第7話 スーパー北斗2号編

 小樽観光を存分に堪能した翌日、私達は朝食も取らずにホテルをチェックアウトし、苫小牧にあるマルトマ食堂へと向かった。苫小牧の名物といえばホッキ貝、どうせなら本場のホッキ貝を食べてみたいと海産物好きの旦那が主張したためである。

 昨晩のジンギスカンに引き続き朝っぱらから魚介類、中年の胃袋にはヘビーすぎる食の強行軍だ。いや、これだけだったらまだ良かった。マルトマ食堂での食事の後、旦那はカシオペアと抱き合わせになっているゴルフに行くことになっている。そのゴルフのプレー予約時刻に間に合わせるためには6時半過ぎに食事を終えなければならないのだ。

 何故そんな慌ただしい日に名物・ホッキ丼を食べようと欲張るのか?どうせ食べるならゆっくり堪能できるタイミングを狙えばいいのにと思うが、得てして中年オヤジというものは融通が効かなくなるらしい。余談だが私はその気になれば早食いができるが、旦那は早食いすることは出来ない。案の定、既に私と旦那の丼の中身には差がつき始めていた。


「ところで、函館には何時までに行けばいいの?」


 私は刺し身ホッキ丼を流しこむように食べながら旦那に尋ねる。何せ今日は江差新選組ヲタク旅を満喫するのだ。合流時間を決めてもらわないと開陽丸に乗り込んだまま、いつまでもはしゃぎまくってしまう。

 そんな私の心配に対し、旦那はボイルホッキ丼をよく噛んで食べつつ答えてくれた。


「そうだね。じゃあ夕方5時に宿で」


 旦那はあっさり言ったが、私はその言葉に目を丸くする。


「宿って……確か函館駅からそこそこ距離あるよね?そこまで歩けと?」


「一応路面電車があるからそこまでは来てよ。到着したら迎えに行くから」


 まるで紳士のごとく『迎えに行く』ことを宣言する旦那だが、私は疑わしげに目を細める。何せ『刀剣乱舞』の明石国行以上に面倒くさがりの旦那だ。実の母親にさえ『息をするのさえ面倒臭がる』と嘆かれた男である。そんな旦那が一度宿に入ったら最後、絶対に迎えに出てくるなんて真似はしないだろう。


「本当に大丈夫?だったら最寄り駅についたら電話するから迎えに来てね」


 八割方迎えにこないだろうなと思いつつ、一応念を押す。これで迎えに来てくれたら御の字だ。


「うん、解った。じゃあ到着したら電話ちょうだいね」


 調子よく言ってくれる旦那だが、ほぼ確実に迎えには来ないだろう。取り敢えず宿の住所だけは奪いとっておこうと刺し身ホッキ丼を平らげた私は決意した。そしてその決意は後々無駄にならなかったことだけここに付け加えておく。




 旦那によって南千歳駅で放り出された私は、そのまま7:08発のスーパー北斗2号に乗り込んだ。最寄りの苫小牧駅ではなく南千歳だったのは、旦那がゴルフ場に行くのに都合が良かった為である。個人的には苫小牧駅で暫く待っていても問題なかったのだが、こればかりは旦那の都合優先だ。

 乗り込んだスーパー北斗2号は関東圏で言うところの『通勤快速』のような電車である。ただ関東エリアのものより心持ち座席に余裕があるらしく、かなり乗り心地が良い。この乗り心地の良さは長距離を走る北海道の電車ならではなのだろうか?慌ただしかった朝ご飯とは真逆の、心地良いゆとりを感じつつ私は座席に身体を沈める。この体を休めるにも妄想を巡らせるにも最適な環境のまま、江差へのバスが出ている八雲駅まで向かうのであだ。

 因みに南千歳から八雲までおよそ2時間、八雲から江差までバスで更に2時間、合計4時間の長旅である。函館からならバスも電車もあるのだが、札幌から直接江差に行くルートはこれしか無い。しかもこれを逃したら次に八雲から出るバスは夕方5時という鬼畜ぶりである。


