第5話 小樽のスープカレー編

 予定より1時間ほど遅れた正午少し過ぎ、寝台特急カシオペアは無事札幌駅に到着した。朝ご飯も乗車前に買い込んだ菓子パンで済ませた私としては、このまま札幌の町に繰り出してお昼ご飯を!と行きたいところだった。しかし融通の効かない旦那は前々からの予定通り駅に降り立つなりレンタカーを借り、そのまま小樽へと向かったのである。


「夜はジンギスカンだから昼はやっぱり海鮮だよね~。そして海鮮といえば小樽でしょう♪」


 運転席で旦那はごきげんだ。予めこの日の夜はジンギスカンと決めてあり、既に予約も入れている。それ故『夜が肉ならば昼は魚!』とばかりに旦那は私の意見など全く聞かず海鮮のお店が豊富な小樽へと向かったのである。因みに私は札幌名物スープカレーを希望していた。夏野菜の美味しい季節、絶対に美味しいスープカレーに出会えるに違いないと踏んでいたのだが、魚好きの上に意外と偏食の旦那に合わせないと後々面倒なので、ここは仕方ないが旦那に合わせる。好きなモノは明日、明後日の単独行動時に食せばいいのだ。


「ところで食事が終わったらどこに行くの?小樽運河近辺の観光だけにしておく?」


 元々義父が単身赴任しており、北海道には何度も来ている旦那である。きっと小樽も行き尽くして見るところなんて無いだろうと高をくくっていたが、旦那は首を横に振り私が全く思いもしなかった意外な行き先を口にした。


「鰊御殿。小樽にもあるからそれを見に行こうよ」


 ……どうやら私が土方歳三ゆかりの地に行くだの鰊御殿を見るだの言っていたのを覚えていたらしい。自分も見に行きたいと言い出したのである。

 個人的には小樽運河近辺をじっくり見たい気もするが、地域によって鰊御殿の作りも違うと聞いたのでそちらにも興味がある。なので私は二つ返事で小樽の鰊御殿に行くことに同意した。それよりも先にお昼ご飯だ。カシオペアが豪雨で遅れてしまった為、既に時刻は1時近くになっている。

 私達は小樽に到着すると、何かしら美味しい魚介類にありつけるだろうと、飲食店の集合体となっている建物へ向かい、中へ入った。壁で仕切られていないので一見するとフードコートのようだったが、座る場所は店によって決められているようだ。

 さすがに平日、しかもお昼のピークを過ぎているだけあって中はかなり空いている。私達はそれぞれの店の様子を観察がてら周囲をぐるりと巡った。どのお店も美味しそうな海鮮丼やお寿司を出してくれそうだし、私としてはどのお店でも二つ返事でOKを出すつもりでいた。しかし、あれほどまでに新鮮な海鮮が食べたいとほざいていた旦那は、とある意外な店の前で足を止める。


「ここにしよっか。美味しそうだし」


 その店の名前は『スープキッチン sapporo』、フードコート唯一のスープカレー屋さんだった。


「え、いいの?私はありがたいけど、海鮮丼食べたかったんじゃなかったっけ?」


 スープカレー屋さんの前で私は思わず聞き返す。あんなに海鮮が食べたいと言ってわざわざ小樽まで足を伸ばしたのに。しかもどのお店も新鮮で美味しそうな海鮮丼よりどりみどり状態なのに、何故よりによってスープカレーの店なのだろうか。すると旦那は小声でこう答えた。


「う~ん、ちょっと呼び込みのおばちゃん達が……」


 そう呟くと、旦那は他のお店に恐る恐る視線をやる。確かに他の海鮮のお店では、威勢のよい呼び込みのお姐さん達が声を張り上げていた。如何にも『漁師の女房』といったお姐さん達の活きの良さ、威勢の良さに気後れをしてしまったらしい。

 私としてはむしろその活きの良さが海鮮の美味しさをより引き立てると思うのだが、一人っ子長男でおっとり育ってきた旦那には刺激が強すぎたようだ。そんな中、唯一呼び込みをしていなかったスープカレー屋に助けを求めるように逃げ込んだというのが正直なところである。

