十一品目 八目鹿の串焼き(生焼け)


 男は腹が減っていた。


 少なくとも、ここ数年はなかったほどの長旅の最中である。土地勘のある街道を行き来する短い旅とは勝手が違い、目的地までは食料も水も節約せねばならない。


 何故、それほどの長旅をしているのかというと、その理由は男の武器にあった。 


 先の戦いで折れた愛剣を何人かの鍛冶師に見せてみたが、いずれの鍛冶からも修理は不可能だと断言された。


 とりあえずの間に合わせとしてなるべく大きな剣を買ったが、以前の剣に比べると二回りは小さく、どうにも頼りなげな様子である。軽い分速くは振れるが、間合いの勘が狂い、どうにも手に馴染まない。


 そこで、男は南の地へと向かう事にした。


 彼の地には、その折れた剣を造った者がいるのである。その者であれば修理が出来るかもしれないし、もし駄目でも新しく使いやすい剣を手に入れられるかもしれない。


 亀の怪物を倒した際に懇意になった将軍にその旨を話すと、怪物退治の報奨金だという大金と、男の取り分だという土産を渡された。大きな布包みが一つと、小振りな陶器の壷が二つ。


 折れた剣と合わせると多少嵩張るが、馬の鞍に取り付けられるように細工をした背負い箱を用意してくれたので、持ち運ぶのに苦労はない。


 南へ、ひたすら南へ。


 日が昇ると進み、日が落ちると休む。


 途中に街があれば二日ほど休息と物資の補充をして、三日目にはまた旅に戻る。


 そんな日々を繰り返し、愛剣を失った戦いから、いつしか月が二つ巡ろうとしていた。


 今、男の目の前には壁のような山脈が聳え立っている。


 数日前から山脈は見えていたが、至近で見上げるとその雄大さは格別である。人の手による城壁など、この天然の壁に比べれば吹けば飛ぶ程度の玩具にすぎない。たとえ、あの恐るべき亀の怪物であったとしても、この山脈はわずかに揺るがす事すらできないであろう。


 目的の人物は、この山脈の中に住んでいるはずだ。


 特定の住処を持たず、その時々の気分で山中の各所を寝床とするような者なので、探すのは難儀しそうだ。山中には多数の獣が住んでいるので、捜索に時間がかかっても食料には困らないのがまだしもの救いであろうか。


 比較的傾斜の緩い道を見つけて、男は馬と共に山の中へと入り込んだ。







―――――――――――――――――――――







 ……山が騒がしいな。


 獣や虫の様子から察するに、何者かがこの山に入り込んでいるようだ。

 おや、これは……?

 この感じは、前に己が剣をくれてやった小僧か。どうやら、己がいる峰から三里ほどの山中をウロウロしているようだ。


 ……ふむ。


 思案は一瞬。

 己は足元に落ちていた葉が付いたままの楓の枝を拾い上げると、まず一歩、ゆるりと足を踏み出した。


 そして二歩、周囲の景色が細長く引き伸ばされ、己を取り巻く空気がぬるりと粘性を帯びる。


 続く三歩目、己は目の前の小僧の頭に、手にした枝を思い切り振り下ろした。



 

 「ほう、腕を上げたではないか。感心、感心」


 「よお、爺さん。元気そうだな」


 己が振り下ろした枝は、咄嗟に抜き放った小僧の剣とぶつかり、止められていた。



 「前にも思ったが、なんでアンタ木の枝で真剣と鍔迫り合いが出来るんだ?」


 「そうだな、まあ修行だ。小僧にもいずれは出来るようになるだろうよ」



 まあ、二百年も剣を振っていれば、この程度の芸当は誰にでも出来るだろう。


 己が戯れに剣を振るい始めて、もう何百年経ったろうか?

