五色鹿随想
これまた『宇治拾遺物語』を流し読みしていた時に当たった話であるが五色鹿と言うものが有ったので、私はすぐさま小学生の頃に地域のボランティアの方々に読み聞かせていただいた思い出を想起した。どうやら他の説話集にも掲載されている様だがこの物語の中にあった一話を引こう。
昔ある深山に体毛五色角は白の非常に珍しい鹿が人に見つけられないよう住み、鴉のみを共に世を過ごしていた。ある日ふもとの川に一人の男の落ち込んだのを見ていてもたっても居られず、自らの命を顧みずに川に飛び込みその男の命を救った。男は平伏してどうお返しをしたらよいものかと言うと、鹿はただ自分のこの山にいることを世に知らしめないようにとだけ言った。男は約束し、そこを去って誰にもこのことを言わなかった。
さて、ある日国王の妃が夢に五色の美しい鹿を見た。彼女は目覚めて、きっとこれはこの世にある者に違いないと思案し、国王に伝えてこれを取るよう願った。王は承諾し、目撃情報を募ったところ、かの男が自分が知っているからどうか連れて行ってくれと願ったので、王は喜んでこれを承諾し、狩人を数多引きつれてその山に入ると、おもむろに件の鹿が王の目の前に恭しく推参したので、狩人らが狙いを定めて射ろうとしたところ、王は止めて、恐れもせずにやってきた、何か理由があるのではないか、言えと言った。鹿は口を開き、一体だれがこの場所を教えたのかと問うた。王は男を示すと、鹿は泣いて、自分は命を捨ててあなたを救おうとした、あなたは約束を守ると言った、あなたは私への恩を忘れてしまったのかと恨み言を言った。王はそれを聞いて涙し、畜生なのに人を救うとはあっぱれな奴、然るにお前はその恩を忘れて欲に走ったのか、そうだとすればお前こそが畜生だと言って男を殺害した。そうしてまた、この国で鹿を殺すことのないようにとのお触れを出し、それ以来かの国は豊かに栄えたという。
よくある教訓譚のような気がするが、それを捨象すると、王の過剰な命令と王妃の罪の有無が問題となってくる。この二つを少し検討していこう。
まず王が男を処刑したことについては、賛否が分かれるだろうが私としては是としたい。というのも、忘恩の徒というのは決まって誰の役にも立たぬものであるしまた王の高徳を示すには格好の機会としてとらえることができるからだ。そうだとすれば、鹿狩りを禁止したくらいで国が富むわけがないという極めて常識的な意見にも合理的な反論ができる、すなわち、王の人物たるを見た国民たちの王に対する信頼は上がり、王を中心とする徳治主義的体制が整えられ鼓腹撃壌たる豊かな国になるだろうということである。このことは、古くから流行していた孔子の教えにも合致するから、現実には非論理的のように見えても思弁においては十分厳密な論理たりうる。細かい論理については、是非皆さまが『論語』を手に取ることで確認していただきたい。
次に王妃の罪についてだが、これは王が許さなくとも一般庶民の怒りの矛先にはなりうる。そもそも彼女がそんな夢を見さえしなければ、男が欲に駆られて恩を忘れるという愚行に走ることもなかったであろうし、したがって鹿狩り禁止令も発布されることはなかったはずである。結果だけを見れば王の徳を知らしめて国民の帰属意識を高め経済的に豊かにはなったものの、やはりそれ以前の問題として王妃の挙行が上がってくるのである。そもそも王に徳が備わっていたとすれば全然別の穏便たる機会に発揮すれば良かった。夢を見て、王を唆した。全ての発端はひとえにここにある。私としては王妃も処罰されて然るべきだと思っている。
少し話が逸れてしまったが、これを読む我々読者は人に被った恩は忘れないようにしたいものである。たとえそれが結果として国を富ませることになるとしても。
不思議の連環 黒桐 @shibusawa9113
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