不思議の連環
黒桐
妹背島諸感
先刻徒然なるままに、たまたま目の前に積まれてあった、読み止しの『宇治拾遺物語』を手に取ってみると、ちょうどこの話の手前だったから、なんとなく読んでみたところ、非常に魅力的な話であった。何しろ、そこには、漂流譚、近親相姦という、えも言われぬ馥郁たる腐臭を放つ、近現代文学の一つの潮流をなす題材が取り上げられていたのであるから。あらすじをご紹介しよう。題名は、『妹背嶋ノ事』とある。
土佐の国幡多郡に住むある貧賤の者が、他の国に田を作り、苗を植えられるほどになったので、苗、労働者に食わせる食べ物、鍋、釜、鋤、鍬、からすき(牛にひかせる鋤)などを舟に積んだ。そして、11、2ほどの息子娘一組を舟の見張り番に立て、両親は、これから人を雇いに行くと言って、どこかへ行ってしまった。さて、彼らは迂闊にも、ちょっとの間だけだからと、子供たちの乗る舟をつなぎとめておかなかった。やがて子供らが舟の中で居眠りを始めると、潮が満ち、風が吹いて、そして引き潮が舟を攫っていってしまった。
遥かに沖へ出たところで目を覚ました子供らは、四方に広がる茫漠たる大海原の景色に驚いて、助けを求めるように泣いたが、甲斐はない。地上でも、働き手を集めた父母が元の場所へ戻り、異変に気付いた。風のないところへ避難したかと思ったが、むろんそんなことはない。大騒ぎで人々の助けを借りて捜したが、ついに舟も子供も見つからず、そのままになってしまった。
一方の子供らを乗せた舟は、南にある島に漂着した。二人は上陸してみたが、人影はなく、助けが来る見込みのないことを悟って泣いたが、そのうち、
「もはやどうしようもない。しかし、このまま捨てる命ではないだろう。今はこの舟に積まれた食べ物を食べて、少しでも生きながらえようではないか。さしあたり、この苗を植えて、恒常的な食糧線を確保してはどうか」と、男の子が提案した。女の子も承諾し、島を歩き回って、苗の育ちそうな水の豊富なところを探して植えた。近くに庵をあみ、木の実などをとって秋を待つと、嬉しいことに、豊作であった。そして、このままでもいられないので、二人は夫婦の契りを交わし、子をたくさん産んだ。今でもその島には、かの夫婦の子孫らが、元気に暮らしているということである。
読者の注意を最も引くところは、言うまでもなく、兄妹が夫婦になるところであろう。それは私たちの倫理観に反するものだ。しかし、歴史を思い返せば、例えばスペイン=ハプスブルク王家なんかは、血の穢れを嫌って近親婚を繰り返したし、また東西の多神教だって、最初は近親婚が定番ではないか。なにも驚くにはあたらないのである。
私は最初これを読んだとき、エドガー・アラン・ポオの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』や、ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』などを思い出し、また話が進むにつれ、ユイスマンスの『さかしま』、谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』などを、少々脈絡がないが、思い出さずにはいられなかった。このような文学史に咲く、美しいクロユリのような作品群におけるテーマが、すでに平安時代からあったとは興味深い。それは一種背徳的な趣があり、また浪漫的な雰囲気も感じさせる。作者はおそらく、己の欲望を明瞭に自覚した、当時にあっては稀有な存在だったのではなかろうか。そして、この作品をものす際に、背徳のもたらす一種の痙攣にも似た絶頂状態にあったのではないか。私の勝手な想像の暴走に過ぎないが、どうしてもその光景が目に浮かぶ。何せ、仏教の支配下にあった中世における物語なのである。しかも他の説話とは異なり、仏罰が一切加えられていない。これはあるいは、平安を経て鎌倉に入るまで、通してその時代の屏風の上で踊り狂った武士の気風も、なんらかの関係があるのかもしれぬ。(例えば『平家物語』では、清水寺の焼かれたことの訴状を提出しに来た僧を、平家が矢を放ってボコボコにして追い返した。)
そうしたエロティックな要素に目が行ってしまいがちな本話であるが、そこにはまた生きる力、つまり生への強い渇望が感じられるだろう。まだ幼い子供が、たった二人きりで、未知なる島へと流される。幼い彼らにとっては、田植えはおろか、日々の生活さえままならなかったに違いない。それが時を経て、立派な若者になり、数多の子をなし、見事な繁栄を遂げる。古代ギリシアの英雄たちも目を見張る生きっぷりである。普通なら、彼らがこの島へ流されたら、さっさと海へ身を投げて、海洋生物に身を与えて功徳を積むか、あるいは念仏に没頭し、餓死するまで止めなかったであろう。仏教的な当時の無常観とは一線を画すこの二人の子供の物語は、時代を超えて私たちをうならせる。それはまた、仏教の常識に陰ながら抵抗を示す、この作者の堂々たる生き様への讃嘆でもあるのではないだろうか。
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