半な腕ではない。失敗すれば一呼吸のうちにこちらの頭が叩き潰されるのは想像に難くない。


 こうして見ると、まるで鉄棒自体が独立した命を持っているかのようだ。先程彼奴が気合を放った際に棒の先端を撫ぜたのも、幾多の血を吸ってきた獲物の機嫌を確かめる為かのように見えた。あれは今までに一体何人の血を吸い、その脳漿を地に撒いてきたのだろう。


 じり、と蛞蝓なめくじが這うよりも遅く、しかし油断なく間合いを詰め、攻撃の機を伺う。


 頬を伝って落ちた汗が地に落ちる。此方も敵も、極度の緊張状態にあり、あれほど騒がしかった周囲の喧騒も今は耳に届かない。


 勝機は我らに有り。


 時刻はまだ日が落ちる前。

 幸運にも最初に向き合った段階で西日を背に位置取る事が出来た。これならば夕日の眩しさに惑わされず、しかも相手の間合い取りを乱す事が出来る。



「ぜぇいっ!」



 案の定、立ち位置の不利に焦った彼奴が渾身の力を込めて間合いギリギリから鉄棒を振ってきたが、棒の先端は拙者の眼前を悠に拳一つ分以上も離れた位置を勢いよく通過していった。拙者より半歩前に踏み込んでいた兄上も紙一重で見事に避けたようだ。ならば、この空振りの瞬間こそが絶好の好機!


 だが、その大振りの後の絶好の機会を前にして、拙者も兄上も一歩を踏み出す事が出来なかった。



「ぐ……が……!」


「おの、れ……毒か!?」


「如何にも。この棒には細工があってな、先の方を軽く捻った状態で強く振れば、中の空洞に仕込んである毒蛾の粉が隠し穴から噴き出すという寸法よ!」



 不覚、先程の撫ぜる動作はその隠し穴を開く動作であったか!?

 精々一吸いか二吸いした程度だというのに、我らが武器を持つ手は激しく震え、とても戦うどころではない。身体を支えきれずに倒れ込み、声を出す事すら出来ない有様だ。


 無念、もはやこれまでか。

 長い仇討ちの旅の最期がこのような騙し討ちで終わるとは、無念。なんという無念だ。



 だが、いつまで経っても拙者の頭を鉄棒が潰す事はなかった。ろくに首を動かす事も出来ぬので状況を把握するのも難しいが、視界の端に映る兄上も未だ死んではいない。彼奴に限って我らに情けをかけるなどという事はあり得ぬし、何が起こったのだろう。


 その問いの答えは、倒れこんだままの拙者の眼前に、ぼとりぼとりと続けて落ちてきた、仇の両腕を見て知る事となった。



「お、俺の手がぁ……っ!?」


「おい」


「ひ……」



 両の腕の肘から先を失い狂乱する彼奴に、決闘の見届けをしていたレオ殿が静かに言った。怒っているのではない、ただ静かに淡々と、決まりに従ってそうしたとばかりに告げる。



「言ったよな、卑劣な真似をしたらこの剣がお前の首を刎ねると」



 その言葉が仇に聞こえていたのかは分からない。

 この時は気付かず後になって聞かされた事であるが、何故ならレオ殿はその時点で既に腕と同じように首も斬り終っていたからだ。身体の傾きに合わせて少しずつ首がずれ、そのまま腕と同じようにぼとりと落ちた。

