第14話 五島軒衝撃の事実編
看板を見てから3分後、私は立ちはだかる瀟洒な洋風建築を前にに呆然と立ち尽くしていた。先ほど見た無駄にでかい看板に描かれていた地図からすると、間違いなくこの場所に『五島軒』があるはずだ。だがそこにあったのは大衆的な中華料理屋ではなく、古き好き時代の雰囲気漂う美しい洋館だったのである。
大衆食堂というよりは明らかにレストラン、しかもかなり敷居の高そうな高級レストランの趣を漂わせている。失礼を承知で言わせてもらえば、センスの欠片もない看板からは絶対に想像できない高級洋食レストラン、それが『五島軒』の正体だったのである。
「うわっ、どうすんべ。汗だくTシャツにデニムで入れるようなお店じゃないってば。絶対にドレスコードとかあるお店じゃん」
五島軒を目の前に私は思わず湘南弁で独りごちた。坂道の多い函館の街で旧幕府軍聖地巡礼をすればいい感じに汗だくになる。そんな姿で高級店に入るべきではないと頭の中では理解している。
しかしお腹はこれ以上はないほど減っているし、太さにだけは自信がある脚もかなり疲労している。身体は一歩も動きたくないと叫んでいるのだ。
「……取り敢えず入っていいか、聞くだけ聞いてみよう。ドレス・コードがあって入れなかったらその時考えればいいや」
後は野となれ山となれ。覚悟を決めた私は恐る恐る店のドアを開けた。するとドアのすぐ近くに如何にも『支配人です』的な、黒の上下を着た品の良いおじさんが極上の笑みを浮かべ、『いらっしゃいません、お一人様でしょうか?』と声をかけてきたのである。この時点で既に回れ右をして逃げられる状況ではない。私は引きつった笑みを浮かべつつ口を開く。
「あ、はい。このかっこ……」
「ではこちらへどうぞ」
私がこの格好で大丈夫かどうか尋ねる前に、支配人らしきおじさんは私を奥の方へ案内し始めた。どうやら汗だくTシャツ&デニムでも大丈夫らしい。だが他の客はやはり五島軒にふさわしい、それ相応の格好をしている。私はいたたまれなさに身体をすくめ、おじさんの後をコソコソとついて行く。
店は外から見るよりもかなり大きかった。二、三部屋大きな部屋を通りすぎても空席は無く、更に奥へと向かう。そして店の一番奥に近い場所にあった小さなテーブルに空席があり、そこに私は案内された。ようやく一息ついた私は椅子に座り、ランチョンマット代わりにテーブルに置かれていた『あるもの』を目を落とす。その瞬間、私は更なる驚きに目を丸くした。
「そ、創業明治12年、だとぉ?しかも函館で一番古い店とか、格式ありまくりじゃん!!」
ランチョンマット代わりに置かれていたもの、それは店の概要が簡単に書かれている案内チラシだった。それによれば『五島軒』は明治12年創業、130年も続いている函館で一番古い洋食店だというのである。思いがけない形で衝撃の事実を知った途端、新たな冷や汗が私の背中を伝う。
「うわぁ、マジどうすんよ。てかこんな格式のある老舗にデニムは絶対にまずいって」
逃げ出せるものなら逃げ出したい。せめてどこかで着替えさせて――――――そんな私の心中などお構いなしに、テーブル担当のウェイターさんがメニューを持ってきてくれた。だが半分パニック状態に陥っている私はメニューもろくに見ることができない。
普段であればお店オススメの料理や地元特産の料理など、滅多に食べれない料理に挑戦するところだが、メニューが頭に入ってこないこの状況ではそれも難しい。仕方なしに無難極まりないオムライスを注文し、私はようやく一息ついた。
「それにしても中がこんなに広かったなんて。外から見ただけじゃ判らないもんだよね」
ここまで来るだけでも二、三部屋通り過ぎてきたし、私が通された部屋もかなり大きい。しかもほぼ満席だ。ただこれだけ大きな店にも拘らず大声で喋りまくるおばさんや走り回る子供がいないのは、やはり五島軒の格なのだろう。
そんな風に店の中を観察しているとウエイターさんがオムライスを持ってきてくれた。いわゆる『たんぽぽ』ではない、昔ながらのオムライスだ。それをひと口スプーンですくって口の中に入れるとやさしい味が口いっぱいに広がった。
「あああ~~~んまいっ!」
朝から散々歩きまくってお腹が空いていたのもあるが、それを差し引いても老舗らしい懐かしい味のオムライスだ。オムライスだけでもこれだけ美味しいのだから、間違いなく夜のディナーも美味しいだろう。というかここは汗だくTシャツのお一人様が入る店じゃない。彼氏や旦那と二人でディナーを堪能したり、家族のお祝いごとなど特別な日に入るお店だ。
今度函館に来た時は旦那にディナーを奢ってもらおうと決意しつつ、私はオムライスをぺろりと平らげた。心臓には悪かったが、たまには古風な洋食も悪く無い。
ちなみに五島軒の名物がカレーであり、レトルト商品まで大々的に販売していると知ったのは、帰りの飛行機に乗る直前に立ち寄った土産物店でのことになる。
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