第33話 最後の晩餐に何を食べたいか?




 以前、友人たちと「死ぬ前に食事ができるとしたら何を食べたいか?」みたいな話をした。

 皆の答えは様々で、パンをこよなく愛する人はピザとかイタリアンが好きな人はパスタとか、キャビアやトリュフといった高級食材、チョコレート、酒好きはシャンパンなどが出たが、一番多かったのは寿司(鮨)だった。

 これはわかる。私も寿司ほど美味しいものはないと思っている。

 寿司が出るたび、やっぱり日本人だからね~と笑いあった。


 私はというと、寿司とも迷ったのだが、そこは「塩だけでにぎったおにぎり(海苔なし)と味噌汁」と答えた。

 味噌汁の具は、ワカメとじゃがいもがいい。

 大きな塩にぎりを両手でつかんでムシャムシャ食べて、味噌汁を飲み干してから死にたい。米と塩と大豆汁。

 この国に美味しいものは数有れど、これが一番の原点かつ素朴な終点かなと思った。

 欲を言うなら、米も塩も味噌も国産の最高級のものがいい。

 炊きたてのご飯をおにぎりのプロに握ってもらいたい。なんという贅沢なのか。考えただけでも涎が出そう。



 死ぬといえば、理想の死因もある。

 毎年正月になると、雑煮の餅を喉に詰まらせて救急搬送されたり、亡くなったりするお年寄りが必ず出るが、私もまさにこれで死にたいと思っている。

 無事に新年を迎え、ご馳走をうまうまと食べ、雑煮まで出た至福のひとときに、古来より数多の日本人を葬ってきた敏腕極まる餅先輩の手にかかって死ぬ。

 確かに、詰まらせてから息絶えるまでは苦しいだろうが、それで窒息死したとしても誰のせいでもないし、残された誰も傷つけないし、誰も責められない。

 餅を食って死んだ。アイツはなんだかんだで幸せなヤツだった。そう葬式で笑われたいのである。

 病気で何年も寝たきりとか、身体が損壊する事故死、考えるだけで苦しい水死とか焼死よりは何百万倍もいい。死因は餅を詰まらせて死にたい。



 死ぬ際の理想のシチュレーションもある。

 これは、平安時代末期の歌人・西行法師の最期をそっくり真似したい。

 彼は「願はくは 花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃」という有名な歌を残した。

 歌の意味は、「願わくば2月15日ごろ、満開の桜の下で春に逝きたい」である。

 そして西行が実際に旅立ったのは2月16日だったのだから、まさに望みどおりの最期を遂げたのだ。なんという素晴らしい人生の終焉だろうか。

 私も花はなんといっても桜が一番好きなので、ぜひ「花のもとにて春死なむ」として、3月頃に散りゆく桜を見ながらこの世を去りたい。

 サクラチル。ワレモチル。桜のとおりに潔い死に憧れる。



 しかし、そうなると私の最期の日は少々忙しい。

 正月に死ぬのは諦めるとして、桜が咲いているならお花見をしてご馳走を食べなくてはいけないし、なんとなく本日中に死ぬことを悟ってさりげなく塩にぎりと味噌汁も食し、また桜を眺め、歌って騒いで適当に辞世の句を詠んだりもして風流みやびさを演出し、おやつに何故か雑煮が出てきて、それを運悪くも絶妙なタイミングで喉に詰まらせ、苦しみのたうちまわりながらも、はらはら散る桜をまぶたに焼きつけ、最後は満足しきった安らかな表情で息絶えなくてはならない。真面目に考えたら無理だ。

 しかも、なんか食べてばっかりだなこれ。我が人生は、つくづく花より団子だなこれ。ああ、団子も食べたいなこれ。みたらしとあんこがいいなこれ。いい加減、妄想終わらせろよこれ。



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