 あまりにも鋭い一閃ゆえに、彼奴は既に首を刎ねられていた事にも気付かず、呑気にも腕が落ちた事に驚き、更には言葉まで発していたのだ。驚嘆すべき神技であった。



「悪かったな、お前らの仇を横取りしちまった」



 倒れたままの我らにレオ殿は詫びるが、文句など言えるはずもない。

 確かに我ら兄弟の手で仇を討てなかったのは残念であるが、それは彼奴めの小細工を見抜けなかった我らの落ち度。我らの未熟が招いた危機に過ぎぬ。



「毒は抜けたか?」


「ええ」


「ご心配おかけしました」



 さいわい、毒蛾の粉とやらは効くのも早いが、同じくらい抜けるのも早いようだ。まだ少し指先が痺れるが、すぐに立ち上がれるまでに回復した。



「よし、じゃあ仇討ちも成功したし祝い酒といくか」


「「はいっ!」」







◆◆◆







 流石に街の者に迷惑であったので兄上と共に仇の死体を片付け(街の外に穴を掘って埋めた。せめてもの情けである)、その間に三人分の宿を取っていたレオ殿と合流して酒場に繰り出した。この街の酒や食事は初めてであったが、中々に美味い。兄上などすっかり気分を良くして、



「よし、今宵の勘定は全て拙者が持とう。皆の者、好きな物を飲み食いするがいい!」



 などと店中の客に言ってしまったほどだ。めでたい席ゆえ拙者も異を唱える事はしなかったが、少しは自重して欲しいものだ。





「レオ殿、貴殿に魚料理を馳走しよう」


「こんなところで魚だと?」



 ほどよく酔いも回ってきた頃に兄上がそんな事を言い出した。特におかしな台詞ではないように聞こえるやもしれぬが、この周辺の地には海はおろか、大きな川も湖沼もない。レオ殿の疑問ももっともだろう。


 井戸はよく見かけるので今すぐ干からびるほどではないし、畜肉の類は豊富に出回っているので食料に困るような事はないが、魚を見る事はほとんどない。干物の類もここまで運んでくる商人がいないらしく、この近辺では見た事がない。


 だが、拙者には兄上の考えがすぐに分かった。もう残り少ないが、考えてみれば使い切るべき時は今宵を置いて他にあるまい。



「兄上、店主に厨房を借してもらえるよう頼んで参ります」


「うむ、ではあれは拙者が削っておこう」



 兄上が取り出したのは、乾いた木のような茶色の塊である。そうと知らなければ食べ物とは分からないような不気味な物体であるが、あれこそが我らの魚料理の主役である。


 茶色の塊は勝利の名を冠した大きな魚の身を蒸してから乾かした物。本当は決戦の前の景気付けに食すつもりであったが、なし崩しに戦いが終わってしまった今、せめて勝利を祝う為に食うべきであろう。


 かんなのような道具で薄く削ったそれを沸かした湯にたっぷりと入れ、塩で味を調えれば魚の味の吸い物になるのだ。本職の料理人であれば更に具や調味にも凝るのだろうが、我らの雑な男料理なら精々がこれに溶き卵が入るくらいだ。今回も酒場の主人から鶏の卵を売ってもらえたのでそれを使う事にした。



「さ、レオ殿。我らの故郷の味です」


「これが魚料理なのか?」



 確かに見た目は透明に近い薄い汁に溶いた卵が浮いた素っ気ない汁でしかない。知らぬ者がこれを魚料理と言われてもおいそれとは信じられぬだろう。



「うむ魚か、言われてみれば魚っぽい気がする。中々美味いな」



 レオ殿に続いて我らも自分の椀に注いだ汁を飲む。

 遥か遠い故郷の海を思い出す味だ。

 隣を見れば、兄上も吸い物を味わいながら故郷に想いを馳せているようだ。ああ、郷里の皆は息災であろうか。


 この街で数日留まり疲れを癒したら、あとは帰るだけだ。仇討ちの為に免除されていたお役目にも就かねばならぬし、一度故郷に戻ったら、もはやこのように異郷の酒場で酒を飲むような事など生涯ないだろう。そう考えると、この何気ない一時がとても貴重なもののように思える。


 思えばこの旅路には常に暗く重苦しい気分が付きまとっていた。だが帰路くらいは楽しんでも良いのかもしれぬ。きっと天の父上も大目に見てくれるだろう。


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剣王様の食卓 悠戯 @yu-gi

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