第3話 ふたりの屍体売り
店の窓ガラスが音とともに割れ、破片がいくつも床に突き刺さった。飛びこんできた石がまるで悪意を持つように土壁にいきおいよく跳ね返る。
黙々と仕事道具の手入れをしながら、またか――とぼくは舌打ちした。もうすでに慣れっこだったので、これしきのことで、いちいち作業を止めたりはしない。店の外で、走り去る影の靴音が嘲っている。
「石油を掘るにはまず金が要るが、屍体を掘るのに元手は要らねえ。良心を捨てればいいだけだ。初めは吐きながら、屍体を掘り起こす。でもそんなことは金さえ手に入ればわすれっちまう。何度も吐きながら掘って売り、吐きながら掘って売りしているうちに、芋でも掘るのと同じような感覚になっていくんだ」
親方ダブウは売り上げを勘定しながら、だれにともなくそうひげを揺らした。
ぼくはそれをきき流し、屍体の解体に使う両刃の短剣を懸命に磨いていた。柄には蔓と蛇が絡み合う、金細工の美しい装飾。ダブウの弟子であることを証明する、
窓の外では建物の隙間を縫って、すでに朝陽が昇りはじめている。陽光にきらきら応える銀色の刀身は、ぼくたちに、店を閉める時刻を告げていた――。
ぼくたちは屍体売りという、この国で最底辺の仕事を生業にしていた。屍体を解体してそれを売り、代償にその日の糧を得る。簡単な仕事だけど、人に憎まれること甚だしい。店に石を投げこまれるだとか、料理屋を追い出されるなんてのは、しょっちゅうだ。戦死した勇敢な同胞たちの屍体を解体して売るというのでは、食
そんな仕事だったから、屍体売りに就いた人間で精神に異常を来たさない者は、まずいなかった。例外なく良心の呵責に苦しみ、街の人間たちからの冷遇に悩む。多くの屍体売りたちの末路は、神に祈りをささげながら首を吊るか、神を呪いながら首を吊るかのどちらかだった。
そんななかにあって親方は、三十年の永きに渡り、この仕事を続けてきた。ぼくはそのころ親方のそばについて、まだ一年と半年。こと仕事に関しては、まだまだ口答えできないでいた。
親方がなぜ、三十年も屍体売りを続けているのか。一度でも屍体売りの仕事に手を染めた者は、もうかたぎの仕事に就けなくなるから――もちろんそれもある、だけど、親方の場合、話はもっと簡単だった。屍体売りは底辺の仕事とはいえ、稼ぎでいえば、そこいらの職業よりもずっとよかったからだ。金持ち相手にはふんだくれるだけ高値をふっかけ、貧乏人相手には有り金ぜんぶはたかせる程度にふっかける。それで得た代金の取り分は、親方が九割、ぼくが一割。
だけど親方は、それだけ稼ぎながら、派手に金を使わなかった。かといって、貧しい者に施しを与えるでもない。稼いだ金はどうやら、かれだけが知っている何処かの隠し場所に、貯めこんでいるらしかった。親方の娯楽といえば、せいぜい質の悪い安酒を呷るぐらいのものだった。
「いいか、ザイド。神さまでさえ、金を積めば買収できるんだ。オアシスも涸れ果てる真夏の砂漠でも、金さえあれば、神さまが下男のようにシャーベットを届けてくださる」
親方は街で酔っぱらって得意げにそう語っては、信仰に熱心な男たちと喧嘩になったものだった。親方は躰も大きく力も強かったけれど、たいていの場合、相手のほうが大人数なので、しこたま殴られて負けるのが常だった。ぼくの痩せこけた躰では、加勢しても事態はすこしも好転しないだろうし、なにより加勢するだけの義理もないので、ぼくは遠くから、そのようすを眺めているだけだった。血を吐いて、立てなくなって、さんざんやられて仆れこんだあとでさえ、親方は嗤いやまなかった。だいたいにおいて親方は、みずから人びとに歩み寄ろうなんて気は、さらさらなかったのだ。親方は、他人も神も、信じちゃいなかった。親方は人生を通して、金だけを信じて生きてきたのだ。