 何はともあれ私は食べたかったスープカレーにありつけるし、文句はない。ホクホクしながら店に入り、私はスタンダードな鶏肉と野菜のスープカレーを注文した。一方旦那はシーフードカレーを注文する。やはり海鮮に未練があるようだ。

 しばらくすると良い香りと共に人生初のスープカレーが目の前にやってきた。一般的なカレーよりもかなりサラリとした風合いはインドカレーに近いかもしれない。しかしそれ以上に目を引くのは大胆に配置された、ほぼ北海道産と思われる夏野菜達である。

 じゃがいもに蓮根、ピーマン、人参とこれでもかと言わんばかりに野菜と鳥の骨付き肉がてんこ盛りに乗っかっている。これそ王道のスープカレー、といった皿にテンションが上がる私だったが、次の瞬間ふと我に返る。その原因は別皿に盛られたライスだ。これにカレーをかけるべきなのか、それともカレーにご飯を浸したほうがいいのか―――スープカレー初心者は皿を前に一瞬悩む。

 その一方、食に関して融通の効かない旦那は一般的なカレーと同じようにご飯にカレーをかけて食べ始めた。だが、さらさらしすぎるルーはご飯をすり抜けてしまい、いまいち絡みが悪い。そんな旦那を観察しつつ、これは浸して食べたほうが賢明だなと判断した私はご飯をスプーンですくい、カレーに浸した。そしてスプーンを口に含んだ瞬間、私は思わず叫んでしまった。


「んんん~~~~うんまいっ!!」


 カレーに浸したライスを口に入れた瞬間、想像していたよりもかなりスパイシーな香辛料の風味と、それを追いかけるようにやってきた鶏出汁の旨味が口いっぱいに広がった。特に鶏出汁のパンチは凄まじく、香辛料に全く負けていないどころか存在をかなり主張してくる。今まで食べた食品の中で一番近いものを上げるならばお蕎麦屋さんのカレー南蛮だろうか?

 しかし関東のお蕎麦屋さんのカレー南蛮よりも遥かに出汁の味が強いしスパイスの香りも華やかだ。このスパイスと出汁のコラボはやはり北海道のスープカレーならではのものなのだろう。カレーと出汁が好きな人間ならば―――すなわり大方の日本人ならば間違いなく好きになる味である。そしてそれはどうやらシーフードカレーも同様らしい。

 消去法でこの店を選んだにも拘わらず、旦那は魚介たっぷりのスープカレーを貪り食っている。特にカレーが好きという訳ではない旦那だが、魚介と鍋物は大好物だ。それ故、出汁の風味がしっかりしているスープカレーはもろ旦那の好みだったのだろう。その食べっぷりに『ひと口ちょーだい』とも言いがたく、結局互いのカレーをシェアすること無く食べ終わってしまった。


「スープカレ―、思っていた以上に美味しかったね!」


 刺し身ではなかったものの魚介を堪能できた旦那はかなり満足気である。勿論私も数年来の念願だったスープカレーを、しかもかなり美味なスープカレーを食べることができて大満足だ。スープカレーの地元行列店がどれほど美味しいのかは判らないが、ふらりと入ったお店でこれだけ美味しいのだ。きっとどの店に入ってもそれぞれに美味なスープカレーがあり、ハズレなど無いのだろう。

 ただこの『北海道のスープカレーにハズレはない!』という思い込みが、翌日ささやかな事件というかトラブルもどきを引き起こすのだが、その話は後に回す。ともあれお腹も心も満たされた私達夫婦は、気分よくフードコートを後にした。

 そして冷やかしがてら周辺の土産物店を見て回った後、小樽の鰊御殿を見学しに行く為に小樽運河を後にした。

 早朝電車を止めた悪天候もすっかり収まり日差しも差し始めている。きっと鰊御殿からの眺めも良くなっているに違いないと、私達のテンションは更に上がっていった。

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