 もしかすると何千年かも知れぬ。

 山の中で一人修行を続けていたら、いつの間にか己の身は神仙の類へと変じておった。

 そして、気付いたら色々と不可思議な技を使えるようになっていた。ただの木の枝を真剣のように使う術や、先程の縮地の術もその一つである。



 「して、何用だ? そんなナマクラをぶら下げているという事は、大方前にやった剣を壊したというところであろう」


 「ああ、よく分かったな」



 小僧が馬の背の荷物から取り出した剣を検める。

 余程硬い物を叩いたのであろう。単に折れただけなら直しようもあるが、芯の部分が完全に歪んでしまっている。これでは無理に繋げても以前ほどの強度にはなるまい。



 「駄目だな。この剣はもう死んでいる」


 「そうか……済まないな」


 「構わぬ。如何なる名刀、宝剣であろうともいずれは折れ、曲がるが定め。そんな事は小僧もとうに知っておろうに」



 剣など所詮は消耗品。

 名剣、妖刀、宝剣、魔剣。

 いかな大層な冠の付いた剣だろうと、それは変わらぬ。



 「そういうものか?」


 「そういうものだ」



 得物を大事にするのは美徳ではあるが、それが行き過ぎて後生大事にしまっておくようでは本末転倒だ。

 人には人の、剣には剣の本分というものがある。

 己の役割を見事に果たして主を守ったこの剣は幸せであったろうよ。



 「そうか」


 完全に納得出来てはおらぬようだが、小僧も剣の死を受け入れる事が出来たようだ。



 「ところで小僧、それは何だ?」


 折れた剣をしまっていた箱の中に、何やら大きな布包みと小さな壷があった。離れていても分かるほどの強い存在感を感じる。



 「ああ、知り合いから土産だと言って押し付けられた……こいつを折った奴の物だ」


 「ほう、亀か」


 恐らくは千年級の大陸亀。

 布包みのほうは甲羅。二つの壷は髄液と、骨を焼いた骨灰であった。


 甲羅にせよ骨にせよ、これだけの量を切り出すのには随分と苦労した事だろう。何百本もの斧やノコギリを駄目にしたに違いあるまい。


 あの亀の甲羅は年を経る毎に強度と粘りを増す。

 小僧は気付いておらぬようだが、己にはこれを土産にと寄越した人物の思惑が分かった。



 「よし、こいつで新しい剣を拵えてやろう」


 「亀の甲羅でか?」


 並の鍛冶師では手に負えぬだろうが、これだけの素材を己が使えば良い剣が出来るだろう。



 「作業に入る前に腹ごしらえをしておくか、狩りをするぞ」







 ◆◆◆





 「よし、これも修行だ。この楓の枝だけであの鹿を仕留めてみせよ」


 そう言って、己は持っていた細い楓の枝を小僧に手渡した。小僧は試しにそれを振ってみるが、枝自体には何の仕掛けもない。頼りなげに空を切るばかりである。普通ならばどんなに強く振っても小鳥や兎くらいしか倒せまい。


 獲物として目を付けたのは若い八目鹿の牡。


 額を囲むように配置された八つの眼で周囲の景色を認識し、警戒心も強い獣である。真剣や弓を使えればまだしも、今の小僧の技量では威力の足りぬ木の枝で仕留めるのは難しい。


 鹿の意を読み、その意識の空隙に滑り込むようにして近付き、一撃を見舞う。

 言葉にするのは簡単だが、やってみるとなるとこれが中々難しい。



 「……む」


 「殺気が出すぎだ、馬鹿者」


 まず、近付くだけでも上手くいかない。

 何回かに一度、どうにか近寄れても、武器が細い枝では威力が乗らず仕留めきれない。



 「どれ、手本を見せてやろう」


 己が実際に一頭仕留めるところを見せてやった。

 近付いて、叩く。

 ただそれだけで、八目鹿は頭蓋を割られて絶命した。


 「これは己の分だ。飯が食いたくば自分で仕留めてみよ」


 さて、結果が出るまで何日かかるだろうか?

 飢えて死ぬか、それとも音を上げて剣を諦め逃げ出すか。

 はたまた見事に仕留めるか。







 ◆◆◆







 「よし、ようやく火が入ったか」


 丸二日後、己は久しく使っていなかった炉の仕度をしていた。

 己が鍛冶をする為に造った特別の炉である。使うのは久々なので掃除から始めたが、思いの他時間がかかってしまった。


 神仙の鍛冶は、人間の鍛冶のように多くの道具は使わぬ。必要なのは素材となる品と鎚、そして強い火である。


 炉の中に手を入れて確認してみた。手に持った鉄の粒がたちまちどろりと溶けるほどに熱くなっている。そろそろ良い頃合であろう。


 では打ち始めるか、という段になって、


 「まだ始める前か、間に合ったな」


 という声が背後から聞こえた。小僧が来たようだ。


 小僧は、手に持っていた枝を軽く振るい、近くの木の太い枝を打ってみせた。小僧の持つ枝の十倍は悠にありそうな太い枝であったが、その枝は容易くへし折れた。どうやら、力に頼らぬ剣の技の一端程度は会得出来たようだ。



 小僧は仕留めた八目鹿を担いだまま、炉の方を見て言った。


 「火を熾すのが面倒なんでな、肉を焼くのにその火を使わせてくれ」


 ……まあ、良かろう。

 小僧は己の返事を聞く前に、肉を細かく切って尖った枝に刺し、炉の前で串焼きを作り始めた。調理に使うには熱すぎる火だが、小器用に距離を調節して肉を焼きやすい距離を掴んだようだ。


 そして焼けた傍から、いやほとんど生焼けのままガツガツと食い始めた。余程腹が減っていたのだろう。


 「塩気が足らん」


 小僧はそう言うと、懐から小さな岩塩の塊を取り出して、それを舐めながら肉を食べるという奇行を取り始めた。森の獣の方が、まだ優雅に食事をするであろうという粗雑な食事だ。


 肉を焼く、食う、舐める、また焼く。


 ひたすらにその行動を繰り返し、鹿の後ろ脚を丸々一本と背肉の半分を食い終わると、ようやく食事の手を止めた。


 「俺は寝る。剣が出来たら起こしてくれ」


 相当に疲れていたのだろう。

 食い終わったらそのまま横になって寝息を立て始めた。







 ◆◆◆







 甲羅と髄液と骨灰、そして折れた剣を炉に入れる。

 程なくして赤熱して融解したそれらを一塊にし、ひたすらに鎚を打ち付けて徐々に形を整える。


 何千か、何万か、何億か。

 数え切れないほどの回数を叩く。


 幾日も不眠不休で叩き続けてから、最後の仕上げに砥ぎを入れ、ようやく小僧の新しい剣が完成した。



 久々に良い剣が出来た。

 元の甲羅の紋様が薄らと刀身に浮かぶ綺麗な剣だ。

 試しに振らせてみたが、元々の折れた剣を混ぜたおかげで、持ち主の小僧の手にもすぐ馴染んだようだ。


 この剣に見合うほどにまで小僧が腕を上げれば、或いは己と対等に死合うに足る域へ至るかもしれぬ。そうなれば苦労の甲斐もあったというものよ。

 まだ当分先の事になるだろうが、その時を楽しみに待つとしよう。

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