屍体売りという職業の歴史は、この国の戦争の歴史とともにある。敵国はみずからを「自由の国」と名乗った。ぼくらの国と「自由の国」の間で戦争が始まった理由は、いまとなってはよくわからない。ぼくたちの髪や瞳は黒いのに、「自由の国」の敵兵の髪は金色で瞳は空のように青い――ぼくが感じるぼくたちとかれらの違いは、せいぜいそれぐらいのものだった。多くの人にとっても、きっとそうだろうと思う。
にもかかわらず、戦争は続いた。終わる気配さえ、見えなかった。悲劇は絶え間なくくりかえし、どこかでだれかが泣きつづけた。そしてぼくたちは、なにも学ばない。未来と過去がメビウスの環になった時間のひずみに迷いこんだかのように、まいにち大勢の人びとが止めようもなく死につづけた。
長引く戦争の影響で、街に行けば、躰のどこかを失った兵隊あがりの男たちばかりだった。見境なく埋められた地雷は、兵隊も無関係な子供も区別せず、その手足を容赦なく喰いちぎる。敵軍が撒いた妙な毒の影響で、生まれてくる赤ん坊も、五体満足な者はほとんどおらず、みんな生まれつき躰のどこか一部を奪われた子供ばかりだった。腕が足りない、脚が足りない、指が足りない、眼が足りない。どこかが足りない、片端の群れ。
男と女が求め合うように、欠落した躰をなにかで埋めようとするのは人間の本能だ。不具者たちがまっさきに眼をつけたのが、兵隊墓場だった。かれらは夜な夜な墓場に忍びこみ、腐臭漂う屍の山を踏みしめた。蛆が湧き、膿の流れ出る兵士の骸に鉈をふり下ろし、斬り落とした部位を持ち去って、じぶんの躰に縫いつけた。腕のない者は屍体の腕を、脚のない者は屍体の脚を。縫いつけた手脚はしだいに馴染み、うまくいけば五体満足になれる。
死者の躰をその身に繋げば一生消えない呪いを背負う――街ではそんな噂も囁かれたが、片端の群集は耳をかさず、夜ごとその数を増やして兵隊墓場を荒らしまわった。満月の夜の骸の山に、不具者たちの、歌と哄笑がこだまする。それは眼を覆いたくなるような、見世物小屋の悪夢だった。
あまりの惨状に見かねた政府が、ついに規制に乗り出した。兵隊墓場は有刺鉄線で囲まれ、国の管理下に置かれることになった。兵隊墓場に立ち入れるのは、政府に雇われた墓守たちだけだ。
夜ごと続いた墓荒らしたちの宴は、ようやく収まったかに見えた。兵隊墓場に横たわる骸たちに、安らかな眠りが訪れた筈だった。だけど、墓守に対し政府から支払われる賃金は、安かった。つらく汚い労働への見返りとして、けっして釣り合うものではなかった。となれば、政府公認の墓守たちがみずから墓荒らしとなり、兵士の屍体を横流しするようになるのは時間の問題だ。
屍体を売りたがる墓守と、屍体を買いたがる片端たち。その橋渡しとして、屍体売りという職業が生まれた。墓守も屍体売りも片端たちも、利益は完全に一致していた。戦争が続くかぎり、屍体売りという職業が廃れることは、今後、けっしてないだろう。――
「ザイド。そろそろ出かけるぞ、用意しろ」
親方がぼさぼさに伸びた髪を揺らし、立ち上がった。ぼくは
屍体の在庫が少なくなるたび、ぼくたちは兵隊墓場まで屍体を仕入れに行く。屍体売りのしるしである
それが魂を売って得た、ぼくたちの生活のすべてだ。
最低の生き方だと思われるだろう――じっさい、じぶんでもそう思う。だけど、ぼくのような親もいない十三歳の子供がこの街で生きていこうと思えば、ドブの水をすすらないわけには、いかなかったのだ。
善か悪かなんて問題は、じっさいのところたいした問題じゃあない――すくなくとも、生きるか死ぬかの問題のまえでは。
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