「でも八雲への到着時刻が9:14、八雲からのバスが9:32だからまず乗り遅れるってことはないよね。バス停は駅前みたいだし」


 16分の余裕があれば、まず乗り遅れることはないだろう。ここは北海道ならではの長距離旅行を存分に堪能しようと目論んでいた私だったが、世の中そんなに甘くはなかった。およそ1時間位経過した頃だろうか、駅に到着したわけでもないのに不意に電車が減速し、停止してしまったのである。一体何が起こったのか―――不安を覚えた乗客達がざわめいたその時、耳を疑いたくなるような車内アナウンスが流れた。


『昨日からの大雨の影響により、前を進む電車に遅れが出ています。信号が青になり次第発車いたしますので今暫くお待ち下さいませ』


 それを聞いた瞬間、私の意識は遠のきそうになった。定時なら16分の余裕がある乗り継ぎだが、遅れたらそうはいかない。しかも八雲に到着するまでまだ1時間ほど必要だ。この調子だと間違いなく午前中にたった一本しかない江差行きのバスに乗ることは出来ないし、旧幕臣のゆかりの地巡りも江差の鰊御殿巡りもおじゃんになってしまう。

 それだけは何が何でも避けなければならない。江差に行く為、せめてこの電車の遅れが10分以内でありますようにと、歴史オタ主婦は普段全く信じていない神仏に対して拝みだした。




 だが普段全く信心していない奴が困ったときだけ祈り倒しても、願いは叶わないものである。今回もその例に漏れず、電車は10分経過しても全く動く様子を見せなかった。こんな調子では確実にバスに乗り遅れる。となると、判断を迫られるのが江差への行き方だ。この時点で時間は午前8時過ぎ、頑張れば函館周りで江差に行くことも可能かもしれない。


「う~ん、函館に一度出てから江差に向かったほうが良いのか、それとも八雲からバスを乗り継ぐか、タクシーを拾ったほうが良いのか……でも片道2時間の道のりのタクシー代、どんだけの値段になるか怖いしなぁ」


 というか、八雲駅にタクシーが常駐しているのだろうか。その点も極めて怪しい。ここは思い切って函館周り、松前経由江差行きという幕府軍江差侵攻コースを取るべきなのかもしれない。うん、きっと新選組オタクの神様がそうしろと言っているのだ。ここは状況の流れに従って函館に―――と思ったその瞬間、新たなアナウンスが流れだした。


『八雲発江差行きのバスはこの電車が到着するまで運行を待ってくださるとのことです。バスをご利用のお客様は速やかに駅改札近くのバス停へ向かってください』


 一瞬耳を疑うような、私にとって都合が良すぎるアナウンスが耳に飛び込んでくる。既に遅延は20分近くになっていた。それなのにバスは待っていてくれるというのか―――首都圏では絶対にあり得ない事態だが、これから行く八雲ではあり得るらしい。その事実を私に信じさせるかのように、同じ車内アナウンスが何度も繰り返される。これならばバスで江差に行くことができそうだ。

 そしてアナウンスが最初に流れ始めた時点から5分後、ようやく電車は動き出した。これでようやく八雲へ向こうことができると、私はほっと胸をなでおろす。

 私を乗せたスーパー北斗2号は時折ゆっくりとした速度になりつつも、予定より30分程度の遅れだけで無事八雲駅に到着した。勿論私は停車するなり電車から飛び出し、大急ぎでバス停へと走りだす。


「頼む!どうか間に合ってくれ!!私はどうしても江差に行きたいのっっ!!」


 40歳過ぎるとそう滅多に本気で走る機会はない。それだけに思うように脚が動かず、自分自身の運動神経の無さもどかしい。だけどここで走らねば江差にはいけないのだ。新選組オタクとしてそれは絶対に許されない。私は江差に行きたい一心で、死にものぐるいで走り続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る